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「やっぱり秋は飯がうまいな。豊かな実りを実感するね」
ナチュラリストのリョージは、その献立に自分の果たした役割を噛みしめ、満足そうだ。
「春もいいんだよ。おいしいもの、いっぱいあるんだから。ハフ、ハフッ」
アツアツのお肉を頬張るサアヤ。
薬味にとってきた香草が鼻に抜けて心地よい。
「春って、なにが食えんの?」
マフユの問いに、
「ペピパプパ、ポピョーパポペパ、プポペポパ。ププパププピポ」
お肉を口のなかで遊ばせながら、全身を使って謎のコメントを吐くサアヤ。
「おいチューヤ、おまえの嫁、宇宙人にでもさらわれてきたんじゃないのか」
ケートの辛辣な物言いに、
「もともと宇宙人みたいなもんだけどね。ほら、電波受信するアンテナついてるじゃん」
サアヤのおでこを指さして応じるチューヤ。
あいかわらず、サアヤの頭では、アホ毛がぽよんぽよんと揺れている。
「サアヤはあたしの嫁だけどな」
必要のないマフユの駄弁。
「春がどうとか言ってましたから、春の七草ではありませんか?」
的確なヒナノの指摘。
せりなずな、ごぎょうはこべら、ほとけのざ。すずなすずしろ。
「もぐもぐ……ごくん。ヒナノン、正解! まったく男子はバカだな、察するということができないんだから!」
「知らんがな。ププッピポーとか言われても」
「食べながらしゃべるんじゃありませんよ、お行儀のわるい」
サアヤは、つぎの肉を口に運ぼうか、バカな男子に偉そうな態度を取ろうか、しばらく悩んでから、ここはひとつ自分の存在意義を教えてやるべきだ、という結論に達した。
「食べられる草はね、春だと、ノビルとかフキノトウとか、ヨモギやタンポポも食べられるんだよ」
「春はいいな。飢え死ぬ可能性が減る」
「どういう生活ですか……」
「夏もいいけど、秋はまた別の食べ物がたくさんできてきて、動物たちの冬ごもりを助けてくれるよね」
「秋もいいな。食っても食っても腹が減る」
「ただ毒のあるものも多いでしょう。その判断がむずかしいのでは」
魔女は毒物に詳しいことになっている。
「そうそう、トリカブトもあったよ!」
パチン、と指を弾く幼馴染に、
「サアヤさん、勝手に毒草集めたらダメダメですよ!」
断固として禁令を発するチューヤ。
しばしば事件になるほど有名なトリカブトは、日本の三大有毒植物である。
日本には約30種が自生し、非常に美しい花を咲かせる。
「たしかに猛毒だけど、使い方によっては薬になるんだよ!」
憮然とするサアヤ。
危険なのは誤食した場合であって、人間の悪意さえなければ有益な植物だ。古くから漢方薬として用いられており、鎮痛剤、強心剤などにもなる。
『延喜式』によれば、駿河の国が主要な産地であったという。
ナス科は、有毒な化学成分を発達させている場合が多い。
強力なアルカロイドを持つチョウセンアサガオは、強い中毒症状を起こすことから「きちがいなすび」とも呼ばれている。
ジャガイモやタバコ、トウガラシもナス科である。有毒成分と聞けば、なるほどと納得される方も多いだろう。
ヨーロッパでは、ベラドンナが有名だ。
魔女が使う毒草「魔女の草」として知られ、空を飛ぶためのホウキや身体に塗り付ける軟膏の原料となる。
マメ科の毒草であるヒヨスは「悪魔の草」とも呼ばれ、これらは強い幻覚作用を持つことから、魔女がホウキに乗って空を飛ぶ、というイメージの源泉になっているとも考えられる。
「……ヨメナはね、春の若芽を摘んで、ご飯に炊き込むとおいしいよー」
「春の野草のほうが、食べられるものが多いのですね」
ちなみにこの嫁菜、伊藤左千夫『野菊の墓』の野菊のことだという説が有力だ。
舞台となった江戸川の矢切の渡し周辺には、関東付近に分布するカントウヨメナが広く生育する。が、これはヨメナと異なり食用にはされない。
「見て見て。あのへん、みんなクズだよ。葛根湯つくれるよー」
サアヤが指さす先、現代でも見慣れたクズが繁茂している。
「同じクズでも、チューヤより利用価値高いんだな」
「そこ、聞こえてるよ!」
マフユを指さし、足を踏み鳴らすチューヤ。
「食べられるのは根なんだよー。だから根を掘って、乾燥させてね、砕いて洗って、でんぷんを取るんだよ。秋から冬にかけて収穫かなー。葛切りとか、おいしいよね。生薬にすることもあるけど、その場合の収穫は初夏がいいみたいだねー。
なんかね、けっこう使える植物、いーっぱいあったよー? カタクリとかクズからは、でんぷんが取れるでしょ? それからアブラナとかツルマメもあったから、がんばったら油もとれるしー」
もちろんナタネやダイズ、ゴマなど、効率的に改良された品種ではなく、日本在来の原種だから、そうとうがんばらないと必要な素材は集まらないが。
問題は、具体的な中身ではなく、全体的な「意味」だ。
気づいているのはヒナノと、おそらくケートが類推の橋をわたった。
「てことは、つぎはテンプラだな!」
「いやあ、希望は広がるねえ」
アホ側の一味が、パンと手を打ちあってはしゃいでいる。
「キミたちにふさわしい世界ではあるが」
「あなた方は、ここに根を張る気ですか?」
ケートとヒナノの突っ込みは、言いえて妙だ。
いずれにしても、採集して処理する必要がある。
そんな悠長なことをするつもりは、だれにもない。
「すべからく根を張っている方々が、すでにおられるようだしな」
ケートならずとも、それらが栽培されているのではないか、という連想は必然的帰結だ。
彼らは、どこから来たのか……?
夕食は佳境を迎え、それぞれの飲食ペースも落ちている。
それでも、食べられるときに食べておく、という基本ルールを徹底する。
長らく演説しすぎて、ぽろり、とサアヤの箸からこぼれる肉。
「はっ! おっことぬしさま、落っことヌした!」
「またそれか、言いたいだけだろ、このバカチン! 食べ物を大事にしろ」
保護者として注意するチューヤ。
「あーあ、もったいない」
「だいじょぶ、すぐ拾ってふーふーすれば食べれるよ!」
「3秒ルールだな!」
「おまえは30秒でも食うんだろ……」
「このあと、スタッフがおいしくいただきました、ってか」
いずれにしても拾った肉を食う人々が、この部活にはどうやら過半数いるらしい。
そんな下層民たちを、ヒナノが心から見下げ果てている。
「うーん、いい辛味出てるな。これ、コショウ?」
自分がつくったものの素材を、リョージ自身、把握していない。
「もー、やだなーリョーちん、この時代の日本に、コショウなんてあるわけないでしょ」
ぱたぱたと手を振るサアヤ。
「なんか草を取ってたよな、サアヤ。あたしすら食わん草だが、あれか?」
「フユっちすら食わない虫も、好き好きなんだよー」
蓼食う虫も好き好き、という言葉がある。
ふつうの人(虫)は苦くて食わないが、それを好んで食う虫もいる、という格言だ。
いわゆるタデが、植物の防御作用として発達させた成分はポリゴジアール。それを克服した虫がモンシロチョウの青虫などで、競争相手が少ないため独占できる。
人間でいえば、一般の人は好んで足を向けない特殊な趣味の世界だが、一部のマニアが集まり「あんたも好きねえ」、というのに似ている。
植物と昆虫の戦いは、このようにして長年、静かに繰り広げられてきた。
現在、食用とされている植物のうち、日本原産とされるのは20種類ほどしかないが、タデもそのひとつである(ほかにはフキ、ミツバ、ワサビなどが有名)。
一部の虫とともに、人間もこれを食べる。植物にとっては防御作用だが、人間にとってはそのピリリとした辛味が好まれるためだ。
刺身のツマとして添えられる芽蓼や、アユの塩焼きなどにかける蓼酢は、ヤナギタデを原材料としている。
「なるほど、蓼食う虫も、ですか」
冷たい目でチューヤを見つめ、それから、憐れむような目でサアヤに視線を転じるヒナノ。
彼女の理解は、あまりにも冷徹だ。
「蓼って、チューヤのことだよな」
にやにや笑うケート。
「いやな予感しかしないけど、理由を聞こうか」
あえて踏み込むチューヤ。
「だって、ほとんどの女子がチューヤのことキライじゃん。ただ、サアヤという物好きな女だけが、チューヤごとき底辺を救済してくれると」
大半の女子がうなずき、サアヤは苦笑する。
地団太を踏むチューヤ。
「聞かなきゃよかったよ!」
「私も、われながら博愛精神に満ちてると思うけどねー、チューヤはほんと、私がいないとダメだからなー」
「いや無理して救済してくんなくていーから!」
「なんだとチューヤのくせに!」
ぽかぽか殴り合うバカ夫婦。
好き好きだ。
「恐ろしくお似合いのふたりですこと」
「そんなお嬢は、自分にふさわしいのはどんな男だと?」
再び、下卑た笑いを浮かべるケート。
彼はこの手の煽りが大好きないたずら者だ。
「わたくしは……べつに……」
「そーいやリョージ、カノジョ元気か?」
枯れ野に火を放つケートの暴言は、各地にさまざまなリアクションを引き起こした。
「どういう脈絡だよ。おまえに話したっけ?」
「ボクの話をしたついでにな」
「ああ、そうか。お互い腹を割ったことあったっけな」
しみじみと男の友情を噛みしめるカオスとコスモスの関係に、ニュートラルの主人公が無関係でいるという事実そのものが、彼の低能を示唆している。
「ちょっと、そこ、そーいう話、俺も混ざりたいんだけど?」
自分にも間接的に関係がある、とチューヤは勝手に思っている。
「なんだよリョージ、カノジョいたのか。いや、そりゃま、いるか」
マフユには、とくに関心はない。
「リョーちんはほんと、世界の女をもてあそぶよね、ヒナノン!」
無意識に煽るのが、サアヤの面倒なところだ。
「わたくしに振らないでいただけるかしら……」
きわめて冷静な物言いだが、内心の動揺を完全に隠しきれてはいない。
「心配すんなお嬢、リョージの悲恋はすでに終わっている」
けらけら笑いながら、事態の収拾をはかるケート。
「なんでお嬢が心配すんだよ、てか言うなよ、そういうことをさ」
竹を割ったようなリョージ自身は、さして気にもしていない。
さまざまな感情の暴風を引き起こし、会話は落ち着いていく。
はるか過去においても、鍋部の雰囲気は変わらない。
「それよりお嬢、いいのかい? ブタなんか食って」
きょうのケートは、ヒナノに意地悪することが、ことさら楽しいらしい。
「……キリスト教は、食べ物に対するタブーは、ほとんどありません」
同じ一神教でも、ユダヤ教やイスラムでは、ブタは大食と好色に結びつく、不名誉で無知な欲望の象徴とされ、食べることも禁じられている。
「ブタに真珠だね!」
「意味わかってんのかよ」
突っ込むほうもよくわかっていない、というのが残念なところだ。
「ぶ、ブタは真珠を食べない……」
「なに、サアヤいらないの? そっか、共食いだしね」
ひょい、とサアヤの皿から肉を盗むチューヤ。
「しばくぞ!」
「いてて……」
と、バカ夫婦が割り込んでくれたおかげで、宗教論争は避けられた。
ちなみにこの格言は、ブタに真珠を投げ与える行為が、霊的な富の浪費として『マタイの福音書』などに引かれている。
「海水からとった塩味だけじゃどうかと思ったけど、サアヤの集めてくれたスパイスのおかげで、なんとかなったな」
「ああ、じゅうぶんうまい」
「化学調味料の味がしなくて、かえっていいよね!」
「じゃあサアヤはグルタミン酸とイノシン酸とグアニル酸を食うなよ」
「どういう意味だよ! 私のお皿返せ!」
「うまみ、いらないんでしょ!」
化学調味料の味とは、定義にもよるが、要するにうまみ成分である。
自然の食品にも、これらのうまみ成分は多く含まれている。
一方で、広告に「自然のうまみ」とあえて表現しなければならないほど、不自然なうまみが一般に広まってしまった、という現実もある。
すくなくとも、きちんと味を引き出すかぎり、うまみ調味料はあえて必要ない、ということだ。
その美味なる夕食も、そろそろ終わりかけようとしている。




