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その恰幅のいい男は、壮年の、おそらく50前後。
ほどよく焼けた皮膚と同じ色の着物をまとい、頭もほどよくハゲ散らかしている。
俗悪なヒゲと、ソースに薄汚れた口元。
品のない成金に、高級レストランに行かせるとこうなる、という典型に見える。
今夜、第三の男。
白、黒につづく、茶色のデブが、そこにいた。
中央からやや離れたテーブル席に、4人は集められた。
ギャルソンが無理やり持ってきた椅子に座らせられると、テーブルはもういっぱいだ。
とても全員が料理を楽しむという状況ではないが、もちろん呼んだ当人に、そんなつもりはさらさらないだろう。
「わしの名は北大路土産品。有名なグルメマンやで」
唾を飛ばしながら、下品な口調で宣う北大路。
「グルメマン……」
「ドサンピン……」
またしても俗悪なキャラが出現したな、と一日で出会うには多すぎる個性的な新キャラの登場に、一同はげんなりしている。
それでも、その単語に聞きおぼえがあった。
「北大路……? ああ、もしかしてお嬢をこの店に連れてきた、親戚のムッシュって」
ケートには、予備的な知見もあった。
「わしやがな、わしやがな。南小路家は、北大路家の影やよってな。わしが声かけたら、ミナミの小娘もすっとんできよるわい。がっはっは」
本当はどちらが影なのか、ここで追及している暇はない。
単刀直入に、話を進めるチューヤ。
「ここにいますよね、お嬢……ヒナノさん。会わせてもらえますか」
「なんでやねん。知らんがな。仮に知ってたとしてや、そんなことしたる義務、わしにはないやろ? それに、ここにおるなんて、だれが言うた? わしが知らん言うたら、それでしまいやんか」
「でも、知ってますよね」
めずらしく意固地に言い張るチューヤ。
しばらく、探り合うような視線を交わす。
やがて北大路は、いやらしく笑って言った。
「せやな、わしを楽しませてくれたら、ええで」
芋虫のような指をくねらせ、北大路は言った。
「どういうことですか」
ろくな予感がしないことにはもう慣れた、とばかりチューヤは率直に問う。
「料理勝負や! この北大路ドサンピンの名にかけて、わしをアッと言わせたら、おまえらの話、聞いたってもええで」
どう見ても味のわかる男には見えないが、ヒナノの証言にもあるとおり、その態度の悪さに反比例するように「最高の舌」を持つらしい。
ギャンブルならまだ「運」に頼って勝つ可能性もあるが、このような「グルメマン」を相手に味利き勝負をするのは、そうとう不利ではないだろうか──。
「いや、俺らそんなに料理に詳しくは……」
分のわるい戦いはなるべく避けたい、という本能に従うチューヤだが、
「安心せい。ちょっとした余興や。……おい、シェフにゆうてくれ。スペシャリテ・グランベース、頼むてな」
北大路は、もう勝手にはじめていた。
料理バトル、開始だ。
ギャルソンは眉根を寄せたが、すぐにかしこまって厨房へ向かった。
数分後、意外に早く出てきたのは、いわゆる給食の大食缶。
たっぷりとはいった、フランス自慢の魚介料理。
出てくるのも早いはずだ。
厨房でずっと煮込んでいた仕込み料理を、鍋のまま持ってきただけなのだから。
「ブイヤベース、寸胴ごと。正味5キロはあるやろ。制限時間は30分。もちろんひとりで食うてもらうで。ええか、残したら……」
ルールを決める北大路の言葉にかぶせるように、
「おい、さっさとはじめろ。腹が減ってしかたねえんだ」
すでに挑戦者として名乗りを上げ、料理のまえに座っているマフユ。
北大路は、きょとんとしてマフユを眺める。
まさか女が挑戦するとは。……ナメているのか?
一方、チューヤたちはすでに結末を知っているので、雑談を開始している。
「それでさー」
「あはは、まじー?」
「なんやねん、ああもう、スタートや!」
北大路が壁の時計を指して開始時間を告げた瞬間から、マフユの勝ちゲーがはじまる。
「しかし、変だな」
チューヤの言葉に、ケートが問い返す。
「どういうことだ?」
「ここ、この店さ。かぎりなく境界に近い雰囲気はあるけど、境界じゃない」
「……たしかに。全員、ふつーの……いや、多少ふつーではないかもしれんが、ぎりぎり人間のカテゴリにはいるみたいだな」
見まわすまでもなく、内面のナノマシンも、ここが現世であることを告げている。
チューヤとケートは、それぞれ店内を見まわしながら現状認識を共有していく。
「そうなんだよ。この感じは、悪魔が出てくるような感じじゃない。周囲の状況が、これだけ境界性を指向してるのに、まだここは、こちら側なんだ」
それは悪魔使いにとっても、全力の出せる環境ではないことを意味する。
「殴りつけて話を聞いたら犯罪になるってことか」
「境界なら合法っていうわけでもないだろうけど」
「境界の場合は無法だろ。あそこに守るべきルールなんかない。悪魔を見つけたらぶっ殺すだけだ」
「そういう考えはよくないぞ、ケート。悪魔はみんなが敵じゃない」
「ふん、悪魔に魅入られた男め。──で、勝負はついたのか、蛇よ」
ケートたちがテーブルに視線をもどしたとき、そこでは決着がついていた。
見るまでもなく、唖然とする北大路の目のまえで、テーブルに並んだ大食缶の中身ことごとく、マフユの胃袋に平らげられていた。
制限時間を10分も残して、完食──。
「げふっ。まあまあ食ったな。腹八分目ってことで、勘弁してやる」
平然と言い放ち、勝利宣言を受けるマフユ。
「それじゃ、約束どおり……」
やや腰を浮かすチューヤに向かって、
「ま、まだや! まだやで。3番勝負ゆうたやろ。シェフ、スペシャリテ・エピスもってこい」
わなわなとふるえる北大路。
往生際がわるいな、とでも思っているのか、やや眉根を寄せつつも注文を通すギャルソン。
まるで予想していたかのように、スムーズに運ばれてくるつぎなる料理。
それは、ごくふつうの皿に注がれた単品料理だった。
肉と野菜とクルトンの浮いたコンソメスープ。
唯一、おかしな部分があるとすれば。
──赤い。
「全部や。一滴でも残したら不合格やで。さあ、どいつや。だれが挑戦するんや?」
北大路の思惑が、徐々に理解されていく。
「それ、辛いの?」
問うたのはチューヤ。
「見ただけでわかるやろがい」
勝ち誇った表情で、椅子にふんぞり返る北大路。
──フランスは暑い地方ではないので、激辛料理というものは少ない。
だが、過去フランスにも激辛ブームというものがあった。
1600年代前後、貴族社会が華やかだったころのレシピが残っており、現代では考えられないようなスパイスの使い方をしていた、という。
たしかに、辛そうではある。
周囲に刺激臭も漂っており、おそらくチューヤごとき一般ピープルが口にすれば、床をのたうちまわる結果になりかねないのかもしれない。
が、当然のように椅子に座ったサアヤは、にこにこ笑って言った。
「もう食べていいですかあ?」
ぎくり、と北大路の背中が揺れた。
また女か。どうなっとるんや、こいつらは……。
「さっさと食うたらんかい、ええか、一滴でも残したら……」
北大路の言葉は、最後まで発されることはなかった。
殺人ソースと言われる「デクソース」を愛用しているサアヤである。
辛い、というよりも、痛い、調味料。
スペインとの国境に近いバスク地方では、エスペレット産のトウガラシが有名ではあるが、サアヤに言わせれば、
「これトウガラシ? パプリカでしょ」
ということになる。
そもそも辛い物が苦手なフランス人の出してくる辛さなど、たかが知れている。
「な、なんやて……」
北大路は、こぼれ落ちそうに眼球を見開き、平然とスープをすする女を見つめた。
「デクソースを生一本で飲む女だからな。辛さでサアヤを倒すのは無理だ」
デクソース。
世界で最も辛いソースと言われ、輸出禁止品目として国際的に取り締まりを受けている。
「ごちそうさまでしたー」
超激辛コンソメスープ、撃沈。
「ご苦労、サアヤ。うまかったか?」
「うーん、そうだねー。まあまあかな? ほら、お嘗め」
サアヤは、さすがに皿までは嘗めなかったので、底に残っていたスープを指ですくい、チューヤに差し出した。
一瞬、躊躇したチューヤの横から、ケートが顔を出し、
「いいか?」
「うん、どうぞ」
ケートのほうに指を向けなおすサアヤ。
その赤く染まった指を、たっぷりとねぶりあげてやるぜ……と、いやらしい笑みを浮かべて舌を出したつぎの瞬間、
「うぎゃぁあぁあぁーっ」
ごろごろと床を転げまわる。
「……バカなやつだ」
ケートの思惑は察するものの、サアヤのポテンシャルに対する洞察が甘すぎる。
「もう、ケーたんたら、大げさだなあ」
平然と言い放つ、この女、辛女王。
「さて、観念してもらっていいかな? うちの女子は、ほんとつえーから」
当人は特段なにもしていないのだが、余裕の笑みでチューヤが言った。
「ま、待て。待ってくれ。3番勝負ゆうたやろ。3連勝してこそ、ほんまもんやで。さあ、やったらんかい。ラストや。スペシャリテ、エトランゼ。これで、しまいや!」
最後の悪あがき。
北大路の指示で、厨房のほうにやや混乱らしきものが広がった。
チューヤは、すこしいやな予感をおぼえた。
この流れだと、つぎは自分かケートが食べなければならないのではないか?
そもそも、お嬢を助けるために、ケートやマフユの協力を得ようという考えには、やや無理があるような気もする。
彼らは、お嬢と「仲がいい」とは言えないからだ。
チューヤの予感は、的中した──。
でん、とテーブルのうえに乗せられたのは、木。
「……あの、なんなんすか」
驚きを通り越して、やや呆けるチューヤ。
「おい、おっさん。ふざけてんのか。木だろ、これ」
さすがのマフユも、木は食えない。
「負けたくないからって、これはないよねー。ちゃんと食べ物を出してくんないとー」
サアヤも正論で支持する。
そんな非難囂々に対して、北大路は意固地に言い放つ。
「あほたれ、ちゃんと食いもんやがな。いくらわしかて、そのへんのルールは守るわ。よう見い。その木のなかには、ちゃあんと世にも珍味な食いもんが、うごめいとるやんけ!」
うごめいている。
一同、ショックを受けた。
これは、よもや。
悪食の代表格、世界のゲテモノ料理(?)。
ギャルソンは丁寧に頭を下げ、皿の上の濡れた丸木を指して言った。
「アマゾンの珍味、新鮮なフナクイムシを生で。ご賞味あれ」
「アマゾンて! フランスは? フランス関係なくなっちゃった!」
シンプルに突っ込むチューヤ。
「フランス料理縛りなんて、約束してへんがな。なんならブルーチーズ添えたってもええで。ええから食えや、あ? つぎはどこの坊ちゃんが楽しませてくれるんや?」
北大路は傲然として取りつく島もない。
助けを求めるように、チューヤの視線が泳いでマフユに注がれる。
もちろん彼女なら平気で食うところだが、さすがに先刻までで、
「消化中だ、この野郎。てめー男だろ、たまには食え」
どうやら協力は得られそうになかった。
「マフユ、さっき腹八分目いうてたやん!」
チューヤは埒もない苦言を呈するが。
「時間が経つと腹は膨れるんだよ」
「満腹中枢にようやく情報が届いたんだ、フユっち、よかったね!」
「おう、サンキュー、サアヤ!」
パン、と手を打ち鳴らす女子たち。
ぽんぽん、とチューヤの肩をたたくケート。
「しかたないな。ここはチューヤ、おまえが男を見せるしかない」
「はああ!? ちょっとケート、ジャンケンしようよ、ジャンケン!」
「お断りだ」
こちらも取りつく島がない。
「お嬢のためだもの……」
結局、この道を選択したわが身を呪うしかない。
チューヤはテーブルにつき、静かに「木」を見つめる。
この、なかに。
フナクイムシを食べる習慣は、アマゾンはもちろん、タイやフィリピン、その他の離島などにもみられる。
その醜悪さに反し、東南アジアでは貴重な栄養源として、珍重されている。
フナクイムシは、ほどよく朽ちて柔らかい流木を好む。
いい流木であれば、そこがフナクイムシにとって終の棲家ともなる。
ナタで割ると、彼らの「家」が見えてくる。
内部は、フナクイムシの空けたトンネルだらけだ。
あとはチューヤが、あらかじめ割られている木を開くだけ。
意を決し、ふたつに割る。
「…………」
顔面から血の気が引く。
なぜだ。
なぜ、人はこのようなものを食う?
デローン、とピンクに近い白色の細長い生物、フナクイムシ。
助けを求めるようにふりかえるチューヤの視線の先、3人の友人は彼に背を向けて、なにやら関係のない歓談に花を咲かせている……。
あきらめて、テーブルに向き直るチューヤ。
想像以上に、でかい。
親指より太く、肘から手首くらいまである。
しかもそれが、動いている。
ぶよぶよと、生きている。
だれも助けてはくれない。
チューヤは割り箸を使い、それをつかむ。
いやがるようにうごめくフナクイムシ。
こっちもいやなんだよ、と思いながら引っ張る。
すると、その先にはさらに想像を超えたモンスター。
身体の前端には謎の球体。後端には謎のツノが2本。
ボディには食べかけの木と泥が詰まり、黒い筋になっている。
「腹の中身は取り出してもええで。ちゅうか、それまで食うたら安全は保証せんけどな」
かっかっか、と笑う北大路。
食べ物であるかぎり、それ自体を食べても安全である。
しかし、その食べ物が食べて消化中のものの安全性までは、わからない。
「料理じゃないですよね、これ。せめて中身を取り出してもらって……」
「さて、5分もあればじゅうぶんやろ? はよ完食せんと、夜が明けてまうで」
にやにやと笑う北大路。
ようやくゲームとして楽しめることに、心からうれしそうだ。
これまで、わけのわからん女たちにコケにされてきたが、どうやらこのガキはヘタレのようだ。
そう見られている、とチューヤも理解した。
ここは気合を示さずにはおられない。
──「ムシ」とは言い条、この生き物、じつは「貝」である。
端の丸い部分をよく見れば、たしかに二枚貝の特徴を示している。
「食べ方は?」
「なんや、知らんのか」
「知るわけないでしょ!」
「しゃーないな。腹の中身を指でしごきだして、あとはそこのフィンガーボウルで軽く洗うて、生で食うのがいっちゃんうまいで!」
ほんとうにこの人、食べたことがあるんだろうな?
そんな疑問をおぼえつつ、ここまできたら、やるしかない。
言われたとおりに作業するチューヤ。
まさかフィンガーボウルも、こんなことに使われようなどとは夢にも思うまい。
苦しげにのたうつフナクイムシ。
下ごしらえは10秒で完了した。
意を決して、すする。
ちゅるるるっ。
はむはむはむ。
ごくん。
シコシコとした歯ごたえ。口のなかに広がる、濃厚なアミノ酸。
たしかにこれは「貝」の味だ。
事実、味はなかなかうまい。
しかし彼自身、そんなものに注意を向けられるほど冷静ではいられなかったことが、むしろ幸いした。
死にそうな顔で食べたことにより、北大路の溜飲も下がったようだ。
「よっしゃ、認めたろ。……おい、こいつらメンバーシップエリアに連れてってんか」
頭を下げるギャルソン。
店の奥の扉が、開かれた──。




