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52 : Day -47 : Shirokanedai


 恵比寿から一度、白金台のほうをまわって、向かったのは国立科学博物館附属自然教育園だった。

 週明けから、だいたいこの台地のエリアをうろついている。


「結局、ケートのガーディアンは働かなかったね!」


 チューヤが歩きながら、皮肉な表情で意趣返しを試みる。

 たしかに、トークンの謎を解いたのはリョージ、ヒナノ、マフユのガーディアンたちで、ケートは関知していない。


「どういう意味だ。ボクが役立たずで、なまけているとでも言いたいのか」


 さして興味もなげに、応じるケート。


「そんなことは言ってないけど。やっぱ理系は、文系の仕事とは相性がわるいのかな、って。古代インドって、文字なかったの?」


「インダス文明のことか? たしか文字はあったらしいが、いかんせん資料が少なすぎて、まったく解明されていない」


 日本の教育に特有のフレームワークとして、四大文明という言葉がある。

 が、これはきわめて不正確であり、教育の便宜上、半ば無理やりつくられた言葉であると考えたほうがよい。

 正確には六大文明である、という意見もあれば、そういう分類そのものが無意味だ、小さな集団だから文明ではないという理屈はおかしい、という意見にも説得力がある。

 すくなくとも古代文字としては、アメリカのマヤ文字も加えられてしかるべきだが、さしあたり今回、文字の「世界」は3系統に絞り込まれている。


「インダスは泡沫だ、と言っていますよ。ヒッタイトの神が」


 ガーディアンの意を受け、文系のヒナノが言った。

 ケートの属するインド神族は、そもそもインダスを滅ぼした民族によって完成された宗教である。

 よって、ケートがインダス文明を擁護することはない。


「原エラム文明とやらが、現在のインド南部につながるとかいう仮説(エラム・ドラヴィダ語族)があるのは知ってる」


 インドの歴史についての知識は、ケートにもそれなりにある。

 肯定するにしろ批判するにしろ、まずは知らなければならない。

 インダス文明は、たしかに人類史上大きな事件であったが、ここには他の文明に比べて厄介な謎が多い。

 ハラッパーやモヘンジョ・ダロの問題は、それが「あまりにも完成され過ぎている」ことだ。


 あのような整然とした都市文明が、それについて知識のない民族から突如として勃興するわけがない。

 都市計画について長い経験と技術を持った民族が外からやってきて、つくりあげたと考えるのが自然だ。

 周辺に、それができる民族はいたか。


 いたのだ。

 トランス・エラム人である。

 そして突如として、それは消えた。

 シュメール人のように。


 現在のインドを支配するアーリア系が攻め滅ぼしたという説もあるが、自然消滅したという説もある。

 ともかくインダスには謎が多いのだ。


「むずかしい話してんねー。それ、大事なこと?」


 サアヤが、いつものアホ声で高偏差値の思考をぶった切る。


「えらい大事だったじゃないか、見てなかったのか? 文字がカギだったんだよ。ちょっとは脳を働かせたらどうだ」


 新たなイベントに壮大な流れを感じ取っているのは、まだケートを含めて少数だ。

 人類文明という偉大な謎、あるいはさらに深いもの。

 彼らはまだ、その表層をなぞっているにすぎない。

 とりあえずバカにされているらしい、と感じたサアヤは、


「女の子はちょっとバカなくらいがかわいいって、お父さん言ってたよ!」


 その危険な論陣に、注意を与えるチューヤ。


「で、お母さんにしばかれてたろ」


「そうだね! ほんとにバカなお父さんだよ」


 言って、チューヤとふたり、あはははは、と笑った。

 チューヤとサアヤの過去は、いつでもおもしろい。

 閉ざされた門扉のまえで開錠作業していたマフユが、そんな仲良しバカ夫婦を見て、不快げに吐き捨てる。


「くだらねえ。意味のない話はやめろ」


 そこに浮かぶある種の嫉妬は、じっさいケートも共有しているが、


「脳のない女がここにもいたな。意味はあると言ってるだろ。人類のたどった道のりがカギだったんだよ。来し方を知って初めて、行く末が見えてくるんだ」


「けっ。滅びるんだよ、人類は。いいかげん、あきらメロン。──開いたぞ」


 マフユの闇が、東京の夜と重なる。

 盗賊属性のある彼女のスキルは、施錠された通用口を開けるのにも役に立つ。


 深夜の自然教育園は当然に閉園しているが、貴重な美術や現金を所蔵する場所でもないので、侵入は比較的容易だ。

 支配的な悪魔との戦闘や合意はないので、まだ境界から完全に抜けているわけではない。

 が、かなり空漠としたエリア全体が形作るモザイク模様は、ここが特殊な境界であることを示唆している。


 まったく悪魔の気配がない世界。

 長い夜はつづく──。




「それにしちゃ、生きぎたないじゃないか。激痛で歩くのもきついだろうと、ドクターは言ってたぞ」


 ケートがめずらしく、マフユの横を歩きながら言った。


「痛み止めってのがあるんだよ、世の中にはな」


 やや眉根を寄せ、マフユはポケットから取り出した錠剤を呑み込む。

 おそらく合法な代物ではあるまい。


「その感じだと、目いっぱいぶちこんでやがるな。このジャンキーが」


 止める気はさらさらない、という口調のケート。


「自分で選んだ道だ。()()()()()()()()()()走るのが人生なんだよ。チビにはわからねーか」


 飲み込んだ空気を下品に吐き出しながら、マフユは軽く身体を揺すって薬効を催促する。


「……いや、その点だけは同意してやる。平凡な記録に意味はない。瞬間最大の到達点こそが、重要なんだ」


 ケートとマフユの会話は、いつもどおり殺伐としているが、いつもよりは険が少なかった。

 ──そこからすこし離れて歩く、リョージとヒナノ。

 こちらは、かなりいい雰囲気だ。


「しかし、さっきからむずかしい話が多いな。オレの理解力は、もう目いっぱいだよ」


 工学科で偏差値的には低い部類のリョージは、短く嘆息した。


「まだまだ、これからが本番ですよ。わたくしたちは、文明のカギを開いたのです。この先にあるものに、興味をおぼえずにはいられません」


 ヒナノの知的好奇心は高偏差値にふさわしい。


「さすが文系特進、頼りになるね、お嬢は。オレやっぱ、勉強は苦手だわ」


 ざっかけない笑みは、リョージらしく他意がない。


「……あなたには、あなたの得意とする、だれにも負けない〝力〟があるでしょう。それでじゅうぶんです」


 ヒナノはいつもより慎重に、言葉の内容と抑揚のバランスを調整する。


「いやあ、オレより強いやつに比べれば、まだまだ負けるさ。だけど、()()()()()。負けるのもおもしろい。また戦って、つぎこそ勝てばいいんだからな」


 こぶしを握るリョージを、どこか楽しげに見守るヒナノ。

 このふたりの会話は、熱烈にして静穏、和やかに滋味を醸し出す、要するにベストカップル賞な雰囲気だ。


 ──そのさらに後方、普通科のふたりが十数年来の組み合わせで歩く。

 コモンピープルと、ザ・パートナー。


「にょほほ。なんか、いい雰囲気だね、あのふたり」


「うるさいよ、サアヤさん」


 飛び抜けて付き合いが長いだけに、チューヤとサアヤが並んで歩く姿は、他のどんな組み合わせよりも、しっくりくる。


「だけどさ、みんな、どんどん新しい悪魔をガーディアンにしてるんだね! 能力もどんどん高くなってるし、すごいなー」


 サアヤも本来なら、ガーディアンを付け替えて新しい魔法などをおぼえるべきだが。


「おまえもがんばれよ。ケルベロス固定もいいけど、そろそろ飽きたぞ」


 悪魔使いの性質上、チューヤ自身にはガーディアン付け替えのメリットがあまりない。

 そもそもオオクニヌシの「不死身」は、いわゆる「不条理なゲームオーバー」で名高い悪魔使いの物語に、一定の安全弁を設けてくれている。


「ガウヒャグルゥバウ」


 サアヤの頭上で、ポメラニアンが不興げに鳴く。

 現にケルベロスがいるおかげで、サアヤが第一線でも足手まといにならず済んでいる、という傾向はある。


「大きなお世話だ、って。だよねー。私はいいの、ケルで。魔法がおぼえたかったら、チューヤの召喚した悪魔さんに教えてもらうから」


 もっぱら回復魔法だが、補助魔法なども含めて現状、サアヤの魔法のほとんどはチューヤのナカマから教授されている。


「はいはい。まあ、たしかにケルのパラメータ補正は、かなりデカいけどな」


 あっさりと認めて、ケルベロスのご機嫌を取り結ぶチューヤ。

 サアヤ自身の能力値は、他の仲間たちに比べると正直かなり低い(運だけは高い)。

 それを補ってくれているのが、ケルベロスというガーディアンである。

 ガーディアンを固定することで、「絆」という隠しパラメータが上がり能力値の補正率が高まる、というひそかなメリットもある。


 ──暗闇の道をしばらく歩く。

 やがて見えてきた目的地のまえに、中ボス・バトル──というのがこの手の展開では常套だが、どうやらその必要はないようだった。


「このあたりかな」


 ケートが足を止め、あたりを見まわす。


「どこを目指してんだよ?」


 リョージの問いに、


「港のチャカコによれば、恵比寿と目黒と白金台の重心あたりで、お伺いを立てると言っていた」


 あいかわらず謎多きことを宣うケート。


「だれよ、チャカコ?」


「ともかく探せ。このへんに、なんかある」


 漠然たる指示に、一同、戸惑いを隠せない。

 ──そこは高台の一角、国立科学博物館附属自然教育園の遊歩道からややはいったところ、うっそうと茂る木々のただなか。

 チューヤのポケットから、なにかが落ちる。


「もう、チューヤだらしないなあ」


 拾ってあげようとしたサアヤの身体が、バランスを崩す。

 ──ころりん、ころころ、ころころり。

 目のまえで、おむすびのように転がって穴に消える幼馴染を見つめるチューヤ。


「あ、サアヤ!」


 ──ころり、ころころ、すっぽり、ぽん。

 つづいて消えるチューヤ。


「…………」


 残された4人は、顔を見合わせたあと、順に、チューヤたちが転がり込んだ穴に向かって飛び込んだ。

 新たなステージが、はじまる。



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