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時刻は深夜3時を大きくまわった。
──VIPルームの内装は品がよく清潔だった。
テーブルも広く、余裕がある。
窓越しに中庭が見えるが、薄暗くて景色を楽しむという雰囲気ではない。
ホールスタッフの対応は、さらに慇懃さを増している。
マフユ、サアヤ、ケート、チューヤの順に、ギャルソンが椅子を引く。
有無を言わさず、テーブルにつく4人。
マフユとケートを対面に置いたのは、なかなか的確な状況判断だ。
「こちら、コースのみとなります」
注文の段取りを省き、ギャルソンはテーブルセットを進める。
「は? ちょっと……」
苦言を呈する間もなく、テーブル上には突き出しの小料理が現れる。
「本日のスペシャリテ、ウニのごとき貴婦人風でございます」
ウニらしきものに緑色のソースをかけただけのものが、ちょこんと皿に載っているだけの、まさにフランス料理。
「コースはいいけど、せめて選ばせてくれよ」
一同のなかで、もっとも腹が減っているケートが注文をつける。
ギャルソンは慇懃に頭を下げ、
「こちら、テーブル内でのご注文は、同一コースと決めさせていただいております」
高級レストランにしては融通が利かない。
4人ならせめて2名ごと2コースを許容すべきだ、とケートは思ったが、その手のルールに多少とも通じるのは彼のみで、他の面々は周囲でなにが起こっているのかも、よくわかっていない。
「ケチくせえな。なんだよ、このちーせえ臓物はよう」
寿司と勘ちがいしているらしく、手づかみでさっさと頬張るマフユ。
なにかいやな予感がして、他の3人は手をつけない。
結局、マフユは左右のふたり分のアミューズも、まとめて飲み下した。
「プリフィクスもなしか? ボクはナマモノがあんまり好きじゃないんだ」
ケートの言葉に、ギャルソンは丁寧に頭を下げるのみ。
つぎの料理が運ばれてくる。
「トリップのごとき白ワイン煮でございます」
あきらかに状況が異常化している。
手をつけられていないまえの皿を下げようともせず、つぎつぎと運ばれてくる料理。
「生ハムのごとき郷土のガルグイユでございます」
つづいて、またしても、ごく小さく調理され、まとめられた一皿。
強制的に進むコース。
ケートがいらいらした口調で、
「ちょっと待ってくれ。さっきから、のごとき、って言いまわし、気になるんだけど、なんなんだ?」
すると、ギャルソンは軽く肩をすくめ、
「まさに、文字通りにございます。ウニのように見せた、トリップ(ウシの胃)のように見せた、生ハムのように見せた、べつのものになります」
そしてうっすらと、笑った。
「じゃあ、もとはなんなんだよ?」
たん、と軽くテーブルをたたくケート。
「……シェフをお呼びします」
その謎解きをするのは、ギャルソンの仕事ではない。
「そんなことより、お嬢は……南小路ヒナノさんはどこですか?」
チューヤが発した問いに答えたのは、給仕に呼ばれて現れた別の声だった。
「さっきから、すでに何度も味わっていらっしゃるのでは?」
ギャルソンと入れ替わりにはいってきた男。
それは一見痩せた、貧相な中年。
表情は炯々として鋭く、邪悪なものを秘めている。
厨房用の白衣は、なぜか腹の部分だけがぷっくりと膨れている。
病的ななにかを感じさせる、うさんくさい料理人、という第一印象が、そのまま海外のフェイクニュースをつくったのかもしれない。
「……どういう意味だ、この野郎」
ゆっくりと立ち上がるチューヤ。
ケート、サアヤもつづく。
マフユだけは座ったまま、隣席で手をつけられていない皿に手を伸ばす。
高校生たちに取り巻かれながらも気圧されるようすもなく、高い帽子をかぶった、ラトリエ・ドゥ・ジャン・ポール・サガワの経営者にして料理長は、丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、はじめまして。お目にかかれて光栄です。当店のシェフ・ド・キュイジーヌ、ジャン・ポール・サガワと申します」
「もう一度訊く。お嬢はどこだ?」
チューヤの問いに、サガワは端的に答えた。
「そこの女性の腹のなかにございます」
持ち上げられたサガワの指先が向かうのは、マフユ。
まさかの展開に、唖然とする一同。
「……ああ? 食ったもん吐き出せってか?」
立ち上がるマフユの腹も、またサガワに負けないくらい、ぷっくりと膨らんでいる。
まさに、獲物を呑み込んだ蛇さながらだ。
「バカな。そんなこと、ありえない」
「そうだよー、まさかそんなこと、あっていいはずないよう」
「禁書目録だな」
本編のアップロードがリジェクトされた場合、お察しください。
「他のお客様のご迷惑になります。どうぞ、お席に」
サガワは丁寧に頭を下げ、パーティションの向こう側を示す。
VIPルームも満室盛況で、格子状の目隠しではっきりとは見えないが、他の顧客たちがそれぞれの美食を堪能している気配がうかがえる。
このエリア全体が、狂気に満たされているかのようだ。
「ふざけんな、ちゃんと材料を言え」
ぎりぎり顧客としての立場から要求するケート。
「申し上げたはずですが……おい」
背後を通りかかったギャルソンに指示を出すサガワ。
ギャルソンが、手にしていた皿のクロッシュを持ち上げると、そこには見た目もあきらかな、手の先。
手羽先ではない。手の先だ。
すれちがった別の顧客にぶつかり、ごろり、と転がってくる細長い「焼肉」の部位が、そのまま転がり落ちてサアヤの足元に転がる。
「ひっ……」
引きつった表情で身を引く一同。
マフユだけが不敵に笑う。
口の周りを脂でてらてらと光らせながら、床に転がった腕と握手して、持ち上げる。
「どこのだれだか知らねえが、味わってやんよ」
ばりっ、と腕の肉を食いちぎる。
むしゃむしゃと咀嚼し、嚥下する。
「ま、マフユ……」
さすがに言葉を失う同級生たち。
「いい味だぜ。さすがニンゲン、肉質がいいわ」
にたり、と笑うその表情は、悪魔以外の何物にも見えない。
──彼女に、タブーはない。
すべての犯罪、暴虐、禁忌が、唯一にしての鉄壁の論理によって支持される。
汝、好むところを為せ。
あらゆる行為が、否定されない。その後の責任を負うかどうかさえ、運だ。
殺したら当然、殺されるリスクをつねに背負う。
だが殺さなくても、殺されるリスクはゼロではない。
人は彼女を「ダーク」と呼ぶが、そう呼んで目を背け、自分たちとはちがう人、と切り捨てて終わり。そんな人間こそが、ある意味、危険である。
真実を透徹する意志と、勇気を持たなければならない。
そもそも、あらゆるグルメ番組で、肉を食う。
どうやったら美味になるか。考えて、育てる。無理やりに。
生かしたまま連れてくる。
寄生虫や病気に警戒しながら、運んでくる間に死なないように、餌を与える。
すべての生物を取り扱ったグルメ番組の対象を、人間に置き換えて見ればいい。
ぴちぴちと跳ねまわっているくらいの鮮度が重要ですよ。ほら、まだ動いてる。わー、鮮度抜群ですねー。
噛みちぎる。
ばくり、ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ、ごくん。
咀嚼する。悲鳴は聞こえない。むしろBGM。
捕らえ、食う。
生物としての基本だ。
この基本的行為を、あとは、どう表現するかだ。
人間が磨き上げてきた、他の生物を「食う」ことへの表現。
そのすべてに、立場を入れ替えて見る意志を持てばよい。
ここで執り行われている自然、食う食われるの関係、生物が脈々と受け継いできた伝統を、人間がどのように脚色してきたかがよくわかる。
サガワは笑い出す。
完全な狂気に満ちて。
「はははは! わかってるじゃないか。さあ食えよ、美味だ、好きだろ? うまいものを食うためなら、なんだってするよな?
どうやって焼けばいいか、蒸せばいいか、殺し方も大事だよな、肉の味を変えるんだろ? どうやって殺すか、どうやって殺すか!
美味を追及して殺してやったよ、安心の肉だ、安全だ、こいつは病気を持ってない、心行くまで賞味しろ、共食いの肉を!」
人間の心の微妙な部分を逆撫でる言辞。
サアヤが嗚咽し、吐瀉する。
これが真相なのに。
それをどう取り扱うかで、これほどまでに、人々の反応は変わってしまう。
おもしろい。弱い。くだらない。
突然、マフユの表情に怒りが湧き出す。
サアヤをいじめるのは許さない。
「ああ? だからどうした。てめえも食い尽くしてやんよ!」
噛み砕いた骨を床にたたきつけ、悪魔の力を帯びてマフユのナノマシンが起動する。
最初から、そうすべきだった。
そう、状況は明白なのだ。
すでに周囲は完全に「境界」に取り込まれ、目のまえに悪魔が立っている事実もまた揺るがない。
「彼女を出せ。そうでなければ、殺す!」
チューヤは悪魔相関プログラムを起動する。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
オーカス/邪神/31/紀元前/エトルリア/神統記/白金台
「やれやれ、乱暴な顧客だ。──餌になってもらおうか!」
正体を現す邪神。
戦闘開始だ。




