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29 : Day -49 : Higashi-Jūjō


 端緒は怪しげな連想だった。

 『デビル豪』のデータが示す、北綾瀬の支配悪魔はリリス。


 その扉をこじ開ける方法にツテがあるとすれば、リリスの娘であるリリムたち。

 彼女は「お店で待っている」と言った。

 もちろん真昼間、お店が営業しているとは思えないし、営業していたとしても一介の高校生が行ける店ではないこともわかっている。


 だが、いまは時間がない。

 リリムの支配する駅は、東十条だ。


 チューヤはJRの車体に揺られ、そのフレームに耳をそっと押し当てる。

 赤羽から東十条へ向かう短い時間すら、楽しむことに余念がない。


「音はいいね。リリムの生み出した宝だよ」


 とテツが言ったら、イヤホンでクラシックでも聞いているのかな、などと考えてはいけない。

 彼が聞いているのは、電車そのものが発する音だ。

 チューヤの脳裏を、かつて乗った宮ウラ52編成がよぎる。

 21運用、0番台は、いまは昔。


「最近、落ち着いて聞いてやれなくて、ごめんな」


 埒もない言葉をぶつぶつ漏らしているチューヤから、もちろん周辺の人々は距離をとる。

 車両自体が放つモーター音、インバーター音はもちろん、車輪が線路のつなぎ目を乗り越えるジョイント音、パンタグラフが空気を切り裂く風切り音まで、ふつうの人にはただの騒音に過ぎないものが、テツにとっては至高の旋律になる。


 旧式の車両が出す「つりかけ式」のモーター音は大人気だ。

 人前で突然、妙な声で唸りだす男がいたら、そっと目を背けよう。

 彼はただ、古いモーターの駆動音に洗脳されてしまっただけなのだ。


 もちろん最近では、VVVFインバータの音のちがいを楽しむことが主流ではあるだろう。

 彼らは微妙な型式のちがいを、瞬時に聞き分け、再現することができる。


 ロングレールが増えたおかげで、ジョイント音を楽しむ機会も減った。

 それでも、列車のスピードやカーブのカント、高架や地下、天気の具合などで、微妙に音が異なる。

 これを楽しまない手はない。


「音だけで、いまどこを走っているのかわかるよ……」


 そんな恍惚の傍白を破るように、


「東十条ォ~」


 赤羽から東十条までの所要時間は、2分だ。

 そもそも乗る必要さえない距離であるが、乗りテツが電車に乗る機会を逃すはずがない。

 名残惜しげに電車を降り、チューヤは周囲を見まわした。


 ──東十条、通称「ヒガジュウ」。

 一般の人間には、ほとんどなじみのない駅だが、もちろんテツ、チューヤにとっては常連の場所だ。

 彼は「撮り鉄」ではないので、絶好の鉄道写真スポットである東十条にくることは、比較的少なくはある。

 それでも、よく見る写真の多くがここで撮影されている事実を、知らずにはおられない。


「ほほう、このアングルか……」


 つぶやきながら、2面の島式ホームをひとわたり見わたす。

 地上駅の空気の流れに、電車を感じながら歩く。

 ひさしぶりにホームの端から魔法陣を展開、黄色い線の内側を歩いて手つづきを進め、境界への扉を開く。


 怪しげな高校生が、駅のホームを端から端まで歩いている……。

 その瞬間、彼の姿は現世から掻き消えた。




「しゃーせー」


 いやらしい響きしかない女の淫靡な声で迎えられる。

 開かれた魔法陣の向こう側、姿を現す夜の淫魔に、最初から飲まれがちの童貞チューヤ。


「しゃ……? あ、ああ。いらっしゃいませか」


「のんのん、しゃー、せー?」


 ぺろり、と唇の周りをなめる、まさに「女」。

 リリムとあまり長く会話するのは、気が進まない。

 レベル的には取り扱える相手なので、ナカマになってくれないかと交渉してみる。


 石神井での話を切り出すと、ああ、あんときの少年かー、とひとしきり盛り上がる。

 所持金やエキゾタイトと相談しつつ、同意を得て支払いを済ませてから、本題にはいる。


「で、北綾瀬の母の店に行きたいんだが」


 手短に事情を説明すると、リリムは顎に手を当てて考え込んだ。


「そっか。あの店は基本、夜しかやってないから。よっぽどの人が紹介か予約すれば、昼間も見てもらえるけどね。昼間は不機嫌だよ、ママ」


 その存在感が、希薄になっていく。

 支配駅の悪魔と交渉を済ませれば、あとは境界を抜けるだけだ。


「わかった、また夜に行ってみよう。そのときは口利き頼む」


 現世にもどれば、もう悪魔を見ることはできない。

 ゆるやかに、自分の世界にもどるチューヤ。

 いつも、このくらいスムーズに話が進んでくれると助かるのだが……。



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