21 : Day -50 : Meiji-jingumae‘Harajuku’
闇に満ちた空間を具体的に描け、と言われたら真っ先にこの「家」を提案したい。
チューヤは、そう思った。
一見、どこにでもありそうな、昭和を色濃く残す建売住宅が、彼らを待ち受けている。
「……どうも、戦闘って雰囲気じゃないな」
「内的葛藤の世界かもね」
言いえて妙だ。
この家は、悪魔と剣と魔法と銃弾をぶつけあうような戦闘とは、一線を画している。
ダダダダ……と、背後を走り抜ける白塗りの少年。
ア・ア・ア・ア……。
奇妙に耳障りな音が、耳朶を揺する。
「オレ苦手だわ、こういうの」
殴り合いで解決できない舞台は、そもそもリョージの肌に合わない。
「くだんねーな、くだんねー演出だよ、なにがホラーハウスだ、なあおい?」
ケートはリョージの腕をつかみながら、ややふるえ声で言った。
「臆病な……」
ヒナノは、男子が2名、手を取り合っているのを見て侮蔑的に言い放つ。
「お嬢は怖くないの? なんなら」
肩を貸すよ、などという妄言は、もちろんチューヤごときに発せるはずもない。
ア・ア・ア・ア……。
目のまえの急な階段の上から、ひどく沈鬱な、そして恨みがましい、邪悪な瘴気のような声が響いてくる。
「とっとと行けよチューヤ、おまえの嫁だろ」
「ちょっと蹴らないでよ! みんなで助けようよ!」
チューヤが前面に押し出される。
やおら階上から落ちてくる黒い霧。
息ができない。
「そーいやサアヤゆーてたな、穏田に怨念おんねん」
「言うてる場合か! げほげほっ」
むせかえり、のたうちまわる男子一同を見下ろしつつ、ヒナノは呼吸を止め、冷静にガーディアンを使役する。
「うなー?」
出現したオセが、冗談めかしくヒナノを見下ろす。
バンシーのころから、ヒナノは「呪い」に接し、その扱い方を本能的に学んできた。
「呪いは、あなたの領分でしょう、ゴロウ」
その言葉に、オセは深い笑みを刻み込んで、階上に視線を転じる。
動物を虐待した子どもを呪い殺した堕天使は、呪いを返す術も当然に知っているはずだった。
──オセは2本の剣を抜き、その切っ先で空中に特殊な魔法陣を描く。
黒い霧が、魔法陣にまとわりついて中和されていく。
人を呪わば、穴二つ。
その呪いで我々を殺したいなら、汝まず己が墓穴を掘れ。
オセの呪い返しを受け、ごろごろごろ、どさり、と階段から転がり落ちてくるものがいた。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
チュレル/幽鬼/29/中世/インド/民間信仰/明治神宮前(原宿)
出産の際に無念の死を遂げた女性や、不浄とされる儀式を行なって命を落とした女性の霊が、このチュレルになるとされる。
ごみごみした場所を好み、一見すると若く美しい女性だが、口を持たず、足の向きが逆になった奇怪な姿をしているという──。
「インド系じゃん、ケートなんとかしてよ」
「なんでだよ! そもそもあいつ、めっちゃおまえ見てるぞ、チューヤ!」
たしかに、チュレルはじっとチューヤを見つめていた。
つぎの瞬間、彼はハッとして目を見開く。
「母さん……?」
写真でしか知らない、チューヤを産んで死んだ、悪魔使いの生みの親。
直後、飛んできたチューヤの首を切り落とす攻撃から、リョージが慌てて彼の身体を引きもどす。
「エグいぜ、くそったれ。この家ァ、人の心を土足で踏みにじりやがる」
これが、ダークの戦い方──。
一昔前のラブホテルのようなキングサイズのベッドで、マフユはとぐろを巻いている。
傍らに、拉致られたサアヤ。
「みんなには謝ってさ、また仲良くしようよ?」
サアヤは説得に、全力を傾けている。
この家のどこかで、チューヤたちが「エグい」戦いを展開していることなど、知る由もない。
マフユは、時折、神経症的にビクンと身体を揺らしながら、それでもサアヤに向ける目だけは優しい。
「来いよ、サアヤ。ヘルに頼めば、おまえの望み、かなえてくれるぜ?」
サアヤはすこしふるえながら、首をかしげる。
「フユっち、なに、言ってるの」
「ヘルには……あたしのガーディアンには、できるんだよ。こいつは、あの世を支配する死神なんだ。こいつにはできる、死者を……蘇らせることが」
死者を生者にもどす、というチート能力を北欧神話で唯一、所有するのがヘルだ。
「でも人は、死んだら生き返らないって……」
チューヤはいつも言っている、何度でも言っている、夢を見るな、それだけはできない、人も動物も、死んだら生き返らない、と。
「あんな馬鹿の言うことを信じるのか、サアヤ。おまえ言ってたろ。人はいつか、死ななくて済むようになるって。死んでも、生き返れるって」
サアヤの身体を抱き寄せ、囁くマフユ。
昔のサアヤなら飛びついた。いや、いまですら、飛びつく要素はごまんとある。
だが、彼女はゆっくりとマフユの頬を抱き返し、諭すように言った。
「ありがと、フユっち。感謝するよ。その気持ち、とってもうれしい。……だから、ね? もう、殺さないで」
なにかが割れる音がする。
マフユの行動は自家撞着している。
生き返らせるために殺すのは、ヴァルハラの永久機関だ。
戦いつづけるために生き、戦いの本質のために死に、翌朝になれば生き返って再び、主君に血なまぐさい戦闘をささげ奉る。
かつてはオーディンだった、その主神の地位を何者かが引き継いで、さらにこの地上を戦闘と殺戮の巷に埋め尽くそうとしている。
ロキがそう決めたなら、ヘルもそのように動くし、マフユは黙って受け入れるだろう。
「だって、殺さないと、生き返れないだろ、だって」
殺せ、殺せと細胞が叫んでいる。
皮膚が、不気味に揺れる。
その下に、邪悪ななにかが潜み、暴れだそうとしている。
「お願い、もどってフユっち、ちょっと怖いけど、やさしかった、まえのフユっちにもどってよ!」
マフユの肩をつかみ、揺する。
いまのマフユは、あきらかに逸脱している。
ゆらり、とマフユの身体が立ち上がる。彼女の表情には、人間と悪魔が住んでいる。
「だけど、もう手遅れだ、サアヤ、ごめん、よぉお」
その肉体が、奇妙な形にゆがむ。
あふれる涙は、ケロイド状の皮膚に赤黒く、不気味なまだらを描く。
破滅の道へ踏み出した彼女の先には、もう、一本の道しか残されていない。
あとはその道を、進むしかない──。
「助けにきたぞ、サアヤ!」
部屋の扉がたたき開けられ、飛び込んでくる4人。
天井裏を一通りめぐってから、目的物は地下室だと気づいてようやく発見した、その場所での状況は最悪だった。
「ぐぁあぁあーっ!」
マフユの絶叫に応じて、その四肢が蛇に変わり、無差別攻撃を開始する。
「おわっ、やべえなこれ」
つぎつぎに繰り出される攻撃を、一同かろうじて受け止める。
ARMSのうち、もっとも悪魔と深く相関するのが、Rタイプだ。
スキルや魔法ではなく、肉体構造そのものを取り込み、変形、変身していく。
それだけに強力でもあるが、同時に危うくもある悪魔相関プログラムの成れの果てが、これか……。
「もう無理でしょう、これは」
「殺すしか、ないのか?」
「待ってよ、みんな、仲間でしょ、方法は……っ」
ケートが内側で、スカアハとなにやら対話している。
その後、身を低くしてマフユに飛び掛かりながら、
「みんな、押さえつけろ! ボクは……左手だ!」
蛇のように変化し、変色して、自分自身を破壊しながら周囲全部を巻き添えにしようとする動きの中枢、ケートがマフユの左手の根元をつかみ、ナノマシンのある機能を起動した瞬間、左手の動きだけがおとなしく変わる。
「……そうか、わかった」
クーフーリンの耳打ちで、リョージがケートにつづいて滑り込み、マフユの右足を押さえる。
「なるほど、そういうことね」
引きつづきチューヤが動き、左足の横に滑り込んで床に押しつける。
「しかたがありません」
まったく気が進まない表情ながら、ヒナノはマフユの右ストレートの下をかいくぐり、他のメンツと同様、右腕を押さえつけた。
──瞬間、全員のナノマシンが「逆流回路」となって、暴走するマフユの力を押しもどす。
狂ったように跳ねる四肢の動きが抑制され、魔力の濁流がすべて肉体の中心に集まる。
「あとはおまえだ、サアヤ! おまえが……決めろ」
吸い寄せられるように、身動き取れないマフユの正面に陣取るサアヤ。
マフユの表情が一瞬、ゆるんで見つめる。
楽にしてくれ、と訴えているようにも見える。
その口に、サアヤは例の丸薬を放り込む。
うげ、と悪寒に近いものを感じつつ、男たちはサアヤの選択の結果を見守る。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ……」
サアヤの手が、マフユの首を押さえる。
それは、首を絞めているようにも見えるが、さっき飲ませた丸薬を彼女が吐き出さないように押さえつけている、というのが正解だ。
──布瑠の言(布瑠部由良由良止布瑠部)は、いわゆる長寿を願う神事で、イザナギが珠の首飾りをアマテラスに与えて行なった、とも言われている。
「かくしてば、死人も生き返へらむ」とされ、一種の禁忌にも通じている。
同じく死人を生き返らせる魔術を心得るヘルに、古代神道にある反魂の秘事をぶつけたら、どうなるか──。
5人の友人に、手足、首を押さえつけられ、完全に方向を失ったエネルギーが、つぎの瞬間、炸裂する。
バン!
強烈な破裂音とともに、巨大な黒い塊が、マフユの背中を貫いて、まっすぐに地下深くへと落ちていく。
そのまま穴の底に落ちそうになるマフユを、仲間たちが引き上げる。
地下室のどまんなかに、地底へつづく巨大な穴。
残った部屋の片隅から、ケートは穴の底を見下ろし、
「……逃げやがった、ヘルめ。しぶといやつだ」
「マフユ、大丈夫か?」
心配そうにマフユを見下ろすチューヤの表情が曇る。
──彼女の肉体は、いぜんとして奇妙に曲がり、ゆがんでいる。
彼女の意思の外側で、その肉体を壟断し、凌辱する別のエネルギーの流れがあった。
猛烈な力の源泉であるヘルはもういないが、その流路は確実に彼女の肉体を侵食し、引きつづき暴れている。
食いすぎたエサが、体内で消化不良を起こし、暴れ狂っているかのようだ。
内破する衝撃を受け、肉体は急激に破壊されていく。
もう、サアヤの回復魔法も追いつかない。
「まだ生きてるのか。こっちもこっちで、しぶといやつだ」
ケートは、やや冷静さをとりもどし、マフユの身体を見下ろす。
「どうなってるの、これ……っ」
自分の回復魔法を受けつけない。サアヤの表情は、ひどく頼りない。
マフユの身体は薄汚れた床に横たわり、びくびくと打ち上げられた魚のような断末魔。
その身体を、よっこらせ、と折りたたんで持ち上げるのは──ケート。
「ケーたん?」
「このままだと、こいつは死ぬ。サアヤじゃなくても、そんくらいはわかる」
一同の視線が、ケートに集中する。
彼がこのような行動をとるということは、ある種の解答を持っているということだ。
「どうする気だ?」
「こいつの暴走は、ナノマシンの過剰摂取だ」
ケートならではの謎解きが、はじまった。
「ナノマシンって、私たちみんな飲んでるよね?」
「適量な。だが、こいつはちがう。お嬢も見た通り、戦闘のたびに異常に強くなっていたろ? あれは、特殊な加工をしたカプセルに特有の時短強化だ」
「たしかに、彼女はひとりであるはずなのに、なぜか複数人いるような印象が」
「それは本来、一系統だけで受容して強化されるべき肉体に、複数系統のシステムを無理くりぶっこみやがったからさ。ナノマシン自体に大きさが見えないから、いくらでもはいるとか誤解するバカがいる」
「ヤク中みたいなもんか。もっと、この上の快感があるんじゃないかって、ついついやりすぎちゃう、みたいな?」
「まあ、闇社会のバカが陥りやすいパターンだな。おかげで見覚えがあった。たまに頭のおかしいやつらが、試してみたい衝動に駆られる方法なんだよ、これは。ふつうはそのままぶっ壊れて再起不能だが……治せるとしたら、正規店しかない」
一同の視線が、改めてケートに集中する。
こちら側でナノマシンのカプセルを開発・製造しているのは、インド系のベンチャー企業デメトリクス社で、ケートはその出資者である、と聞いた。
「……なるほど、的確な推論です」
「友情だね! いや、もう愛だね!」
「サアヤ、いくらおまえでも、あんまりつまらんこと言うと捨てるぞ、この蛇」
「ただの返報性問題でしょうね」
ヒナノはいつも、鋭いところを突く。
「へんぽうせい?」
「借りを返すってやつだ」
リョージの言葉に、ポンと手をたたくのはサアヤ。
「そういえば先週、アホみたいに寝こけた男子が約2名、心やさしい女子たちに助けられてたね!」
顔面をヒクつかせる約2名の男子。
彼らは直近、恥の多い人生を送ってきた。
「じゃオレも、お嬢になんか恩返ししないとな」
「いえ、けっこうです、そんなもの」
空気は甘くなるまえに捨てられた。
階上に向かう最後の段差に足を止め、ケートはふりかえり、言った。
「……まあ、ここで出て行くほうが、お気楽ではあるよ。
覚悟を決めて行けよ。この下はリョージ、おまえのオヤジらがつくった、すくなくともつくることに加担している地獄だ。責任を果たしてこい」
そのままマフユを担いで出て行くケート。
見透かしたような友人から、穴の底へと視線を移し、自分自身に向けて決意をつぶやくリョージ。
「そう、だな。東京の地下につくられた死人の王国、か。ほっとくわけにゃ、いかねえよな」
ほどなく、家側から見て右側の扉から、境界を出て行く2人。
残された4人の目指すべきは、再び地下、深く。




