混沌の異世界での私の日常
「異世界ってもっと、非現実的で夢みたいに自由な世界だと思ってた」
思っていたよりもずっと、異世界は現実的で厳しくて、不自由で時には人権さえ危うい。
「ユーリは渡り人の割には上手くやってる方だと思うけど」
「かもしれないけどさ、これなら元の世界の方がずっと楽しかったわ」
「こんだけ楽しんでるのに、元の方が良いとか、どんだけ良い世界だったんだよ」
「まあ、良し悪しだけど、少なくとも生活の質も物流も旅行するのも絶対向こうね」
「それって向こうの方が絶対良いって事じゃねーか」
この異世界は混沌としていて、異世界からの来訪者をそこら辺の人が『渡り』と呼称する位には当たり前の事象として受け入れられている。勿論その異世界とは地球以外にも沢山あって、人の形を取っている知的生命体を『渡り人』と呼び、それ以外をただの『渡り』と呼んでいる。
「ここじゃあ旅行は貴族様がするもんだからな」
「一応冒険者や商人も旅行してんじゃない」
「ありゃ旅行じゃなくて開拓だ」
勿論、その混沌の中にはまさに異世界という事象や現象、登場人物も存在する。
しかしそれらは遠い国での出来事で、力なき渡り人には何ら関係のない出来事であるのだ。
「私の世界の小説じゃ、異世界に行ったら特別な存在になるのが当たり前なのになぁ」
「そりゃ夢みてぇな話しだな」
「そうね、現実から逃げる為の、夢の中の話しよ。現実は異世界でもそんなに甘くないのねぇ」
「そりゃな、色んな種族がいる分、生存競争が激しいんだろ」
「見てる分には面白いけどね、渦中には巻き込まれたくないわよね」
「ま、ユーリは大丈夫そうだけどな」
「そんな事ないから、いざという時は同じ渡り人のよしみで守ってね」
「へいへい」
「頼りにしてるからね、モルディア」
モルディアは私とは違う世界から来た渡り人だ。
私がこの街に馴染んで数ヶ月経つ頃にこの街で拾った。下手に力を持っていた分、やんちゃしてしまったらしい。ボロ雑巾の様に裏路地に転がるモルディアを、私は気紛れで部屋に上げたのだ。
私を襲う体力もなさそうだと思ったのもあるし、その頃には経済に多少の余裕が出来るようになっていたからというのもある。何より、もしかしたらこの人を拾えば何か冒険が始まるかもと心の隅で思ってしまったのもある。まあ、それはただの願望で終わり、今も大して変わらぬ生活を送っている。
「そういやマリがお前を探してたぜ」
「・・何の用よ?」
「大方また何かやらかしたんだろ」
「いい加減私に関わらないで欲しいわ~」
「お前が何だかんだ面倒見るからだろ」
「だって見捨てるのも何だかねぇ・・」
マリとは珍しく同じ世界のしかも同じ国からの渡り人だ。異世界チートのない現実を受け入れきれずに「きっと現代知識チートなのよ!」と言っては何かしらの製品を再現しようとして失敗している。その度に借金が増えて売春宿に入っているのだが、商品再現を止めようとしないので高確率で特に食費が足りてない。どちらかというと微笑ましい馬鹿なので見捨てきれないのだ。
「まあ、面倒見ると言ってもついでにエサ上げてるだけだし、見てて面白いからペットと思えば可愛く見えなくもない気がする・・・」
「あの情熱を他の事に向けりゃいいのになぁ」
「そうね、そしたら人並み程度には生活出来るのにね」
この世界の売春婦には性病が多い。避妊具は普通に存在するが、民度の問題なのだろうか、それを使う事は少ないらしい。余程の魅力がない限り、避妊具を使用する売春婦は敬遠されるそうで、客を取る為に皆生でする事が多いそうだ。マリも例に漏れず避妊具を使用していない。異世界チートできっと性病にはならないと妄信している。さらには売春宿に上流階級の客が来て見初められるパターンかも、と妄言を吐いている。因みにマリが働いている売春宿は大衆向けの陳腐な店だ。清潔感に掛けていて、とてもじゃないが上流階級が来る可能性を微塵も感じられない。
私にこれと言った害がない上に、人懐っこい性格で私に懐いているがら邪険に出来ないというのもある。見ている分には行動の一つ一つが面白いし、実害あるまでは放置予定だ。時々鬱陶しいと思うこともあるけれども、この侭ならない世界で丁度いい気晴らしになる。
「ユーリちゃん!やっと見つけたぁ!!」
「はいはい、今度は何やらかしたの?」
「異世界人はマヨネーズに飛びつくんじゃないの!?」
「なに、マヨネーズ作ったの?」
「うん」
「どれ」
差し出されたのは確かに見た目はマヨネーズだ。はっきり言ってなめたくも無い。
「味見したの?てかいつ作ったやつよ」
「一昨日の夜に作ったの。味見はしたわ!」
マリが今こうして元気にしているという事は直ぐに害の出るものではないらしい。舐めるくらいなら良いかと思い、指で少しすくい舌先で舐める。
「なんか・・・あんまり美味しくない」
「何でだと思う!?」
「いや、作った事ないし・・知らないけど・・油が悪いんじゃない?なんか、油臭い・・」
「ええ~・・安くてお薦めの油だって言ってたのに・・・」
「何処で買ったの?」
「アイリンエリアの方にあるお店」
「・・・ああ」
治安も良くなければ、人なんて騙してなんぼな地域だ。恐らく古くなった油か、もしくは食用とは言い難い油でも売られたのだろう。
「多分油の質が悪いのね。古い油だったんじゃない?」
「混ぜるの大変だったのに~!!」
「残念ね、質の良い油は高いし、マヨネーズは諦めた方が良いんじゃない?」
大体パッケージでスーパー等で売られている姿しか知らない世代が、自分でマヨネーズに合う油を探すのは無理だろう。工業用と食用の違いも分からないんじゃないか。それにどれから採られた油かによって味にも違いがあるだろうし、ミキサー等がないこの世界ではマヨネーズの量産自体が難しいんじゃないかと思う。人を使って量産しようにも情報漏洩なんて概念のない世界で、口止めする事の大変さを実感するだけになるだろう。実は以前にも情報漏洩で広がった食べ物が幾つかある。マリには商才がなさそうなので大した問題ではないが、何時まで経っても学習しないものだ。
「卵丸々一個使ったのに勿体なくて捨てられない・・・」
「・・我慢して食べる?」
「無理~・・・」
多分貧民街の子供にでも上げれば喜んで食べるだろう。しかし安くても美味しいものがあったあの世界生きていた私達は基本的に舌が肥えている。私は美味しいものも沢山食べたが、母がメシマズだったお陰で多少の悪食は我慢できる。しかしマリは至って普通の舌をしているので、時々可哀想になる。
「また売春宿に入るの?」
「うん、じゃないとお金がないもの」
「・・変に挑戦しなきゃお金も無くならないわよ」
マリは何かを再現するにあたって材料を集めようとしているのだが、既にカモとしてリストアップされているのか、高確率で変な物を掴ませられる事が多い。それも価値の割には高額で、純粋なのか只のバカなのか、それでもマリは懲りない。
「だって、折角の異世界だもん。絶対次は成功するわよ!」
「その前向きさが羨ましいわ」
基本的に自分以外を信用しない私には出来ない芸当だ。
たまに冒険はするけれどリスクは低く設定しているから、求める結果を得られなくても、と言うより損失が出たとしても諦めが付く程度に抑えているのだ。
マリはハイリスクハイリターンのつもりでいるが、私から見ればハイリスクローリターンだ。寧ろノーリターンかもしれない。損得勘定の概念がないのか、それともただのおバカさんか。嫌いではないけれども、懐に入れることは出来ない子だ。
「・・入る宿は変える事をお勧めするわ。最近、大衆店では梅毒が流行っているそうだから」
「大丈夫よ!私は病気になんかならないわ」
「今までは運が良かっただけよ」
「私は運がとっても良いんだから、大丈夫!」
「運が良いなら、とっくに成功してると思うけど」
「・・ユーリちゃんって時々すっごく意地悪だよね」
「意地悪で言ってる訳じゃないんだけど」
この話題はマリが1番嫌がる話題だ。
「今の状態はきっと神様の試練なのよ。これを乗り越えれば、素敵な未来が待ってるわ」
時々思う。マリは本当は自分が不毛な事をしていると気付いているのかもしれない。けれどそれを認めてしまえば、心の拠り所がなくなり、もうどうしようも無くなる気がしている。だからこそ、助言を否定して都合の良い妄想に取り付かれている。
それこそが、彼女の唯一の心のバランスの取り方なのかもしれないと。
「まあ、無理はしないで」
別に私を巻き込まないのであれば好きにすれば良い。それが私のスタンスなのだ。止めはしないけど、助けもしない。
◆
「最近どうだ?」
「別に、いつもと変わりないわ」
「そうか」
「・・何よ、急に」
「いや、まあ、元気にしてるかと思ってな」
私に対し気を遣っているような態度を見せるモルディアは珍しい。私自体がサッパリとした態度を好むからというのもあるが、お互いが恋愛対象にならないだけに、なんとなく自のままで接する事ができる珍しい相手だったからだ。
「・・そういえば、最近マリを見かけないわね。その変な気の遣い方はマリが関係しているのかしら?」
「・・・マリが、死んだらしい」
重苦しく口を開いたかと思えば、いつかは誰かが言うであろうと思っていた台詞をモルディアが言った。
「・・・原因は?」
「病気だ。下層の娼婦が罹る病気になってたらしい。周りが様子を見に行って発症に気付いた時は手遅れで、ユーリに知らせる前に死んじまってたらしい」
あんな小汚い安宿なんかで売春しているからだ。
「そう・・」
「死んでユーリに知らせるのはって事で俺んとこに知らせが来たんだ」
「・・・」
可哀想、だとは思う。でもそれはマリの選んだ道で、その先にどんなリスクがあるのかは伝えていたし、自業自得ではある。
「マリは無縁仏の共同墓地に埋葬された」
「・・分かったわ」
思えば1年くらい連絡もなく会っていなかった。寂しいとも思わなかったし、会いたいと思っていた訳でもない。それでももう二度と会うこともないのかと思うと、胃の底から押し上げられるような苦しさを感じた。
悲しいとは違う。あれは、辿ったかもしれない別の未来だ。だからこそこんなにまで息苦しさを感じるのか。
「・・出掛けてくる」
「俺も行こう」
「・・・そうね、貴方も親しくしてたものね」
途中で花を買って墓地へと向かう。
渡り人は結婚しない限り血縁はいない。結婚自体が珍しい上にそもそも難しいのだが、その辺の事情は今は割愛しよう。
元の世界に帰れる可能性は全くと言っていいほど無い。帰る方法は噂程度に幾つかあるが、信憑性はかなり低い。渡り人は毎年何人も行方不明になるが、大抵は誘拐や夜逃げだ。
だからこそ、帰る事に期待はしていないし執着もしていない。それでもこうして渡り人の死を見送る度に、いずれ私もこの地に骨を埋める事になるのかと、言い様のない虚しさと不安で胸が苦しくなるのだ。
「・・・」
共同墓地にはまっさらな石碑があるだけだ。名前が刻まれる訳でもなく。この石碑の真下に祈る相手が居るわけではない。ただ祈る場所を明確にしただけの、目印。
既に異世界転移でそれなりに知人も出来て一応は適応している状態➡夢見がちな転移者の知人が何人かいる➡騒動を起こす異世界人を見ながら気ままに暮らす➡何度かマリの騒動の仲裁に呼ばれている内に何故か他の異世界人とのトラブルでも呼ばれるように➡仕事中は勿論対応しない➡何故か異世界人もトラブルの時に主人公に言ってくるようになった➡面倒臭い➡それでも手の届く範囲で一応の仲裁を行った⇒大体3度目には漸く自分が特別な訳ではないと気付いて大人しくなるが、マリは懲りる様子もない⇒ある日、マリを見掛けなくなった⇒流石に心配になって様子を見に行く⇒梅毒になっていた⇒自分は大丈夫なんたと言い聞かせるように弱々しく呟いている⇒異世界とは言っても、治癒魔法といったような奇跡はない⇒日に日に弱っていくマリを見舞う人はいない⇒