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そこは、ある意味、チューヤのパラダイスだった。
「か、貨物だ! 地下貨物ステーションだ!」
チューヤは両手を広げ、大仰に声を張り上げた。
左右に掘り抜かれた坑道から、運び出されてくるエキタンの山が、中心方向に向かう通路の途中で適宜、積み替えられている。
まさに一昔前の鉱山を彷彿とさせた。
「あ、あれはホキ10000形? なんで、こんなところ走ってるんだ」
チューヤの注目するところは、一般人とはちょっとちがう。
「なんでだろうね、こんな地下に貨物が走ってるとか?」
一般的な視点は、もちろん地下の貨物線が意味する大局だ。
「あの編成は日本にはほとんど残っていない、石炭貨物だぞ」
チューヤは輝く目で、いまは希少となった貨物車両をガン見する。
──戦前から戦後1960年ころまで、日本のエネルギー需要の多くを支えていた「黒いダイヤ」石炭。
圧倒的な物量で日本各地へと運んでいたこの石炭列車は、もちろんご多分に漏れず、エネルギー革命のなかで主役の座を交代し、現在、列車によって石炭を運ぶ、という需要はほぼなくなっている。
そんななか、北海道の石炭用私鉄を除けば、日本で唯一、川崎から熊谷まで石炭を運んでいるのがこの編成。
「オホキ10222石炭専用……俺の貨物を、日本を支える貨車を、こんな用途に……!」
怒りの表情のチューヤ。
サアヤは軽く肩をすくめ、
「怒るポイントがだいぶズレてる気はするけど……まあ許せないよね」
鶴見線扇町駅から埼玉県熊谷のセメント工場まで、1日1本、現役で運行している。
本来、23区内には乗り入れない石炭専用5783レが、DE10のエキゾーストを響かせて走る。
路面はおそらく貨物線用規格の高強度。ふいにエンジン音が静かになる。
「……制限45、ヨォシ」
ノッチオフの理由を察し、指差喚呼するチューヤ。
列車の速度なら、一瞬見ただけでだいたいわかる。
「そういうのいいから。隠れて、見つかるよ」
サアヤに引っ張られながらも見上げた、DE10の運転席を見て、ぎくりとふるえた。
「じいちゃん……」
その完璧なダイヤは、死人が支えている──。
貨物は入換線にはいり、停車している。
すでに牽引車であるDE10の姿はなく、EF65がゆっくりと入線してくる。
「どうなってんの、チューヤ」
「EF65は国鉄が1965年に開発した直流用の電気機関車だよ。つまりここから先は、すくなくとも入換までは電化区間しか走らない」
「あんたに訊いた私がバカだったよ」
チューヤはもうEF65しか見ていない。
彼は客車ももちろん好きだが、貨物はもっと好きだ。
幼児期、秋田で祖父に乗せてもらった牽引機の振動、におい、雄姿が脳裏にこびりついていて、いまも見ているだけで心が揺さぶられる。
「ナイス貨車!」
「貨車って性格わるいけどね」
「それイギリスだけ! それも一部の!」
ひとしきり顔のついた機関車の話で盛り上がるバカ夫婦。
一方、リョージはまじめな顔で、この地下に穿たれた不自然な鉄路について考える。
「どうやら、新宿渋谷を縦横に結ぶ地下鉄が建設中らしいな。池袋・新宿・渋谷のへんを縦に走らせ、拠点駅からは横に掘り進んでいるみたいだ。……オヤジ、こんな仕事してんのかよ」
もし異界の工事にまでかかわっているとすれば、悪魔たちはそうとう現世に食い込んでいる。
「労働争議しろよ、リョージ! そもそも地下でディーゼルとか、どういう了見だ?」
「きっと異界の労働条件は、こっち側ほど厳しく規制されてないんだね」
「そういう問題じゃねーけど、これはこれで、順路の可能性もあんな」
リョージの言葉の深みを察したのは、ヒナノだった。
「……あなたは、人類の未来を、どうするつもりなのですか?」
彼女は、なにかとても壮大な、ちょっと現実味のない、しかし大切な、大きな問いを投げた。
「いやー人類なんて、俺ごとき者の口からは……」
「おまえごとき者に訊いてねーってよ、ヒナノンは!」
夫婦漫才を無視して、見つめ合うリョージとヒナノ。
カオスとライトの間に刻まれる懸崖は、どれほど深いのか。
「わたくしの神は、理想とされる千年王国に、わたくしたちを連れて行ってくださると聞きます」
「信じるのかい?」
問い返すリョージ。
まっすぐに見つめ返すヒナノ。
「信仰の告白は、いつもしています。わたくしは付き従うでしょう」
「そうか。オレは……そうだな、お嬢の目指す未来とは、ちょっとちがうかもしれない」
静かな一瞬に、凝縮する思想の結晶。
「……人類を、帝都に隔離するのですね?」
ヒナノの穿った真相を、リョージは意想外に爽やかな笑みで受け止めた。
「その他の地域は全部、生き物たちに返そうや」
──それが、新しいカオスの理論。
多様性こそが混沌の本質であり、同一平面上に多様な生き物が暮らす状態こそ、望ましい。
大地に根差して生きることを選んだ生物たちは、異端と化した人類をみずからのつくったバベルの塔に閉じ込め、外に出てこないでほしいと言った。
──対するコスモスの理論は、そんな「エセ自然主義」を認めない。
人類は秩序をもって、ただひたすらに突き進むべきだ。
多様性など要らない、さまざまな雑音は駆逐され、秩序のピラミッド構造に組み入れられた「効率の世界」を目指すことが、人類に課せられた究極の使命。
そうして突き詰めた科学的思考を推戴した世界政府、nWoがある。
新しいカオスとコスモスの対立構図は、未来への道のりのちがいにすぎない。
大きな見方をするとむずかしいが、やることはシンプルだ。
「限界集落が、叫ばれてますけど」
チューヤの指摘に対するリョージ回答が、すべてを象徴している。
「滅ぼしちまえよ、そんなもん。もともとその場所は、人間のもんじゃねえんだ。全部、動物たちに返してやれよ。
じゅうぶんに進歩した人間ってやつは、帝都に集まって暮らせばいいだろ? それで人間が死ぬわけじゃない、むしろ都合よく安楽に暮らせる。他の生物の領域と可能性を奪ってまで、地方に、地球全体に、人類が拡散する理由は、もうないんだよ」
この話で、ケートとリョージがだいぶ盛り上がり、ヒートアップした議論の果てに喧嘩広場へ向かった、という可能性もある。
表向きは、ウサギとカメのかけっくらの話になっているが。
「ケート、言ってたな。支配できるなら、全部、同じ色に染めたほうが効率がいいって」
「あいつらしいよ。殴りたくなるだろ?」
「お互い、そうみたいね……」
まさか同級生たちが、そのような高次元な理由で喧嘩していたとは、パンピーのチューヤにもは思いも及ばなかった。
リョージは肩をすくめ、
「あいつ、ふざけたこと言ってやがったぜ。多様性が必要なら、人類がつくりだしてやればいい、箱庭で、とかな」
「新しい生物をつくりだす技術を、人類はすでにもっていますからね。忌まわしい話です」
リョージにとって、自然から離れた人為的「秩序ある」進化は否定されるべきもの。
同時にヒナノにとっても、それは神への冒瀆にあたる。
「都合のいい生物だけをつくりつづけて、整然とした秩序とやらを、新しくつくりなおせばいいんだってよ。──そんなんでいいと思うか?」
「違和感はあるね。私はリョーちんの側かも」
サアヤは言って、すこしだけリョージに近づく。
「だからって限界集落なんざ消えちまえ、って話だと、牧歌的な地方鉄道を旅することもできなくなっちゃうからなあ」
鉄道がなくなるという選択肢については、異論反論を燃え立たせるのがチューヤだ。
「神による秩序が、どちらの状態を志向するのか、わたくしには即答できかねます」
人類のつくった秩序で良しとするのか、神の創りたもうた自然のままを前提とした秩序であるのか、神学機構における答えはわからない。
「いつか、だれかが決めるのかもしんないね」
悠長な物言いのチューヤは、ここで同級生たちの冷たい視線を受けた。
「わたくしはもう、決めましたが」
「オレもだ。そして、この国も」
交錯するリョージとヒナノの視線。
ぼやっとしているチューヤたちバカ夫婦のはるか上を、人類の属性を決める思想たちは舞っている。
すくなくとも政府は、東京への一極集中を選んで、それを支えるインフラをつくり、川の手線からなにから、東京を新しい状態に変えようと動いている。
この道は、リョージの属するカオスルートに乗っている。
「ゼネコンばかりが潤う利権構造ですね」
「反対のやつがいることは、わかってる。どっちにしても、ケートは言ってたぜ」
──先送りには、もうしない。
それは、われわれが決めるのだ。
愚かな昔の世代が、自分の世代で吸えるだけの蜜を吸い、吸い殻の後始末を先送りにしてきた未来に、いま、われわれは住んでいる。
ならば、決めよう。否、決めなければならない。
人類の未来を、選ぶのだ。
nWoらしい物言いだが、本質をついている。
ぞくり、とチューヤは全身がふるえるのを感じた。
たいへんな話だ。ここでは大変な話をしている。なにより問題は、事実、この大変な話が世界中を満たして、同時進行していることだ。
世界の行く末は、だれが決めるのか──。




