坩堝
不死、というとどんなものを思い浮かべるだろうか。
大抵の人は無敵とか、不死による注意力の低下とか、不老、永遠を思い浮かべるのではないだろうか。
永遠というものはある意味では正解している。しかし不死というものは大抵、同一の体であるという事が無意識下の共通項目としてあるのではないだろうか。
私は不死である。
しかし、恐らく人々が思う不死とは大きく異なるものであるだろう。
私が初めて不死を自覚したのは、人に成って肉体を損失した時だった。
「母さん、私、何回か犬になってた事があるよ」
「お犬さんだったの?●●は可愛い犬だったんでしょうね」
母は子供の冗談だと受け取った。
言葉を学び、文字を学び、歴史を学び、世界を学ぶ。テレビを見て、映画を観て、漫画を見て、小説を読み、知識を得る。
人である前には触れる事の出来ない知識は面白かった。
「●●って変わってるよね~」
「ちょ、聞こえるって・・」
「聞こえても気にしないでしょ、あの子」
言っている事は間違いではない。私にとって、それは些細なものだった。
私が知っている死という概念は、どうやら他の人間と違うらしい。そう気づいたのはいつだったか。
「燃やして箱に閉じ込めたら、次になれないよ」
私の言葉は意味不明であったそうだ。
肉体の喪失後、私は虫になる事もあれば、違う動物になる事もあった。
私はただそこに在り続ける。
何かが私を取り込むまでは、ただそこにあり、生物に取り込まれずに植物に取り込まれる事もある。私はまるで次の宿主を探すかのように移ろいでいた様に思う。
はっきりと自我が確立したのは人間という種族になってからだ。人間という種族はよく物を考える。他の生物であった時は考えもしなかった。まるでそれは甘い毒のようで、それが私の魂から消え去る事はなかった。その事実に気付いたのは人からまた動物の体に成った時だった。
人間が知恵を禁断の果実と称する理由が分かるというものだ。知恵は一度得てしまえばそれを失う事はない。知恵が増えれば増える程、種としての本能は薄れていったように思う。
一度人間としての生を得た事により、私は生物として逸脱する様になった。