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 夜空を見上げる。

 ここが東京とは思えないほど、宝石箱をひっくり返したような星空。

 人類発生以前には、世界中がこういう夜だった。


 月は東に、日は西に。

 壮大なるコスモスが、くりひろげられている。


「このへんでいいか」


 河原をかなり歩いた先、ケートは削られて平らな岩盤に拠点を定めた。


「なんでこんなに離れるんだ?」


 荷物持ちとして派遣されたチューヤの問いに、


「焚火の光が邪魔なんだよ。天才は繊細なんだ。本来、観測自体さえ、ボクのすべき仕事ではないんだが」


 彼は「理論屋」なので、「実験屋」のような体力仕事はあまり好きではない。


「はいはい、さようですか」


 荷物を下ろすチューヤ。


「レーザー測距ができりゃ簡単なんだがな」


 東に輝く、異常なほど鮮明な十六夜の月を眺めて言うケート。

 ──月は毎年、地球から3センチほど離れている。「現在」と「過去」の距離がわかれば、比較的簡単な計算で年代を求められるが、もちろんそんな反則技は使えない。

 また、関連した理由(月による潮汐摩擦など)で1日の時間は徐々に伸びているため、時間を精密に測れれば、どのくらい「過去」かはわかる。

 ときどき「うるう秒」が挿入されるのはそのためだが、もちろん原子時計レベルの正確な測定が欠かせない。


「ほんとに、こんな木の棒とかなんかで、年代がわかるのか?」


 いぶかしげに問うチューヤ。


「ふん。細工は流々、仕上げを御覧じろってやつだ。──さあて、おもしろくなってきやがった。見たことのない星が、だいぶある」


 ケートは天を仰ぎ、にやりと笑った。


「うそつけー。そんなんおぼえてられるわけないだろ」


 チューヤの目には、いつもよりきれいな星空というイメージしかない。


「パンピーはな。残念ながらボクには、写真記憶ってやつがあるんだよ」


 ぽんぽんと、こめかみを指でたたくケート。

 映像記憶ともいい、海外ではゲーテやフォン・ノイマン、日本では山下清や三島由紀夫が持っていたことで知られている。

 幼少期にはふつうにある能力だが、成長するとともに消失する。

 電車から一瞬見えた風景を、あとで正確に描写したり、本を内容ではなく映像として、丸ごと記憶できたりする。


 そこへ、気が利くリョージが、天然水とおつまみの小皿を添えて持ってきた。

 男たちは天を仰ぎ、会話をつなぐ。


「さすがケート、と言いたいところだが、チューヤだって、一回見た電車とか、細かいところまでよくおぼえてんじゃん。オレ感心したぞ、この電車はどこそこで見た、形式がなんたらかんたらって」


「恥ずかしいから言わないで、そういうこと。サアヤに怒られるじゃん。……てか、星って増えたり減ったりすんのか?」


 言いながら視線をもどす。

 ケートは呆れたように肩をすくめ、


「そのレベルかよ。あたりまえだろ。星形成はさまざまな状況で発生しうるし、超新星爆発は見た目にも劇的だぞ。星は一生を終えるとき、月よりも明るく、数日から数週間も夜空を照らしだすことがある。たしか有史以来、7件ほど記録されているはずだ」


 日本では『明月記』が有名で、平安末期から鎌倉時代の歌人・藤原定家が著した。

 現在では、日記文学としての価値より、その科学的記録としての価値が重視されている。とくに3回もの超新星爆発を記録している文献は、世界にも例がない。


 いままで暗かった星空に突然、光り輝く超新星。

 現代では、一等星のオリオン座ベテルギウスが、すでに爆発して消え去っているかもしれない星として知られている。その爆発がわれわれの目に届くまで642年ほどかかるため、いまはもう存在していないかもしれない。


 肉眼で見える星の数は、約8600個程度とされている。

 一定規模の超新星爆発が、1000年に2度や3度は起こるとすれば、何万年のうちには、夜空にそれなりの変化が起こっている可能性もある。

 もちろん、素人にはとうてい理解できない「差分」であるが。


「パパに教えてやったら、えらい喜ぶだろうな。カメラがないのが残念だ」


 ケートの「パパ」の自慢のプラネタリウムについては、チューヤたちもよく知っている。


「写真記憶ってやつでおぼえとけよ」


 チューヤの言葉に、


「そうするよ。しかし、星座はだいぶ歪んでいるな。……おいおい、冗談だろ。あれがアルタイルかよ」


 ひゅー、と口笛を吹くケート。

 チューヤは首をかしげ、


「どゆこと? 超新星はわかったけど、星座って星の配置でしょ。永久不変とは言わないけど、かなり固定じゃないの?」


 リョージはうなずくが、ケートはやれやれと首を振る。


「ヒッパルコスとガイアに謝れ。星は宇宙の旅人なんだよ。旅人がいつまでも同じところにいたら、それは定住というのだ」


 当然のように受け入れるしかない愚民。


「ヒッパタクガイーヤさんごめんなさい。ってことは、星座も変わるほど大昔であると」


 欧州宇宙機関によって打ち上げられた高精度位置天文衛星ヒッパルコスやガイアによって、三角測量の可能な地球近傍の恒星は、距離やその固有運動に至るまで、精密に調べ上げられている。

 そのデータがあれば、何百万年まえ、何百万年後の星空も、シミュレーション可能だ。


「たしかに星座は崩れているが、言い換えれば、原型がわからなくなるほど過去ではないということだ。──チューヤ、よくおぼえとけよ。あれが夏の大三角だ。サアヤを口説くときにでも使え」


 ごらん、あれがデネブ、アルタイル、ベガだよ♪


「あいつバカだから、そんなことで口説かれないと思うぞ」


 どこだろう彦星さま~♪ と返されるような気がする。


「夏の大三角は聞いたことあるけど、いまは秋じゃね?」


 リョージの素朴な疑問に、


「日周運動だよ。秋に観察した場合、夕方には夏、明け方には冬の星座が見えるんだ。で、だいたい20時以降に南中する星座を、季節の星座と呼ぶことが多い。ほら、あれが秋の四辺形だ……って、どう見ても台形だなおい」


 あまりにもドラスティックな星座の変貌に、ケートからは笑顔が絶えない。

 ペガサス、カシオペア、ペルセウス、アンドロメダ……。

 有名な星たちが、夕闇を彩っている。

 プラネタリウムのときもそうだったが、この手のロマンチックな星空は女子の大好物だ。


「ケートは星空で女子を口説いたりするの?」


 やおら学問的議論から逃げ出し、チューヤはナンパな方向に振った。


「秋の星座を指して、キミの瞳はメデューサの首、その魅力がボクを捕らえて放さない、なんて言っておけばバカな女は引っかかるだろうな」


 ケートはじっさい、かなりモテる。


「メデューサ扱いで、いけるかァ?」


 リョージは疑問を呈するが、


「だから、()()()女と言っている。女はたいていバカだが、要は舞台装置と、ボクのようなプリティフェイスか、リョージのようなベビーフェイスが並んでるだけでいいのさ」


 せせら笑うケート。

 女にとって重要なのは、男がどんなことを言ったかではなく、ひたすら雰囲気である。女はその場の感情で簡単に転ぶ、というのが彼の見解だ。

 事実、ケートはカワイイ顔をしているので、天才という部分を差し引いても、一部の女子から絶大な支持がある。

 またベビーフェイス(プロレス用語。善玉)のリョージは、当然にマッチョ趣味の女子から圧倒的な支持を得る。


「天文屋って、べつにロマンチストってわけじゃないんだな」


 リョージが苦笑して言うと、


「地質屋こそ、もっと肉食になってくれたほうが、ボクとしてはおもしろいんだが」


 ライバルと認める男を見つめ、ケートは挑発的に応じた。


「天地が(女)食らう、ってか。うまいこと言った、俺」


 遠いところで、一般ピープル非モテ系男子代表の卑屈な言辞が空を切る。

 天であれ地であれ、突き詰めた男子は多かれ少なかれモテる。


 一方、さしたる特徴もない男子は人波に埋もれるし、むしろ鉄ヲタはキモいので、あえて波の底に沈められる恐れすらある。

 それが本作の主人公、チューヤだった……。



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