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 マフユのなかに宿るナガスネヒコが、どの系統の人種だったかはわからない。

 だが、大森貝塚を発掘したモースによれば、縄文人には「人肉食」の文化があったという。


 日本に、どのルートと時期で人間が流入してきたかには、多くの説がある。

 旧石器から縄文にかけては東南アジア系で、弥生から古墳時代にかけて北方系が流入し、混血して今日の日本人ができた、という二重構造説が有名だ。


 発掘された化石の計測、統計解析と、ミトコンドリアDNAの研究によっても、妥当性が証明されている。

 ただし完全に正しいわけではなく、今後の研究のたたき台として説得力のある説である、というにすぎない。


 マフユはナガスネヒコを帯びて、あいかわらずの戦闘力を示した。

 北方系の彼女に、強い親和性を示す高度なガーディアン一体化。


 縄文人を、むしろ北方系である、と考えている人もすくなくない。

 東北地方を中心とする東日本エリアで、人骨化石が発見されるかどうかが焦点になっている。

 弥生以降の渡来の問題についても、北アジア系にかぎらず、中国江南地方以南からの渡来の波も、何波かに分かれてあったと考えられる。

 二重構造というより、多重構造といったほうが正確かもしれない。


「てめえも食ってやろうか、ああん?」


 通りかかったギャルソンの腕にまで噛みつき、引き裂くマフユの行動のほうが、敵よりもむしろ常軌を逸している。

 チューヤたちは、彼女の仲間であっていいのかという段階まで還元して、倫理的な問題に逢着した。


 大森貝塚を発見したモースによって唱えられた、縄文人=食人種、という考え方。

 かつては、人間の肉を食べた縄文人は、日本人の祖先であってはならない、という生理的な嫌悪があった。


 だが、都合のわるい過去を歪曲し、自分の考えを補完するようなデータだけをつまみ食いする手法は、この手の研究の致命的な欠陥として第一に警戒されなければならない。

 欧米では白人優位思想によって捻じ曲げられた研究への反省から、検証システムがかなり整っているが、日本には、まだ旧石器の捏造事件で棄損された信頼を回復できるほどではない。


 ただし現在は、モースが指摘した人骨の切り傷、削り傷を、食人目的と断定はできない、という結論のようだ。

 むしろ、集団と集団の「戦い」すら否定し、縄文時代は平和な理想郷だったというような論調もある。

 もちろん武器の発見がないなど、それなりの根拠はあるが。


「食ってやる、てめえも食ってやる!」


 殺戮の意志に満ちるマフユ。

 同時にその周囲には、戦いを好み、平気で人肉を食う彼女を、仲間だと思いたくない、日本人とは認めない、と言いたい気持ちがあふれ出す。

 問題は、そのこと自体だ。


 大岡昇平『野火』の主人公は、「俺は殺したが食べなかった」と反省して、文明人ぶっている。

 武田泰淳『ひかりごけ』では、遭難した船長が先に死んだ船員の肉を食い、「文明人ぶっている」人々の「錯覚」を批判する。

 あまり先走って、人間について「こうだ」と思い込むのは危険かもしれない。


「高価な肉を、貴様」


 叫びながら反撃するサガワ、いやオーカスとの対決は、ほとんど同士討ちにも見える。

 経済学の全シェーマと価値法則は、音を立てて崩れ去る。

 人間の身体という一商品は、消費され、再生産される──。




 VIPルームの壁を突き破って、戦闘は激しさを増した。

 相手は、チューヤたちをまさに「食材」として捕獲しようとしている。


 一方、チューヤたちはとりあえず相手を倒す、そのことだけを考えている。

 レベルに比して、かなり手ごわい。

 よほどこの白金台の「エサ」で強化されているのにちがいない。


 店内も、まだらの境界化に巻き込まれている。

 経堂駅で見たとおり、境界を支配する悪魔は空間をまだらに引き寄せることができる。

 そうして、手に負える程度のエサを自分たちの空間に引き寄せ、食い散らかす。


 悪魔のシェフの「人肉料理」に魅入られた人々が、その深刻な罪深い嗜好とともに、新たな享楽のため捕獲される。

 きのうの喰い手は、きょうの喰われ手だ。


 そんななか、チューヤは不思議なものを見た。

 この騒ぎをものともせず、窓際の席に座っていた中年の男が、ふつうに客として、楽しげにワインを傾けながら、食事をつづけているのだ。


 彼のことは、悪魔たちも見て見ぬふり。

 いや、よく見れば「食事をつづけている」のは、ひとりやふたりではない。

 こちら側から吸い出された「エサ」を、あちら側の顧客に提供する場が、このレストランということなのかもしれない。


 それは(マル)の華。永劫の病。

 サガワを育てた文明、フランス仕込みの言説(ディスクール)は、人工身体(プロテーズ)へと向かう医学の道をささやく。

 人肉解体は、医学的知識に基づいて、美食の道とリンクする。


 レストランの間近には、南麻布のフランス大使館がある。

 見まわせば外は、西麻布まで包む雨。

 フランスからやってきたらしい悪魔が尻尾をのぞかせ、


「つぎはその子を頼むよ、キュイジーヌ」


 テーブル席の彼は、薄笑いを浮かべてサアヤを指さした。

 BGMの曲調は激しく、クライマックスを告げる。

 ウゴリーノ伯爵がルジェリ大司教の頭を食べるとき、ピサは所有者が代わる。

 こうして『神曲』は演じられる。裏切りは罰せられ、秩序は回復する。


 オーカスとの戦闘は激化する。

 刹那、マフユが倒れた。

 ハッとして思い出す。彼女は仲間だ。


「だいじょうぶか、マフユ、しっかりしろ!」


「……食いすぎて動けねえ。あとは頼む」


 その場に座り込み、手を振る。

 突然、雰囲気が変わるのを感じた。

 壮大なティンパニと大太鼓のトレモロは、静かなクラリネットとファゴットのコラールに変わる。


「まったくもう! イキローマル与えとけ、サアヤ」


 自分がやらなければならないことを思い出し、最前線へと向かうチューヤ。


「しょうがないなあ、フユっち。はい、蛇含草じゃがんそう


 冗談めかして、回復アイテムを与えるサアヤ。

 『蛇含草』。落語のタイトルにもなっていて、『そば清』ともいう。

 うわばみ(大蛇)が、食った人間を消化するために嘗める薬草、という設定だ。


「なんでも持ってるな、おまえの嫁は」


 ケートも戦闘態勢を整える。


「ある種の魔女だからね、サアヤは」


 チューヤの周囲には、悪魔たちが展開する。

 巨釜をかき混ぜながら、「練れば練るほど色が変わって……ヒッヒッヒ……うまい!」と言い出しそうな昭和テイストの魔女っ娘、それがサアヤだ。


 ともかく前線はマフユに代わり、チューヤとケートによって維持される。

 オークスは手ごわい敵だが、絶対的な強さ、というほどでもない。

 ただ、ここは彼のホームである。

 どんな罠があるか、わからない。


 つぎの瞬間、激しい雷鳴が轟いた。

 店内の照明が落ち、闇に包まれる──。




「もうええ、やんどき」


 聞きおぼえのある声に、一同の動きが止まった。

 視線の先、茶色のデブ──北大路ドサンピンが、興ざめしたような視線でオーカスのほうを眺めている。


「はっ、いや、しかし」


 オーカスの顔色は、北大路に向かって青ざめる。


「がっかりやで。料理もできんのとはのう、サガワ」


「申し訳ございません、閣下……」


 半分悪魔の姿のまま、人間の皮をかぶった豚面を下げるオーカス。

 低レベルとはいえ、魔王に「閣下」と呼ばれるほど、北大路は高位の者ということか。

 チューヤたちの意識は、北大路に向かってあらためて再考を迫られる。


「肉食倶楽部の風上にも置かれへんな。……さぁて、皆の衆。ゲームを再開しよやないか」


 北大路はチューヤたちに視線を転じ、やや機嫌を持ち直して言った。

 もちろん、チューヤたちはちっとも楽しくない。

 さっきから気持ちのわるい話ばかりを聞かされて、このまま相手のペースで話を進められるくらいなら、力ずくで状況を変えたほうがマシのような気もする。


「北大路さん、あんたは……」


 しゃべりだすチューヤを無視して、北大路は目のまえにある大きなテーブルを示唆する。

 赤、茶、肉、脂、おおよそ「肉食」の象徴たるべき肉料理の山が、10以上もの大皿に盛られて並んでいる。

 見ただけで胸焼けしそうなそれらを指して、北大路は言った。


「ここに肉がある。およそ8万カロリーや。どういう計算か、知りたいか?」


「……人体」


 ケートが冷静に言い放つ。


「ケート……っ」


 理解はできても同意のできないチューヤが、非難がましくケートを見つめる。

 もちろん彼がわるいわけではないことは重々、承知しているが。


「ふん、そうや。──このなかから、()()()()()()()を選べ。ちがいのわかる男なら当然、できるやろ?」


 美味の祭典。

 本来、美食家である彼の本領は、ここにある。


 大食のシーニュ。

 辛辣のシーニュ。

 外道のシーニュ。

 そして美肉のシーニュ。


 北大路のフランス料理(?)ゲームは、ついに最終局面に到達した──。



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