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ふつうに考えれば、悪魔などいなくて当然だ。
そんな非科学的なものの実在を前提に考えること自体が、ナンセンス。
そう信じていた時代のほうが、高校生の彼らにとっても長かったはずだが、ここ数週間の出来事は、そのような薄弱な価値観を根底から一変させるのに足るインパクトを持っていた。
悪魔は存在し、その能力を使役し、受け入れて行使できる。
「わかった!」
声をあげるサアヤ。
「なにが?」
一応、問い返すチューヤ。
「わからない、ということが、わかった!」
満面の笑顔で言い切る。
「もう黙っていいよ、しょせんサアヤなんだから」
やれやれとため息を漏らすチューヤ。
「なんだとチューヤのくせに! 特進の人に言われるならともかく、チューヤだって普通科で、しかも成績は中くらいか、それより下だろ!」
女子は、よくこういう言い方をする。
「乗り鉄遠征したときは勉強できないからしょうがないでしょ! サアヤだって他人のこと言えないでしょ! この頭のいい人が集まってる部活で、サアヤよりバカはマフユくらいしかいないんだよ!」
ポキリ、と指の骨を鳴らすマフユ。
「……いい度胸じゃねえか、てめえ。死にたいらしいな」
「ってケートが言ってたよ!」
慌てて他人のせいにするが、
「なるほど、ボクなら言いそうだが、人のせいにするんじゃない」
ケートの冷たい否定。
「ごめん、殴るのは一回にして!」
吹っ飛ぶチューヤ。
「……神はいない。悪魔も」
断定するケート。
「ま、そうだろうな」
真っ先に理解を示したのが、意外にもリョージだ。
「あれ、リョージって無神論者だっけ」
たんこぶを押さえながら会話にもどるチューヤ。
「そういうわけじゃないが」
肩をすくめるリョージに、
「それ以前に地質屋なんだろ。ま、ボクもその点は理解できるよ」
共感力の高さを示すケート。
──大地の声を聴く人間が、そこに神の声を重ねるとはかぎらない。
とくに日本人は、他の東アジア諸国と同様、そもそも「無神論的」な国柄にある。
「宗教」という言葉自体、近年、外国から流入してきた概念に日本人が割り当てた漢字だ。
中国でも日本から輸入した文字列「宗教」を使う。なぜか。
言うまでもない。中国にもそんな概念はなかったからだ。
コトのはじまりから、東アジアは無宗教的な世界だった。
「神も悪魔も、人間が生み出した概念だ。ってことは、人類が生まれていない時点で、神も悪魔もいるはずがないのさ。──そう考えないお方も一部、いらっしゃるようだがな」
ケートがいつもの皮肉な視線を向ける先には、ヒナノがいる。
「……世界を生み出したのは神ですよ。どんな姿かたちを想像するかは別として、世界は超越的な存在によって創られた。そう考えるべきです」
見つめ合い、火花を散らす、無神論と有神論。
存在論の深みはともかく、現実的な問題について、チューヤが指摘する。
「けどさ、召喚師以外のタイプって、ガーディアンからスキルを学習するんじゃないの? だったら、ナノマシンが存在する以上、学習したスキルは使えてもよさそうじゃん」
「もともと悪魔召喚プログラムからスタートしていることを忘れるなよ。ナノマシンが学習したのは、悪魔本体ではなく、その能力。言い換えれば、悪魔召喚プログラムの部分的行使に当たる」
ケートの思考はつねにロジカルだ。
「……つまり、悪魔の存在しない世界では」
能力を引き出す対象が存在しない。
「わざわざ悪魔の存在を否定するまでもないさ。現に、悪魔が実体としては存在しないこちら側では、スキルは使えなかったろ?」
「たしかに……境界でしか悪魔の力は使えなかったね」
よく考えれば、現状は整合する。
「ここは境界ではないし、ましてや悪魔そのものが存在しない時代のようだ」
否定し得ない結論だった。
厄介だな、と口のなかでつぶやくマフユ。
全員、それなりに能力が減殺される。
「……てことは、悪魔って、いつから存在したんだ?」
あらためて根本的な問いを投げるリョージ。
「人類発生以降に決まってるだろ。あいつらは、人間が作ったんだ」
ケートの結論は揺るがない。
──鶏が先か、卵が先か。
人間が進化して、悪魔という概念を生み出したのか。進化した人間が、先に存在した悪魔という概念を感じ取ったのか。
もちろんケートは前者を採る。
「根源的な議論ですね。われわれは、この世界をつくったのは神である、と信じますが」
ただちに否定的スタンスをとるのは、唯一神の使徒である神の子ヒナノだ。
「目を覚ませよ、インテリジェント・デザインほどこっけいなツギハギはないぜ」
ヒナノは冷たい目でケートを見返し、あえて反論はしなかった。
──知性ある「なにものか」によって、この宇宙は創造された、と考えるID説。
さすがに21世紀にもなって、だいたい5000年くらいまえに突然、創世記のヒゲの生えたカミサマがやってきて、7日間で地球と生き物をつくったんですよ、という「説」をごり押しできる状況ではなくなった。
代わって登場したのが、より「もっともらしい」ID説である。
「まだ悪魔がいない世界。ってことは、人間もいない」
なぜか、なんとなくうれしそうなマフユ。
「思い出せよ、家の看板に書いてあったこと」
首をひねって、リョージは竪穴式住居の記憶を掘り起こす。
「われわれは、どこから来たのか」
チューヤごときには口幅ったい、壮大な問い。
「……つまり、まだわれわれは、来ていないというわけですね」
神はともかく、という含意のヒナノの指摘が、ひとつの答えでもある。
「人類創生の時代か」
ケートが高尚な惹句でまとめようとしたとき。
「へーっくちん!」
くしゃみをするサアヤ。
ただちにほぐれる緊張感。
見わたせば大自然。
新たな物語の開始だ──。
パオーン!
そんな叫びが聞こえた気がして、一同、ビクッとふるえあがった。
うっそうと茂る森に阻まれて姿は見えないが、彼方に巨大な生物らしき気配を感じるのは、おそらく気のせいではない。
「なにあれ、マンモス!?」
騒ぐ若者たち。
「ここがどこかわからんが、もし東京なら、たぶんナウマンゾウだと思う」
なんとなく言ったチューヤの言葉に、一同の共感と違和感は半々だ。
──マンモスは北海道以北に存在し、本州以南にはナウマンゾウがいた。
日本の地質学の第一人者、ドイツのお雇い外国人、ハインリヒ・エドムント・ナウマンにちなんで名づけられた。
パチン、と指を弾くサアヤ。
「大森貝塚の人だね!」
「それはモースだろ。大森駅で降りたことないのか?」
JR大森駅の近くには、大森貝塚の碑や大森貝塚遺跡庭園がある。
「あるか! なんで鉄ヲタでもない人間が、そんなとこで降りる必要があるんだよ!?」
まちがいを指摘されること以上に、チューヤの鉄道知識が腹立たしい。
「そんなとこってなんだよ、無駄に敵を増やすんじゃないよ! 知らないのにテキトーなこと言うからでしょ!?」
いつものバカ夫婦を無視して、仲間たちは淡々と状況分析をつづける。
「ナウマンゾウか。あれを捕獲して食料に、ってほど切迫はしてないよな」
「食料的には、もっと効率のいいものが見つかるだろう」
まず状況を詳しく知る必要がある。
手近の植生からわかることは、ここが落葉広葉樹を中心とする、見たことのある樹木の多い「雑木林」らしさ。
「えー? けどさ、日本だったらもっと杉林とかがドーンと広がってるんじゃないの?」
日本の7割は、いぜんとして「森林」である。
「サアヤはバカだな。スギやヒノキを偏って植えたのは、戦後の政策判断なんだよ」
したり顔で言うチューヤ。
「なにそれ?」
「まあ政府がどうこうはいいとしても、一見しておかしいと感じるだろ。大自然と称するなかを、復活したSLが走っているところを見たらさ」
「SLの話なんてしてないぞ、鉄ヲタ!」
「いや、わかってるって。ともかく自然のなかを走る蒸気機関車って、なんか郷愁を感じさせるキャッチで広告されることあるんだよ、地方の鉄道が観光誘致で。けど、背景が違和感だらけじゃん。びっしりと、杉林だぜ?」
「ああ、なるほど」
理解を示すケート。
「なんでよ。おかしくないでしょ。そのものイメージじゃん。自然豊かってことでしょ」
理解を示さないサアヤ。
「違和感だらけの自然、だよな、チューヤ」
この話で、いちばん納得を示したのはリョージだった。
「わかってくれる? SL」
「いや、SLはわからんが、びっしり杉林って違和感は、よくわかる。そんなの自然にはあり得ないからな」
「男子はスギがきらいってこと!? みんな花粉症なんだね!」
まだ理解していないサアヤ。
──それもまた人災だ。
人間が人為的に植え、経済状況によって、利用したりしなかったりする。
21世紀の日本は、そうなった。
そもそもこの異常な温暖期に、常緑針葉樹が爆発的に増えるなど、ありえないのだ。
見まわして痩せた杉林だらけだったら、そこは「異常な21世紀」と判断してよい。
現状、見まわせば、多いのはケヤキ、ブナ、サクラなどの落葉広葉樹。
ここが東京であれば、通常、照葉樹の多い植生であるはずだが、やや寒冷化しているのだろうと推察される。
シイ、カシ、モミ、ツガ、よく調べればザクロ、イチジクなども見られる。
照葉樹林は、人間が伐採などで人為的に撹乱すると、容易に落葉広葉樹林に遷移してしまう。だが、どうやらその気配はない。
季節は秋。
これは太陽の角度からも判断できる。
10月末から11月初頭。季節は同じと考えてよさそうだ。
「詳しくはわからんが、かなり古い植生のようだな」
つぶやき、考え込むリョージ。
基本的には、針葉樹と広葉樹のバランスで、気候条件は推察できる。
ここが日本であれば、寒冷期には針葉樹が優勢になるだろうし、温暖期には広葉樹が増えるはずだ。
ウルム氷期とリス・ウルム間氷期の古植生地図を比較した図が有名だが、どんな植物がそこに存在するかというのは、重要な指標となる。
日本列島に関しては、間氷期には当然、21世紀現在の「不自然ではない自然」から類推可能な植生で合っているが、氷期においては「針葉樹の優占する植生林」となる。
寒冷期には、おそらく常緑針葉樹のスギをはじめとする樹木が多くを占めただろう。ただし、だからといって他の植物の不自然な絶滅を意味しない。
日本の土地はここ数十万年、基本的には「雑木林」だったのだ。
汎世界的な気候史と、日本の気候史は、おおむね一致している。
縄文海進など特殊な事例が報告されているが、日本だけ全地球的な気候と切り離されていたなど、考えづらい。
しかし、ここが東京である可能性はあるのか?
人類は東京から来た、などということが、はたしてあるのだろうか──。




