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パンデモニカ / PanDemonicA  作者: フジキヒデキ
原始家族ジャバザストーン
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69


 鍋が、ことことと煮えている。

 作業に一区切りをつけて、一同は焚火の周りに集まっていた。

 すでに陽は落ち、急激に気温が低下している。

 使い古された言葉通り、いちばんのごちそうは「火」だ。


「そういえば南のほうに、大きなゾウの群れを見ました」


 ヒナノが言った。


「たぶんナウマンゾウだな」


 うなずくケート。


「食いでがありそうな肉だったぜ。リョージがいれば狩ったんだがな」


 残念そうなマフユ。

 彼女をしても、ひとりでゾウと戦う気にはならないらしい。


「チューヤのせいで、男子は南に行けないんだよね」


 意地悪そうに言うサアヤ。


「ちょ、サアヤさん、言い方」


 真実なので否定はできない。


「いや、行けないのはチューヤだけで、オレたちは問題ないぞ」


 磊落に笑うリョージ。


「そうだな。そもそも人類は、内陸より沿岸のほうが暮らしやすいんだ。現状は遠浅なわけだし、南へ向かうのもひとつの手だな」


 追い打ちをかけるケート。


「正しい選択のように思います。間氷期とはいえ、まだずいぶん海水面は低いですから」


 ヒナノにも容赦はない。


「そんなら、そのバカだけ残して、みんなで南のほう行こうぜ。なんか寒くなってきやがった」


 マフユの決定打。

 細い身体を抱いて、南を仰ぐ。


「待て待て待て! 夜は寒いに決まってるでしょ! 俺だけ置いてけぼりとか、イジメだよイジメ! っていうか、俺死ぬよ!? 未必の故意で有罪、太古伝説殺人事件だよ?」


 地団太を踏むチューヤ。

 死ぬとわかっていて何もしないことを、未必の故意という。

 場合によっては殺人の要件も満たすが、


「必ずしも死にはしないでしょう。よほどの個人的怨恨でもないかぎり、殺意の認定は困難です。未必の故意は成立しません。せいぜい()()()()()()といったところで、移動の優位性を酌量した結果の過失相殺により、無罪でしょうね」


 ヒナノの冷徹な法的見解に、ぐうの音も出ないチューヤ。


「あははは。いかに刑事の息子でも、文系特進と法廷闘争は無理ゲーだな」


 笑うケート。


「道義的な責任は感じるよ。墓くらいつくってやる」


 しかつめらしいリョージ。


「リョージまで!? 俺、見捨てられんの!?」


 地面に両手を突くチューヤ。


「チューヤ、ひとりで部屋に閉じこもるの好きじゃん。ま、みんなに見捨てられても、私だけは残ってあげるよ」


 ぽむぽむとその肩を叩くサアヤ。


「死体が1個増えるだけだろ! いいよ、死ぬのは俺だけで!」


 無意識のうちに叫んだチューヤの言葉が、一瞬、空気をかき乱す。

 意外な言質だったとみえて、何人かの態度が変化した。


 ゲーム脳的には、シナリオ分岐の重要な選択肢(チョイス)だったということになる。

 彼が()()()()()()()()のだと決意すれば、みずから最高難易度シナリオへの分岐を踏み出したわけだが……。


「殊勝な心構えだ。成長したな、チューヤ」


「安心しろ、冗談だ。まだ東京で、やることが残っている」


「そうですね。いくつか解かなければならない謎もあります」


「どうでもいいけど飯を早く頼むぜ」


 食器をそろえるため、動き出す仲間たち。

 すこし離れたところで、サアヤはそっと、チューヤに囁いた。


「こんど死ぬって言ったら、ぶつよ?」


「……はい」


 サアヤのトラウマを、目覚めさせてはいけない……。




「意外に豪華なキャンプになったね!」


 食器用の皿を手に、言うサアヤ。


「お気楽なやつだよ、おまえは」


 渓流で、それらを洗うチューヤ。

 と、そのときだ。

 ぐらっ、ときた。地震だが、それほど大きくはない。

 十数秒のうちに止まった。


「地震だねー」


「ま、ここは日本だってことだな」


 日本でなくとも地震は起こるが、日本は押しも押されもせぬ地震大国である。

 ふと、ケートが視線を上げて、西を見る。


「……なんか、ピリピリしないか?」


「わたくしも、さっきから気になっていました。いやな予感がします」


 うなずくヒナノ。


「なんか起こりそーだな。それも、かなりやべーこと」


 マフユが言うと、やけに楽しそうだ。


「……うん、起こるっぽいね」


 ぴょん、とサアヤのアホ毛が突き立った。


「出たな、妖怪アホ毛アンテナ」


 チューヤが複雑な表情で言った。


「なにそれ?」


 ケートの問いに、


「人がたくさん死ぬ合図」


 口を滑らすチューヤ。


「ちょっと! 人聞きのわるいこと言わないで!」


 憤然とするサアヤ。


「おーい、煮えたぞー」


 と、遠くから鍋奉行の声。

 一同、はーい、と元気よく返事して動き出す。

 馥郁たる香気につられて、腹ペコたちが最後の仕事を終えた。


 ふと見上げれば、秋の夜空。

 人工の光のない夜は深い闇かと思えば、そうでもない。


「星って、こんなに明るいんだねー」


「比較する近代光源がないから、そう感じられるだけだろ」


「月がとっても青いから~♪」


「お気楽なやつだよ……」


 向かう場所では、ぱちぱちと燃えて弾ける小枝。

 やや離れたところを歩きながら、ヒナノはもう一度、西を見つめる。


 いやな予感しかしない……。




 周囲は暗く、鍋は煮えた。

 一同の眼前に並ぶ、原始時代と思えぬ豪華料理。

 しばし、黙々と食べる。

 すばらしい味。噛みしめる。

 空腹という最高のソースを抜きにしても、じつにうまい。


 取り皿は葉っぱ、飲み物はひょうたん、スープは中心が凹んだ木の幹、というワイルドな食器に囲まれて、鍋はいい味を出している。

 木を削っただけの箸は十二分に役割を果たし、一同の胃に続々とカロリーを送り込む。


 縄文時代から栽培されていたという、野生のエゴマに包んで肉を食う。

 ソースは、ヤマブドウとクルミを砕いたものを混ぜ込んだ、野趣豊かなグレービー。

 海水を沸騰させただけの塩分と、ピリ辛のタデをコショウ代わりにして、今夜の鍋部は「海幸と山幸のごった煮ジビエ風」といったところだ。


「うまうま。お代わりだ、リョージ」


「よく食うな。まあ、いっぱいあるからいいけど」


「肉は新鮮なうちに食ったほうがいいに決まってる」


「めずらしく正論っぽいことを言ったな、マフユのくせに」


「熟成肉っていうのもあるぞ。余った肉は燻製にでもするか」


「それはいいけど、つけあわせのお野菜が足りなくなりそうだよ」


「その蛇には生肉でも与えとけばいいだろ」


「なんだとクソチビ。まあ生は生でいいけど」


「いいのかよ!」


「ケーたんはお刺身も苦手だよねー。お肉もウェルダンだし」


「ボクは文明人だからな。火を知らない野獣でもあるまいし、肉は加熱するもんだ」


「たしかに、珍味と称しての生食を好む輩もいますが、危険ですね。フランスでのハンティングの経験から言わせてもらえば」


「そういえば意外になじんでるよな、お嬢も」


「狩猟は貴族のたしなみですから。──部位にもよりますが、シェフから聞くかぎり、生食は控えたほうが良いでしょう」


 自分の領地で狩猟ができるような上流階級にとって、みずからハンティングで得た天然の獣肉を用いた料理は、一種のステータスであり、懐かしい伝統料理といってもいい。

 この完全な野生肉は、抗生物質や保存料などによる汚染のリスクは低い反面、感染症や寄生虫のリスクはつねにあるため、管理された畜産肉と同様、正しく処理する必要がある、というヒナノの主張は正しい。


「じゃ注意してあげないと、生焼けで食べてるよフユっち!」


「うまうま」


「そいつは殺しても死なんから平気だろ。むしろ死んでくれ」


「一応、内臓は分けてあるけどな。やばいのはモツだろ?」


「基本的にはそうですね。それに内臓も、加熱すればまったく問題ないですよ。危険なのは生食です。シカには住肉胞子虫や槍形吸虫という寄生虫がいますし、たしか、イノシシには肺吸虫やE型肝炎ウイルスがいたような……」


 日本でも、イノシシの生レバーから、急性型肝炎での死亡例が報告されている。


「ロースなら平気だろ。どんどん肉ぶちこめよ、リョージ」


「いいけど、厚切り肉をしゃぶしゃぶのように食うなよ……」


「気持ちのいい食いっぷりだね、フユっち!」


「おまえは食わせたいのか、止めたいのか、どっちだ」


 鍋部の晩餐は、いつも明るい。




「ところでサアヤ、それなんだ?」


 チューヤが、サアヤの手元を指して言った。

 サアヤは、こいつバカか、という表情で見返しながら、


「え、知らないの? ヒョウタンだよ」


「あっちょんぶりけ、てかヒョウタンは知ってるわ! どうしたのって話」


 いくらチューヤがものを知らなくても、そのヒョウタンが加工されていることくらいはわかる。


「槍の近くに置いてあったんだよ。プレゼントかな?」


 どこまでも天然で漫才をするサアヤ。


「ちがうと思いますけど!」


 言いながら肉を食うチューヤは、まだ自分の質問の重大さに気がついていない。


「どういうことだ?」


 いつ質問しようかと待っていたケートが、契機を得て問うた。


「順を追って説明しますが、まずは結論から申しましょう。──()()()()()()()()()()


 ゆっくりと、噛んで含めるように、ヒナノは言った。

 事ここにいたっては、その事実に驚く者はほとんどいなかった。

 順を追って、確信に至った事実を積み重ねる。


()()()()だよな、ヒョウタン」


 ヒョウタンは最古の栽培植物のひとつとされ、原産地のアフリカから全世界へ広まった。


「ええ。たしか日本でも、いちばん古い時期の縄文時代の遺跡から発見されていますね」


 うなずくヒナノ。


「だけど、いまは縄文時代じゃないよね?」


 昼間のヒナノとの会話を思い出しながら、小首をかしげるサアヤ。


「もちろん、そんなもんじゃない。……にもかかわらず、どうしてアフリカの栽培種子が、東京にある?」


 むずかしい顔をするケート。


「さあ。なんでだろうね。……ごくごく」


 サアヤの手からヒョウタンを受け取り、天然水をいただくチューヤ。


「あ、こら! 勝手に飲むな!」


 とくに間接キスがどうこう言う間柄ではない。


「うるさいな、大東京の天然水なら、そこらじゅうに流れてるだろ」


 言いつつも、しかたなくみずから汲んで帰ってくるチューヤ。


「ごくろう。……ぷはーっ! この一杯のために生きてるなー」


 受け取り、派手に飲むサアヤ。

 そのままチューヤは、ケートとヒナノのほうに視線を転じ、


「で、なにを考え込んでるんだい、特進クラス諸君は?」


「普通科のキミたちが思いも及ばないことだ」


「きわめて画期的な事実を示唆する可能性が高いですね……」


 小声で何事かやり取りするケートとヒナノ。

 そこへリョージが合流して、マフユの持ってきた槍を眺めながら、


「ともかく、人はいるよな、まちがいなく」


「しかしまさか、そこに槍とヒョウタンを置いた人も、盗まれるとは思っていなかっただろうなー」


 チューヤが、ケートのような皮肉っぽい口調で言うと、


「置き引きとか最低だね。ほんと世知辛い世の中だ」


 困ったものだ、という表情のマフユ。


「マフユさん、あんたでしょ、勝手に持ってきたの! 逮捕するよ!」


 しかたなく突っ込むチューヤ。


「いいだろ、あたしのものはあたしのもの、世の中のものはあたしのものだ。そしてあたしのものは、ぜーんぶサアヤのものだぞ?」


「いいこと言うね、フユっち!」


 パン、と手を打つ仲良し女子ふたり。


「で、どうなんだ、お嬢。なんか変な痕跡はなかったのか?」


 リョージから槍を受け取りながら、ケートはヒナノに目を向ける。


「全体的に、あまりにも変すぎて……。山のほうでは、痕跡はなかったのですか?」


 反対に問い返すヒナノ。


「うーん。獣道はあったけど、人がつくったかどうかは」


 リョージは首をかしげた。


「むしろ人の気配は皆無と思う」


 ケートの言葉にうなずき、


「クリ林でもあれば驚くけど、まったく完全な自然林にしか見えなかったね」


 秋田の実家を思い出しながら言うチューヤ。人為的に植えたクリ林の痕跡は、東北地方に多く残っている。


「そうですか。しかたありませんね。現在がどの時代かはともかく、おそらく太古代の人類は沿岸を中心に採集していたでしょうから」


 山に痕跡が少ないのは、致し方ない。

 ──沿岸採集民こそ、現在確認されている人類の最古の形である。

 有名な南アフリカのピナクル・ポイントなど、沿岸で暮らした人類の痕跡は17万年まえからのものとされている。


「1000年や2000年の昔じゃ、きかないよな」


 リョージの問題提起に、うなずくヒナノ。


「桁がちがいますね。──考古学をたしなむ父が、ヒョウタンは人類の原器である、と言っていました」


 アフリカ原産のヒョウタンは、1万年以上まえから人類の沿岸移動に役割を果たし、その時点でアメリカまで伝わっている。

 沿岸を移動する人類にとって、水を持ち運ぶ、という重大な役割を果たしたのが、このウリ科植物だ。


「そりゃ古いものばっか集めてたら、悪魔が取り憑いてる呪いのアイテムにも出会うわな」


 ヒナノからキッと睨まれ、そっぽを向くケート。


「けど栽培ってレベルの場所は、まったく見なかったよな。手つかずの自然ってか、本来の地球ってか。ここも等々力渓谷みたいなもんじゃん?」


 リョージの言葉に、


「あれは人為的でしょ、ほとんど。というか、これが自然なんだよな、あるべき」


 言いながら、あたりを見まわすチューヤ。

 本来の自然にできるだけ似せることで、人為的な自然が、その価値に気づかせてくれる。


 ──東京は、かつて密林だった。

 一瞬、冷たい風が吹き抜ける。

 田舎に行くとわかるが、まわりに木々が多いほど、風は冷たい。


「やれやれ、氷河期がもどってきやがった」


「地球は本来、もっと寒いものですよ」


 21世紀現在は、奇跡的な長期の温暖期にある。



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