ブレインはゴースト1
再度申し上げておきますが、この作品は未完です。
そのことに納得した上でお読みください。
1 菜豊荘に行こう
梅雨入り宣言がされた次の日、今日は朝からいい天気だった。
三時間目にあった体育の授業は水泳ができたし、昼休みにはドッジボールで一組のやつらをコテンパンにしてやった。
と、ここまでなら今日はいい日でしたって言えたんだけど、残念ながら嫌なことは最後に待っていた。
六時間目の算数の授業で、この前やったテストが返ってきたのだ。
七十点だった。
頭の良いタカに負けたのはしょうがないとしても、勉強嫌いのみっちにまで負けたのはショックだった。
こうして、いい一日が台無しになってしまった僕、一宮将は友達からの遊びの誘いも断って、一人くらーい気持ちで学校から帰っていた。
でも、こんな点数のテストをお母さんに見せることなんてできない。
仕方がないのでテストを隠すために、僕は隠れ家に行くことにした。
菜豊荘、僕のおじいちゃんが五十年以上昔に建てたアパート。
そこの一〇四号室が僕の隠れ家だ。
五十年以上前の建物とは言っても、去年おじいちゃんが死ぬ直前に耐震化とリフォームをしたのでそんなに古い感じはしない。
「おや、将君じゃないか、こんにちは」
建物の前にある駐車場の掃除をしていたおじいさんが声をかけてきた。
管理人をしてくれている寒川のおじいさんだ。
「寒川のおじいさん、こんにちは」
テストのことがバレたらまずい、僕はいつも以上に大きな声で挨拶をした。
しかし、それがいけなかったらしい。僕の様子がおかしいことにおじいさんはすぐに気付いてしまった。
「将君、じいさんに何か隠しているだろう?」
赤ちゃんの時から僕のことを知っている人を相手にすると、こんなとき厄介だ。
何でもかんでもお見通しっていう雰囲気でおじいさんはこっちを見ていた。
「算数のテストがダメだった」
無理に隠そうとしてお母さんにまでバレてしまったら大変だ。諦めて正直に話すことした。
「何点だったんだい?」
「……七十点」
さすがに点数を言うのは恥ずかしかったのだけど、
「そんなに酷くないじゃないか」
と、おじいさんが言ってくれたので少し安心した。
「そうかな?お母さんに見せても怒られないかな?」
「どこをどう間違ったのかがちゃんと分かっているなら、大丈夫だよ。次のテストは頑張るって言えば怒られないさ」
「うう、頑張ります……」
小さな声で返事をした僕の姿に満足したのか、おじいさんは楽しそうに掃除の続きを始めた。
「ハァ……次のテストは本当に頑張らないとなぁ」
そう呟きながら、僕は隠れ家の鍵を開けた。
菜豊荘の一〇四号室はもともと僕のおじいちゃんが使っていたもので、読書が趣味だったおじいちゃんは、本を買ってきてはここで読んでいたそうだ。
そのため、今でも沢山の本が置きっぱなしになっている。
ぼくはおじいちゃんが死ぬとき、この部屋と本の管理をするようにお願いされた。
お父さんとお母さんは反対していたのだけれど、寒川のおじいさんが時々変なものを持ってきていないかとか、ちゃんと掃除をしているかとかをチェックしてくれる、ということでオッケーがでた。
それ以来、ここは友達にも秘密にしている僕だけの隠れ家になった。
でも、おじいちゃんが話してくれていないことが一つだけあった。
それは、この部屋にはずっと昔から変わらずに住んでいる人がいるということだった。
「やあ、将、テストが散々だったらしいな」
部屋に入ってすぐに、明るい声が聞こえてきた。
「どうしてそのことを?」
ずっと部屋にいたはずの人にそう言われて、ぼくは驚いてしまった。
「どうしてって、あれだけ大きな声で話していたら部屋の中にいても聞こえるよ」
その人は楽しそうにそう言うと、持っていた本を、本棚の同じ本があるところへ戻した。
「それで、まだ何か用があるのか?寒川に説得されてテストは持って帰ることにしたんだろう?」
「僕の隠れ家なんだから、何しに来たって別にいいでしょ!」
からかわれたのが分った僕は、怒ってそう答えた。でも、その人は涼しい顔。
「だが、私の住み家でもある。君が来るずっと前からね」
そう言いながら近づいてきたその人の姿は、うっすらと透けていた。
幽霊だ。
お化け、ゴースト、霊魂、言い方は何でもいい、とにかくこの人はもうとっくの昔に死んでいるのに、成仏しないでここにいるのだ。
初めて会った時は本当に驚いた。驚き過ぎてショック死して僕までお化けになってしまうところだった。
この幽霊で僕の隠れ家の先住者の名前は二条義則。
僕は「おじさん」とか「義おじさん」と呼んでいる。
菜豊荘が建ったときからここにいる、というよりおじいちゃんがおじさんを連れて来るためにここを建てたらしい。
おじいちゃんが買ってくる本を読むのが一番の楽しみだったそうで、おじいちゃんが死んだ今、僕がその役目をしている。
毎週月曜日には学校の図書室で借りた本をおじさんに持ってきているのだ。
余り図書室を使ったことがなかった僕が急に本を借りるようになったので、最初の頃は先生や友達がびっくりしていた。
「月曜ではないから今日は新しい本はなしかな?」
「おじさんのペースに合わせていたら、僕が読むのが間に合わないよ」
一応借りてきた本は僕もちゃんと読むようにしている。
そうでないと、その本を読みたいと思っていた人に失礼になると思ったからだ。
前にそのことをおじさんに話したら、
「そういうところは真面目だな」
と、笑われてしまった。
ちなみに、おじさんはどんな本でも楽しめるようで、おじいちゃんが買ってきていた本もぼくが借りてくる本も同じように「おもしろい」と言って読んでいる。
「しかたない、また今度本屋にでも立ち読みに行くか」
「行かないでとは言わないけど、バレないようにね」
実はおじさんは昼でも夜でも自由に動き回ることができる。
あまり遠くには行けないらしく、前に試した時には菜豊荘から半径十キロ位が限界だったそうだ。
でも、たまに僕以外にもおじさんのことが見える人がいるようで、おかしな騒ぎが起こらないように余り出歩かないようにしている。
菜豊荘でおじさんのことを知っているのは、僕の他にあと二人いる。
一人は寒川のおじいさんで、昔からおじいちゃんに話を聞かされていたそうだ。
そのため、この部屋にチェックに入るときには僕がいなくても必ず「おじゃまします」と声をかけているとか。
もう一人についてはまた後で。
「ところで、何か他のことを考えていたのかい?」
「え?」
おじさんの突然の質問に僕が付いていけないでいると、
「テストのことだよ。前に悪い点を取ったのも心配事があった時だったからね」
おじさんの分析力はすごい。的確に僕のことを探り当ててくる。
「実は今度、学級新聞を作ることになったんだけど、そのリーダーをやらされそうなんだ。多分そのことが気になっていたんだと思う」
「なるほど。……それはもう決まったことなのかい?」
「クラスの中ではほとんど決定ずみって感じ。もう六年生だからスポーツ少年団とかクラブだけじゃなくて、塾とか習い事をしている子も多いし」
「そうか。なーんにもやっていない将は皆からは暇そうに見えるってことか」
「その通りなんだけど、実際言われるとなんだかムカツクなぁ」
「まあ、そう言うな」
僕の抗議を一言であっさりとかわすと、おじさんは何か考え事を始めた。
急に黙ってしまったので、怒らせてしまったのかと思った僕は、恐るおそる声をかけた。
「おじさん、怒った?」
よっぽどその声が不安そうに聞こえたのか、おじさんは笑いながら、
「ごめん、ごめん。別に怒っていた訳じゃなくて、学級新聞のことを考えていたんだ」
と答えた。その言葉にほっとしたものの、次の瞬間には新しい疑問が浮かんできた。
「どうして学級新聞のことを考えていたの?」
「そういうことなら何か手伝いができるかと思ったんだよ。将にはいつも本を借りてきてもらっているしね。前から何かお礼がしたいと考えてはいたんだけどね」
僕の質問におじさんは少し照れたようにそう答えてくれた。
感激である!
自分のことをちゃんと考えてくれる人がいるというのは、それだけで嬉しいものなのだ、なんて難しいことを考えたりしてしまった。
「それじゃあ、もしもリーダーになったら手伝ってもらってもいいかな?」
「もちろん。でも、まずは今日の宿題を終わらせることから始めようか」
「はーい」
こうして見事におじさんに乗せられた僕は、いつもよりも早く宿題の計算ドリルを終わらせることができたのでした、まる。
宿題を終わらせて外に出ると、辺りは夕焼けで赤く染まっていた。
「おじさん、宿題手伝ってくれてありがとう」
珍しく部屋の外まで見送りに来てくれたおじさんに声をかけると、気にするなというように手をひらひらと振ってくれた。
鍵をかけて家に帰ろうと振り向いたところで、こちらにやって来る自転車が見える。
「いろはお姉ちゃんだ!お姉ちゃん、こんばんは」
自転車に乗っていたのが知っている人だったことに気付いた僕は、少し大きな声で挨拶をした。
自転車の相手もそんな僕に気づいたみたいで、
「将君、こんばんは」
と、挨拶を返してくれた。
今帰ってきたこの人は僕の隠れ家である一〇四号室の上にある二〇四号室の住人で、大学生の相上織江さん。『いろはお姉ちゃん』と言うのはニックネームで、初めて会った日にそう呼んで欲しいと言われた。
どうして『いろは』お姉ちゃんなのかと聞くと、お姉ちゃんの名前は、名字の相上が読み方を変えると『あいうえ』になって、名前の最初の一文字と合わせると『あいうえお』になる。
でもニックネームが『あいうえお』では可愛くないので、もう一つの五十音の『いろはにほへと』から『いろは』にしたのだと教えてくれた。
「今日は早かったんだね」
「うん。今日はサークルもアルバイトもなかったしね」
建物の横にある自転車置き場へと向かいながら、僕とお姉ちゃんは話し始めた。
しばらく今日あったことを話していると、お姉ちゃんは急に周りを見回すと小さな声で、
「もしかして、二条さんが近くにいる?」
聞いてきた。
実は、いろはお姉ちゃんこそ菜豊荘でおじさんのことを知っている最後の一人なのだ。
もともと入居するときに寒川のおじいさんから「下の部屋にはお化けがいる」と言われていたのだけれど、冗談だと思っていたらしい。
でもおじいちゃんに代わり僕が来るようになって、その声が絶対に誰かと話をしているように聞こえることから本当のことだと分ったと言っていた。
それからは僕のことを見るとおじさんが一緒にいるか聞いてくるようになり、一ヶ月くらい前からはなんとなく誰かがいるのが分るようになってきたそうだ。
「うん、すぐそこの部屋の前にいるよ」
僕が質問に答えると、お姉ちゃんは残念そうな顔をして
「そっかー、いるのかー。私にも見えたりできたらいいのになぁ。せめて声が聞こえたらなぁ……。お話してみたいなぁ」
と、表情と同じく残念そうに言った。
寒川のおじいさんからは「いるのが分るだけでもすごい」って言われているけど、お姉ちゃんとしては僕みたいに見たり話したりしたいらしい。
そんなお姉ちゃんを見て、おじさんは苦笑いをしながら言った。
「別にそんなにいいものっていうわけではないと思うんだがね」
そのことをお姉ちゃんに伝えると、お姉ちゃんは大きな声で叫んだ。
「そんなことないよ!お化けとお話しできるんだよ!ドリームだよ、ファンタジーだよ!」
その勢いに僕が驚いていると、お姉ちゃんは恥ずかしそうに小さな声で謝ってくれた。
「びっくりさせちゃった、ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ。平気へいき」
お姉ちゃんはずるい。
いつもは綺麗でかっこいいのに、こんな時にはとても可愛くなる。
僕はドキドキしてしまって、驚いたことなんてすっかり忘れていた。
「でも、びっくりさせちゃったことに変わりはないし。……そうだ!もし将君が良かったら、今度勉強を教えてあげようか?」
「いいの?」
お姉ちゃんからの突然の申し込みにさっき以上に驚きながら、僕は反射的に聞き返してしていた。
「もちろんよ」
お姉ちゃんから勉強を教わるなんてそんなラッキーなこと、じゃない、そんなためになることを逃がすわけにはいかない。
「ぜひ、お願いします!」
大きな声で答えると、お姉ちゃんは笑って
「お願いされました」
と言ってくれた。
その後詳しい日時は今度会った時に決めることにして、僕はお姉ちゃんと別れた。
家に帰る僕の楽しそうな後ろ姿を、おじさんが部屋の前からずっと見守ってくれていた。