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パンデモニカ / PanDemonicA  作者: フジキヒデキ
原始家族ジャバザストーン
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「石刃か」


 槍の先端をなぞりながら、ケートが言った。


「中期旧石器時代ですね」


 応じるヒナノの言葉は確信的だ。

 偏差値の高いふたりの会話は、低偏差値にはなかなか理解しづらい。


 とりあえず、この周辺には、あきらかにヒトらしき気配が感じられるが、まだ実物にお目にかかったことはない。

 その正体を確かめなければならないが、あらかじめ予測を立てておくことは重要だ。

 彼らが遺伝的に同一の新人か、それとも親戚の霊長類なのかは、まだわからない。


「ネアンデルタール人とか、そういうやつの可能性も?」


 チューヤが知ったかぶりをすると、


「日本列島に、ネアンデルターレンシスの証拠はまだ発見されていませんが」


 即座に否定するヒナノ。


「すくなくとも、霊長類の仲間たちのほとんどは道具がつくれたし、火を使ったし、ある程度の計画的な移動もしただろ?」


 言うリョージは、どちらかというとネアンデルタール人に近い。


「しかし、この石器はかなり高度だぞ。両側が鋭くなっているし、現代人でもここまでつくりこむのはむずかしい」


 ケートは両手に石刃とナイフを持って見比べる。


「というか、不器用なサアヤとか無理だね」


「なんだとチューヤのくせに!」


 というアホな夫婦のやり取りを無視して、


「やはり、現生人類と考えるべきでしょうか」


 自信はもてないながらも、ヒナノの結論はそこに帰着した。

 ──早期現生アフリカ人(6~9万年まえ)が、高度な石刃をつくっていた証拠は発見されている。

 ただし、同時代の非現生人類シャテルペロン・インダストリーなどにも、その痕跡はある。


「お嬢がそう思うなら、そうだろうよ」


 考古学的な論争をするつもりは、ケートにはない。


「あくまで可能性ですが。このくらいの加工は、上部旧石器時代には一般化しています。詳しい年代がわかれば、もうすこし踏み込んだ判断もできますが」


 言って、ヒナノはケートを見つめる。

 ──上部旧石器時代は、ヨーロッパで「旧石器革命」と呼ばれる、多彩な芸術と道具の進化がもたらされた、5万年まえ以降の時代だ。

 洗練された石刃……とはいえ、それのみをもって時代を特定するのは、いまのところ困難だ。


「ま、もうちょっと待てよ。見上げれば、すでにボクのターンだ」


 はむはむと肉を食いながら、もう片方の手でなにやら木工細工をしているケート。

 ──太陽は完全に没し、宝石箱をひっくり返したような星空。

 周囲を照らすのは焚火の炎と、月光、そして星たちの瞬きのみである。


 ケートは、昼間からずっとマフユのナイフで木材を加工していた。

 いまは、半円形にした板に、紐と重力を使って直線を引いている。

 すでにヒナノの指輪を板に固定する装置ができている。

 サアヤの首輪を構成するトゲトゲのパーツは、バラして目印として使える。

 チューヤのちゃんぴょんベルトを分解してバックルの裏面を研ぎ、鏡のようにした。

 これらの作業を、合流して以来、着々と進めている。

 おそらく今夜、彼が答えを出すであろうことを、仲間たちはだれも疑っていない。


「それより、気にならないか」


 作業の手を止めず、ケートは言った。


「なにがよ?」


「寒いのに、生ぬるい」


 微妙な表現だが、言いえて妙なところはある。

 全体の空気は急激に冷却されているが、部分的に流れ込んでくる、ひとすじの暖気のようなものがある。

 それが、いったいなにを意味するのかは、まったくわからない。


「秋でも暖かい日くらいあるんですよ!」


 一般論でまとめようとするパンピーのチューヤだが、


「大気に違和感がある……だな」


 ピン、とピアスを弾くケート。

 その一言に、一同なんとなく不気味な予感をおぼえる。


 いや、不気味さは最初から感じていた。

 だれもが、この世界に安穏たる生活を期待などしていない。

 問題は、それがどういう形で表出するかだ。


「たしかに、変な雲だな」


 見上げるリョージ。

 ──赤と黒、キアロスクーロのコントラストが、不気味に夜空を彩っている。

 星影をバックに、渦を巻いたような赤い鱗雲が浮くのは、不気味としか言いようがない。


「地震雲ってやつ?」


「科学的に、そんな雲は存在しない」


 ケートは一蹴したが、大きな地震や災害に際して、前兆となる奇妙な雲が観測される、という経験則を頭から否定するわけでもない。


「さっきも地震あったけど」


「震度3くらいだろ。ここが日本なら、めずらしくもない」


「……スロースリップかもな」


 地質屋リョージの指摘は、東日本大震災のときにも起こった、前兆現象として観測されたという小さな地震。


「なんだよ。これから直下型の大地震でもくるって?」


「で、割れた地下から新人類が攻めてくる、と」


「うわー、そんなところから人類はやってくるんだー、こわーい、ってふざけてんの!?」


「災害が進化を促すってのは、ない話でもないけどな」


「地震がか? 人類の故郷はアフリカだって聞いたことあるけど、あのへんも地震多いの?」


「大地溝帯という言葉を知らんか? アフリカは大地が引き裂かれて、マグマが噴出している場所だぞ」


「でもここ東京だぜ?」


「だからマグマつながりってことだろ」


「アフリカから出た人類が、東京で進化するって話なんじゃないのかな?」


「つまり問題は、やっぱり、いまがどの時代なのかってことだと思うが」


「何年まえか、教えてやんよ。……さて、だいたいできた」


 ケートは作業を中断し、ナイフを箸に持ち替えて、冷えた肉を口に放り込んだ。

 彼の目には、理数の英知が炎の如く揺らめいている。


「待ってました。で、これからケートはどうするつもりなんだ? そろそろ教えてくれよ」


 チューヤが満を持して振ると、


「太陽、月、それから星。あとは位置を精密に調べて、計算するだけさ」


 ケートは静かに、ひょうたんから水を飲む。


「そんなことできんの?」


「道具立てがかぎられているから、ちょっと苦労するが、まあ、なんとかなるだろ。こんなことは、古代人もやっていた」


 有名な古代の遺跡といえば、ストーンヘンジであろう。

 イギリスの先史時代を象徴するこの遺跡は、冬至の太陽の出る方向に向けてつくられ、周囲の列石は月の軌道を示すという。

 それをつくった古代人は、18年に一度しか軌道面の一致しない月の動きを精密に観測し、日食の起こる日付まで予測していたという。


「天文学の出番、というわけですね」


 ヒナノの言葉に、


「それほどのこっちゃない。言ったろ、古代人でもできたことだ。──ところが、バカな中世の宗教野郎どもは、ゆえに地球は動いていると結論した人間をつぎつぎ、ブッ殺したのさ。そりゃ暗黒時代とも呼ばれるだろうな」


 冷たく返すケート。


「…………」


 自分に対する皮肉であることをただちに理解したが、ヒナノは特段、表情を変えなかった。

 ケートのこの手の意地悪には慣れている、といったところか。

 今夜は、とくにひどいようだが。


「そ、それで、海のほうどうだったの、お嬢」


 脈絡もなく助け舟を出したつもりのチューヤ。


「海と呼ぶべき状態ではないでしょうね。汽水域、といったところでしょうか」


 あえて応じてやるヒナノ。


「チューヤ、その貝、私が採ったやつだよ!」


「よしよし、貝塚に埋めてやろう」


 ぽこすか殴り合うチューヤとサアヤ。

 おかげで、ケートたちの醸し出す殺伐とした空気は、育ちようがない。


 入江で女子の集めてきた食料は、サアヤが集めたアサリ、ハマグリなどの貝類、ヒナノが集めたキノコや木の実(毒物はサアヤが撤去)、それからマフユが、汽水域に多いやや大型のスズキとマハゼを数匹、確保している。

 男子は大型のイノシシを一匹。食料は以上だが、ケートの指示で使えそうな木と石をいくつか集めている。


「なにするの? あの木と石」


「組み立てて六分儀をつくる」


「いよいよ天体観測だな。期待してるぜ、宇宙少年ケート」


 あえてハードルを上げるリョージ。

 ケートという人物は天才なので、ハードルが高いほど燃える傾向がある。

 もちろんその課題自体のおもしろさ、興味深さをなにより最優先にする個人主義者にすぎないが。

 すでに水平は取ってあり、あとは木と、いくつかの道具を組み合わせるだけだという。


「ボクの予測だと、1万年以上、20万年以内だな」


 あえて大きく幅をとるケート。


「けっこうざっくりしてるね」


 一瞬、期待をしぼませる表情のチューヤ。


「人類の誕生が20万年まえというのは、よく知られた事実ですよ」


 ヒナノの指摘は、ケートの韜晦を意味する。


「どうでもいいだろ、そんなもん」


 ひさしぶりに発言するマフユ。

 どうやら彼女は、ずっと食っていた。

 ケートは気にするふうもなく、ほとんど木の板に近い粗末な皿から最後のハマグリを胃に流し込むと、静かに食器を置いた。


「ごちそうさん」


 こうして、おおむね食事は終えられた。




 後片づけのターンがやってくる。


「どうだ女子、油汚れは落ちたか?」


「うん、だいたい!」


 渓流の一角に溜まりをつくり、じゃばじゃばと鍋を洗う。

 リョージが、明日の朝のために仕込みに使いたい、ということだが。


「だいたいか……」


 こびりついた油汚れを眺める、意外に細かいリョージ。


「洗剤がないんだよ。がまんして!」


 ぷんすこするサアヤの横、


「顔を洗いたいのですが……」


 ヒナノが言いたいのは、


「お嬢が高級サニタリーをご所望だぞ」


 皮肉っぽく呼びかけるケート。


「ちょっとくらい我慢することをおぼえたらどうだい、お嬢さん」


 このあたりはマフユも批判的だ。


「石鹸ならサイカチの実も使えるよ!」


 そしてサアヤは、いつでも肯定的。

 ほかにも、米のとぎ汁やムクロジの果皮、アルカリを含む灰汁などが使われてきた。

 いずれも表面張力や界面活性などが関係する。

 長期化するなら、たしかにその手の物資は必要になるだろう。


「だから住まないって……」


「けど、せっけんくらいはあってもいいんじゃない?」


「ボディソープにしていただけるかしら」


 石鹸の歴史は古い。

 焼いた動物の脂と灰が混ざったものが、その起源ではないか、といわれている。

 脂と植物灰から簡単につくれるため、そこから初歩的な化学が発生したとも考えられる。


 ──そんな、かしましい後片づけを愚民どもに任せ、方向を転じるケート。

 待ちに待った(?)、数学の時間だ。



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