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「わたくし、このガーディアンは、あまり得意ではありません」
先代のシームルグとちがい、ヒナノはオセを愛でるつもりはないようだった。
「そりゃそーだろうな。堕天使だし、ライト一直線のお嬢とは、必ずしも属性が合うわけじゃない」
「真逆でもないよ。堕天使は左右ではカオス寄りだけど、上下ではニュートラルだからね。それに最新のバージョンでは、より属性グラデーションが精密に……」
「ゲームの話はいい。たしかにオセは強力な悪魔だ。あの剣技の切れ味は、本当にすばらしかったよ」
「ちょっと、あまり近寄らないでちょうだい、ゴロウ」
「うなー」
霊体となったネコは楽しそうに笑い、ヒナノの足元に身を摺り寄せる。
チューヤは心から納得してうなずく。
「なるほどね。お嬢がネコに好かれる理由が、よくわかったよ」
「自分が好きな理由じゃないだろうなチューキチ」
「ば、ばかおっしゃい。こほん、ネコというものはですな、ネコ好きな人からされるような、必要以上のべたべたを嫌うものなのです。一方、ネコが苦手、という人がとろうとする距離感が、じつはネコ自身にとって、非常に心地よかったりもするのですぞ。その点、お嬢のツンデレさかげんは、まさしくネコまっしぐらと言えましょう」
「うなー」
「やめなさい、ゴロウ」
微塵もデレの要素はないが、もちろん、やめるようなネコではない。
ふてぶてしさにかけては天下一品だ。
「ふん、甘えるな、醜い堕天使め」
横を通り過ぎながら言うケルベロス。
「地獄の番犬とも思えぬ、貴様こそ腑抜けたか魔獣」
強力な悪魔たちだが、ポメラニアンとチャトラの姿で対峙されると、ちっとも怖くない。
「ネコのことなどどうでもよろしい。さっきから、駅の周囲をうろうろと。なんですか、この非生産的な時間は」
ヒナノが眉根を寄せ、いらだたしげに足を踏み鳴らす。
「そんなこと言っても、マフユがどこ行ったかわかんないし」
「たく、あのアホはどこに隠れているんだ?」
「たぶん渋谷のどこかだ」
「……広すぎだろ!」
問題は、そこだった。
「時間をかければかけるだけ魂が集まるわけですから、簡単に見つかるような場所ではないでしょうね」
肩をすくめ、他人事のように宣う。
ヒナノは、そもそもマフユと仲が良くない。サアヤという潤滑剤があれば、なんとか会話が成立するという程度の関係だ。
「ただでさえ物陰に隠れて獲物を狙う蛇だからな、落ち着いて考えれば冬眠した蛇を見つけるなんて無理だな。しかたない、あきらメロン」
もとよりケートは、マフユとは不倶戴天の仇敵である。
「早っ! 諦めたらそこで試合終了ですよ!」
サアヤが声を張り上げる。
マフユが自分を好きなことは知っている──その「好き」の意味を深く掘り下げるつもりはないが、親しい友人を助けるという義務感は強烈だ。
「落ち着いて考えよう。──あいつ、どっちから渋谷に来た?」
チューヤが割ってはいった。
緩衝材という意味では、このバカ夫婦の役割も軽視するわけにはいかない。
「そーいや、原宿方面からって言ってたな」
「おしゃれなショップがどうとか言ってましたが」
ケートとヒナノの記憶が掘り起こされる。
一応、さっきまで一緒に戦っていた「戦友」ではある。
「あー! そういえば、誘われたかも。神宮前で、いいショップ見つけたから、いっしょに行こうって」
連想を受けてサアヤの記憶も蘇ってきた。
「どうせ大盛り飯炊きショップだろ」
「なんだよ大盛り飯炊きショップって! 私に似合いそうな服がどうこうって言ってた」
これが解決の契機になるか、もちろんだれも確信などない。
「蛇は脱皮でもしとけ」
「マフユは服とか興味なさそうだけどなあ」
「けれど、あのあたりには、独特なセンスのいい服をつくる店が、時折、見受けられますよ」
「パトロン的な視点だね。金になる将来有望なアーティストを青田買いってか。さすがお嬢、貴族の義務を果たしてますな」
「皮肉はけっこう」
一同の見解が錯綜するなか、脳内地図を展開しつつチューヤは言った。
「待って待って。ってことは、だいたいエリアが絞れる。原宿の東、神宮前あたりで、セレクトショップが多いエリア」
「……穏田、ですかね」
おしゃれなエリアに詳しいヒナノが、ぽつりとつぶやく。
「そうだ、怨念がたまってるエリアがどうこう言ってた! よし、謎は解けた! フユっちは、穏田におんねん!」
サアヤのテンションに、だれもついていけない。
宮益坂から北へ、原宿に向かって数百メートル。
穏田という地名がある。
このエリアは道が入り組み、アクセスがわるいことから、周辺地価のなかでは格安だったという。結果、若いデザイナーやアーティストなどが集まり、独特な文化を育んだ。
それが渋谷原宿に若者文化を根付かせる原動力にもなったという。
そこにどのような怨念がまつわるのかはともかく、かつて徳川家康が、より正確に言えば「忍者」が、原宿を若者の街にする原型をつくった。
忍者の街。穏田に、マフユは雲隠れ、ということか。
「で、どういうこと、これ」
首に綱をつけられ、ひとり、ぽつねんと歩かされるサアヤ。
他のメンバーは背後から、隠れて追跡している。
「黙って歩け、おまえはただのエサだ」
「だから、なんで私がエサにされてるのって訊いてんの!」
その場で地団太を踏むサアヤの周囲に、人影はない。
「マフユが食いつくのは、メシかサアヤしかないだろ」
「じゃあメシにしろよ!」
明治通りから東へはいった、現世ではおしゃれなストリート。
曲がりくねった細い道を、ぽつねんと歩く少女。
殺伐たる境界では、たしかに一見、悪魔のいいエサだ。
「メシが歩くか、ばかたれ!」
「てめえチューキチ、あとで覚えてろよ!」
糸電話の要領で話すふたり。
「騒がしいぞ、おまえら。釣りは静かにせんか」
チューヤの脳天を、背後からケートがポカリとする。
このような古典的な「釣り」が本当に成立するのかはともかく、彼らはひとまず、サアヤを穏田の裏通りに独行させ、どうなるかという顛末を観察することにした。
このような戦術が、戦略的視点に含まれてどう評価されるかについては、後世の歴史家が判断するだろう──。
「くだらない。もっとマシな作戦はないのですか」
「お嬢が脱げば、チューヤが釣れると思う」
「ばっ、リョージくん、そういうこと言っちゃメッメ!」
「そんな外道を釣ってだれが喜ぶ」
「外道とか! 否定したいけど!」
「しろよ……」
後方は後方で騒がしい。
先行するサアヤの背中を眺めながら、ケートは内心、歯噛みする。
「くそ、蛇女め。あの女に気を許したボクがバカだった」
「自身の主張を通すにしても、やり方がよくないですね」
マフユの無考えな独走は、仲間たちを敵にまわすのに十二分の効果を発した。すくなくともケートとヒナノの怒りは、かなり深刻だ。
「やっぱり、最初から全員で行動していれば、こんなことにはならなかったんじゃないかな」
チューヤが言った。
マフユの横にサアヤがいるかぎり、彼女がそんな無茶をしたとは思えないのだ。
「いまさらですね。過去を慚愧して刹那のカタルシスに耽溺する老人ですか、あなたは」
「むずかしく言ってくれてありがとう。前向きにがんばるつもりはいっぱいだけど、過去の検証は未来にとっても大切でしょ」
「スカアハによれば、渋谷で魂を集めるシステムは、拠点を上下に打つことで、エキゾタイトの効率的な環流と選別が可能らしい。
北欧勢力とケルトが手を組んで、このシステムを稼働した。魂というエネルギー需要に応じるシステムは、どちらかの拠点が残った状態では、動きつづける。
理想的には、上下の拠点を同時にたたけば、稼働時間を最短にできる。じっさい、うまくいけば、日付が変わるまえにシステムは止められた」
軍師スカアハが、クーフーリンに言い聞かせた言葉を、仲間たちに対してケートがくりかえした。
「北欧勢力と手を組む可能性を軽く見すぎていましたね」
冷徹なヒナノの言葉に、
「いや、むしろ先導したのは北欧勢だ。ケルトはわるくない」
悪役バロールを退治したリョージが、ケルトの肩を持つ。
「けど必ずしも、北欧がダークというわけでもないよね」
チューヤのニュートラルな物言いに、
「ロキが暗躍してかなりの力を集めてはいるが、そもそも野合だからな、あの集団は」
ケートが高次からの冷徹な客観で結論する。
ここに、マフユの背景を類推する材料が整った。
──あらゆる神話には、物語がある。
なかでも最もわかりやすい物語こそ、善と悪、敵と味方の物語だ。
たとえばケルトではバロールを悪に、ルーを善に配置している。
北欧神話ではもちろん、稀代のトリックスター・ロキが悪役を担い、オーディンらと宿命の戦いを、ラグナロクにいたるまでくりかえすことになっている。
神学機構でも、もちろん神の使徒たちは永久に悪魔と戦いつづける。
インド神話こそ、多彩な悪役の宝庫だ。
たとえ最初から悪役でなかったとしても、日本神話を中心とする体系は、被征服民を悪、征服者が善の側に立つという、決定的に不変なロジックを前提としている。
これは、新参国家アメリカに至っても、永久機関のようにくりかえされた「独善」の根本形式だ。
北欧は、そのすべての神話に約束された「悪」とされる側に、強い影響力を持っている。
もちろん北欧でも、最後はオーディンを中心とする神の側が勝つ。すくなくとも、そう期待されている。
だが、ロキの力が強くなりすぎた。
正確には、ロキの集めた力が。
ケルトのバロールなど、その手駒のひとつに過ぎない。
北欧内部でも、ロキに抵抗する力はいくらでもいる。だが、オーディンの忠実な従僕であるワルキューレたちさえも、ロキのしつらえた闇の舞台で、舞い踊らされている。
人類(神話)史上、最大最高のトリックスターとして、不動の地位を保つロキ。
その存在感は、いまや大魔王に匹敵する。
これはもちろんオーディンの本意ではあるまいが、ロキ、ヘル、フェンリルを中心とする邪神たちの暗躍は、他のあらゆる神話で「悪」とされた、よこしまなる存在を糾合して一大勢力を築いている。
北のスラム、足立区を中心に広がる北欧勢力エリアから、今回の渋谷戦争は、ロキが仕掛けた明確な攻撃と見ていいだろう。
「北欧を責めるわけにはいかない。すべての神話が、闇を、悪を持っている」
自戒を含むケートの物言いに、だれもが反駁の言葉を持たない。
それら措定された闇を糾合するというロキの戦略は、ある意味で順当でさえある。
あらゆる闇に触れ、共感して、彼らの流れに寄り添うと決めるは、当人。
ひとくくりに「北欧勢」と呼ばれるのは、主神オーディンらにとっても不本意であろう。だがそのくらい、ロキの集めた力は強くなりすぎた──。
人類社会そのものが〝必要悪〟という言葉を持っている。悪はつねにあり、これからもありつづけるだろう。
ただ、その力は集めてはならないものだった。
社会の闇に押しこめて、個々に死なない程度の窒息状態を保たせることが、必要悪の妥当なコントロール方法であると、多くの社会が容認する──その範囲を、ロキは逸脱しようとしている。
いや、あきらかに逸脱しているのだ。
「世界中の神話から、悪役を集めて一元化するとしたら」
「世界中の正義が連合する、か?」
「どうかな。世の中、それほど単純じゃない」
「相対的な世界、ですか。気に入りませんね……」
深い話をさらに深めていく4人の視線の先、直近の事象が動いた。
サアヤの通りかかるビルの陰から、巨大な蛇が鎌首をもたげている──!
「ひゃあぁあっ!?」
ぬめっ、としたものに全身を包まれ、サアヤが素っ頓狂な悲鳴を漏らす。
「まじか、釣れやがった」
「サアヤ!」
「さっさと片をつけましょう」
蛇は、ビルの裏手の戸建てから伸びている。
都会のどまんなかに、ぽつねんと取り越されたかのような、道路に面しない敷地に建てられた、それは古い日本家屋。
徒歩でしかはいれない忍者屋敷に、サアヤは飲み込まれた。
「こりゃ見つからんわ。サアヤ、お手柄だな」
変なふうに感心するリョージ。
「なんか雰囲気あるな、この家」
はっきり言えば、ホラー映画に出てきそうな「呪いの家」の雰囲気だ。
「……お行きなさい」
ヒナノは行く気がしないらしい。
「もう、みんなここまできたら、行くしかないっしょ!」
めずらしくチューヤが先行する。
その脳天に、巨大なタライが落ちてくる。
がん!
音だけは派手な衝撃に、その場でのたうちまわるチューヤ。
「ぐっ、ぐわぁああ、や、やられた、みんな俺のことはかまうな、先へ行ってくれ!」
冷たい表情でタライを拾うケート。
「だれもがおまえのクソボケに突っ込んでくれると思うなよ」
「さっさと相方をとりもどさないとなあ、チューヤ」
「う、うっさいな。……なんなんだよ、このタライは! ふざけてんの!?」
よく見ると、タライにはマフユらしい文字で、つぎのようなメモが貼り付けられていた。
「右のドアから帰れ」
見上げ、右を向く。
……壁しかない。
左を向く。
塀から外に出られるらしいドアがつくりつけられている。
「来訪者から見てどっちか、忖度する良識さえないところは、あの蛇女らしいな」
「塀のドアの向こうは、現世ってことか」
「選択肢を用意しているところには、好感が持てますね」
「俺はまんなかに見える玄関を開けようと思うけど、みんなはどうするの!?」
「……しかたないな。骨は拾ってやる、さっさと行け」
玄関を開けた瞬間、ケートに背中を蹴り飛ばされ、チューヤは呪いの家にまろびこんだ。
再び、戦いがはじまる──。




