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「お静かに……」
彼女はチューヤの背後から、彼の喉首に匕首を突きつけ、言った。
チューヤは両手を挙げ、ちらりと背後を顧みる。
「は、はい。どなた……?」
広大な地下空間の一隅、薄暗い通路の片隅で、ぽつねんと佇んでいたチューヤの背後から、少女が必殺の間合いを詰めてきた。
そんな、謎の状況。
「あたくし、ナナと申します。リョージさまを、お慕い申し上げておる者にございます」
その口調は静かだが、放たれるプレッシャーが半端ではない。
そうとう強力なガーディアンをつけている、とチューヤは判断した。
ただ、まだ殺意を感じないので、流れに従うことに決めた。
この状況にいたる経緯は、こうだ。
地下深くに潜行し、敵もかなり強化されているが、どうにかここまで戦い抜いている。
先程、トイレを見つけた。
用を足してくる、と男女わかれて姿を消し、トイレのまえに一人、立ち尽くすことになったチューヤ。
その背後を突いて、瞬時に必殺のポジションを取ったのが、ナナという少女だった。
「リョージさまなら、ついいましがた、そこのトイレに」
ぐっ、とチューヤの喉首に触れる切っ先の冷たさが増す。
「お静かに。お伺いしたいのは、ひとつです。リョージさまには、つ、付き合っておられる、おなごが、おられるのですか」
付き合って、から先の部分、声がふるえていた。
チューヤはしばらく考えてから、ちらりともう一度、背後の少女の容姿を確認する。
京橋で見た女の子とは、あきらかにちがう。
……さて、どう言ってやるべきか。
「ええと、友達は、いるんじゃないかな。つ、付き合ってるかどうかは、知らない」
匕首から放たれる気合が増して、チューヤは言葉に詰まる。
「あたくし、リョージさまとお付き合いしとうございます」
「う、うん。そうだね、応援するよ。ええと……ナナさん?」
「お七、とお呼びいただいても、かまいませんわ」
ぞわり、と少女から浮き上がってきたガーディアンを見て、チューヤは納得した。
これほど強力な日本出身の鬼女は、そうはいない。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
八百屋お七/鬼女/39/17世紀/江戸/好色五人女/立会川
「り、リョージさんとオーシチさん、とてもよくお似合いですよ」
「まあ、あたりまえのことをおっしゃいますな」
ころころと笑う。
匕首から力が抜けて、やや安堵するチューヤ。
「なんなら、直接リョージに」
「お静かに。あたくしがここに現れたことは、秘密にございます」
秘密もなにも、すでにサアヤがトイレの壁に身を隠しつつ、楽しそうに、じっとこちらを見つめている。
リョージはまだ出てこない。
「えっと、それじゃ俺、どうしたら」
「それではもうひとつ、お教えくださいませ。リョージさまのお誕生日は?」
「リョージ? えっと、待って。突然言われても……あ、12月かな?」
サアヤが両手で1と2の指を立てたので、その通りに言ってやる。
星占い大好きの女子は、自分には直接関係ない男子の誕生日も、けっこう覚えていたりする。
すると、少女はやや眉根を寄せつつも、現状をポジティブにとらえようとする。
「いて座ですわね。おうし座との相性は……価値観のちがいを楽しめる関係ですわ! あたくし4月生まれですの。誕生日は4月24日です。シニぃヨ、と覚えてね」
「し、しにーよ……」
ちなみに、八百屋お七が火あぶりに処された日は、1683年4月24日である。
──そのとき、男子便所から気配がして、チューヤがふりかえった瞬間、少女は風のように姿を消した。
ひょひょひょ、と気味のわるい笑い声をあげながら、先にサアヤが合流してくる。
手を洗って男子トイレから出てきたリョージを迎えたのは、ゲスな同級生たちの詮索と質問の嵐だ。
「リョージ、おまえ、また女の子たらしこんだな」
「リョーちんは、そういう男だよ。いつでも女の子だまくらかしてるんだよね!」
「な、なんの話だ? 人聞きのわるいこと言うなよ。オレは硬派な不良だぞ、これでも」
リョージは、ややげんなりした表情で、どうしてこういう展開になっているのか考える。
「そういうところだよ! ちょいワル男子はモテるんだって」
「たしかに不良だが、料理はできるし、ケンカは強いし、トンネル掘るし家だって建てるからな。男の俺から見ても、そりゃモテるわ。どんな世の中でも生きていける」
バカな夫婦の見解が一致する。
「トンネル掘ってんのはオヤジだわ」
「建築系に進むんじゃないの?」
「ああ、まあ試験に通ればな。なにしろ不良だから、成績はさほど良くない」
「手に職があれば、なんの問題もないよ! 食いっぱぐれのない不良なんて、一部女子の夢じゃん!」
「というわけだから、俺、リョージと付き合うわ。別れようサアヤ」
「ガーン! 男ふたりを同時に失った……って、なんでやねん!」
サアヤの突込みは、かなり深くチューヤの肋骨をえぐる。
「あいかわらず仲いいな、おまえら」
「転がるネタは拾えと亡き母の遺言で」
げほげほとむせながら言うチューヤ。
「笑えねーよ。……で、なんなんだ?」
リョージの問いに答えようとしたチューヤは、殺気を感じてピタリと動きを止める。
──あたくしが現れたことは秘密でございます。
そういう視線が、通路の先の暗がりから、まっすぐにチューヤの喉元を刺し貫いている。
暗闇を指さし、ぱくぱくと言いたいことも言えないこんな世の中じゃチューヤ。
その時点である程度の察しをつけたリョージは、がしがしと頭を掻きながら、疲れた口調でぼやく。
「あー……なんか犬を助けたとき、ちょっと視線を感じたかなー」
「哀愁があって、いつもは不良で怖いけど、こっそり動物を助けるとか、昭和のヤンキー漫画に、モテ枠で出てくるド定番不良じゃん!」
「そんなにモテたいのかよリョージおまえってやつは!」
「で、どこのお犬さま助けたの」
チューヤとサアヤが雁首そろえて問いかけるので、リョージはやれやれと首を振り、
「つっても、猛犬だぜ? クランのな」
ヴン、とリョージの上に浮き上がるのは、ミシャグジさまについでリョージを守護するガーディアン、クーフーリン。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
クーフーリン/幻魔/46/中世初期/アイルランド/島のケルト/新赤塚
「そうなんだよな、クランの猛犬、クーフーリン。中盤めっちゃ頼れる幻魔だわ」
ここに来るまで、リョージがこのクーフーリンの力で、どれだけ壮絶な活躍をしたかは、だれよりチューヤたちがよく知っている。
Aタイプの悪魔(の能力)使いは、そのアビリティを継承する。
多くの悪魔をガーディアンにつければつけるほど、多彩なスキルを習得し、強くなることができる。
いま、リョージはサレオス、ミシャグジさま、クーフーリンという有力な悪魔のスキルを、自在に使いこなすことができるカオスヒーローに仕上がってきている。
「リョーちん、あいかわらず強いよねえ。どこで拾ってくるの、そういう強い子」
「下赤塚のほう、出前に行ったとき、たまたま会って気が合った」
「たまたまて……。たしかにあのへん、幻魔の集まる駅が多いけども」
「まあ正味の話、クーフーリンから渋谷の地下の件を頼まれたってのはある。ケートともどもな」
「……そうか。ここは、ケルトの地下か。ケートも?」
まじめな現実に引きもどされる。
「見なかったか? あいつの新しいガーディアン、オレのお師匠さんだよ」
リョージはみずからに重なったクーフーリンを体して言う。
──クーフーリンの師匠と言えば、女神スカアハだ。
リョージとケートが、懐かしい喧嘩広場に立って、クーフーリンとスカアハ師弟に、それぞれの運命を託された、という長い物語も、彼らの背後にはあるのかもしれない。
そうして、かの名高い師弟は、この渋谷の西寄り、すなわち神泉駅を支配する魔王、バロールを退治するために、リョージとケートというふたりの人間を用いると決めた、という壮大な物語を思い描いて、チューヤは嘆息した。
「みんな、いろいろがんばってんだな。いや、俺もやってるよ、それなりに」
必要もないのに自分に言い訳を用意しがちなところが、小市民らしい。
とりあえず、リョージがどこで女の子の懸想を受けたかは、このさい、さして重要な問題ではなくなった。
渋谷の地下に巣くう「魔王」の排撃こそ、喫緊の最重要課題だ。




