エリザベート
揺れる蝋燭の灯りが石造りの天井をほんのりと照らし出す。パチパチと木々が炎の中で爆ぜる音が聞こえる。風呂の湯がぬるい割に寒くないのは、暖炉があるからか。
何故だ。頭がボンヤリとする。
目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込み、深く、長く吐く。
何かがおかしい。
その違和感の正体が分からない。まだ入浴を続けたかったが、違和感に苛立ちを覚えゆっくりと浴槽の中で立ち上がる。
綺麗な赤い湯が揺れ、床を濡らす。
「布を」
「もう上がられるのですか?」
「ええ」
「しかしこれはすぐ駄目になりますよ」
「駄目になればまた新しいものを準備すれば良い」
「では残り物は頂いても?」
「下賜する」
「有難き幸せ」
ここは私とこの魔術師しか知らない部屋だ。余計な事を話されて、上質なものが入手し辛くなるのは腹立たしい。
使用人はストックだ。最初の頃、これを見て逃げ出した女がいた。逃げられるのも腹立たしい。だからこの魔術師以外には秘密にしている。
夫も殆ど帰って来ないから、この部屋の存在は知っていても、何に使っているのかまでは知らない。あの人はこの家に興味がないから、もしかしたら部屋の存在も知らないかもしれない。
「いつも通りに」
「賜りました」
この場所は他の場所より丹念に綺麗に掃除をしなくては直ぐに汚くなる。
必要とするそれらが、腐りやすいからだ。
夜着を羽織り部屋から出る。ここは奥まった場所にある。鍵は私と魔術師が持つ分だけ。外からも内からも鍵がなくては開かない扉の二つ奥にこの部屋はある。元々隠し部屋か幽閉部屋なのだろう。隠されるように用意されたその部屋は秘め事に丁度良い。
この家は静かだ。
誰も彼もが私の怒りを買いたくがない為に、できる限り使用人用の導線を使うのだ。だから専ら、私が使用人に罰を与えるのは直接の世話をしている時が多い。
例えば、食事のワインを滴らせた時。
例えば、髪の手入れで引っ張った時。
例えば、入浴後のマッサージで爪が肌に当たった時。
例えば、問うてもない言葉を発した時。
例えば、足音が煩いから。
理由は何でも良かった。ただ彼女らの苦痛に歪む顔を見るのが楽しかった。
「ワインを」
食事の時が、恐らく使用人にとっては一番の地獄であろう。よくよく思い返せば、今まで罰を与えるキッカケはその殆どが食事の席での事だ。
食事がぬるいだの、汁が跳ねただの、熱すぎるだの、色々と難癖を付けては罰を与える理由を作った。
だからであろう。使用人の顔は恐怖で強張っている。とはいえ以前に表情が気に入らないと罰した者もいる。それ故に今の今まで気付かない程度の強張りだ。ほんのりと微笑んでも見える程度の無表情。
「あ、」
掠れて、悲鳴にも聞こえそうな微かな声。
手に持つデキャンタから、ワインが揺れて溢れる。一瞬遅れて、バシャリとワインが床に散らばる音が響く。
空気が凍り付くのが分かる。
張り詰めた空気の中、誰もが声を発する事も出来ない。私の与える罰に怯えているのだ。指示があるまで動いてはならない。ここでは直ぐ様平伏し謝る事でさえ、エリザベートの気に障る事があるのだ。
ワインを零した使用人の、短く浅い、絶望の呼吸が耳に障る。
いつもであれば、気の向くままに鞭を振るい、気の済むまでその悲鳴と恐怖や痛みに怯える顔を楽しんだ。度が過ぎてもそれならそれで使い道があるからと、控える事もしない。
それが何故だ。今日は気分が乗らない。特別な風呂に入った後だからだろうか。
「・・・片付けなさい」
控えている使用人にも目をやれば、意図を汲み取ったのか素早く動き片付ける。ワインを零した使用人は恐怖に震えている。罰を与えれば良い表情をしそうだ。そう思うのに気が乗らない。
「・・・今から明日一日、食事を抜きなさい」
私にしては軽い罰だ。
いつもであれば気の済むまで鞭を与えた。それで相手が死んでしまう事もある程に、だがどうしたのだろうが。気が乗らない。
「それが罰です」
使用人の夕食はまだだ。今からの食事抜きの罰は死ぬよりはマシであるが、辛い時間となるだろう。
「エドワード」
「はい、奥様」
「貴方が監視なさい」
「畏まりました」




