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人肉はまずいのか。
この問題の答えは出ている。
ほとんどの文献で、人肉をまずいと表現しているものは、ない。
パリ人肉食事件、アンデスの聖餐事件、戦争中のフィリピンでの事件においても、その味はしばしば絶賛されている。
まったりとしていて、じつにうまい。
まさに最上の肉。
他の食材に比較できるものがない。
味覚における最大の讃辞は「人肉のようにおいしい」だ。
「ふっざけんなよ。だれが食うか、そんなもん。──ハウス! 黙ってろマフユ!」
意想外の強さでマフユを黙らせるチューヤ。
ここは自分が、人類の良識というやつを示さねばなるまい。
「そっちのねーちゃん、喰いたいんやろ? ええ肉やで」
マフユを指さし、誘うように言う北大路。
──ただし、ヒトは栄養学的には優れた食品ではない、という意見はある。
他の動物に比較して、たとえばイノシシやビーバーの筋肉は1kgあたり4000カロリーだが、現代人の場合は1300カロリーしかないという。
ダイエットには向いているかもしれない。
ちなみに通常の意味で使われるカロリーは、キロカロリーのことだ。
栄養学的な文脈では、カロリーでは単位が小さすぎるが、キロをつけるのが面倒なため、ふつうは単にカロリーという。
「いいから黙ってろマフユ。……これがなんの肉か、聞くまでもないが、言ってみろ」
好戦的な口調で問いただす。
「栄養のある肉やがな。人間にとったら、足す必要も引く必要もない、人体が要する栄養素をすべて持っている、まさに完全栄養食やで。ほんま、中国人も太鼓判やがな」
中国に、グルメとしてのカニバリズムがあったことは、史実である。
一時の偶然などではなく、それはもはや伝統的な習慣であった。魯迅が皮肉たっぷりに描いているとおり、人肉が公然と市場で売買される時代は長かった。
息子を蒸し焼きにして出した料理人(易牙)の話は有名だが、そこまで古代に遡るまでもなく、19世紀のはじめまで、中国で人肉を供するレストランは珍しいものではなかった、とブライアン・マリナーは述べている。
慣習の力というものはすさまじく、最初は抵抗があっても、一度食べはじめてしまうと、もう止めるものはない。
「やらんと、死ぬで。ミナミのお嬢だけやない、おまえらも皆殺しやん」
北大路は、そこではじめて最凶のふるえあがるような視線を放った。
ある意味、これは「食料としてのカニバリズム」というロジックに近い。
グルメとは異なり、食わないと死ぬ、という究極的な選択の局面では、人種や民族などによる差はない。
世界中のあらゆる時代と場所で、食う人は食ってきたし、食えない人もいただろう。
「洋上の習慣」という表現があるくらい、海で遭難して食料が尽きたときは、一般的行為である。
だが、この脅迫は、あまり意味がなかった。
人間を捨てるくらいなら、死んだほうがましだ。
その心理を読んだかのように、北大路はやや語調をまるめて言った。
このへんの心理操作と論理展開が、悪魔というやつは、ほんとうにうまい。
「心配はいらんがな。こんなかのひとつは、人肉やない。それを喰うたらええんやで?」
後半、ほとんど猫なで声のようにささやく。
思わず誘われるチューヤ。
「どういうことだ……?」
「ま、わしはこの世でいちばんうまい肉はこれや思とるが、そう思わんやつがおるのも承知しとる。美食とは言い条、あくまで主観やからな。で、おまえらが安心して食えるように、いっこだけ、ケモノの肉を入れておいた。それを選んだらええ、おまえらの勝ちや」
「だれが、そんな……」
「悪魔使い、おまえは信じるしかないで。わしはこれ、このとおり、この勝負の契約書に青のインクでサインしたるからな」
空中に描かれた、デジタル署名の契約書。
その真正は、ブロックチェーン上のナノマシンに担保され、疑いようがない。
悪魔との最高優先度の契約条項である以上、すべては確実に執行される。
同時にチューヤは、彼と勝負の契約しないと全員が死ぬ、という強迫も、あながち外れてはいないだろうと理解する。
契約書のサインは、それを裏書きするにじゅうぶんな「名」だったからだ。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
パズズ/大魔王/70/紀元前/アッカド/エクソシスト/代々木公園
「パズズ……そうかよ」
オーカスごときがへいこらするのも当然だ。
なぜこんな強力な魔王に、ヒナノは取り憑かれてしまうことになったのか?
じっさいエクソシストが必要なのではないか?
そういえば弟のミツヤスくんも、気になることを言っていたではないか。
「ま、そういうこっちゃ。モノホンの美味を知る舌を持っとれば、モノホンの美女の肉くらい、容易に見分けられるやろ」
北大路の不合理な挑発。
チューヤは深く嘆息する。
「どういうつもりなんだ、あんた」
「……赤羽のォ、バラした人肉をォ、組み立てて理想の嫁とやらをつくるゥ、連中がおるやろがい?」
いやらしく語尾を伸ばすその言いまわしで、チューヤは最悪のケースを想定した。
「あんた、赤羽がらみか。まさか」
「心配いらへん。ロキと直接は絡まん。わしは、あくまでミナミの嬢ちゃんに、個人的に取り憑いとるだけやでな」
もはや、この最後のゲームに乗る意外になさそうだ。
チューヤは言を決した。
──テーブルには、14枚の皿が並んでいる。
どの皿にも、不気味な肉塊。
「ようおぼえとき。赤羽の悪魔は、肉体を14に分かつ」
北大路に言われるまでもなく、AKVN14というアイドルグループが、すべてを暗示してくれている。
「ああ、わかったよ。──一皿、選べばいいんだな?」
ケートに任せたいところだが、契約したのはチューヤだ。
それに、ケートはべつにグルメというわけではない。
どちらがやっても、勝率は変わらないゲームだ、と思われる。
14分の1。
ケートなら「そんな分のわるい賭けに乗れるか」という話だ。
前回のような裏技が仕込んであるならともかく。
マフユなら、たとえまちがって人肉を食ったところでこれ以上傷つく部分はないが、彼女に任せれば、それこそ14分の1以下の確率になりそうな気がする。
一方、チューヤには、この勝負に対する勝算が──。
「ああ、選んだら、その皿の肉を全部喰え。答え合わせは、完食してからや」
北大路は楽しそうに椅子に身を沈め、チューヤの選択を待っている。
テーブルの近くに立つチューヤ。
他の3人は、すこし離れた場所から見守っている。
勝算が──ない。
まったくわからない。
チューヤは茫然と、肉の山を眺めた。
どの肉も、人間と言われれば人間のように見えるし、ケモノと言われればケモノのようにも見える。
スライスして、焼かれた肉の塊を、その種族まで還元して見抜くのは、不可能に近い。
通常の食材であれば、食ってみればわかる、ということもあるかもしれないが、今回はその技は使えないし、使えたとしても自信はない。
見ただけで、あるいは味だけで見抜けるほど、ケモノの肉に親しんだこともない。
そもそもネコ派のチューヤは、サカナのほうが好きなのだ。
ネコ派の──。
そのとき、チューヤの足が、ぴたりと止まった。
目のまえの皿に、惹かれる。
見つめる。目がこぼれるほど、見つめる。
肉が語りかけてくる。
肉が──。
「それが答えか?」
北大路が茶化すように問う。
「……ああ」
チューヤは自分が声を発したことにも気づかぬほど、何事かに集中している。
「そしたら、喰うたらんかい。最後まで、残さずぺろりとな」
長い舌をねぶり、いやらしく言い放つ北大路。
言われるまま、まるで催眠術にかかったように、チューヤはフォークを手に取った。
ナイフなど使う必要はない。
皿一枚に敷かれた肉の薄切りの山を、端から順に食っていく。
ぱく、もぐもぐ。ぱく、もぐもぐ。
途中から、涙がにじんでくる。
ぱく、もぐもぐ。ぱく、もぐもぐ。
鼻水までにじみ、よだれが滴る。
もぐもぐ、ごくん。
完食し、チューヤはゆっくりとふりかえった。
サアヤがそっと差し出したナプキンで、顔を拭う。
「食ったぞ。それで、答えは?」
チューヤの問いに、北大路はオーカスのほうへ視線を転じる。
変化は、目に見えてやってきた。
おっ、うえ、ぐっ、げぇろ……。
ぷっくりと膨らんでいたオーカスの腹が、ビリビリと蠕動し、その痙攣は上へと広がっていく。
げぇお、ぅえ、ごぉ、ろぉう……。
北大路は不気味に笑って、その結果にもかかわらず楽し気に言った。
「アターリー」
ぐげえ、ばあ、べしゃっ……。
悪魔の引き裂かれるように開いた口から、出てきたのは──ヒナノ。
粘液にまみれ、制服のまま、薄汚れた状態のヒナノが、吐き出された。
「お嬢……っ」
「ヒナノン!」
駆け寄る仲間たちの一部。
とりあえずヒナノのことはサアヤに任せ、チューヤたちは北大路らに向き直る。
──ここまでは契約通りだ。
だがここから先、どんな卑劣な行為に及ばれるかもわからない。
睨まれた北大路は、さすがに名のある魔王らしく、それなりに空気を読んだ。
外を眺めながら、静かに言う。
「そろそろ夜明けやなあ。サガワ、わしらもどしてんか?」
「──御意」
低級魔王に否やはない。
境界がゆがんでいく。
支配悪魔の同意を得て、境界は解き放たれる──。
再び目を開けば、そこは閑散とした閉店後のレストラン。
周囲にはいつものメンバーと、北大路。
「よう喰うたなあ。気づかずに、か? いや、そんなわけないやろ」
見透かしたように言う北大路に、チューヤは唇を噛みしめて答えない。
北大路は、ふんと鼻を鳴らすと、そのままふらりと出口へ向かった。
──またつぎのゲームで会おうや。
そう言い残して。
チューヤの周りに集まってくる仲間たち。
サアヤによれば、ヒナノは大丈夫、すぐに気がつくよ、ということだ。
それよりまえに、彼らには知りたいことがある。
「どうしてわかった? チューヤ」
14分の1の正解率だ。
ただ、彼が幸運でそれを選んだのだ、などと朴訥に信じることなど、合理主義者のケートには到底できない。
他の面々も、なにかトリックがあるにちがいない、という確信を持っている。
そしてもちろん、チューヤには正解を選べた理由がある。
彼は湿った声音で、言った。
「ゴロウが……教えてくれた」
顔を見合わせる仲間たち。
ゴロウといえば、ヒナノのガーディアンであるトラネコのことではないか?
「食えって、俺に食えって、だから俺……だから……」
うえっ、ぐっ、と嗚咽するチューヤ。
ネコ派のチューヤにとって、ネコの肉を食うことがどれほどの苦痛を伴ったかは、察するに余りある。
だが、すでに食材となってしまったネコは、自分の主人を救うためにできる最善を尽くした。
自分をチューヤに食わせることでしか、自分の主人を助けることができない。
だとしたら、やるべきことは決まっている。
「ごめん、ゴロウ、ごめん……」
チューヤはあらためて、自分の行為を顧みる。
そうだ、自分は喰ったのだ。
主人を守るために肉体を焼かれた、あの忠実なネコの遺志を汲んで。
「そういうことか」
納得の表情で、一同はヒナノを顧みる。
複雑な事情だ。
主人を守るために死んだガーディアンの肉は、いまチューヤの腹のなかにある。
と、そこでようやく目を覚ますヒナノ。
ある程度、サアヤが拭き取ってくれてはいるが、まだ全身べっとりと濡れている。
「ここは、どこですか。みなさんは、いったい……」
あえて声を発しながら、状況把握に努める。
まず気になるのは、この変な臭い。一刻も早くシャワーを浴びたい。
「ま、詳しい話はあとだ。ここを出ようぜ」
ケートに促され、一同は歩き出す。
途中、肩を貸してくれているサアヤから手短に事情を聞かされ、その高性能な理解力で大要を把握したヒナノ。
「そうですか、それはご迷惑をかけました」
今回の件に対する彼女の謝意は、以上である。
「しかし、きみたちの親戚には、ろくなのがいないな」
ケートの言葉に、サアヤとヒナノは返す言葉もない。
ギャンブル狂いの老人、蛭子。
恐るべき肉食家、北大路。
「当人の責任じゃないっしょ」
チューヤは、こっそりとフォローを入れることで好感度を狙ったが、ヒナノには届かない。
「東郷くんはどうしました?」
ヒナノの口から出てきた名前が、多くを言い表している。
ここには、鍋部のメンバーの全員がいる。
東郷リョージを除いて。
「ああ、そういやリョージがまだだっけ」
「あいつなら平気だろ、ひとりで。あたしは帰って寝る」
「ボクも帰らせてもらう」
「ま、リョーちんならね。明日でもまにあうかなー」
サアヤをしてこの始末だから、さすがにこのままリョージを助けに行く流れにはならない。
じっさい全員、疲れ切っている。
物語はひとまず、ここで区切るとしよう。




