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12 : Day -51 : Shinsen


 それは、ただの地質図だった。

 よって、ただの高校生なら見過ごすところだが、リョージはちがう。


「なーに、これ?」


「地図」


 めんどくさそうに答えるリョージ。

 どのレベルから説明したらいいのか迷っている。


「えー? 縞々だらけで、意味わかんないんですけどー」


 地学を選択していない普通科の生徒たちに、工業で地質もやっているリョージは、


「いや、意味は全部書いてあるだろ。地質図は授業でやるし」


「地学とってないと、やらないと思うが」


「とれよ。共通テストではいい得点源だぞ」


「たしかに、地学は点とれる科目だよな」


「だな。なにより天文も地質も、おもしろいからな」


 こうして男たちの気が合いだすと、サアヤは、じたばたと転がって駄々をこねる傾向がある。


「おもしくねーよ! 月の位置とか地面の下とか、どうでもいいワン。お月見ができればいいし、地面が転ばずに歩ければ、なんの問題もないワンワン!」


「なんもないところで転ぶだろ、サアヤは」


「うっせ! チューヤうっせ!」


 チューヤはリョージに視線をもどし、


「リョージ、工業大学行く感じ?」


「まあ、とりあえず土木工学やっといたら、食いっぱぐれなさそうじゃん。土建屋も学歴あったほうがいいらしいし」


「リョージはなにやっても食っていけるよ」


「泥土にまみれて働けよ、下層民らしく、とケートには言われたけどな」


「あいつ口わるいからなー」


「ま、たしかに現場は第一なんだけどな。社長が一応、大学は行っといたほうが説得力が増すってよ」


「社長?」


「ああ、オヤジの会社、オクテート建設って中堅の土建屋なんだけど、アットホームな感じでさ、オレのバイト先にもよく食いにきてくれるんだよ、社長たち。まあ現場手伝えって拉致られるのが常なんだが」


「おまえ手伝いすぎなんだよ、いろいろ。高校生らしく、もうちょっと労働の現場から距離を置いたらどうだ」


「うちはケートんちみたいにお金持ちじゃないからな。手に職は大事だぜ」


「社長が説得力とか言い出してるってことは、次期社長とか、すくなくとも有力な幹部候補って意味じゃないの」


「それはどうかな。まあ土建屋も、おもしろいけど。見えないところの巨大な地下施設、うちが施工してるんだぜ。おかげで、こういうのも読める」


 地質図を見るリョージの目は、将来の日本を背負って立つ男の光を帯びている、とチューヤは思った。


「地質図とかぁ、意味わかんなーい!」


 一方、サアヤは爆発寸前だ。

 ──地質図は、主に建設や資源開発を目的として、地下の状況を把握するために用いられている。

 実利を伴った経済的な分野であり、時間軸から標的化できるシーケンス層序学まで出てくるありさまで、きちんと理解するのはなかなかむずかしい。


「で、この図面からなにがわかるの? リョージ先生」


 問いつつ地質図を凝視するチューヤ。

 読めない人間に意味はわからないが、読める人間にとって、それはなにか恐ろしいものの存在を暗示しているようだ。


「東京の地下に、こんなものがあるってことだよ、()()()()()の下にさ……」


 とりどりのトーンと線で表現された地質図を見れば、ある種の人間は、そこに立体的な世界を立ち上げて、思い描くことができる。

 チューヤは地表面の動きをとらえて立体構造化し、位置や方向を特定することを得意とする。各地を旅してきた結果、横方向に対する認知能力はきわめて高い。

 一方、リョージはその能力を縦方向に深めている。

 地下の地質構造まで読み込むのだ。


 弾道学や軌道計算などで、宇宙の動きについてはだれよりも知悉するケート。

 地表に張り巡らされた鉄路を行き来して、すばらしい方向感覚を示すチューヤ。

 そして地質図を読み込み、地下の奥深くで起こっていることを理解しようとするリョージ。


 上空、地上、地下。

 三つの属性に特化した三人は、どこを目指すのだろう。

 そして互いの専門はちがえど、立体空間把握という意味では同じ。

 チューヤも、じっと地質図を眺めているうちに、なんとなくわかってくる。


「これ……遺跡かなんか?」


 図面からは、地下に巨大な埋蔵物がある、という見方ができる。


「地質ってのは本来、もっと長いスパンで形成されるもんだが……こいつは、遺跡以前だよ」


 いくつかの線を指でたどりながら、リョージの目にはたしかに見えている。


「どういうこと?」


「地下に、こんな構造物があったとしたら……いや、そもそも地質年代に構造物なんて概念はないんだが……こんなもの、人為的でしかありえない。あるいは悪魔的、か」


 チューヤは図面に目を落とし、眉根を寄せる。

 境界を見つめる目で見ると、なんとなく見えてきた。


 ──やはり、東京のチカは恐ろしい。

 そう聞いて、たいていの人は「地価」を想定する。たしかに東京は、それだけでアメリカ全土を購入できるくらい高価だった時期もある。

 だが悪魔たちは、文字どおり東京の「地下」を侵食している。

 人間の手も借りて、あるいは共犯関係の下に、東京の地下には悪魔の帝国がある──。




 ぶーたれているサアヤを引きずりながら、男たちは地質の話をつづける。


「東京ってのはさ、縄文海進期っていう時代には、だいぶ内陸まで海だったんだよ」


「世の中、たいていの場所が海だったんだろ。山の上から貝殻が出る世界だもの」


 チューヤもそのくらいは知っている。


「ま、そうだけど。東京のもっと短いスパンでもさ、洪積層っていう固い地層が露出している場所は、その時期にも陸地だった。そのうち海抜が下がり、海が削り取った場所に水と砂が流れ込んでくる。沖積層ってやつだな。

 縄文時代から、このあたりにはずっと人が住んでいた。貝塚や土器や集落の跡が見つかっている。時代が進むと、神社やお寺がつくられていった。

 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした宗教施設は残る。こういう、時間の信仰に取り残された場所の多くは、縄文時代には海に突き出た岬や半島で、霊的な場所として墓地をつくったり神様を祀ったりしてきた」


 麻布善福寺、伊皿子貝塚、東京タワー、芝丸山古墳群、赤坂日枝神社、愛宕神社、霞が関……。

 かつて海に浸食された土地の(へり)に、これらのランドマークがずらりと並んでいることは、けっして偶然ではない。


「リョージ、詳しいな。オヤジがゼネコンだとそうなるの?」


「遺跡とか見つかっちゃうと工事が一気に止まってさあ大変、ってそういう話じゃないけど、おもしろいやんか。こういう話」


「好きな人は好きだろうね」


「東京を歩いていてさ、ふと、あれこのあたりは、ってなにか感じたら、精密デジタル標高地図を眺めると、なんとなく人類の来し方行く末が見えたりするわけよ」


「来し方はともかく行く末は無理だろ」


「いやいや、お寺とか古墳とか、散歩しながらマッピングしていくと、これがまたおもしろくて」


「爺さんみたいな趣味してんな、リョージ」


「と、オヤジが言ってたんだよ。これはオヤジの趣味だ。オレはどっちかっつーとプロレスのほうが好きだし」


「とりゃああぁーっ!」


 と、突然、プロレスの言葉に反応したかのように覚醒したサアヤが、サアヤ式フランケンシュタイナースープレックスで、チューヤの脳天を壁にたたきつける。


「痛ててて! ロープロープ、サアヤ、ロープ!」


「私を無視すんなぁあーっ」


「わかったわかった。サアヤもこんど、ダイコク先生の応援に行こうぜ。来週末、蒲田で試合だからさ」


 なだめにまわるリョージ。

 たしかにサアヤを無視しすぎたと反省する。


「もう、私はべつにプロレスなんか見たくないよ! まあ見るけども!」


「どっちだよ!」


「いいでしょ! ダイコク先生は好きだもの!」


 チューヤ一押しのプロレスラーであり、いまも大事に視聴者プレゼントの腰痛ベルトを巻いている。


「てかおまえ、ルチャリブレほんと好きだな。あの人のことに関しちゃ、もうオレより詳しいだろ」


「まったく、いい友達をもったもんだよ、俺も。プロレスも『デビル豪』も、手ひどく感染させといて、張本人のおまえらはテキトーなんだもんな」


「ケートはともかく、オレはちゃんとプロレス好きだぞ。静かに楽しんでいる」


「このまえの武道館も、見てきたんだよな? うらやましいよリョージくん。女の子と東京駅のへん、歩いてたよな。リョージが付き合ってるカノジョって、あの子だろ?」


 ぴたり、とリョージの動きが止まった。

 恋愛沙汰となると、サアヤももちろん目をらんらんと輝かせてリョージを凝視する。

 奇妙なのは、リョージの表情がやや青ざめていることか。


「……おまえ、それいつ見た?」


「えっと、だから武道館の日、ってことは先々週かな。まあ俺は無粋な人間ではないので、そっと見守ったけど」


「どこだ?」


「具体的には、京橋のへんかな。武道館で試合あった日だし、それでかなって」


「京橋……。で、おまえはなんで、そんなところをうろついてたんだ?」


「東京周辺はさ、駅が近いから歩いて悪魔が集められたりするんだよね。半径1キロの円内に10とか15とか駅があるんだぜ。とくに皇居の東側は、ボスラッシュの霞が関エリアとちがって、それなりに使える悪魔が多いし」


 しばらく意味を理解しかねていたリョージは、すぐに彼が『デビル豪』の悪魔集めという、くだらない遊びに熱中していた事実を思い出す。


「電車とセットで楽しめる悪魔のゲームか。そりゃ、おまえにぴったりだな」


「う、うん、まあね……。あの日はさ、たまたま降りたんだよ、八丁堀のヤマタノオロチが強くてさあ」


 敗北を噛み締めながら京橋へ向かって逍遥していたところ、リョージらしいカップルを見つけた、ということらしい。


「なるほどな。だが京橋って、武道館に向かうとしたら微妙に遠くないか?」


「おデートついでにお買い物でもしてたんじゃないの。なんなら日本橋から九段下まで、ちょい乗りしたらいいだけやし」


「そう、だな。京橋か……」


 チューヤは怪訝そうな顔でリョージを見つめ、


「おまえじゃないの、あれ。試合、見に行ってたんだろ?」


「ああ、武道館の試合は見に行ったよ。プラチナチケットだからな、Pジャパン。京橋に行ったかどうかは……はは、おぼえてねえや」


 その不自然な物言いに、当然のように引っかかったものの、それ以上、どう追及すべきなのかわからない。

 そもそもこれが追求しなければならない話題なのかどうかも不明だ。

 ただ一言だけ、昼間の記憶を付け足した。


「同じ女の子がさ、きょうも歩いてたぞ。あの子、京橋に住んでるの?」


「…………」


 リョージは無言で動かない。

 すかさず割り込むサアヤの鉄拳制裁。


「女の子ばっか追っかけるな、チューヤのくせに! リョーちんの彼女とかに手出したら、ほんとぶっ殺すよ!」


「出すわけないだろ! 親友の彼女に手出すとか、頭おかしい人か俺は!」


「部分的におかしいですけど!」


「仮におかしくても、向こうが相手にしてくれないわ!」


「ま、それもそうね」


「納得すんなよ! ……って、どうしたの、リョージ? あれ、カノジョちがった?」


 リョージは微妙な笑顔でふりかえり、


「いや、そうかもな。さあ、行こうぜ」


 さきに立って地下へと降りていく。

 チューヤはなにか、背中にぞわりとしたものを感じつつ、親友の背中を追った。



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