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3人は足を止めた。
目のまえに広がる「遺跡」は、渋谷の地下に穿たれた、まさしく悪魔の城。
ケルトの冥界。アンヌンと呼ばれる影の王国だ。
「見ろよ。無数の冥界が広がっているぜ」
リョージが、地獄の釜を指さして言った。
城は、中世ヨーロッパらしさを演出して洋風だが、その各室に割り当てられている景色は、渋谷を舞台にした冥界だ。
地上を闊歩する無数の人々、彼らが刻み込む影のひとつひとつが、すべて地下に投影されている。
地上の人間に注意力があれば、自分の影が、ぬらり、ゆらりと、自分の動きに関係なく動いている姿を見て取ることができる。
その世界は、まさに地下の城に再現されているものだ。
「大量のエキゾタイトの流れがある。あきらかに、ここに集めているな」
チューヤはナノマシンのデータを読み上げながら、現状の整合性を理解する。
神泉駅から魔王バロールが引っ張って下へ、渋谷駅からワルキューレが騎行して上へ。
センター街から道玄坂を中心としたエリアの人間を「吸い尽くす」つもりらしい。
「やってきたぜ、黄昏の冥府」
リョージの言葉に、彼のガーディアンの姿が重なる。
純白の鎧をまとい、魔槍ゲイボルグを構える、「カッコイイ枠」の悪魔。その使い勝手の良さは、『デビル豪』ユーザーにはよく知られている。
ここはケルトで、アンヌンと呼ばれる冥界。アーサー王とその騎士たちが「黄昏の冥府」と呼んだ、紙よりも薄いカーテンの向こう側。
ドルイド信仰は、この世とあの世の境界を、それほどはっきりと定義していない。
ふつうに道を歩いていると、ふいに抜けた霧のカーテンの向こう側に、別の世界が広がっている──そんなことは日常茶飯事だ。
そうやって極限まで近づけた境界が、ここ。
「だいぶ混ざってんな、この世とあの世が。こいつら、渋谷ごと持っていくつもりか」
「そもそも地形からして、やばいんだよ。東京有数の谷だからな」
深く穿たれた谷、そのさらに下まで潜ってきた。
「根っこから、たたくしかない」
「魔王か。このメンツでいけんのか」
「そんなにレベルは高くない。小さな駅である神泉に押し込められているくらいだし、ケルトでは知られた名だけど、一般にはそれほど有名でもない」
単体で名のある悪魔は、ひとつの駅を支配することができる。
集合体として名のある悪魔は、種族ごとひとつの駅を支配する。
現状、集合して無数に舞い踊るワルキューレの騎行は、渋谷を席巻するレベルで強大である。ドイツでつくられたワーグナーの名曲は、あまりにも強く人々の心に印象付けられている。
必ずしも知名度が強さを決定するわけではないが、とくに東京、新宿、渋谷といったメガステーションを支配する悪魔は、非常に強力だ。
上野からやってきたヌエも、チューヤの序盤を力強く支えてくれた。
問題は、この有力な悪魔を裏から操っているかのようにも見える、魔王バロールだ。
バロール。
ケルト神話で代表的な悪役を演じた、一つ目の魔王。
瘴気渦巻く冥府の奥へ、チューヤたちは足を踏み入れる。
城内は複雑なダンジョンを形成し、敵もそうとうに手ごわいが、チューヤたちの能力はさらに上をいった。
時折見かける屋台が、一行の冒険を支えてくれる。
まさに王道RPGのクエストを、着実に進めているという実感が、意外に心地よい。
人気のジャンルだけあるな、と妙なところに感心しながら進む。
「で、俺たちはバロールを倒せばいいんだな?」
チューヤの問いに、クーフーリンを経由してリョージが答える。
「上でスカアハ師匠が、つまりケートが、うまくやってくれていれば、この国を救うことは可能だってよ」
「国を救う? また大きく出たね。そもそも、バロールはなんでワルキューレと手を組んでんの? 微妙に出身ちがくない? まあ大きな系統としては似てるけど」
スカンジナビアの北欧神話と、島国に残ったケルト神話が、どうして連携しているのか。
「北欧の邪悪な魔力が、アイルランドに侵攻してきたんだとよ。で、そいつらを打ち滅ぼすには上と下から、同時に倒さなきゃならん。と、ケルトの軍師さまは判断してるわけよ」
「悪魔界も離合集散をくりかえしているわけね」
「そもそも4大勢力に分かれてるわけだしな。というか、3大勢力と、そこに含まれない連中の野合、プラスその他、って感じみたいだが」
きっかけを得て、チューヤはようやく、リョージの本丸に切り込むことにした。
「それよ。神学機構と、ニューワールドオーダーだっけ? お嬢とケートのバックはなんとなくわかったけど、リョージはなんなの? ルイさんかと思ってたけど」
「あの人は一時的に面倒見てくれてただけ。ほんとのボスは、中華街の偉い人で」
「老先生、か?」
「よく覚えてたな。ルイさんとはごく親しい間柄らしい。本名は欧陽先生だ」
リョージのバイト先は中華料理屋であり、中華街との連携は浅からぬものがある。
日本人はたいてい2文字で姓、2文字で名を表す。
一方、中国では1文字姓、2文字名、というパターンが基本になる。もちろん日本でも中国でも、この基本に沿わない名前はいくらでもある。
そのひとつが、欧陽氏だ。
中国での2文字姓(複姓)には、それなりの格式がある。
諸葛、司馬、といった主役クラスの有名な姓もあれば、公孫、太史、夏侯、といった地味だが知る人ぞ知る名門もある。
これらの名はおおむね先祖の官職に由来している。
歴史的には、最初は多数あった2文字姓だが、現在は少数となった(上位100位に2文字姓はひとつもない)。
欧陽氏は、少数ではあるが現在も存在し、日本でヒットを飛ばした歌手にもそのような名前の人がいる。
歴史的には、たいへんな大学者であった欧陽脩(11世紀)や、書家の欧陽詢(6世紀)などが知られている。
「らーびーぞーばー、愛は終わったのー」
昭和歌謡娘の歌声をBGMに、掘り下げる男子たち。
「欧陽一修って名前で、チャイナタウンで知らぬ者はいない」
日本人でもおかしくない4文字の姓名だが、立派なチャイニーズだという。
「一修が逆なら、まさに日本人だったのにな」
「シューイチ!」
「昔から世話になってるし、老先生もオレに目をかけてくれてるよ」
マフユがリョージに一目置いている理由が、ここにある。
川崎出身のマフユは、隣接する横浜中華街で、しばしば欧陽氏の話を聞いていた。
当時は太上老君などという連想はもちろんないわけだが、日本各地にある中華街で、欧陽氏(老先生)の名前を知らない人はいない。
「なるほど、てことは、リョージって中華系なんだな。EU系、インド系、中国系と。たしかに巨大勢力がそろっておるわ」
「そう簡単に『中国』って言い切ることもできんのだがな。一昔まえの言い方だと、チャイナスクールってことになるらしいが、実態は真逆かもしれん。なにしろ彼ら、共産党を毛嫌いしているから」
「そんな中華系ってある?」
「だってしょうがないだろ。共産党にとって宗教は悪なんだぜ。本質的に相いれないわ」
「たしかに。ってことは、要するに台湾系か?」
「表向き、国土回復運動的なことは言わないけど、だいぶ思ってるらしいな。台湾故宮博物院の人が言ってた。われわれがいなければ、この宝物がどれだけ破壊されていたか。アカどもは、自国の文化を盛大に破壊してくれた。この罪は、万死に値する、って。日本で言えば、維新の志士が、内戦とはいえ自国に核ぶっ放すようなもんだよ。んなことしたら、さすがに民衆の支持は得られんだろ」
「けど、それをやって統一したんだろ?」
「統一後だよ、その手の破壊は。あの国の権力闘争は、ほんとに恐ろしいみたいだな」
「……てことは、共産党にとっても敵やん。リョージのバックって、じゃレジスタンスなの?」
「そこはそれ、党内部にけっこう潜り込んで、実質的な運動を展開し、それなりの勢力も構築しているらしい。貿易上の意思決定は、じっさい彼らの意向にかなり左右されている。なにしろあの国は、経済的には一応、自由主義だからな」
「謎の制度な。社会主義市場経済ってなんだよと」
「彼らには、彼らのやり方があるのさ。で、そのニュー・チャイナスクールとでも呼ぶべき勢力が、わが国の政治結社・三月会さんと緊密につながって、互いの国の政治を動かしている、と。トリクルダウンして、うちのオヤジの会社。系列の与党〝地下族〟議員からのお墨付きをもらい、多額のお金をやり取りしつつ、ウハウハやっているわけさ」
「なっまぐさー!」
とチューヤが声を漏らしたところで、
「ちょっと男子ぃ!」
またしても蚊帳の外に置かれたサアヤ先生はお怒りだ。
「って、快速池上線先生が言ってたんだよ」
「逝ってこい池上線!」
ばちん、とほっぺたをつかまれるチューヤ。
そんな悠長な時間は、ほどなく終わりを告げる。
──目のまえに巨大な扉。
ラスボスの雰囲気が満載だ。
それは、人類史のミニチュアといっていい。
文字を持たなかったケルト神話には、他の神話が持っているような天地創造のエピソードが残されていない。
ケルトの発祥は南ドイツとされ、その系統を「大陸のケルト」と呼ぶ。
が、ご多分に漏れず侵略してきたキリスト教に駆逐され、残っているのはアイルランドの「島のケルト」だけになってしまった。
ケルトの神話は、エリン(アイルランド)ありきではじまる。
遠方の国で暮らしていた(大陸ケルト)ヴァン族が、洪水で滅んだ国(ノアの洪水の影響がみられる)から、船に乗ってエリンへとたどり着く。
その後、度重なる苦難を乗り越えて、エリンを自分たちの国にしていく物語が、ケルト神話だ。
「島を、わがものに」
バロールの目が、ぎろりと光る。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
バロール/魔王/28/中世初期/アイルランド/島のケルト/神泉
レベル以上に、油断はできない。
ボスには「ボス補正」というものがあるからだ。
事実上「アンノウン」といっていい。
──キリスト教に駆逐される側であれば、弥生に駆逐された縄文側に立っていたリョージ的には共感すべき部分も大きいのだが、バロールはあくまでも「征服民族」でありつづけることを選んだ。
その時点で、穏健派とは袂を分かったのだという。
征服民族の真骨頂が、ここにある。
IRAが大国イギリスを相手に戦いつづけたエネルギーの源泉に通じるといっていい。
アイルランドはアイルランドであって、イギリスではない。
もちろんスコットランドもウェールズも、イングランドではない。
彼らは統一をきらう。
あの小さな島国ですら、統一どころか、分裂の憂き目にある。
だから日本が統一されているのは、おかしいと感じる。
沖縄? 独立しろ、琉球国にもどれ。
大阪? 立派な経済圏だ。大阪民国になればいい。
東京。これだけで、もう立派に「大国」だ。東京都知事は、地球に存在する大半の国家の元首よりも強い力を持っている。
渋谷。とりあえず、ここから切り取ろう。ワルキューレどもの力を加えれば、北欧連中を飲み込んだ勢力の拡大も、夢ではない。
「征服しようとする者は、征服される覚悟も決めている。エリンを奪って見せよ。貴様にその力があるならば、従おう」
バロールの声は、なぜかひどく遠く聞こえた。
突然、王の間が、大きく広がったような錯覚を覚えた。
視線を下ろすと、床には「地図」が浮き上がっている。
ステージ・モイトゥラ。
「進軍せよ!」
バロールの号令に従い、悪魔の群れが動き出す。
見れば、盤面はチェスに近い。
「戦争ゲームをおっぱじめようって腹らしいぞ。どうする、悪魔使い」
リョージが臨戦態勢で、チューヤの意見を仰ぐ。
──バロールの位置が遠すぎる。戦場が広大で、むやみに突撃するにしても、わるい予感しかしないステージ構成に見える。
当然、ここは軍師の出番だ。
「あー、ちょっと待ってね。……出てこい、俺の友達、邪教の味方!」
スマホを手に、邪教アプリを起動しようとした瞬間。
ぷつん。
電源がシャットダウンする。
「…………」
アプリ起動不可。
友人たちの冷たい視線がチューヤを貫く。
「……はあぁあ!? この大事なときに!?」
ボス戦の苦難は、はじまったばかりだ。




