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ハロウィンの渋谷においては、リョージの「フランケンモンキー」に、違和感はカケラもない。
「俺どうよ、これ」
チューヤは、誇らしげにくるりとまわる。
駅のトイレで一応、ゾンビスタイルに着替えていた。
「さっきから言おうと思ってたけどさ、どういうつもり、そのゾンビ?」
サアヤは不満げに、チューヤの仮装を腐す。
ちなみに彼女自身は、ありがちな血みどろナースメイクだ。
「え、だめ? オークションで落札しといたんだけど。ざんばらカツラとセットで」
シーズン前に高値でつかまされたことは言うまでもない。
「メイクが足んないのよ、メイクが! カラコンしろとは言わないけど、血のりのひとつもつけないでハロウィンですとか、ナメてんの!?」
「ご、ごめん……」
「ちょっとこっち来なさい。ゾンビにしたげるから」
バッグからコスメセットを取り出した女の子サアヤは、手際よくチューヤの顔面をキャンバスに変える。
真っ赤なルージュは流血に、シャドウは青あざに、ファンデで顔色にムラをつけ、死人に近づく。
通りがかりのビルのガラスに自分を映したチューヤは、
「あらやだ、俺は死んじまっただー!」
「ま、ざっとこんなもんね」
そのとき、ポンポンポンポポン、とチャイムが鳴る。
ポケットからスマホを取り出すチューヤ。
「だれか合流したらしいな」
全員、それぞれのスマホを見る。
共有チャットで、ケートとヒナノが合流したことが通知されている。
「そのアラームやめてくれる? もう着いたの新幹線!? って思うじゃん」
サアヤの苦言に、チューヤは飄々と、
「いいだろ、日常乗る路線じゃないだけ」
あらゆる通知音が鉄道関係。それがテツというものだ。
「こっち3人合流、って伝えといてくれよ。あとはマフユだけだな」
面倒くさがりのリョージは、ケータイを一瞥しただけで、すぐに懐へもどした。
「みんな運命の相手を見つけられたみたいだね」
画面を操作しながら言うサアヤ。
「そ、そうかな。お嬢はべつに、ケートに興味とかなさそうだけど」
つぶやくチューヤの襟首をつかんで、
「それ以上に、あんたに興味ないと思いますけど!?」
「……デスヨネ」
周囲の風景は、いよいよハロウィン度を増している。
彼らの仮装など、完全に周囲に溶け込む風情。
「あ、くまだもんだ!」
サアヤが、通りの向こう歩く着ぐるみを指さして言った。
「アクマダモンか。地方出身の非公認ゆるキャラとしては、がんばってるよな」
熊本出身の「アクマダモン」は、悪魔らしく尻尾が蛇のシロクマで、ほっぺたにかじったリンゴを2個くわえた、なかなか微妙なデザインになっている。
同じくフクロウのキャラ、忠実な手下の小悪魔である「旅がらすの紋吉」を従え、周囲にそれなりの観衆を集めているのは、この着ぐるみたちのパフォーマンスの高さを物語っている。
紋吉はいつもの口癖を叫ぶ。
「モットモットー!」
欲しがりの着ぐるみに向け、観衆は笑いながら小銭を投げている。
「大道芸人か」
見つめるリョージの視線の先、トントトントトントントン! とタップする着ぐるみの激しい動きは、たしかに課金に値するかもしれない。
「終わりだ、モーン!」
アクマダモンが紋吉をぶっ飛ばすと、芸の一幕が終わったようだ。
三々五々、人の流れがもどる。
チューヤたちも、なんとなく歩き出す。
彼我の距離が詰まる。
「ヘイ、神楽坂じゃあ、飲みすぎた、ぜイェイ、ジャバザ、コックで、待ってる、ぜぃイェイ!」
すれちがう間際、紋吉がラップ調に、そんなことを言った。
意味がわからない。一瞬考えてから、ふりかえったところに、もうアクマダモンとその仲間の姿はなかった。
なんだ、この違和感は……。
「あの着ぐるみ、よく見かけるよな」
「まあ、それなりに人気だからね。熊本のアクマダモンは」
「いや、そういう意味じゃなく……」
リョージが考えながら言葉を探す努力は、しかし別のもっと重要な意識によって塗り替えられる。
その視線が急激に真剣みを増していく理由を、チューヤたちもすぐに共有せざるを得ない。
「……やばいかな?」
ハロウィンの夜だ。ただで済むとは思っていない。
チューヤの表情には、それでもまだ余裕がある。この程度は、想定の範囲内だ。
「ああ。だいぶ濃度増してきてるな」
境界の雰囲気が、モザイクを描きながら、空間に瀰漫しつつある。
リョージも、とくにあわててはいない。
経験は、高校生を急速に強くする。
──空中に舞い踊る鬼火。
いや、これはハロウィンだから、ウィルオーウィスプと呼ぶべきか。
本家イギリスでは、イグニス・ファトゥス(愚者の火)、ジャック・オー・ランタン(例のカボチャ)、エルフ・ファイヤー(妖精の火)、ジル・バーント・テイル(火尾のジル)など、さまざまな表現で呼ばれている。
「鍛冶屋のウィルは、たいへん口のうまい男じゃった」
年よりじみた声を出すサアヤ。
「なんだよサアヤ、勝手に百物語とかはじめんなって」
「ハロウィン豆知識よ」
ちっちっと指を振り、半可通の生かじり知識を披露する。
──おとぎ話の時代、イギリスのほう。
素行もわるく、トラブルつづきのウィルは、あるときケンカで殺されてしまう。
ところがこのウィル、一筋縄でいく男ではない。死者の国の門番ペテロまでも言いくるめ、もう一度人生をやり直すことに成功した。
しかし人間、そう簡単には変われない。
ウィルは、またしてもろくでもないことをくりかえし、通りかかった悪魔までだまして鉄製の袋に閉じ込め、ハンマーでしたたか殴りつける始末。
そのうち、またヘマをして死んでしまうウィル。もちろん聖ペテロ、そう何度もだまされはしない。天国入りを拒絶され、しかたなく地獄へ向かったウィル。
しかしなんと、彼はここでも拒絶されてしまう。ハンマーで殴られた悪魔が、そのときのことをおぼえていて、こっちくんな、というわけだ。
こうして、天国へも地獄へも行く道を失ったウィル。そんな彼を哀れんだ悪魔が、凍える彼のために地獄の石炭を分けてやった。
闇夜に燃えるのは、その石炭の燃える炎なのだ……。
「そう思ってみると、せつない色やね」
「自業自得じゃないか、ドアホだなウィル」
「むしろ悪魔が優しすぎるだろ。弱いくせに」
「悪魔に恐れられる時点で、そうとうな人物のような気もするけどね」
ウィルも、極東でこのように噂されるとは思っていなかっただろう。
──ハロウィン。
すべての宗教を受け入れる日本人が、またぞろイベント化して楽しんでいるこの祭りは、ケルトの万霊節「サウィン」を起源とし、祖先の霊や親しかった死者を家に招き入れ、静かに供養する冬のはじまりの夜だった。
要するにケルトのお盆だ。
アイルランド人作家J・ジョイスが『フィネガンズ・ウェイク』で描いたとおり、その夜、死んだフィネガンが目覚め、過去の人が現在を生きる。
ケルトの世界は、現世と幽界を区別しない。霧を抜けたその先に、妖精たちの国がある。死者は過去にとどまる幽霊ではなく、過去・現在・未来を行き来して、この世の者たちになにかをもたらすスピリットである。
「……あれは」
一瞬、視線が揺らぐ。
死んだはずのだれかが、そこを通り抜けたとしたら。
「おじさん?」
石神井公園で、自分たちを助けてくれた、草野球チームのおっさん。
目のまえで死んだはずの彼が、笑顔で歩いている。
何人も見てきた、死人の顔がある、そこここに、あるはずのない顔が。
ありえない、そんなことは。
否定するのは簡単だが、ありえないことは、ありえない。とくにこのような特異な空間においては。
「バカな、どうなってんだ、ここは」
リョージのボルテージも、さすがに高まってきた。
「生き返った……」
「落ち着けサアヤ、そんなバカなことはない」
生き死にの問題になると、サアヤがヤバくなる。
チューヤは強く、彼女の肩をつかむ。
「……わかってるよ。生き返らない……としても、だけど、死んだ人が行く国はあるでしょ。その国とまじりあったら、それはもう生き返ったのと同じだよ」
「それは、いや、だけど、そうかも、待て待て」
死者の国と生者の国がまじりあうのは、タブーではないのか?
そういう世界観が存在するかぎり、それは受け入れざるを得ないのか?
──鬼火が、ゆっくりと舞い降りる。
サアヤの視線が追いかけた、その先にあるもの。
「いた……」
刹那、彼女の感じた衝撃の強さは、他の男子たちにはとても共有できない。
その視線は闇に沈む道玄坂の電飾の一隅、一点、鬼火をまとったひとりの少年に向けられている。
「ユーヤ」
サアヤの言葉に、ぎくり、とチューヤの肩がふるえた。
ユーヤ。交通事故で死んだ、サアヤの弟だ。
「待て、サアヤ」
小走りに駆け出すサアヤを、男たちは追いかける。
人ごみのなか、サアヤはすぐにその少年を見失ったが、地面にうずくまり、拾ったなにかを大事に握り締め、表情を引き締める。
落ちていたのは、弟が大事にしていた忍消し。
忍者の形をした消しゴムで、一部地域で流行した。
「あの子がいる」
「忍消し? たしかに地元じゃ流行ったけど、よその地域じゃだれも知らないらしいぞ」
杉並練馬世田谷の人間ならみんな持っているが、他の地域の人はだれも知らない伝説の地域限定消しゴム。
サアヤの弟は、その有力なコレクターだった。
「ううん、この忍者ネズミ小僧は、弟のやつだよ」
「なんでわかるんだよ」
「だって、このマーク」
自分のものだと主張する、消しゴムの裏に彫られたイニシャルマーク。
見まわせば、あちこちになにかが落ちている。
ふつうに考えればハロウィン用の飾り付け。
しかし別の目で見ると、それぞれが、思い出のなにかを包含しているかのようにも思える。
「変なことになってるぜ、チューヤ。……エグゼ」
モザイク模様だった境界が、いよいよ悪魔の支配力を増していく。
ハロウィン。
それは、生者と死者の交わる空間──。




