15 : Day -62
夕闇が降り、外はつるべ落としと呼ばれる時制の末期にある。
だが、いかなる時刻であっても、都会は光を放ちつづける。
明るく、安全な都市。東京の片隅で、惰眠を貪りつづけたい。
「やっぱりねー、と思ったよ」
もはや、ノックさえするつもりはないらしい。
開かれた窓から、靴を手に、無遠慮にはいりこんでくる女。
チューヤはそちらをふりかえりもせず、
「具合がわるいんだ。休んだっていいだろう」
「いいけどさ、チューヤのせいで一味足りなかったしー」
「じゅうぶんうまいだろ、リョージは天才料理人なんだから。……てか、さらっとウソを混ぜるんじゃないよ。火曜は部活ありませんけど!?」
「えらいえらい、まだ曜日感覚は失ってないんだね。……という状況なのですよ、天才料理人」
「なーるほどねえ」
ビクッと背筋を震わせ、チューヤはベッドに起き直った。
そこには、リョージがその巨躯を窓辺からはみ出させながら、温和な笑みを浮かべて、はじめて訪れた同級生の部屋のなかを観察している姿。
「リョージ? なんでおまえが」
「ズル休みしている生徒をしばきあげる熱血先生の役目、お願い申し上げましたー」
「というわけだ」
サアヤのでっちあげようとする無理な笑いに付き合いながら、リョージはポケットからリンゴを取り出し、
「これ、お見舞い。マフユ味」
「たしかにリンゴは冬の味覚だけどさァ。また買いすぎたのか、あいつ」
「月曜に箱で持ち込んできたよ」
「腐りかけが一番おいしー、ってね」
さっそく、しゃりしゃりとリンゴをかじりながら、会話はつながっていく。
「残飯処理係いるだろ、部室には」
「そーいやケルベロス、最近見かけないな」
「……あのとき」
一瞬、悲しそうにするサアヤが悲しい結末を見つけるまえに、チューヤは早口で、
「あのバカ犬の鳴き声なら、きのう聞いたぞ。あいつは自由な都会のケダモノだろ。そう簡単に死にゃしないよ」
「そっか。それならいいんだ」
あからさまにホッとした表情のサアヤ。
引きこもりにしてはいいことをした、と自画自賛するチューヤ。
その程度の功績で、彼を認めるつもりはないリョージ。
単刀直入に用件を切り出す。
「さて、外に出てもらうぜ、チューヤ。おまえの力が必要だからな」
それが彼なりの優しさ。
だが真性引きこもり症候群を、一言や二言で連れ出すことなどできない。
「いやだ」
「だって聞いたんだろ? 自由の咆哮を。ワバーヒャウウルンガブルルヒー!」
リョージも最近芸風を広げたな、とチューヤは感心しつつ、
「そんな謎の奇声をあげる野生生物は知らん」
「サアヤ、通訳」
「自由に歩けるってすばらしい!」
「言うか!」
「自分の好きなところを、自由に歩きまわれるのに、外に出ないなんて、おかしくね?」
「そのとおりケルベロス、さすがだ」
こんどはケルベロスを自演するサアヤと、合わせるリョージ。
「その小芝居、いつまでつづくんスかね? 好きなように引きこもってる人の自由も、尊重してもらっていいかな!?」
ぷいと横を向いて拗ねている子どもをあやすように、
「ソヒョニデワリャロョンワウバウ!」
茶化すサアヤ。
突っ込む元気が充電されていくチューヤ。
「もういいから!」
「心配してもらってよかったな、おまえ」
「どういう立場だよ、くそ……」
ぶつぶつ言いつつも、腰が浮きかけている。
もうひと押しだな、と見抜いたリョージは語調を荒げるでもなく、
「オレ、親でも先生でもねーからさ、学校に来いとか言うつもりないんだ。ただ、友達ではあるだろ? で、友達に力を貸せよって話なら、ふつーだよな」
チューヤは、精いっぱいのふくれっ面を演じ、
「ふつーキャラの俺は、ふつーのことなら喜んでやるだろ、ってか」
「いや、ふつーに引きこもってるのはいいけどさ、友達に付き合ってもバチは当たらないだろ、って話。仕事はお断りだけど遊ぶときは元気になる、という病気もあるらしい」
「ただの怠け者だとでも言いたいのか。なにも知らないくせに」
「言ってねえよ。俺は遊びに誘ってる、ただの友達だ。すぐ済むよ。天井のシミを数えてるあいだにな」
「いやな言い方はよせ。リョージは知らないんだ」
ふいに顔を見合わせるサアヤとリョージに、チューヤは何事かを察する。
「だいたい聞いたよ、なにがあったか」
「いいよ、信じてくれなくて」
「卑屈になるな。友達だろ。そりゃあんまり突飛すぎて最初は戸惑ったが……信じるに足る理由が見つかった」
動きを止めていたチューヤのなかで、いくつかの歯車が、嚙み合いだす。
「どういうことだ、リョージ」
「石神井公園を地獄に変えた犯人がわかった、と言ったらどうする?」
「……は?」
とうてい聞き流すことなどできない。
「うちの店に、よく紹興酒を飲みにくるお客さんがいてな」
「酔っ払い?」
「の妄言と片づけたい気持ちはやまやまだが、あの人はちょっとちがうんだ。紹介する」
「いいよ、べつに」
乗り出しかけた身をもどす。
そう簡単にはいかないと示したいのだが、成功はしない。
「そうか。とにかく、その人が言ってたんだ。石神井公園の件について」
「警察関係か?」
「それならチューヤのほうが知ってるんじゃないか。オヤジさん、刑事だろ?」
「一応、本店(警視庁)勤務らしいけど。いまは第六方面……上野あたりの事件を追ってるらしくて、西のほうには、家にすら帰ってこないよ」
それが話を聞けない理由にはならない、とサアヤは知っている。
「まえからじゃん。チューヤのお父さん、週の半分も帰ってこないし」
「働きすぎ症候群な。いやだね、日本人って」
「まあ、それなら聞けばわかると思うけど、石神井の件は現状、かなり抑制的な扱いになってる」
「あれだけの人が殺されたのに。おかしいよね」
大量虐殺が起こったのだ。
その事実を共有しているひとがいて、信じてくれている(らしい)ひともいる。
「死体が出てないんだよ。だから警察は動けない」
「……ああ、そのリョージの知り合い、マスコミ関係か?」
「いや、そうでもないんだが……」
「歯切れがわるいな」
「情報筋とでも思ってくれ。この国で、いや世界で起こっていることを、ほろ酔い加減に話してくれた」
「その手の酔っ払いの相手、リョージうまそうだよな」
「陰謀論ならケーたんと話合うかもねー」
三人の動きは、もはや予定調和のように、ひとつの方向に向かいはじめている。
「はは、たしかに。……そうやって笑って済ませられれば、それに越したことはないんだ。……いま目のまえにある事実を、笑い飛ばせるなら」
片手を持ち上げ、じっと見つめるリョージ。
これ以上、言葉はいらない、とでも言うかのような。
首都直下鉄道株式会社。
地下鉄「川の手線」を運営する国策企業。
国と地方公共団体の出資率は95%で、残りを金融機関が担う。
特別法により設立される特殊会社に分類される。
国策上必要な公共性の高い事業で、行政機関が行なうよりも、会社形態でこれを行なうほうが適切であると判断された場合に設立されるもの。
規模が大きく、また後に完全に民営化して普通の会社に移行させる可能性もあることから、株式会社形態で設立される。
一般人も首都直下鉄道の株を組み込んだファンド商品を経由して投資することは可能だが、それすら外国法人の購入を制限しているので、ほぼ国策企業といっていい。
あえて外国向けに呼ばれる通称は、チューブ。
地下鉄発祥の地・イギリスの呼び方にちなんだものだ。
いつものように川の手線に揺られながら、いつもは参加しない鉄ヲタの会話に割り込んでみるサアヤ。
「特殊会社ってなーに? 株式会社じゃないの」
「さっき話したろ。上をよく読め」
「意外に多いんだぞ、こういう会社」
親がゼネコンのリョージも、この件についてはある程度詳しい。
わかりやすいのが、日本郵政だ。日本郵政株式会社法に基づいている。
NTT(東・西)は、ともに日本電信電話株式会社等に関する法律に基づく特殊会社。
JR系や東京メトロなどの鉄道系、NEXCOを名乗る高速道路会社もそう。日本たばこ産業、新関西国際空港、成田空港も同じだ。
「天下り先に事欠かないねえ」
「そこにチューブも含まれる、ってわけか」
「どまんなかに予定されている。国交省もウハウハだろうぜ」
川の手線は環状線であり、山手線の外側、武蔵野線の内側を、23区内のみを走行エリアとしてつなぐ、地下鉄である。
最大の特徴は「乗り換え線」と言われる特殊な設計思想で、山手線でもほとんどの駅で乗り換えは発生するが、川の手線は「すべての駅で他の路線に乗り換えられる」のが特徴だ。
言い換えれば、「すべての駅の真上に既存の駅がある」わけで、それなりのコスト削減要因になっている。
「2兆だっけ? この規模になると、もう高いのか安いのかもわからんが」
「北陸新幹線と同規模、と考えれば目安となるでしょう」
「あれも結局、高くつくほうのルートごり押して、予算をぶんどっていったよな」
「額もアレだが、川の手線の場合はつくられるスピードがすごかった」
北陸は、枠は確保したもののその執行にはだいぶ手間取った。
しかし川の手線は、恐るべき速度で予算が可決、執行。さらに着工、竣工までのスパンが著しく短かった。
なんらかの力が働いていた、と関係者は語る。
反対派は、まるで悪夢のようだった、と。
「そんな話も、ちらほら小耳には挟むよな」
「川の手線は悪魔召喚の魔方陣、ってか?」
「はいはい、やばい話は終わりー。終点でーす」
たどり着く、いつもの駅。
降りなれたホームに、いつもとはちがう空気。