ゆるやかな牢獄
ああ、息が詰まる。
あそこは牢獄だ。格子も枷もないが、悪意に満ちている。私を蔑み、怖れているのに、表面のみを取り繕い、不気味な笑みを向けてくる。
「・・もうバレたか」
微かに森が騒がしくなる。
あの牢獄からの追手だろう。閉じ込めてもいないのに、奴等は私があそこから逃げる事を禁じている。
「今回は服も替えてきたのに」
前回は服も着替えずにあそこから森に逃げ出したせいで、直ぐに捕まってしまった。ヒラヒラの繊細な服が通った場所の彼方此方にやぶれては引っ掛かっていたらしい。
直ぐに破けるような繊細でヒラヒラの多い衣装。何度目かの脱走後に用意された服の用途は、まさにそれなのだろう。まるで拘束しない鎖だ。
「捕まえても、何をするわけでもあるまいし」
最初こそ、捕まった時は恐ろしかった。閉じ込め、監禁されてしまうかもしれないと、帰りしな嫌な想像ばかりしていた。
しかし彼等は私を連れて帰ると、特に何の処罰を与えるでも無く放置した。
訳が分からなかった。見張りの数こそ増えたものの、環境は何も変わらなかったのである。
「どうせ放置するなら、脱走も無視してくれればいいものを」
そう口では言いながらも、彼等が私を放置できない理由はなんとなく分かっている。女一人がこんな軽装備で森の中、長期間生活が出来る訳がない。つまり直ぐ野垂れ死にすると思われているのだ。概ね、間違いではない。実際逃げてはいるものの、ここで何年も健康で過ごせるとは思えない。
彼等も私を扱い倦ねているのだ。殺しも出来ない、意に沿わぬ扱いも出来ない。だからと言って放置する事も出来ない。厄介な存在。
「・・・」
そう、私はこの世界にとって厄介な存在なのだ。
人間にとっても、それ以外にとっても。
「グルルルル・・」
唸り声に目をやれば、視線の先に大きな獣の姿を見つける。うす暗い森の中ではそのシルエットしか見えないので何の獣かまでははっきりと分からない。大きさ的には熊だろうか。
「あっちには行くなって事ね」
森の動物たちは敵ではない。だが味方でもない。ただ彼等は一定の距離を保ち私に付いてくる。そして危ない道には進ませまいとするのだ。動物たちも分かっているのだ。私が死んだら困ったことになると。
私を襲わないと知って最初にしようとしたのは、動物達をモフる事だ。しようとした、で分かると思うが、それは実現しなかった。
動物達は私を襲わないが、必ず一定距離を保つのだ。道を塞ぐ獣を触ろうと近付いたら、ジリジリと距離を取られ遂にはその動物は崖から転がり落ちてしまった。私に触られるよりも死を選んだのだ。
罪なき獣を殺してしまった事に呆然としている内に捕まって、獣がそうする理由を淡々と聞かされた。概ね納得できる内容だった。野生の獣には特に、多くの寄生虫や未知の病原体を持つ可能性を秘めている。それを獣か理解している訳ではないが、それにより私が死なない為に殆どの動物は私を避けるのだそうだ。それに加えて大型の獣はちょっとしたじゃれ合いが致命傷になり兼ねない為に近付かないのだそうだ。
つまり、大小含めて殆どの獣は私を避ける。だから私も無理に近付かない事にした。だって殺したい訳じゃないから。
「・・ちょっと位、触らせてくれたっていいのに」
そんな事を言っても仕方がないのは分かっている。なんたって相手はただの獣だ。相手を害してはいけないという意味不明な本能の本質を理解しろなんて無理な事だ。多分獣たちにとって、私は意味不明で不可解な存在でしかない。
犬さえ触らせてくれないのはちょっと寂しい。
「あ、これ食べれるんだ?」
そして獣たちは食べられるものを教えてくれる。最初は気付かなかったけど、一度気付けば何で気付かなかったのか分からない位にあからさまに示されている。
簡単に言えば、実付きの枝が地面に刺さっているのだ。その下には食べれる物だと教えているかのように食べかけの実が落ちている。
「アケビっぽい」
獣たちは私の事を随分と弱い生き物だと認識している様だ。実は決して地面に落ちたものは食べさせてくれないし、沢の水も飲ませてはくれない。獣たちが直に触れたものも除ける始末だ。多分間違ってはいないんだろうけど、そんなに弱くはないはずなのだ。
「おいしい」
この世界で私は不自由なお荷物だ。
「はあ、」
やるせない。
この世界の『何か』は恐らく私を必要として呼んだ。そしてこの世界に生きる生物も私がこの世界に必要なものなのだと本能で理解している。しかし何故必要なのか、そしていつまで必要なのかは全く分からない。そんな状態だ。
「・・・」
私が死ねば、何か良くない事が起こる。
それが分かっているから、人も獣も私を放ってはおけない。逃げるのが悪い事だっていうのは分かっている。けど本能の薄れた人間は、時に何より鋭い言葉の刃を奮う。
「・・・」
逃げる事によって迷惑と手間を掛けるのは分かっていても、あの濁った沼の様に息苦しいところから逃げてしまいたかった。
それに森での安全はほぼ保証されているようなものだ。彼等は私を探しはするけど、焦ってはいない。最初こそ大捜査団が結成されてしまったけど、回数を重ねる毎に投入される人数は減ってきている。
「見つけました。アリサ様」
「リーフさん」
見つかってしまった。だが彼に見つかったのは悲観するところではない。
「気分転換、もう少し付き合って下さい」
彼は森の探索に詳しい元猟師の兵士だ。三度目の脱走の時に雇われたと聞いている。元猟師故か、勘が良いというか、本能を失っていないタイプの人間だ。
「わかりました」
だからこそ、無理強いをしてこない。
リーフさんは私が帰りたくなるのを待ってくれる。とはいえ一人でなくなったのならば森にいる意味もない。日が暮れる前に帰宅の提案をすれば、彼は慣れたように道案内をしてくれる。
「お帰りなさいませ」
「・・只今戻りました」
誰もこの逃避行に文句は言わない。まるで何事もなかったかのように彼等は私を出迎え、また見張るのだ。
「お風呂のご用意は済ませております」
「ありがとうございます」
お風呂は洗われる訳ではないけど、常に見張りとして侍女が一人付いている。監視という名目だからか、体を洗っている時もこちらを見ているようで恥ずかしい思いもしたが、今はもうその視線には慣れてしまった。だからと言って居心地が悪いのは変わらない。
ここのお風呂はかなり広い。旅館の大浴場に似ている。設備としてはサウナにマッサージ台がある。監視があるのは嫌だと言いつつも、オイルマッサージは好きなのでお風呂の後はほぼ毎日して貰っている。我ながら図々しいとは思う。




