44 : Day -48 : Meguro
そこに彼女を見つけたとき、チューヤは短く嘆息した。
やっぱりな、という気持ちとともに。
今朝、仲間たちと別れるときの約束だ。
「みんなでリョージを助け出しに行くぞ、おーっ」
「それで何時に、どこに集合ですか?」
「盛り上がってんね、お嬢」
「そ、そういうわけではありません。仲間は助けなければなりませんから」
「そーだよー。いくらリョーちんが強くても、ほったらかしは禁物だよー」
「どうでもいいが、鍋の件もあるからしかたない。目が覚めたらくるよ。テキトーな時間に合流でいいだろ」
「そうだな。どうせ、まだどこにいるかもようわからんし」
「メグロの骨だっけ? うーん、あのへんに骨の店なんかあったかな」
「骨の店ってなんだよ。ま、とにかく手分けして探す流れだろうし、テキトーに集まってテキトーに流す感じでいんじゃね?」
「りょーかーい。じゃ、みんなおやすみー」
朝帰りの少年少女たちは、こうしてその行方不明を彼らの両親が警察に通報するまえに、どうにか帰宅することができた。
リョージを除いて。
とはいえ東郷家も、息子のことにはかなりの安心感があるようで、チューヤが電話を一本入れただけで「そうかい、それじゃ頼むよ」という一言で解決してしまった。
信用がありすぎるのも、どうかと思われる。
「こんちは、お嬢。早いね?」
チューヤが声をかけるまえから気づいていたヒナノは、あえてゆっくりと、いま気づいたように装いながら、あいさつを返す。
「ごきげんよう。どういう意味の早いかはわかりませんが、できるだけ早くすべきことを、わたくしたちは、まだやり遂げておりません」
ふわり、と身をひるがえすヒナノ。
あいかわらずいいニオイだな、とチューヤは思った。
変な粘液で悪臭を放っていたヒナノも、あれはあれで倒錯的な情感を誘ったが。
「で、リョージ見つかった?」
「そう見えますか? いいから、さっさとあなたの計画を話しなさい。占いなど信じるのは愚の骨頂ですが、それなりに根拠のある話であれば、耳を傾けるのもやぶさかではありません」
ヒナノは、女子にしてはめずらしく占いを信じない。
というより、自分にとって都合のいい占いだけを信じる。
「えっとね、足立の母の占いによると、リョージはメグロの骨なんだよ」
「それは聞きました。どういう意味か、と訊いているのです」
「意味って言われてもな。骨、骨ねえ……」
考え込みながら、目黒の街並みを見まわす。
鉄道トリビアで、「目黒駅は品川区」という有名なものがある。
とはいえ両区の境に近く面しており、駅から西へすこし歩けば目黒区だ。
「役に立ちませんね、あなたそれでも悪魔使いですか?」
「残念ながら悪魔使いです……。あれ? そういえばお嬢、新しいガーディアン」
「発田さんから話は聞きました。ゴロウはおいしかったですか?」
「キツいこと言うね……。お嬢こそ、ガーディアンの乗り換え早くない?」
「ガーディアンは、付け替えることにこそ意味がある、でしょう? しかし、さすがは悪魔使いですね。こちら側でも、見えるのですか」
「まあね。マフユのときも、見るだけは見えたよ」
悪魔、幽霊、ご先祖さま、といったものは、いつの時代も「見える者には見える」ことになっている。
それをロジカルに再定義したのがナノマシンだが、力として行使するためには、条件がある。
あくまでも悪魔の力の解放は、境界にかぎられるのだ。
「他のみなさんは、どこですか?」
「学校じゃない?」
「曜日感覚が失われるのは引きこもりの特徴といいますが、11月3日は日本全国、文化の日ということになっています」
「道理で、昼間寝てても罪悪感がないと思ったよ……」
「でしたら、帰って休んで目が覚めたら、仲間のために集合するのが筋でしょう」
「まあ、マフユはとくに、いろいろあったからさ、かなりダメージ深いんだと思うよ。ケートもケートで忙しそうだし」
「わたくしが暇だと思うのですか?」
「い、いえ、そりゃお忙しいでしょうけども」
「たーっ! そこな似合わないカップル、別れのときがきたぞー!」
やおら、いつものテンションで割り込んでくる声。
ヘリコプターのようにアホ毛をぶんまわしながら現れたのは、
「よく迷わずにこれたな、サアヤ……」
今朝はチューヤが久我山まで送って行った。
サアヤが迷わず動けるのは、家から駅までと、その他ほんのわずかな道のりのみだ。
「ばかたれ。こちとら渋谷までは余裕で出られるんだ。そこから山手線に乗り換えて、なんかやけに遠かったことは秘密だ」
おそらく外回りに乗った、ということだろう。
内回りなら渋谷から2駅である。
心からホッとした表情で、ヒナノはサアヤを迎えた。
「ごきげんよう、発田さん。あなたからは良案を伺いたいところですが」
「リョーアン先生? まあ落ち着いて、お菓子いかが?」
バッグからパイを取り出し、ひとかけらわたす。
しかたなく受け取るヒナノ。
チューヤへの分けまえはないらしい。
「よく食うね。女子の胃袋って不思議」
「ふーんだ。さっきお菓子だいすきねーちゃんに会ってね、チューヤにはこれ、わたしといてくれってさ」
アップルパイを頬張りながら、サアヤがもう片方の手で、チューヤに小さな印鑑のようなものをわたす。
同じものを、きのうもサアヤからわたされている。
「なんですか、それは?」
ヒナノの問いに、サアヤは顛末を思い出しながら、
「ほんとはヒナノンにわたしておくつもりだったらしいんだけど、アル中の妹が、とっくり忘れてたんだってさ」
例の三姉妹は、上と下の姉と妹が、だいぶ天然系らしい。
しっかり者の次女は、お菓子ねーちゃんとしてサアヤと親しくなっている。
「おまえね、言っとくけどあの女神たちは、俺たちにとっては誘拐犯だからね」
「まあそう厳しいこと言いなさんな。私らは、お菓子とお酒をおごってもらったもんねー、ヒナノン」
「ま、まあ、そういうことになりますか」
思い出すと頭痛がするらしい、ヒナノは眉根を寄せてそっぽを向いた。
「ふーん。ということは、リョージもあの恋愛体質ねーちゃんに、身も心もしっぽりと搾り取られてたりなんかすんのかねー」
チューヤのこの言葉は、たいそうな影響を及ぼした。
「どういう意味ですか、あなた、ちょっとそこに座らっしゃい」
S気質のヒナノの言葉には、言い知れぬ強制力がある。
「は、はい、すいません」
路上にちょこんと正座するチューヤ。
女子2名が検事となり、取り調べは進む。
被告人席には、もうだいぶ慣れているチューヤ。
「どういうことか白状しなさい」
「そのとおり。答えなさい、被告人チュースケ」
「いや、白状もなにも、あんたら見てたやん。恋愛体質のねーちゃんが、リョージに結婚してって」
唖然としているうちにボロボロと櫛の歯が欠けるように全員いなくなったので、ほとんど同時にバラけたという印象が強いが、リョージが連れ去られた時点では、まだパーティは4人いた。
「そーいえば、そうだったっけ」
「バカな。そんな頭のおかしい女に、彼は連れ去られたというのですか」
「う、うん、まあ……」
「リョーちんはねえ、モテるからねえ」
「一刻も早く探し出さなければなりません。あなた、バカなのですか? そんなところに座り込んで、もうちょっと真面目に生きたらどうです?」
「…………」
チューヤはあんぐりと口を開け、それからのろのろと立ち上がった。
きょうもまた、厄介な一日になりそうだ。
「てかよー、お菓子ねーちゃんに会ったなら、リョージのこと訊いといてくれりゃよかったじゃんよ?」
膝の汚れを払いながら言うチューヤ。
「なにー? 私がやるべきことをやってないみたいに言うな!」
「だってそうじゃん!」
「このバカチンが! ちゃんと聞いてあるわ」
憤然と言い放つサアヤによれば、こういうことだ。
「そうだ、お菓子おねーさん、リョーちんの居場所、知ってるよね?」
「それは自分で探すのがルールかと思いますが、あなた方は北綾瀬で、すでにヒントをもらっているのでは?」
「それがさ、よくわかんないんだよね。ええと、メグロの骨だから、サンマかな? つまり魚屋さん?」
「メグロの骨? ああ、なるほど。おもしろいヒントを出す占い師です。──骨というのは、おそらく外骨格のことでしょう。それでは、ごきげんよう」
「って言って、去っていったぞこの野郎。どうだ、まいったか」
以上、サアヤの報告である。
「胸を張るなバカタレ。ちっともわからん」
チューヤとサアヤのいつものやり取りに背を向けるように、
「いえ、わかりましたわ」
ヒナノは静かに足を止め、目線を持ち上げる。
目黒区の一角、そこには公益財団法人による博物館があった。
目黒奇昆虫館──。
「外骨格……なるほど」
世界広しと言えども、属するほとんどの種が骨を外側にさらして生きている生物は、節足動物門くらいのものだ。
つまり昆虫である。
まるで待ち受けていたかのように、立ちはだかる「目黒奇昆虫館」。
月曜・火曜が閉館日の博物館は、本日は文化の日で開館していたものの、すでに開館時間を過ぎている。
いまは門を閉ざしたまま、静かに目黒区を睥睨する、不気味な博物館──。




