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「まえにさ、チューヤ言ってたじゃん、その力は、母親を殺した呪われた力だ、って」
ピクシーは言ってから、あ、こっちのチューヤじゃなかった、と自分の頭をたたいてテヘペロしたが、こっちのチューヤにもその言葉に思い当たる部分がないわけではなかった。
事情を知る幼馴染のサアヤも、その言葉が出たとき、心配そうにチューヤを見つめた。
当人は、とっくに乗り越えていると言っているし、じっさいそうなのかもしれないが。
「母親を、殺した力……?」
あちら側のことはまだわからないが、すくなくともこちら側のチューヤは、父子家庭に育った。
だからサアヤの母親が、幼いころからチューヤの母親代わりになって、彼らは兄弟のように育てられた。
むしろ父親の役さえ、サアヤの父親が代行していたような感がある。
チューヤの母は、息子を生むために死んだ。
産褥による死は、昔はありふれていたが、現在もなくなったわけではない。
そうして妻を失ったチューヤの父は、かつてない仕事の鬼となり、子育ての全部を放棄した。
本気で施設に預けようとした父親を、隣家のサアヤの両親が懸命に止めたのだ、と聞いている。
当時、警視庁捜査一課に所属していた「鬼」刑事にとって、自分の息子は、愛する妻を殺した犯人だった。
殺人課の刑事として、しばしばやりすぎを指摘される極端な性質の父親は、人殺しを決して許さない。
だから、あの父親は俺を心から憎んでいるんだ、とチューヤはいまも思っている。
もちろん周囲の人間は、そんなことはない、ただ悲しみを忘れたいだけ、息子の顔を見ていると奥さんのことを思い出してしまうから、とそれらしい説明は聞いている。
そうなのかもしれないが、そうではないかもしれない。
なによりチューヤ自身、ずっと覚悟はしている。
オヤジは、オフクロを殺した自分に、いつか復讐するだろう、と。
「だからね、あたしは言ってやったのよ。お母さんは、それでもあんたを産んだ。その力が、あんたの役に立つってわかってたからだよ、って。
子どもが生きやすくなるために、お母さんは自分の命を懸けたんだ。そうやって産んでもらった以上、その力、ちゃんと使わなくてどうするの? 感謝して、最大限に使いこなすことこそが、あんたの義務じゃない? ってさ」
ピクシーが、むこう側のチューヤに言った言葉が、こちら側でも適用された瞬間だった。
チューヤは、どこか居心地のわるい思いを抱きながら、やや弱々しい声で、
「だから、その力ってのはよ」
「ああ、そこからだっけ。自分のナノマシンに聞けばわかるけどさ、チューヤの同時召喚枠、4つあるでしょ?」
「驚くべきことだぞ、それは」
ピクシーの言葉に重ねて、ケットシーがその意味することの重要性を指摘する。
「……ああ、4体を同時に召喚できるってことだよな。だから?」
ピクシーはやれやれと肩をすくめ、
「バカちんだな。ふつうはね、人間が悪魔を召喚しようとしても、たいていは1体までなのよ。安全装置が働いちゃって、それ以上は呼び出せない。数えきれないほどの同胞を、無理な召喚の結果に食い殺されて、ようやく人間たちもその事実に気づいたってわけ」
「強すぎる悪魔を召喚できないようにリミッターがかかるのは聞いたが」
「複数でも同じこと。いえ、より根源的な理由で、複数召喚は困難とされている。
魔術的な方法で、2体までは普通の悪魔使いでも呼び出せはする。人間は染色体を一対、持っているおかげだね。
父親と母親から受け継いだ魂を、両親の名において悪魔に捧げることで、2体の悪魔を使役できる。悪魔は魂を対価に取り憑くって基本だから、覚えといて」
「魂なんて、だれでもひとつだろ」
「そう。人間の持ってる魂は、ひとつ。それを取り扱う魔術的な方法っていうのが、染色体を魂に見立てるってことなわけ。
さらに訓練を積むことで疑似的な魂をでっちあげたり、いろいろ裏技みたいな方法はあるらしいけど、精神は分裂するし、魂も消耗する。
自分の魂を売り払う覚悟で3体以上の召喚もできないわけじゃないけど、そんな無理したら、その場で肉体ごと食い散らかされるのがオチ。あんまりいいことないのよ、同時召喚なんて」
昔から、やたらに悪魔を召喚して自滅した人間の話というのは、枚挙にいとまがない。
その危険な行為を、より安全に実行してくれるのが、最新の悪魔相関プログラムであるという。
プログラムを組み込んだナノマシンは、人間が持っている染色体を利用して、XとY(もしくはX)に対応するプロトコルを組み立て、2体までの悪魔なら、とりあえず安全に運用できるように操作してくれることになっている、という。
言い換えれば、それ以上の使い方は許されていない。
「四倍体って、染色体のことか」
「最初から言ってるでしょ。ナノマシンはDNA、つまりゲノムにくっつくんだよ。で、四倍体の遺伝子を持つ人間にかぎっては、魂は1個のはずなのに、なぜか4個分の枠が確保できる、と判明した。生まれつき悪魔4体分のストック枠を持っていて、同時に4体まで使役できるって、ものすごい話なわけよ」
うなずくケットシーの言葉が、猫好きのチューヤにはいちばん説得力がある。
「吾輩も、その話を聞いたときは驚いたものだ。ふつうの人間では、どれだけ才能があっても、ドーピングしまくっても、なかなか達成できないことだからな。大事にせねばならぬぞ、ご主人。その才能を。それは、いわばオスの三毛猫のような存在であるからな」
三毛猫は遺伝子的に、メスにしか発現しない。ごくまれに生まれるオスの三毛猫は、その希少価値によって非常な高価で売買されるほどだ。
四倍体の人間も同じこと。そもそも生み出される確率が極端に低いのに加えて、仮に妊娠できても、ふつうは流産する。
「何度も言うけど、お母さんに感謝しなよ。たぶん自分の命を削って、あんたを産んだんだから。意地でも子どもだけは助けようとする母親の力って、ほんとすごいよ」
ちらっ、と視線を移すピクシー。
あそこにも、自分の子どもを守ろうとして死んだ母親が、ひとりいる。
言葉を失うチューヤ。
生まれたときに母親が死んだ理由について、突き詰めたことはあまりない。ただ周囲からは、運が悪かったんだと聞かされていた。
だが真相は、自分の遺伝子が悪かったせいで、母親は自分を産むのに苦労して、結局は死んだ。
そうだとすれば、この命は……。
「大事にしなよ。人は死んだら、生き返らないんだからね」
「死ね!」
刹那、空間を貫く一陣の衝撃波。
翼を引きむしられて、吹っ飛ぶピクシー。
悠長に話している時間は、もうない。
ナカマの吹き飛ばされた先を、ちらりとふりかえるチューヤ。
的が小さかったおかげで、致命傷ではないようだ。
サアヤが急いでピクシーに回復魔法をかけている。
腰を落とし、身構えるチューヤとケットシー。
目前には再び現れたボス、狂乱のセベク。
もう一度逃げることは……無理そうだ。
水際モードでワニらしく捕食していたセベクと、いまや両足で立ち上がり聖獣としての戦闘モードにはいったセベクは、別物。
すでに周囲は、ボスらしい結界で覆われている。
全員、そのことは理解した。だから……戦うしかない。
「自信を持って、チューヤ!」
「そうよチューヤ、よく言ってるでしょ、俺つえーって」
女たちの声援を背後から受け、チューヤは複雑な表情で苦虫をかみつぶす。
彼女は皮肉で言っているのか、それともよく理解していないだけなのか。
「俺TUEEEE! って設定の話を、たまに読むだけだ」
それは、じっさいの「俺」が強いわけではなく、異世界に行った俺が相対的になぜか強い立場にあり、俺はすげえんだ、と悦に入ることでカタルシスを得る、ひとつの現実逃避のパターンだ。
しばしば揶揄の対象にすらなる、ただの娯楽である。
「ここでは、チューヤつえーって設定なんだよ、ねえピクシー?」
「あー、そーいえば向こうのチューヤも言ってたね、俺つえーって。あはは」
ピクシーの乾いた笑いの意味を、チューヤは忖度しようとしてやめる。
あまりいい想像はできそうもない。
そういうジャンルは、たぶんどこの世界にもあって、多くの人が通過する厨二の勘ちがいには、嫌悪と同時に需要も根強い。
そしてじっさい、ほとんどの人間がフィクションだとわかっていて楽しんでいる。
現実に立ち向かうときには、言ってはいけない言葉、それが「俺つえー」。
「俺は強くねえ。そもそもほんとに強いやつは、自分のことをつえーなんて言わねえ」
現代日本の文化的歴史を踏襲するチューヤの見解は冷静だが、
「強いんだって、ピクシーも言ってたじゃん。それに俺つえーって、たまには実力が本物の人も言ってるし。そういう、ほんとに強い人になればいいだけだよ!」
どうやらサアヤは、語義を理解したうえで発破をかけているようだと察する。
「俺には実力なんか」
「そう、まだない。才能があるだけ。それも先天的な。お母さんが命を懸けて、あんたに遺してくれた」
ピクシーの声が、チューヤの心の柔らかいところを刺激する。
染色体異常。このために母は死んだ。
自分の命を選ばず、息子を助けることを選んで。
「母親」
チューヤの目が空中を泳ぎ、間近にあったひとつの死体のうえに落ちる。
母親ってなんだ?
目のまえで、子どもを助けるために死んだ、あれが母親。
息子を助けるために、悪魔に殺されて。
悪魔に……。
鬱勃として、心の奥から湧き上がってきた、怒り。
オヤジも俺に対して、こんな怒りを覚えたのかもしれない、と考え始めて慌てて首を振る。
悪魔が母親を殺したなら、母親を殺した悪魔も、殺されなければならない。
そういう考えには、同意する。これが「血」ってやつか、と自嘲する。
そしてチューヤは考えるのをやめ、怒りに任せることにした。
「許さねえ。絶対に、こんなこと、許されねえ……!」
憤怒とともにふりまわされた金属バットは、たしかにセベクを直撃する。
ふつうなら、正義の怒り(?)に満ちた攻撃は会心の一撃として、それなりに効果を発揮してくれるもの。
それが少年漫画に約束されたカタルシス。
だが現実は厳しい。
敵はあまりにも強く、硬い。
「危ない、ご主人!」
文字通り、電光石火に体当たりしてくれたケットシーのおかげで、虎口をしのぐチューヤ。
一撃必殺のセベクの攻撃が、ひりひりと生命を削り込んでくる感覚。
「がんばれチューヤ! 骨になるまえに拾ってやる!」
頼りがいのある幼馴染の声は、多少のダメージは回復させてやるからとっとと戦え、という意味だろうと理解する。
「つえーことはつえーはずだけど……まあチューヤの場合、同時に召喚できる枠が多いってだけで、それ以外の能力は一般ピーポーなんだよねぇ」
さらりと、大事なことを言うピクシー。
顔面をひくつかせ、叫ぶチューヤ。
「だから言っただろ! 俺はつェェくねェェんだ!」
悲しい現実に向き合う。
強いのに弱い、チューヤの奇妙な冒険が、こうしてはじまった。