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 あらためて、こんどは蛭子の側が用意したコインで、同じゲームが行なわれる。


「ちょっと、じいさん。いくらなんでも、あんたがコイン用意して、ケートにコールさせて、そのあとあんたがコイン回転させるって、そりゃないでしょ!」


 チューヤは憤慨したが、蛭子はどこ吹く風だ。


「知ったことか。そこの小僧が言い出したことだ」


 ケートは黙って、蛭子の顔を見つめている。

 ケートのコールを待つ蛭子に向けて、チューヤはやや声を荒げる。


「だって、そんなの公平じゃないでしょ!」


 蛭子の瞬間湯沸かし器が沸騰した。


「公平なんてクソ食らえだ!」


 偶然は、公平ではない。

 世の中のおバカさんたちはなかなか気づかないが、賢い子どもたちは、すぐに気づく。


 ()()()()()()ブランコに乗る人を決めるより、()()()()()()()乗ることが「公平」なのだと。


 蛭子のような人間の脳は、そんな公平を認めない。

 世の中は、不公平に塗り固められている。


「そう、偶然性に賭けるだけだ」


 ケートは()()()()()の目で、言った。

 ある子どもが選ばれたら、つぎの日には別の子が選ばれる、とはかぎらない。

 特定の子ばかりが選ばれる、という不公平がつづく可能性がつねにある。

 いや、むしろ不公平な選択を引き起こす道具こそが、ランダマイザ(くじびきなどの概念機械)なのである。


 非常に長い期間、ランダムに選びつづければ、確率は収束する。

 大人ならば、この説明を聞かされて納得するかもしれない。だが、選ばれなかった子どもにとって、そのくじ引きは非常に不公平なものでありつづける。


 偶然に頼っていいのは、下すべき決断がとるに足らないものである場合か、まずは選ぶ労力から省いたほうが効率がいい二者択一のような場合だけだ。

 そうでなければ、論理的に考え、話し合ったうえで、納得のいく答えを選んだほうが良い。


 それを承知のうえで、ケートはこの道を選んだ。

 その意図は、奈辺にあるのか。


「裏だ、さっさとまわせ」


 にたあ、と笑う蛭子。

 もったいつけたように指をテーブルのうえに置き、非常にゆっくりと、弾いた。


「あーっ、きったね、なんかずっり!」


 声を荒げるチューヤ。

 ケートの表情は変わらない。むしろ清々として言い放つ。


「昔からクズなんだよ、この手の連中は」


 ──賭博における運のメカニズムに言及した最古の文献として知られるのは、おそらく『リグ・ヴェーダ』だ。

 ギャンブルに取り憑かれたために幸せな家庭を壊し、献身的な妻を失った男のモノローグ「賭博師の歌」。

 彼は自分の不幸が、ツキのなさのせいであり、運命や神にその責任を求めている。


 何千年も昔から、そういうクズが存在することは事実で、しかもそのクズどもが一定の熱量をもって、巨大な歯車をまわしているとしたら、無視するわけにもいかない。

 古代インドにも多数のゲームがあって、人々はそれになにかを賭け、その結果に一喜一憂していた。

 『マハーバーラタ』には、多くのギャンブル・エピソードが載っている。


 この手のギャンブルと、「占い」は、ほとんど表裏一体のものだ。

 占いに頼ってここまでやってきたとしたら、その延長線で賭けをするのは、ほとんど必然のようにも思える。


「人間の意志、知能、技術を排除するような、単純なメカニズムに運命を委ねるなんてことが、あっていいと思うか?」


 理性と叡智の塊のようなケートの言葉に、目先の暗い大人の多くが恥じ入る。

 それでも神意を問うことは、時には必要なのだ。


 しゃりん、しゃりん、しゃららら……。

 コインは決断して、ひとつの確率へと収束する。


「見ろ、チューヤ。これが不確定性原理だ」


「神はサイコロを振らない、ってやつだよな、ケート」


 偶然は、数学に委ねられる、とチューヤは信じたい。


「神がサイコロを振るかどうかを、人間が決めるべきではない、だ」


 ケートの言葉が終わらぬうち、あきらかとなった結果に手を伸ばし、蛭子が自分の勝利を宣言しようとした──瞬間。


 ガシャン、カン……!


 乾いた音を立てて、コインが弾け飛んだ。

 全員、なにが起こったかわからない。


 だれの力も作用していない。

 ただ、どこかから飛んできた破片によって、コインが弾き飛ばされたのだ。


 一同の視線が、最初の「ガシャン」のほうに集まる。

 全員から距離のある壁の一面の棚に置かれていた石器が落下し、割れた小さな剥片が偶然にテーブルのうえに飛び、結果を弾き飛ばしたのだ、と理解する。


 ──なんだ、この展開は。

 圧倒的な確率だが、現に起こった。

 そしてそれは、確実にひとつ別の流れをつくった。

 いまいましげに壁を見つめる蛭子。


「しつこい連中め、まだウジウジとまとわりつくかよ」


 恨みの声が返ってくる。

 弥生式土器にまぎれた、縄文式土器たちのなかからも。


「どういうことだ、チビ」


 マフユの問いに、ケートはつまらなそうに返す。


「あのじじいには、因縁がまとわりつきすぎていたんだよ。サラスヴァティが、それを川の流れにまとめ上げるまでに、ちょっと時間がかかった」


 一方、チューヤは蛭子のまえに進み、コインを弾いたものの正体を拾い上げる。


「これは、珪質頁岩(けつがん)みたいだな」


 いぶかしげに目を向ける蛭子。


「めずらしい言葉を知っているじゃないか。何者だ?」


「秋田のじいちゃんのところに、よく行ってて。そこで夏休み、たまには鉄道以外の自由研究もしろって、連れて行かれたんだよね」


 縄文鉱山、上岩川遺跡群。

 秋田の北部にあり、奥羽本線の鹿渡から東へ向かうと、発掘現場にたどり着く。

 内陸の大館市池内のほうにも遺跡は広がっているが、発掘される頁岩は沿岸部からのものが多い。大館の山の幸と、上岩川の海の幸や石器が交換されていたのだろう。

 ここでは良質の珪質頁岩が採掘され、日本の長い石器時代を支えていた。


山家やまがすえか。負け犬の賤民が」


 吐き捨てる蛭子のうえに、怨念の影が徐々に渦巻き、まとわりつく。

 もちろん秋田だけでなく、長野や北海道にも良質の黒曜石、サムカイトの産出地があった。

 5500年まえ、縄文海進期。気候が温暖化し、定住が進む。

 そのころから蓄積された怨念だとしたら、たしかに累積度合いはすさまじかろう。


「どのへんから察した、チューヤ?」


 ケートの問いに、チューヤはふりかえって答える。


「いや、正直まだちゃんと察してはいない。ただ、あそこに秋田の黒又山があった。じいちゃんの国だぜ。その山から流れ出る川を、おまえのガーディアンが手繰っていた」


 チューヤの指さす先、落下した石器の置いてあった場所には、発掘場所である黒又山の写真が立ててある。

 秋田県鹿角市黒又山。

 縄文のピラミッドとも言われ、通称はクロマンタ。

 春と秋には集落の総代が集まって酒盛りをする、神秘的な山。

 アイヌ語でクロマンタは、クルマクタキシタだ。


「そうかよ、薄汚れた縄文の血が、まだそんなに滴ってくるかよ」


 いまいましげに吐き捨てる蛭子。

 秋田の血を受け継いでいるチューヤは、反応せざるを得ない。


「あいつも、ミシャグジさまの敵ってことか。考えてみりゃ、そうだよな。しかし秋田まで広がっていたとは、全国の遺跡を調査せにゃならんな」


 ここにリョージがいたら、また別の展開になっていたかもしれない。

 リョージもチューヤも、基本的には縄文の血を受け継いでいる。

 そこに、弥生時代にはいってきた人々は、先に住んでいた人々をときに駆逐し、ときに混血しながら、現在の日本人へと至る流れをつくった。


 冷静に見れば、どちらにも、両方からの流れが受け継がれている。

 ただ、その多い少ないはあるだろう。


「遺跡もカバーしているのか。キミの趣味は、ほんとうに年寄りじみているな」


 あきれたような物言いのケートに、チューヤは弁解口調で、


「遺跡は趣味じゃねーよ! たまたまじーちゃんに連れてってもらったってだけ」


「どうせなら三内丸山遺跡とか行けよ。それならボクでも知ってる」


 国指定特別史跡・三内丸山遺跡。縄文時代の住居跡が無数に出土し、その規模と知名度は圧倒的だ。


「青森の超有名なとこね! ごめんね秋田マイナーで!」


 三内丸山遺跡を解説するサイトは膨大だが、秋田の遺跡はあまり知られていない。


「いや、ストーンサークルがあるだろ、秋田には」


 そういえば、と思い出すケート。

 月刊『ヌー』が大好きなネタで、怪しげな環状列石を取り扱った全力特集によると、そこは宇宙人の基地で、シャーマンの霊が集まり、磁力エネルギーの電池として働いているらしい。


「ああ、大湯環状列石だっけ。鹿角にあるね。秋田からだと奥羽本線で大館まで出てから、十和田湖八幡平色彩ラインで十和田南まで行って、そこから……」


「どうでもいいんだよ、クソ野郎ども」


 と、そこでマフユが足を踏み出し、めずらしくまともなことを言った。

 状況が、動き出す。



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