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「しかし、友達甲斐のないやつらだよな」
チューヤはため息交じりにぼやいた。
ケートとマフユには、真っ先にグループチャットを飛ばした。
チューヤ[リョージの居場所発見! 即刻、目黒奇昆虫館に集合すべし!]
きっちり昆虫館のサイトのリンクまで張ってある。
これに対する反応が返ってきたのが、それぞれ30分と1時間後。
ケート[了解。そのうち合流する]
「そのうちってなんだよ、すぐ来いよ!」
チューヤの突っ込みは、むなしく空中に消える。
マフユ[起きたら行く]
「起きたから返信したんじゃないのかよ、ほんとに来んのかよ!」
ひとしきり画面に突っ込みをくりかえしてから、回線を閉じた。
「というわけで、3人パーティだね」
けだるい結論だった。
最初から、こうなるだろうことは、なんとなく予想できていた。
当然のように先頭に立つヒナノは、閉館日で閉ざされているチェーンを乗り越え、ずかずかと進んでいく。
「勝手にはいったらいけないと思うけどなー」
「いまさら良識ぶられたところで、なにひとつ響きませんよ」
表の入り口は、当然、鍵がかかっていて開かない。
だがまわりこめば、警備員室や職員用の通用口がすぐに発見できる。
「わたくしども、なかに用事がございますの」
だからなんだ、という表情の警備員が、彼らを館内に導き入れるのに5分とはかからなかった。
「どういうこと?」
わけがわからない、という表情なのは、警備員はもとより、チューヤたちも同じだ。
「榎戸から手をまわさせました。誘拐事案の疑いがあるため、関係者による臨検が必要とかなんとか、そういう理屈をこね上げたようです」
平然と言い放ち、スタッフ専用廊下から、奇昆虫館内へと足を踏み入れるヒナノ。
「あ、ありえねえ……」
お金持ちが無理を通して道理を引っ込めさせるのは、いつものことだ。
閉館時間の館内は、森閑としている。
さっさと目的を果たさなければならない。
「きこんちゅう……」
「昆虫だけでキモイのに、奇とかつけたら、だれも来んなって意味だよね」
「いや好きな人もいるだろ。サアヤも、オケラだってアメンボだって友達じゃなかったか?」
「まーね、私はある程度、平気だけど、フナクイムシは無理」
「俺もだよ! ……お嬢?」
ふりかえる視線の先、遠くにヒナノがいる。
「虫など、この世にいなければよろしいのです」
どうやら、だいぶ苦手らしい。
「うっわ、めっずらし、ミドリゴキブリだってさ!」
チューヤが展示ケースのまえに立ち、声を張り上げる。
ものすごくいやそうな顔で、女子たちがチューヤの周りから距離をとる。
「あなた、ここになにをしにきたか、忘れていないでしょうね?」
「おおお、なんだこの毛虫、ジュエルキャタピラ!? モンスターじゃんこれ!」
駅の誘蛾灯に集まる虫を恐れていたら、電車になど乗れない。
べつに昆虫が好きというわけではないし、まったく詳しくもないのだが、見知らぬ生物を見るのは、男子として、それはそれで楽しいものだ。
「おいチューキチ、たいがいにしとけよ!」
「まあ待てってサアヤ、これキレイだぞ。ケンランカマキリとか、聞いたことあるか?」
「わー、ほんとだー、色だけ見るとめっちゃきれーい」
距離をとったところで、パタパタと足を踏み鳴らすヒナノ。
この愚かな庶民たち、どうしてくれよう?
「まったく、虫ごときで、どうして……」
言いかけた瞬間、ヒナノは雰囲気の変化を感じて、やや身を固くした。
当然、チューヤたちも気づいている。
空気が重い。
この沈鬱なムードは……視聴覚室的体験だ。
カラカラカラ、と空虚な回転音がして、室内の照明が落ちる。
警備員が意地悪で照明を落とした、というわけではないようだ。
見まわせばスクリーンになっている白い壁が、虫の進化の物語を開始している──。
昆虫。
この魅惑的な生物は、いつから存在したのだろうか?
約5億年まえ、カンブリア紀。
ウィワクシア、三葉虫、アノマロカリス、ピカイア──。
ほとんどが絶滅系統だが、この中で、ピカイアに賭けたものが、大きく繁栄する。
そこには、もちろん人類も含まれる。
過去から現在にかけて、変わらず海藻も繁栄しているが、動物に比べて海の中での進化はあまり目立たない。
植物が存在感を増すのは、陸上を支配してからだ。
石炭紀。
それは、まさに植物と昆虫の時代だった。
「…………」
チューヤは注意深く、周囲の状況に留意する。
まだ境界化しているわけではない。
だが、前回のレストランと同様、きわめて接近していることはまちがいない。
壁のスライドは、昆虫の歴史を滔々と物語る──。
このわき役たちが、我が世の春を謳歌した時期。
3.6~3億年まえは、大気の酸素濃度が現在の21%から35%という、非常に高いレベルにあった。
人間は、まともに暮らせない。
この濃度に最適化された種族、昆虫。
メガネウラ、アースロプレウラといった巨大昆虫が、地球を支配した。
火災は爆発的燃焼で森を焼き尽くし、その二酸化炭素を餌に植物は再び繁茂する。
大気はセピア色で、昆虫たちは生物学的限界まで巨大化した。
昆虫には、哺乳類のような肺がなく、体中に張り巡らされた気管から酸素を摂取している。平たく言えば、確保できる表面積に比例した酸素しか取り込めなかった。
肺であれば、無理やり吸い込んで酸素を絞り出すところ、受動呼吸しかできない昆虫の場合、取り込める酸素量は限定される。
ここが、決定的な分かれ道だった。
昆虫のサイズが酸素濃度に関係していることは、20世紀初頭から考えられていたが、実験によって証明されたのは21世紀にはいってからだった。
シンクロトロンによって生きた昆虫をスキャンし、昆虫の呼吸の仕組みを解析した。
ある大きさを越えると、気管の割合が大きくなりすぎて、体内に収まらなくなる。
それが「巨大化の限界」ということだ。
「……なんだ?」
シューッ、と空気が漏れるような音が、どこかから聞こえる。
危険なガスが漏れている、という雰囲気ではない。
むしろ、心地よく吸いやすい空気だ。
よく見れば、空気清浄機がガンガンに運転している。
たしかにこの博物館内の空気は、異常に澄んでいる。
──酸素濃度が高ければ、気管が小さくて済む分、他の臓器を大きくできた。
現代の酸素濃度では、そうはいかない。
超大陸パンゲアが形成されたペルム紀、地球の酸素濃度は35%から23%ほどまで低下する。
なぜ酸素濃度が低下したのか。
諸説あるが、シベリアトラップ説が優位だ。
ほかにも天体衝突、メタン破局などがある。
現在のわれわれに黒いダイヤを供給するための「石炭化」というシステムが、大きく変更されたこともある。
木々を石炭化するまえに腐敗させ、分解する菌類が発達したのだ。
それまで黙って石炭に変わっていた樹木が、酸素を消費して分解されるようになった。
こうして大気の酸素濃度が低下していった。
さらに昆虫を捕食する動物の進化も著しくなった。
エサとなる植物相も徐々に変化していった。
環境変化に適応して、昆虫はどんどん小さくなっていった。
とはいえ、変わったのはサイズだけ、という言い方もできる。
基本構造があまりにも不変で、進化らしい進化をしていない(他の生物に比べて)ため、宇宙からやってきた生物なのではないか、とさえ言われている。
何億年もまえの化石を発掘して、これは絶滅したとか、この生物に進化した、というような類推の対象に、他の生物のほとんどは該当する。
しかし昆虫だけは、これはコガネムシだ、これはゴキブリだ、とすぐに判明してしまう。
カサカサカサ……。
物陰から聞こえる不気味な音に、女たちはふるえあがった。
「なんか、いやーな予感しかしないんですけどォ?」
触角らしきものを生やしているサアヤも、昆虫は苦手のようだ。
「発田さん、わたくしからあまり離れないように」
輪をかけて苦手なヒナノが、サアヤの手を求めて握りしめる。
女子たちが心配している巨大な「それ」が、物陰からとびかかってくる可能性。
想像したくないな、とチューヤは思った。
──このような完成された「外骨格生物」は、どこからやってきたのか?
すべての生物は海から発生したものであり、その流れから考えれば当然、カニやエビから進化した、と考えるのが妥当だ。
しかし、両者をつなぐ根拠、証拠があまりにも少ない。
海と陸をつなぐ中間的な昆虫が、ほとんどいないのだ。
そこで、宇宙生物という珍説が出現する余地が出てくる。
また、昆虫は画期的な存在だったが、知性を持つまでには至らなかった。
環境への依存度が高すぎた。より正確には、酸素濃度への依存が。
集団としての社会性を持っていることは事実だが、知性とは言えない。
──ゆえに悪魔としても「妖虫」は、きわめて少数派の派閥しか形成していない──。
「キシャーッ!」
満を持して、彼らはやってきた。
境界化は完了している。
もちろんチューヤたちもナノマシンを起動し、準備万端で迎え撃つ。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ミルメコレオ/妖虫/3/中世/ヨーロッパ/フィシオロゴス/目黒
ウブ/妖虫/15/中世/佐渡島/民間伝承/不動前
襲いかかってきたのは、矢川が率いていたことで既知の妖虫ウブや、ミルメコレオといった、現時点ではザコに等しい敵ばかりだ。
「バステト、オセ、前面よろしく。リリム、バンシー、バックアップ頼む」
それでも万全を期して、現状のベストメンバーを召喚するチューヤ。
ぴくり、とヒナノの眉が跳ねた。
「あなた、なかなかおもしろいおナカマを連れてらっしゃいますわね」
「心配しなくても、同じ悪魔じゃないよ。強い悪魔は分霊だし、種族としての悪魔はそれぞれ、いろんなやつがいるさ」
取り繕うチューヤは、もちろん意図してこのような召還をしたわけではない。
「そんなことは、わかっています」
言いながらも、オセやバンシーに向ける視線には、曰く言い難い複雑なものがあった。
「ま、ゴロウについては、前回きっかけでナカマになってくれたんだけどね」
チューヤの言葉に、気高いトラネコの王は高飛車に顧みるのみで、特段の意見もないようだ。
戦闘が開始されようとした、つぎの瞬間、
「待て、やめろ、逃げろ!」
背後から声がする。
ぎくり、と動きを止めるチューヤ。
敵の群れは、いまにも襲いかかってこようとしている。
重爆撃機ヒナノも、新たなガーディアンの力を得て攻撃を開始しようとした、そのとき。
「お嬢、待って! ──逃げる!」
チューヤのコマンドに従い、バステトはサアヤを、オセはヒナノを担いで、すたこらさっさと逃げ出した。
エスケープ……成功!
あいかわらず、逃げ足だけはピカイチの男である。
──逃げ延びた先、声の方向に、その男はいた。
警備員の服を着ている。
さっき見た警備員ではない。
だいぶ悲惨な状態だが、おそらく以前、境界化に巻き込まれ、現世では行方不明になっているのだろう。
彼は、瀕死の状態で戦いを止め、なにかを伝えようとしている──。




