09 : Day -51 : Daikan-yama
一応は歩いた。それがチューヤの言い訳になっている。
強制的に境界へ没入する手つづきを踏んだかといえばNoだが、京橋あたりで変なものも見たので、よしとした。
じっさい彼が街を歩いていると、重要な契機がごろごろ転がっていて、踏み出せばただちに別のシナリオが転がりだしそうな予感が、頻々とやってくる。
だが、彼にはオタク特有の危機管理本能がある。
ここはちょっと行かないほうがいいんじゃないかな、まだ無理じゃないかな、つぎは仲間と一緒にこよう、という臆病な思考回路が、どうにかこの将来有望な、言い換えればいまのところ激弱の悪魔使いの生命を、かろうじて保たせている、といっても過言ではない。
ゆえに、ひとりでもどうにか集められそうな仲間を収集し、現在のレベルで扱えそうな悪魔を何匹か合体させたことで、
「俺はベストを尽くした!」
と、その一日をふりかえって言えることに決めた。
そもそも、きょうという日は時計をメンテナンスして、そのあとみんなと合流できれば満点の一日なのだ。
午後、杉田時計店を再訪する。
昼間もいた女の人が、甘ったるい菓子のにおいをまとって、じっとチューヤを見ていたからといって、たとえ彼女がラキシスだったとしても、いまのところ彼女と関係する理由がない。
だからチューヤは、愛用の鉄道時計を受け取り、名残惜しげな杉田老人に丁寧に挨拶をして、店を出るだけだ。
そうしてふつうに電車に乗って、ふつうに目的地を目指すのだ。
──銀座からの帰りはもちろん、地下を行った。
東京ほど、地下に恵まれた都市はない。
渋谷にもどる?
ならば、だれが考えても山手線か銀座線というところだろう。
バカめ! そんな素人みたいな乗り方ができるか!
チューヤは日本の中心・東京駅から飛び出し、有楽町から有楽町線で永田町へ、半蔵門線に乗り換えて渋谷へ。
うーん、いや待てよ。
二重橋前まで歩いて、そこから千代田線で表参道、そこから銀座線か半蔵門線という手もあるな。
テツの楽しみ方は無限だ。
彼らは、わざわざ回り道をする。それも、悪魔収集という目的にとって有意な選択肢なのだから、芸は身を助けるという言葉は真実かもしれない。
全駅に下車をする、という楽しみ方もある。
これは、悪魔集めにも最適だ。
この電車で乗換駅を乗り過ごしたら、別のルートを使えるか? その場合の時間差はどれくらいか? いっそターミナルまで行ったら、何時何分になるのだろう。
こういう想像、計算をするのは、それだけで楽しいし、頭の体操にもなる。
日々、このような訓練を自己に課しているテツは、さまざまな状況判断において、ただ漫然と生きている人よりも優位に立てる場合がある、かもしれない。
「ないわけではないわけではないかもな」
一応、チューヤは地図を読む能力に関して、きわめて優秀なスキルを持っている。
天然のルート・ナビゲーターとして、使い勝手はいい。
3Dダンジョンで、マップを見ずにマッピングできる男なのだ。
「さて、約束のお時間だ」
いつものように危ない人として母親たちの視線から隠されながら、彼は改札を出る。
いかに遠まわりをするといっても、それは約束の時間という大前提のまえに、付随的に構築されるレジャーにすぎない。
約束の時間に遅れるなど、日本人としてあってはならないことだ。
この「時間に正確」という世界に知られた美徳を、日本人にもたらしたのも、鉄道だ。
それまで不定時法の世界で生きていた、けっこう時間にルーズだった日本人を、鉄道が変えたのだ!
さーて、とチューヤは駅の周囲を見わたした。
これから1時間以内に、どんな仲間と出会えることだろう?
代官山から渋谷を目指すという流れは、チューヤの目的にとって合理的と判断している。
なぜなら、お嬢の実家である田園調布から、代官山~渋谷ルートは、東急東横線で1本だからだ!
あの金髪縦ロールを、等々力のときと同じように、すぐに見つけてあげるよ、と歩き出したチューヤの足が、ぴたりと止まった。
あの、アホ毛ぶんまわして、右へ行きかけて左へ行こうとする、17年かけて見飽きた後ろ姿は……。
「く、腐れとるな、この縁……」
横を向き、深く吐息する。
サアヤは、ふつうに最寄りの久我山から井の頭線に乗っていればバカでもたどり着ける渋谷だけは、ひとりで出かけられるエリアのはずだ。
まちがえて手前の神泉で降りる、というトンチキなことをしそうな恐れすらある方向音痴だが、駅前をうろついているかぎりはなんとかなる、と自慢していたはずだ。
この前提から類推し、マフユはハチ公、モヤイ像のあたりをうろうろして、オリエンテーションをつづけている。
しかしサアヤは、西へ向かわず、南下した。
「なにを考えているかわからん女だ……」
人込みの波に消えようとしているサアヤに視線をもどす。瞬間、目が合った。
にやり、と笑うサアヤ。
「めっかっちゃった」
運命だ。
もう、従うしかない……。
「開始5分で見つかるって、どんだけかくれんぼ下手だよ」
チューヤは財布をしまいながら、ため息を漏らした。
屋台で買わせた発見記念フランクフルトをほおばりながら、サアヤは飄々と言う。
「デクソースほしいねー」
「あんな兵器が街中で売ってるわけないだろ。だいたい……」
その瞬間、ふたりは両肩をポンと叩かれて、動きを止めた。
「よっ、おふたりさん。やっぱり運命は、おまえらを結びつけてくれたわけだねえ」
ふりかえった視線の先、きのうのハマダ氏からもらったという猿の面をかぶったリョージがいる。
「おお、心の友よ」
抱擁する男子。
見まわせば、道玄坂に近い。
サアヤは男の友情を生ぬるい目で見守りながら、
「リョーちんは、山手線できたの?」
「いや、原チャリ。ベンサンの配達ついでに」
「あまひこくん、元気だった?」
「あ、ああ、死ぬほどね」
男たちの表情は、ややげんなりしている。
「原チャリは?」
「円山町に止めてある」
「どこに配達したかはいいよ、言わなくて」
「いろいろお手伝いしてるんだね、リョーちん偉いなあ」
円山町。2000年代初頭までは店舗型風俗店の密集するエリアだったが、2004年からの「浄化作戦」によって壊滅状態に陥った。
現在、店舗型風俗店は数えるほどしか存在せず、多くは受付のみのホテヘル、あるいは無店舗型のデリヘルへと移行した。
といっても、「裏箱」とか「モグリ箱」と呼ばれる、無届営業の違法店は昔も今も営々と存続していて、そのほとんどは警察にも黙認されている。
昨今は静かな営業だが、全盛期の円山町は深夜から始発まで、客が途絶えることなく路上にあふれていた。
「会社の先輩に誘われて、体育会系のノリで風俗に連行されるということは、よくある話だそうな」
「あ、警察もそうなの? 建築会社もそうらしいよ」
「ちょっと男子、父親とどんな話してんのよ!?」
もちろん面と向かってそんな話をしたわけではない。
親がこっそり交わしている会話を小耳にはさんだ程度だ。
「オヤジの現場が、この下でさ」
とんとん、とアスファルトを踏むリョージ。
その仕事を考えれば、どんな現場を踏んでいるかは明白だ。
「新しい地下道、つくってるんだっけ? どこまでも掘り返される運命なんだな、東京」
「それはいいんだが、帰ってこないんだよな、オヤジ」
歩きながら、リョージは首を傾げて視線を下げる。
「なにそれ、また拉致とかされたって話? やめてよね、その手のワンパターン」
「どのパターンが定型化してるかは知らんけど、オヤジはただ仕事で現場に泊りがけってだけの話だ。ただ、あまりにも帰ってこないと心配だろ?」
腕組みして、首をひねるのはチューヤ。
「……うーん。それはわからん」
「チューヤのお父さんは事件が起こると、一週間とか一か月とか、平気で帰ってこないもんね」
「事件が起こらなくても週に二度しか帰ってこないけどな」
「そ、それふつうなの?」
驚くリョージ。
だとしたら、彼の心配はなんなのか?
「や、安心して、リョーちん。この場合、異常なのはチューヤの家庭のほうだから」
「指摘しなくていいです、自覚ありますんで」
「まあ、ただ帰ってこないってだけでもないんだよ。……これ、なんだと思う?」
折りたたまれた、一枚のぺら紙。
リョージはそれを差し出し、しばし黙り込む。
受け取って、広げるチューヤ。のぞきこむサアヤ。
──シークレットの赤印が押され、書式は政府系の内部文書。
「国土交通省の書式に──はあ? 防衛省?」
「統合幕僚技術本部にアメリカ中央情報局……? なによ、これ」
「そういうファイルがさ、ごっそり詰まったカバンをもって、二週間まえに一度、帰ってきたんだよ、オヤジ。それからすぐにまた出勤して、勤務中っていう報告だけは届いてるんだけど、そのときにこの一枚だけ落としていった」
リョージは重大なことを言っている、とチューヤは内心戦々恐々しつつ、認識を新たにする。
「この表紙みたいなの一枚だけだと、なにがどうなのかさっぱりだけど」
「キナ臭いってのは、よくわかるね」
「……ああ。国交省が狂言まわしに、新宿・渋谷の奇妙な地下開発って話か」
ひとりごちるようにつぶやき、考え込むチューヤ。
ハッとして目線を上げ、問いを重ねるリョージ。
「どこで聞いた?」
「ケートだったかな。そういう陰謀論好きなやつって、あいつやん?」
「神学機構じゃなかった? ええと、その関係の弁護士さんだったかも」
チューヤとサアヤは、いっしょに行動することが多い。
さしあたり納得しつつ、リョージの表情は冴えない。
と、そこで空気が重くなりすぎたと気づいて、すぐに笑顔をつくりなおし、
「あ、気にしないで仮装してくれよ」
言いながら、バッグから取り出したヘルメットをかぶる。
フランケンシュタインの釘つきヘルメットだ。
見まわせば、周囲の空気には完全に「ハロウィン」が満ちている──。




