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ぱちぱちと弾ける炎。
焚火の輻射熱を受けて、5人の表情はやや火照って見えた。
「急に冷えてきたねー」
気持ち、炎に寄るサアヤ。
「昼間は、泳ぐほどではないにしても、暖かかったというのにね」
ヒナノはちらりとマフユを顧みた。
「異常気象ってやつだろ。人類は滅びるな、ははは」
言いながらマフユは、背後からサアヤに襲いかかる。
きゃっきゃ言う女子を横目に、リョージは木片をくべる。
「まだ来てもいないんじゃないのか、人類」
根本的な問題だが、人類が「来た」せいで、異常気象が多発しているという説は、もはや説ではなく常識的な既定路線として機能している。
現代文明が環境を破壊したせいで、異常気象になった。
それが21世紀の科学者たちの、圧倒的多数決の合意であるはずだ。
「それな。温暖化はでっちあげ、っていう説もあるぞ。もともと現在の気温上昇や低下は地球の自然なサイクルであって、異常でもなんでもないんだ、ってさ」
チューヤが応じる。
「ばかばかしい。それこそ陰謀論ですよ」
言下に言い放つヒナノ。
「そういうの好きな男子が、うちの部活にもいるじゃん、約1名」
「『ヌー』を定期購読するタイプだね……」
チューヤとサアヤが、同時に背後を顧みる。
「『週プロ』と『ヌー』は、まとめて買うタイプが多いぞ」
リョージとしてはフォローのつもりだが、
「男子はほんと、そういうの好きだよね!」
女子の共感は得られそうにない。
ははは、と苦笑いする男子2名。
陰謀論の最先端を突っ走る天才を、あらためて眺めやる。
暗がりのなか、どんな脳内シナプスが火花を発しているか、一般ピープルには想像することもむずかしい。
「まちがいなく天才ではあるけどな、あいつ」
「良くもわるくも、天才ほど、突拍子もないことを言い出すものです」
「ま、ああなったらケーたんはそっとしておくのがいいよね」
「ああ、天才はしょうがない」
「けっ。せいぜい役に立ててやんよ、チビ」
ケートの話題はそれなりで、一同は再び中央の焚火に目線をもどす。
「それで、海のほうはどうだったの?」
リョージが振ると、
「けっこう沖合まで干潟が広がってたよー。海岸沿いに、貝とか木の実とか集めてね、フユっちは入江でお魚ゲットだぜ!」
「ヒャッハー!」
ぱーん、とマフユと手を合わせるサアヤ。
「彼女とも話しましたが、おそらく現状は、氷河期のなかの短い温暖期にあたるのではないかと。地質を見たかぎり、ご意見は?」
ヒナノはリョージに問いをもどした。
──21世紀の東京は、地質学的にもっとも新しい地層である沖積層によって、かなりの部分が構成されている。
しかし寒冷期には、大地は洪積層に覆われ、海面は現在より最大120メートルも低かった。
東京湾も、かなり沖合まで徒歩で進めたはずだ。
このあと、長い年月をかけて洪積層は削り取られ、そこに上流から流れ込んできた土砂が積もり、沖積層を形成していくわけだが、とりあえず、いまの東京の地形は、ある程度平坦で湿地が多い。
「ああ、ケートとも話したけど、すまん、オレの知識じゃ足りないわ。関東ロームが、まだそんなに積もってない、っていうくらいしかわからなかったよ」
素直に白旗をあげるリョージ。
そうですか、と言いながら西のほうに視線を移すヒナノ。
関東ローム層を創り出したいくつかの火山のうち、もっとも重要なのが富士山であるはずだ……が。
「明日、明るくなってからもう一度、よく観察したほうがいいかもしれません」
目を細め、つぶやくヒナノ。
「なに、気になることあるの? もしかした富士山」
リョージの忖度に、
「だーいばーくはーつ!」
悪乗りするサアヤ。
「いえ、まだわかりません。……それより、これからどうなるのでしょうか?」
ヒナノは静かな吐息とともに、難問を言い置いた。
落ち着いて考えるまでもなく、きわめて不安定で、お先真っ暗な状況だ。
とうの昔から、思慮深い彼女は悲観と楽観の両面から考察を推し進めているわけだが、いずれにしろ停滞の憂き目にある。
楽観、というよりも「なにも考えていない」お気楽な面々の流れに身を任せるしかない現状は、ひどく退嬰的でもある。
が、問題解決に対するとっかかりが少なく、確信を得られそうな材料がなにひとつない状況では、いかんともしがたい。
なんらかの予備知識があって「踏み込んだ」ならともかく、そもそも、この奇妙な魔術回路に巻き込まれたこと自体、「事故」なのだ。
あとは不幸中に幸いを見出せるか、だが。
「人類が来るまで待とうホトトギス、ってか」
リョージの提示する方途も、一手ではある。
「ここは東京なんだよねえ」
とすれば、いずれは来るだろう。
「一応ね」
その確信をもたらしたのはチューヤだが、
「ジャバザコクなんだろ」
マフユはなんとなく察していたようだ。
と、その瞬間、背後から鋭い一声。
ケートがお呼びだ。
「光をよこせ」
目線を六分儀から離すことなく、偉大な詩人のようなことを言うケート。
応じて、松明を持ってきたのは、チューヤ。
松明は、松の枯れ枝と生の蔓、竹の棒があればつくれる。
たいまつ。
それは、人工の光のない夜はもちろん、さまざまな状況で使い道のある、最高の多用途アイテムである。
「これでいいの?」
明かりを差し出すと、
「ここだ。そう、そのまま持ってろ」
六分儀を覗く姿勢のまま、位置を指示するケート。
小さな穴を開けた板に固定されたヒナノのルビーに、反対側から火の光を当てる。
すると、細く赤い光が六分儀の鏡に反射して、天に向かって伸びていく。
「ほう、きれいなもんだ」
アホのように口を開け、夜空を眺めるチューヤ。
「ルビーは固体レーザー素子にも使われていたくらいだからな」
ケートは一度も顔をあげない。
近代設備があれば、ルビーから一定以上のエネルギーを持ったレーザービームを放つことも可能だ。
もちろん現状は、夜空に直線を描く役くらいにしか立たないが。
その直線の先と、ケートの記憶にある北極星との位置のブレを測定し、計算をつづける。
「細かい数値とか、そんな割りばしみたいな棒と、人の目なんかでわかるの?」
信頼はしているが、疑問は拭えない、という口調。
「人間ナメんなよ、チューヤ。ダイナミックレンジも分解能も、そんじょそこらの電子機器より、よっぽど優秀なんだ。……いまのところな」
ゆえに古代人は、最低限の道具で太陽や惑星の軌道を計算し、日食や月食を正確に予測できた。
六分儀が用いられたのは中世以降だが、現代の目から見ればかなり原始的であるこの観測器は、じつは最新の電子機器に交じって宇宙空間でも使われたことでも知られる。非常時のバックアップや、追加実験の用途だ。
地球から離れ、深宇宙を目指すにさいしても、おそらく六分儀は搭載されるだろう。
二点間の角度を割り出すだけの単純な用途は、しかして重要な意味を持つのだ。
「その価値がわかる人間になりたいよ」
チューヤのぼやくような声に、
「脳みそはあるか?」
ちらり、と視線をあげるケート。
「……いや、なさそう」
首を振った瞬間、
「落っことしたよ、チューヤ、脳みそ!」
背後からサアヤのノリ突っ込み。
「拾っといて!」
ボケ倒すチューヤ。
「うるさい連中だ。邪魔すんな、あっち行け」
自分が呼んだにもかかわらず、やおら邪険に言い放つ。
そうして孤独な天才の世界に没入するケート。
肩をすくめて離れるチューヤ。
天才とは、わがままなものだ。




