48 : Day -47
日付の変わった目黒奇昆虫館。
チューヤたち4人が、闇に包まれた建物から吐き出されてくる。
「結局さあ、最初からリョージは全部、ひとりでミッションクリアしたようなもんだよな」
やれやれと首を振りながら言うチューヤ。
ふりかえるまでもなく、全部リョージのパワーとコネクションで解決したようなものだ。
「だから私は最初から、リョーちんなら問題ないと言ったんだよ」
うなずくサアヤ。
ヒナノは無言で考え込んでいる。
「なんかムカつくよな、認めるの。あの薄情者どものほうが正しかったってさ!」
どこをどう見まわしても、薄情者たちの姿はない。
チューヤはグループチャットを開き、どんな罵詈雑言で報告してやろうかを考える。
「感謝してるって、ほんとだぜ。オレが、全部ひとりで解決できたかどうかなんて、わからんだろ? ありがとな、さ」
言いながら、ごく自然に、傍らにあった金髪頭をワシワシとかき混ぜるリョージ。
彼が「サアヤ」と口にしなかったことは正解だったし、それに気づいたかどうかはともかく、その後の態度についても彼は正解を貫いた。
自分がかきまぜた頭が、サアヤではなくヒナノの頭であることに気づいても、別段気にしたようすもなく、ひとしきり混ぜつづけたからだ。
「にょほーん。たーのしー」
サアヤがニヨニヨ笑いながら、かき混ぜられたヒナノのロール髪を見つめる。
「…………」
リョージの腕が離れると、彼女は無言で、みずからの頭を最低限の形に整える。
チューヤは、なにかを言いかけ、言葉を見失い、沈黙する。
引きこもりらしく、グループチャットに目を落として、複雑な内心を打ちつけるような罵詈雑言を書き込もうとした瞬間。
「よお、ザコども」
その薄情なメンバーが、いまさらながら登場した。
「いまごろきても、やることなんか残ってねえぞ」
方向を見失った思いを込めて、恨みがましく宣うチューヤ。
「あ? あるから来てやったんだろうが。ほれよ。四谷で酔っ払ってたねーちゃんが、おまえにわたせってさ」
マフユの手から、3個目のトークン。
チューヤは受け取りながら、
「なんでおまえが四谷で酔っぱらってるねーちゃんと絡んでくるんだよ?」
「なんでもクソも、おかげで助かっただろうが、なあリョージ?」
マフユはゆっくりと、訳知り顔の視線をリョージに向ける。
リョージも、静かにその視線に応える。
「……なるほど、おまえの手まわしか」
「あたしはべつに、なんもやってねーさ。どっちかっつえば、ヤッてたのは、あたしらの上の世代だろ? なあ、『蟲姫』初代総長の息子」
いくつかのパズルが、その景色を知っている者の頭のなかで、組み立てられていく。
一時、不良デビューを画策したチューヤも、名前くらいは聞いたことがある。
「ムシヒメって……あの『蟲姫』か」
「昭和の千葉でブイブイいわせてた暴走族だよ。そのなかのヤベエ連中が、何人もヤクザになってる。ロキ兄の近くにも、うじゃうじゃいるぜ」
社会の暗部で、マフユとリョージの視線がゆっくりと絡み、つながる。
「川東連合まで絡んでるってわけかい。わるいが、オヤジはカタギにもどったぜ。しがないゼネコン勤務のリーマンだ」
ぞくり、とチューヤたちは背筋をふるわせた。
ただの同級生だとばかり思っていたが……いや、ただの同級生ではないとは思っていたが、それにしても彼らの背後にある闇は深すぎる。
「知ってんよ。お国の政治家さんから、チューチューとマネーを吸い上げる、ダニみてえな蟲キングに成り上がったんだよな?」
邪悪な皮肉に満ちた物言いに、周囲の面々はハラハラする。
「あ? なんだその言い方は、マフユ。俺のことはいいが、オヤジのことをわるく言うと許さんぜ」
リョージの視線は、先ほどまでの戦闘とは別種の険を帯びている。
「ペッ。くだらねえ……」
親とか兄弟のことごときで、他人とケンカするほどくだらないことはない、という結論ありきでマフユは身を引いた。
アウトローのヒエラルキーは、いまも昔もヤクザが頂点にいる。
歌舞伎町を中国人が支配するとか、朝鮮人がどうとかいう話もあるが、日本の「ヤクザ」が支配している事実は揺るがない。
半グレの暴走族など物の数ではないが、川東連合は半グレではない。
本格的にグレていて、その意味ではヤクザに近いものがある。
あくまでも東京の局地的な繁華街でのみ通用する集団ではあるが……。
「川東連合って、マフユの出身母体?」
朴訥なチューヤの問いに、
「なんだその言い方は。あたしは関係ねえよ、あんまり。ほとんどはロキ兄だ」
マフユは飄々と言い放った。
あんまり。マフユの一言に、チューヤはげんなりした。
ロキといえば魔都・赤羽のキングであり、バラバラ事件の解決のためにも必ず行かなければならない場所だ。
警察の本店も本腰を入れているくらい、突拍子もなくヤバい相手。
チューヤは、とりあえず現状、収集し得たデータを再構築することにした。
リョージとマフユにつながる「バック」の来歴だ。
マフユのバックであるロキは、リョージのバックにあるゼネコンのリーマン、東郷寛太らのつぎの世代に当たり、前世代の残した遺産の順当な継承者という位置にある。
リョージの父が引退して建設業を開始したころ、ロキは川崎から赤羽に進出。
北区、足立区を中心とする下町勢力で、杉並・世田谷が握っていた川東連合の主導権を奪取し、ビジネスに広げていく。
クラブシーンを押さえ、ギャル業界に影響力を持ち、AVに進出。
芸能界、総合格闘技界ともつながる。
「闇社会、というやつですか」
「オヤジは足を洗ったけどな」
「きれいごとを言うな。しょせん、てめーもこっち側だ」
ヒナノ、リョージ、マフユの視線が、それぞれの立ち位置を微妙な中空に固定している。
そこに「無辜の民」サアヤ、パンピー・チューヤが加わり、こっそりと気配を伺う。
「きれーな身体で生きていたいのに」
ぼやくチューヤの背中を、サアヤが強めにしばきあげた。
「お父さんの仕事上、無理だねチューヤは」
闇のネットワークからは逃れられないのォ♪ とメロディアスに歌い上げる。
それをカオスと呼ぶべきかダークと呼ぶべきかは、まだわからない。
それぞれの人生行路は、あまりにも多岐にわたる。
ヤクザになる者もいる。企業舎弟に落ち着く者もいる。
もちろんリョージの父のように、完全にカタギにもどることもある。
ともかく暴走族を卒業してからの進路が、きちんとしたビジネスにつながっていなければならない。
そういう形をつくったのがリョージの父の世代であり、受け継いだのがロキの世代だった。
川東連合が、ただの準暴力団でない理由が、このあたりにある。
ヤンチャな子ども、という言葉で片づけられない、社会に対する現実的な影響力を行使しているからだ。
ひとまず相互理解を留保し、集まった5人の高校生たちは、直近の舞台をふりかえった。
そこには昆虫のたまり場がそびえ、いま闇に沈んでいる。
「奇昆虫館か。ま、そこそこ楽しかったよな」
リョージにとって、それは懐かしく意義深い「戦歴」だ。
「私たちは苦手だったけどねー、ヒナノン」
「ええ、まあ……」
「そっか、悪かったな女子。だけど男子は平気だよな、チューヤ」
「俺は大好きってほどでもないけど。リョージが好きなのは、よくわかったよ」
「いや、ほんとはオレじゃなくて、オヤジなんだよ。さっきの感じでわかったと思うけど、オヤジが虫好きでな」
「『蟲姫』ってヤンチャなグループで、殿様やってるくらい好きなんだよな」
「あはは、特攻隊長やってたって話は聞いた。『蟲姫』は、もともとは虫めづる少年たちが結成したグループで、あるときから暴走族と呼ばれるようになってしまったらしい」
「そんなアホな!」
70年代。
暴走族がもっとも盛んだった時代。
全国に数百のチームと、数万人の暴走族がいたとされる。
ジャパン・マッドマックス、ブラックエンプレス、スペクトル、鬼面組、アーリードッグ、ピサロ、間宮愚連隊などが、複雑に入り組んで現在の組織図に流れ込んでいる。
そのなかの流れのひとつに、蟲姫から川東連合へとつながる歴史も含まれている。
「やっぱり、あたしら練馬で東京をシメてやらにゃいかんと思うだろ、リョージ」
軽い感じで誘いをかけるマフユ。
「思わねえよ、ばかたれ」
即答するリョージ。
ダークとカオスの紐帯は、そう簡単には結ばれないようだ。
「そこらへん杉並も絡んでるはずだぜ、たしか」
こっそりと絡んでくるニュートラル、チューヤ。
「そーいや、おまえも業界関係者だっけ。敵のほうだが?」
マフユは蛇のような目で、チューヤを見つめた。
杉並のジャパン・マッドマックスが、初代の川東連合の会長とされる。
ブラックエンプレスの二代目総長だという説もあるが、国内の暴走族で、もっとも名前が轟いていたのがエンプレスだった、という事情が絡んだだけかもしれない。
事実上、大きかったのは千葉の蟲姫で、市川に本部があり、武闘派で鳴らしていた。
蟲姫が川東連合に参加したことで、一気に存在感が増した、と業界ライターは語る。
そして現在、指名手配されている永福町ブラックエンプレスの元総長・立木は、そのまま川東連合におけるブラックエンプレスの勢力比に関係する。
当時、一万人とも言われた川東連合は、トップにブラックエンプレス出身の会長が立ち、その下に横並びで各チームが存在した──。
「ねえ、なんか怖い話になってる?」
不安そうなサアヤの頭を、がっしりと抱え込むように抱き寄せるマフユ。
「心配すんな、サアヤ。そこのムシケラが、ポリ公のオヤジに探りを入れて、立木のヤサがどこまで割れてっか、教えてくれるだけだから」
「どういう話になってんすかね!? ありえねーですけど?」
なんとか追いかけてはいるが、チューヤの理解もまだ追いついていない。
「ふん、どうでもいいさ。そのへんはロキ兄の仕事だ」
マフユはさしたる感想もなく、サアヤをめでることに集中する。
「フユっち、川東連合とか、怖い組織にかかわったらダメだよー?」
「心配すんな、それはリョージのほうだ」
振られたリョージは、やや不快げに、
「なんでだよ……オレとオヤジは関係ないし、そもそもとっくに引退したって言っただろ」
「そう簡単に離れられっかよ。川東連合の東は、東郷の東だ、って話だぞ」
マフユの指摘は、半ば当を得ている。
「それ、ただの伝説だから。ふつうに川崎の東側が中心地だったからだろ」
不快げに否定するリョージ。
「だとしても、そういう伝説ができるほどの男だったんだろ、蟲姫の東郷っておっさん。そりゃ声がかからないわけがねえよ、なあ?」
その口元からは、蛇のような舌が伸びていた。
闇を這いずる視線からリョージを守るように、長らく黙していたヒナノが、両者のあいだに割ってはいる。
「いいかげんになさい、くだらない話は。──西原くん、あなたはなにを持っていらしたの?」
ヒナノの視線に促されるように、一同は別方向に目を転じた。
──6人目のプレイヤーが、そこには立っていた。
冷たい表情で立ち尽くすケートは、青ざめた唇で、なにやらぶつぶつとつぶやいている。
「なんか、ようすがおかしいね」
サアヤが指摘するまでもなく、ケートはいつも、どこかおかしい。
とはいえ悪魔に取り憑かれているという感じでもない。
いつものように数学の難問に取り組んでいるときに似ている。
つまりいつでも、彼のようすはおかしい。
「いつも通りだ」
「どういう意味だ、バカども」
ケートはようやく考えごとから脱したように、そこに仲間たちの姿を見て取ると、合流を果たした。
「遅すぎだよ。解散するところだ」
そう願う、と言わんばかりのチューヤの言葉に、
「バカ言うな、これからだろうが」
応じるケートの言葉の意味を、まったく理解できない者と、なんとなく察している者のふたつの流れがある。
「どういうことだよ、ケート」
「行くぞ、ガーディアンプレイスだ」
「恵比寿? またもどるのかよ」
「あそこが入り口なんだよ。時の3女神に導かれただろうが、チューヤ。おまえは3つのトークンをそろえたはずだ」
無意識のうちにポケットを探り、3つの異物感に意識を集める。
「これが、どう……」
「ボクは知りたいんだ。さっさとしろ、目的地はこの先にある」
東京の中心に向き直る、6人の高校生。
最後のトライアングルが、開かれる。




