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「それで、どうやって年代を割り出すのです?」
ヒナノの声に、男たちは顧みた。
男子が集まってよからぬ相談をしているのを嗅ぎつけた女子が、つれづれなるままに寄ってきている。
「ちょっと男子ー? キャンプは後片づけまでがキャンプなんですよー?」
「残飯食ってやったぞ、感謝しろ」
そうして合流を果たす女子。
一同の視線を受け、ケートはあらためて「天文学講義」を開始した。
「怪物に襲われたアンドロメダ姫を、ペガサスに乗った勇者ペルセウスは救えるか?」
魅力的な声音を演出するケート。
「だまされるなよ、女子。ケートは、ぜんぜんロマンチストじゃないぞ」
こっそりとチクるチューヤ。
「古代エチオピアの神話ですね。それで、ペルセウス氏のご意見は?」
ヒナノの問いに応じ、ケートは天を指す。
「キミたちに、あれが見えるか? カシオペアの神託を受け継いだ、天空に連なる7つの星に寄り添う、悲劇的な光が」
一同が天を仰ぐ。
その脳細胞の作用は、両極端だ。
「おお、オレにも見えるぞ、死兆星が……」
「おまえはもう、死んでれら」
「オラ~は死んじまっただ~♪」
「カシオペアを殺したのはE26系客車なんだ──」
低偏差値のギャグ要員たちが、つまらないボケをかますのを無視して、高偏差値のヒナノがほぼ正解の知識を引き出す。
北斗七星の近く、7つの星の並びが特徴の星座に含まれるのは。
「……北極星ですか」
21世紀にはWの形をしている、カシオペア座。
その外側の直線を伸ばした交点から、まんなかの星をつないで5倍伸ばした先にある星を、人類は北極星と呼ぶ。
「21世紀時点なら、こぐま座α星ポラリスだが、いまは……ちがう」
北極星であれば当然、季節は関係がない。
1年中、北天を巡るこぐま座は、北斗七星に似た並びが特徴で、小北斗とも呼ばれる。
神話では、妖精カリスト(おおぐま座)の息子アルカスとされている。
「北極星から、どうして年代がわかるんだ?」
リョージの素朴な疑問。
「いくらキミたちがバカでも、ミランコビッチ・サイクルくらいは知ってるだろ」
当然のように言い放つケートに、
「……知らん」
一同の一致した答え。
愕然として、あんぐりと顎を下げるケート。
基礎知識に天と地ほどの開きがある。
「風俗女の乗る自転車かなんかか」
「ビッチ・サイクルってか?」
「リョーちん、フユっち! メッメ!」
「ミランどこいったよ」
ケートは、アホどもに背を向けるようにその場に腰を下ろし、ため息交じりに作業を開始した。
チューヤも手伝わされ、木の枝でつくった台座に、六分儀を固定する。
組み合わせた木で三脚をつくり、おもりで水平を取った上に、板と棒でつくった手作り感満載の六分儀。
これが、彼の最終兵器だ。
「キミたちの、クソの役にも立たん駄アイテムを使って、みごとな六分儀をつくりあげた自分の才能に驚くよ」
自画自賛のケートに、
「あたしゃケーたんのその口のわるさに驚いたよ」
ぶーたれるサアヤ。
「いや、そもそもこういうやつだろ、ケートは」
リョージの見解は平均的だ。
「で、六分儀ってなに?」
チューヤの問いに、
「キミのその腐った魚の目玉のような、異臭を放つ2つの眼球の奥に収まっている、残念な白い豆腐に似たカタマリを、年に5分くらいは使ってやったらどうだ、ん?」
ケートの目つぶしにも似た攻撃。
「脳みそはいってんのかってバカにされてるよ、チューヤ」
にやにや笑うサアヤ。
「うるさいなあ……返せよ俺の腰痛ベルト……」
憮然としてぼやく。
そのチューヤのベルトは、意外に核心部分を支えている。
もともとプロレスラーのダイコク先生が、みずから「ちゃんぴょんベルト」を改造してつくった腰痛ベルトは、金属のプレートが2枚、腰骨を支える位置に組み込まれている。
六分儀に重要な鏡が、このパーツの裏側を磨いて代用されているのだ。
チューヤの同意があったかどうかはともかく、解体された腰痛ベルトのプレートの1枚は固定鏡、もう1枚は動鏡となっている。
「わたくしの祖母の形見、傷つけてないでしょうね?」
ヒナノの問いに、
「ああ、お嬢の指輪はレーザーの発信源に使う。ルビーを通過した光が、チューヤのベルトによって受け止められる予定だ」
件の場所を指さすケート。
露骨にいやそうな顔をするヒナノ。
照れ笑いの横っ面をサアヤにしばかれるチューヤ。
「どーでもいいけど、ちゃんと直して返してよね、ケーたん」
サアヤの首輪は、トゲの部分を取り外して、ねじとナットの代わりとなった。
──仕組みとしては、簡単だ。
円形に削った木の板を1枚、それに組み合わせる木の棒を2本。
昼間、ケートが削っていたのはこれだ。
基本的には、この棒を回転できるように中心に固定し、2枚の鏡から見える星の角度を測定する。
一般には、太陽を見るときや気象条件によって、いろいろな部品をつけかえて使用されるが、現状、求められる最低限の要素だけで運用するしかない。
六分儀と三角関数があれば、人類は偉大なことができる、と歴史が証明している。
目指すのはもちろん、北極星だ。
多くの航海者の目印となった、極北の恒星。
地軸は2万6千年の周期で動いており、数千年まえの北極星は現在とは異なった──。
「ここが地球であることはまちがいない。東京であることもな。あとは、いつかがわかればいい」
ふう、と深く息をつくケート。
「よっ、天文マニア」
煽るリョージ。
「で、どうすんだ」
うんこ座りして両手に顎を乗せるマフユ。
「地球は動いている。宇宙という巨大なコスモスのなかで。夜空は、裸の女みたいなものなんだよ」
言葉の内容に比して、彼の表情は清廉だ。
「ケーたん! メッメ!」
サアヤは教育的指導を試みるが、
「そうなの?」
男子は興味津々だ。
「見ようと思えば、どこまでも見せてくれる。だが、本気でアタックしないと、なんも見せてくんない」
ケートの意図を知って、
「正しい」
女子も納得だ。
「それがどーしたよ、チビ」
マフユの問いに、
「いいか、地球はだいたい365日で一周するし、太陽は11年周期で活発化するし、地軸は2万6000年周期で揺らぐんだ。ミランコビッチ・サイクルは……」
長くなりかけたケートの言葉を遮るように、チューヤが割ってはいる。
「サイクルはいいから、結論を言えよ。で、どうなの?」
「せめて知ろうとくらいしろよ、向学心のないやつらめ……」
再び嘆息して、ケートは作業にもどった。
──ミランコビッチ・サイクルは、地球の公転軌道の離心率10万年、地軸の傾き4.1万年、歳差運動1.8~2.3万年という周期の変化で、地球の気候変動を大きく説明しようとする説だ。
セルビアの地球物理学者、ミルティン・ミランコビッチによって提唱された。
「知りたいとは思うが、理解できないことがわかりきっているからな」
「数学はねー、向き不向きがあるんだよー」
「というわけで、結論だけ頼む、ケート」
一同の統一見解。
「結論もくそも、これから観測するんだよ!」
だん、と地面をたたくケート。
「なーんだ。じゃ、私たちは休憩して待ってるね」
「役に立たんやつだ。行こうぜ、サアヤ」
「結論が出たらおっしゃってくださいな」
「今夜の計画を立てるか、チューヤ」
「あ、ああ。んじゃ、あと頼むなケート」
ひらひらと手を振り、去っていく仲間たち。
ケートはふてくされつつ、淡々と作業を継続する。
──ミランコビッチ・サイクルは、計算が非常にむずかしく、高度な学位を持った人々が頭を寄せ集めて、道具を整えて取りかかっても、正しく予測することは非常に困難とされている。
それを棒と地面だけでやり遂げようとする天才が、ここにいる。
現在が11月4日だと仮定して、太陽との距離(ケプラーの第3法則)から地球軌道の楕円の離心率を求める。地軸の傾きは星座の位置から計算できる。歳差運動も同様、北極星は25920年の周期で変化する。
天文学上の現象から、いくつかの数値は代入できる。が、単に数字を入れれば済むほど、単純な数式ではない。
地球の動きは、しばしば「コマ」に例えられるが、誤りだ。地球は扁球であるため、回転楕円体のトルクも計算に入れなければならない。月の引力による干満(海水と海底の摩擦)や、他の惑星との重力関係によっても変動する。
なにより正確な観測が必須だ。
ケートは耳のピアスをピンと弾き、ハルキゲニアの加護を求めた。
浮き上がる古生物。彼らは、なにやらぶつぶつと話し合いながら、おそろしく困難な数式を地面に描き出す。
この数式に、これから観測した数字を割り当てていくのだ。
──イカサマ賭博を禁じる、という大目的のため、ガーディアン・プレイスでは、ほとんどのガーディアンが無効化される。
時間軸を遡るまえは、それでもアイテム系のパラメータ補正くらいは受けられていたが、いまはそれもない。
チューヤのベルトもヒナノの指輪も、完全に無効化されている。
なぜか。
この時代には、オオクニヌシやカーバンクルという概念が、存在しないからだ。
が、ハルキゲニアはいる。
なぜか。
すくなくとも5億年まえから、この古生物(の化石)は存在するからだ。
地質年代を閲した、悠久のガーディアンが見てきた地球と宇宙の記憶は、ケートに大きな情報を提供してくれた。
彼は嬉々として、岩盤に白墨をこすりつけ、謎の数式を刻み込んでいく。
日本がほぼ唯一自給できる鉱物資源、炭酸カルシウムの結晶は叡智の迸り。
BGMはもちろん『知覚と快楽の螺旋』。
じつにおもしろそうに、ケートは数式を書き連ねていく。
数学こそ、アルファでありオメガである。
数学者とは、この手の計算に没頭しているときに、一種の至福をおぼえるという。
一般人には、まったく理解の及ばない数学世界が、広がっていく──。




