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 状況を把握したら、つぎは行動だ。

 太陽の位置から判断すると、現在はまだ午前中と考えられる。


 北の方向に、小さな丘が広がっている。

 川は東南に向かって流れ、その周囲は開けて湿地帯のようだ。

 さらに先には海が広がっているだろうことが察せられるのは、東京でも時折感じられる潮風のおかげである。


 自然な渓流の湾曲部に立って見まわせば、周囲に人工物は皆無。

 蛇行した川によって削られた砂洲が広がり、広範囲に対して見通しがいい。

 ここを拠点とし、行動しなければならない。

 生きるために。


「今夜はキャンプファイヤーだね!」


 いつでも明るいサアヤ。


「と、無許可でBBQをしていた高校生6人が、突如として発生した鉄砲水に巻き込まれ、先ほど全員の死亡が確認され……」


 好んで冷や水をかけるのはケート。


「変なニュースでっちあげんのやめてくれる!?」


 突っ込んだり突っ込まれたり忙しいチューヤ。


「まあ雨が降ったら警戒しなきゃだが、現状、ここを拠点にするのがいいだろう。はぐれたり万一の場合は、ここにもどるように」


 重要事項を決定するリョージ。


「どーでもいいけどよ、腹減ったなぁ」


 むしろマフユが、いままで我慢していたのが不思議なくらいだ。


「よし、ひと狩り行こうぜ!」


 このさいリョージがいちばん楽しそうだった。


「おーっ!」


 拳を突き上げる一同。

 当然のように川下、おそらくは海岸線らしい方向に向かって駆け出す。

 その背後で、ぷぎゅっ、とブタが押しつぶされたような声が響いたことに、幸いにもサアヤだけが気づいた。


「……なに遊んでるの、チューヤ?」


 ふりかえり、気持ちわるいものを見る目で、サアヤは自分の変な幼馴染を見つめる。


「遊んでるように……見える?」


 チューヤは、空中で、踏みつぶされたカエルのようなありさまだ。

 ようやく気づいた一同がふりかえり、チューヤたちのところにもどってくる。


「なに遊んでんだ、チューヤ」


「おもしろい顔が、もっとおもしろくなってるぞ」


 やや遠巻きに、ぶざまな男子高校生を眺める仲間たち。

 チューヤは、一生懸命にサアヤのほうに近づこうとしているのだが、あたかも空中に見えない壁があるかのように、そこから先に進むことができないでいる。


「ごめんね! だけど、これ! ここから進めないんだって」


 空中に壁があるパントマイムをやらせたら、おそらくいまのチューヤはかなりうまい部類にはいる。

 そしてもちろん、コメディアンのふりをして遊んでいるわけではない。


「もしかしてあれじゃない? ()()()()()()()()()っていう、例の呪い」


 サアヤだけは、そのことを知っていた。


「呪い?」


 一同、異口同音の問いに、


「お菓子おねーさんたちにかけられたんだって、笑っちゃうよね」


 危ない話なのだが、なぜか近所の猫を踏んじゃった程度のニュアンスで語る。


「バカなやつだ」


「滑稽ですね」


 だれもチューヤをいたわろうとしない事実を、全員が当然のように受け入れている。


「そう、なんかね、銀座へポンコツな時計を修理に行ったときかららしい。それ以来チューヤ、東京23区から出られないんだよ、バカチンだから」


「そうか、ポンコツのバカチンだから23区から出られないのか、笑っちゃうな」


 笑顔でうなずき合うサアヤとマフユ。

 地団太を踏むチューヤ。


「きみたちの画期的な表現力に、悪意しか感じられないのは気のせいかな!?」


「思わず納得してしまいましたが、つまりここは」


「東京──?」


 言われて一同、ハッとした。

 新たな情報が、確信的に付け加わる。


 たしかに、ここは人類創生に近い原始時代だという認識は持っていたが、地理的にどこかという概念が不足していた。

 人類創生ということは、アフリカのあたりだろうと漠然と信じていたのだが、ここが東京であるという考えは、まさに目からうろこである。


「東京、なのか」


「われわれはどこから来たのか、って問いだったよね?」


「まさか東京で……?」


「ここはだれ!? 私はどこ!?」


「日本人は、っていう意味にとられたのかな」


「いや、そういう感じでもないような気はするが……」


 考え込む一同。

 その輪に混ざりたいのだが、いかにしてもまえへ進めないチューヤ。


「まあ、東京だとわかったのは、助かる。フーコーに頼らなくて済むからな」


 どうやらケートは、チューヤの働きを嘉したようだ。

 ──たとえば振り子を1時間揺らしたとき、北極では15度、赤道では変化なし、その中間では緯度によって振り子の振れる角度が変化する。

 これは、振り子が角度を変えたわけではなく、地球に乗って見ている側の視点が変化したことで、()()()()()だけだ。

 ミシェル・フーコーによる振り子の実験として知られ、緯度を測る目安となる。


「バカなチューヤのおかげで、ここが東京だってわかって、助かったね!」


「ま、多少は手間を省けたな」


「お役に立てて幸いです!」


 空中でつぶれたカエルの姿勢を保っていたチューヤの周りに、仲間たちがもどってきた。


「……で、具体的には、東京のどのへんだ?」


 リョージの問いに、チューヤだけでなく全員が、なんとなく周囲を見まわす。

 広い川の周囲に開けた湿地帯で、いくつもの中州が見わたせる。

 このまま川の流れに沿って東へ向かえば海──おそらくは東京湾だろう。

 北および西の方向が、やや高くなっているのは武蔵野台地か。


「こっちは高いから、たぶんあのへんを京浜東北線が走ってると思うんだ」


 チューヤが台地を指さして言った。


「……どういう理解だよ。べつにいいけど」


 この程度では、仲間たちももはや呆れない。

 ──鉄道路線を基準に考えると、地形を把握しやすいことは事実だ。

 鉄道はその性質上、あまり急激なアップダウンは不可能なため、低地と台地の境を走るようなときは、どちらかの線に沿う。

 基本的には、京浜東北線の西側は武蔵野台地であると考えてよい。


「つまり、こっちが山の手で、あっちが下町ってことだね」


 ぴょんぴょん跳びながら、北と西の方向を指さすサアヤ。


「なんか、東京だと思うと、微妙に懐かしい感じすんな」


 リョージが笑顔で言った。

 いまでこそ世界を代表する大都市・東京だが、もちろんかつてはただの原野だった。

 水がなく痩せた火山灰土壌の台地には、徳川家康が「江戸」なる大都市を築き上げるまでススキが生い茂り、低地には湿地性の植物が繁茂していたという。


「植物を見ると、その土地がどこかわかるんだよ」


 チューヤに対抗するというわけではないが、サアヤも「おばあちゃんの知恵袋」を開陳した。


 「浅草」は、低湿地であまり草が茂っていなかったから(諸説ある)。

 「巣鴨」は、菅茂に由来し、湿地に生えるスゲが群生していたから。葛飾区の「小菅」も同様の理由だ。

 湿地に生い茂るヨシで有名なのは、言わずと知れた「吉原」である。台東区は「新吉原」で、もともとは人形町のあたりがヨシの生い茂る低湿地「元吉原」だった。

 「足立区」は、アシが生えていたことから。ヨシもアシも同じ植物だが、遊郭という縁起商売のため呼び分けた。

 中央区の「茅場町」は、資源であるススキやヨシなどを取引していた場所。

 品川区の「荏原」は、エゴマが生えていたからだが、これは縄文時代以降に輸入された植物だ。

 「蒲田」は、ガマが生えていたから。

 「大井」は、イグサが多かったから。

 杉並区にはそのまま「井草」という地名があり、近くには「荻窪」がある。


「おー、マイカントリー、オギクーボ!」


 故郷の地名が出ると、チューヤでなくともうれしいものである。


「河原とか水辺、つまり窪地には、オギが群生するんだよ。勉強になった?」


「意外に雑学王だな、サアヤ」


「えっへん、おばあちゃんの豆知識だよ!」


「さすが老人ホームのアイドル、サアヤさん」


「ヨシアシ生えりイマソガリ!」


「どんな活用だ」


「人間は考えるアシであると」


「いまは『パンセ』より、ヘクトパスカルでしょう」


 ヒナノが西の彼方を眺めて言った。

 彼女はときおり、西のほうを眺める。

 なにか気になることがあるようだが、彼女自身まだ言葉にできるほどのイメージができあがっていない。


 ちなみに『パスカル氏の死後その遺稿中に発見された宗教およびその他の諸問題に関する思索集(パンセ)』は、もともとキリスト教の弁証を目的としたものだ。

 圧力の単位にもその名を残すフランスの偉大な哲人は、優秀な数学者でもあった。


「たしかに天気は問題だが、衛星も電話もないからな。西を眺めるくらいしかできん。あとは空気か……」


 ケートのつぶやきに、


「空気が食えるか。それより下だろ。地面。食い物!」


 足元を踏みしめ言うマフユ。


「食う気になっても空気は食えんね!」


 したり顔でうまいことを言ったつもりのチューヤは、当然のように無視された。


「地面も食えんぞ。耕すか?」


 ケートの問題提起。


「関東ロームは痩せた土地だからなあ」


 悩むリョージ。


「要するに東京は、だいたい荒涼たるススキの原っぱか、アシの生い茂る湿地帯のどちらかだったわけですね」


 より正確な現状認識から、新たな発想を求めようとするヒナノ。

 大きく見ればそういうことだが、もちろん境目にはじゅうぶんな自然林があり、都民に憩いを与える等々力のような渓谷や、江戸の庶民を楽しませた飛鳥山のような林野も各所に見られた。


「おまえらは農民か。野生にもどったらまずは狩りに決まってんだろーが。どんな荒野にだってマンドリルやイボイノシシの百匹や二百匹いんだろ」


 マフユの表現はエキセントリックだが、方向としては正しい。


「マンドリル……」


「おまえ、アフリカ行くなよ。絶滅が増える」


「イノシシのみんなー、逃げてー、マフユがくるよー!」


「秋深し、そろそろ冬も、くるやろね」


 しばらく考えてから、リョージが新しいプランを立てた。


「こうしよう。オレたちは山のほう(山の手)で狩猟する。女子たちは川下(東京湾)で採集してくれ」


「合点承知!」


 パチン、と指を鳴らすサアヤ。

 ともかく、なにかをやっていないと不安、という事実はある。


「れっつらごー!」


 ようやく進める方向を得て、歩き出そうとしたチューヤを、くるっと回転させるケート。

 ぶしゃっ、と見えない壁にぶつかって、つぶれたヒキガエルになるチューヤ。

 ケートは、それをピンで刺された昆虫を眺めるように見つめ、


「なるほど、これはおもしろい。チューヤも楽しそうだな」


「楽しいのはおまえだけだろ!」


 地団太を踏むチューヤ。


「ははは、チューヤがめずらしくブチ切れとるぞ」


 さわやかに笑うリョージ。


「き、キレてないっスよ、俺キレさしたらたいしたもんだ」


 ようやく引き返して歩き出すチューヤ。


「んじゃ、暗くなるまえにもどって来いよ、みんな」


 リョージが女子に軽く手を振る。


「サアヤさん、お友達から離れるんじゃありませんよ」


 幼馴染に声をかけるチューヤ。


「なんでだよ! 川沿いに動けば、帰りは遡ってくるだけでしょ」


 極度の方向音痴であるサアヤは、いまいち自覚が足りないときがある。


「お嬢、マフユ。気をつけろよ。サアヤは、わかっていても、なぜか恐ろしい方向に進むからな」


 チューヤに言われるまでもなく、


「わーってるよ」


「引き受けました」


 そうして遠ざかる男子を見送る女子。

 パーティは分割された。




「はーい、女子しゅーごー」


 ぱんぱんと手を叩いて左右を見まわすサアヤ。


「うぃー」


「……なんですの?」


 集まる女子に向け、


「バカな男子が狩猟に明け暮れているあいだに、女子は採集をしまーす」


「うぇー?」


「原始的ですね」


「原始時代なのでーす」


 言いながら、サアヤは懐からいろいろなものを取り出した。

 いつのまに集めたのか、葉っぱや木の実らしきものが、ぞろぞろと地面に転がる。

 さらにサアヤは拾ってきた小枝で、小器用に絵を描いていく。


「これは食べられまーす。これは毒でーす」


「ふぇー?」


「よくご存知ね。原始時代経験が?」


「いやいや、おばあちゃんに聞いたんだよー。戦後、食糧難の時代には、なんだって食べたんだって。それこそ道端の雑草まで」


「道草なら、よく食ってたぞ」


「そういう意味ではないでしょう」


「いや、フユっちは食ってそう。じゃ、フユっちは、食ってもお腹が痛くならなかった草を集めてくださーい。そんな感じで採集開始ー」


「うぇーい」


「しかたありませんね」


 意外にリーダーシップを発揮するサアヤのもと、女子の採集生活も開始された。



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