魔女の棲む国
この世界には偉大なる魔女が住んでいる。それぞれの魔女は互いに不干渉を誓い合い、それぞれが一定距離離れた土地へと移り住んだ。
夜の魔女は優しく穏やかで、誰にでも平等であり平穏を愛した。それ故に望まれて中央の地を治める事を選んだ。
氷の魔女は東の大地を選び、氷と相性の悪い炎の魔女は反対の西の大地を選んだ。緑の魔女は南の地を、水の魔女は北の地を選んだ。
光の魔女は人を見下していた。自分こそが神に選ばれし使徒であると主張し、大陸の真裏にある果ての孤島を選んだ。
夜の魔女の国の名はエルヴィラ。
魔女の名前に由来している。国の守護者として君臨しているが国王は別におり、統治者というよりも象徴として存在している。しかし悪意を持ち国境に攻めいれば、エルヴィラの夜の闇がたちまち侵略者を襲う。
名前を受け継いではいるが、初代とは違う子孫である。夜の魔女は代々一人だけ女児を生み育て、王族に連なる者と婚姻を結んでいる。
しかし初代エルヴィラは亡くなった訳ではない。彼女は深い眠りについている。それを知るのはエルヴィラの名を継ぐ者だけである。
初代エルヴィラが眠る理由は愛する人との再会である。偉大なる魔女は死を知らない。死ぬ事も老いる事もなく生き続ける。初代エルヴィラは素晴らしい統治者であった。死なない統治者は国に安定をもたらした。初代エルヴィラは人を慈しんでいた。しかし彼らは余りにも儚い。他の魔女とは違い、初代エルヴィラは完全なる統治者である。理解者はなく、彼女は崇拝され次第に孤独となる。
そんな折に一人の青年に出会った。青年はエルヴィラを愛し、エルヴィラもまた青年を愛した。その青年は現代も続く王家の初代国王である。しかし幸せは永くは続かない。永久を生きる魔女にとって、人間の命は余りにも短い。
青年とエルヴィラの間には子供があった。複数いた子供のうちたった一人だけ、エルヴィラの力を継いだ子がいた。妊娠期間は長く、生まれたのは青年が亡くなってずっと経ってからである。青年を失ったエルヴィラは憔悴した。青年を探し彷徨い、少しずつ狂っていった。国を統治できる状態にはなく、息子らが国王となり、国を治めた。エルヴィラに孫が生まれる頃、エルヴィラの力を継いだ子が生まれた。人にしては、随分と長い妊娠だった。娘が生まれて、エルヴィラは少しだけ正気に戻った。しかし哀しみが晴れる事はなく、娘はそんな母を見て育つ。
娘が大きくなる頃、エルヴィラの息子の最後の一人が亡くなった。エルヴィラの心は益々娘に向けられる。青年が残した最後の愛の証。それが娘だった。
娘はそんな母に父を合わせてあげたかった。そしてそれ以上母に哀しんで欲しくなかった。そんな時、青年の生まれ変わりが子孫に現れた。エルヴィラの想いが魔法となり青年の魂を引き寄せたのだ。既に何代か重ね血の薄れていた生まれ変わりが大きくなった頃、生まれ変わりとエルヴィラは婚姻を結んだ。娘はこんなにも幸せそうなエルヴィラを見るのは初めての事だった。しかしやはり人の生は短かった。
その頃漸く見目の成人した娘は、それ以上母が悲しむ姿を見たくなかった。だからこそ娘は母を眠りにつかせた。またいずれ父が転生した時だけ目覚めるように魔法を施した。
娘は母の力を受け継いだものの、永遠を生きる力は無かった。また一定の世代を重ねると、魔女の血が薄れ父の魂を引き寄せられない事を知る。魔女の血を薄れさせぬ為に、娘は王族と婚姻を結ぶ。それにより時間は掛かったものの父は再臨を果たした。
母は幸福を享受し、父と共にまた眠った。
娘は両親のため、魔女の力を受け継ぐ娘にエルヴィラと名付け役目を与えた。狂った母に育てられた娘もまた、狂っていたのだ。しかし魔女の血も徐々に薄れ、初代エルヴィラが目覚める機会は殆ど無かった。しかし彼女はまだ眠りの底で生きている。
氷の魔女の国はモンテリマール。
魔女の名前はシェイネ。彼女も同じく深い眠りの底にいる。シェイネは前も見えぬ程の吹雪で国土を閉ざしている。しかしその吹雪は中心に行けば行くほど弱まり、シェイネの眠る半径五十キロ程は春のように暖かい。その為国土の生活圏は狭いものの、場所によって育てられる作物は豊富だ。
シェイネの与えた通行証を持つ者だけが吹雪を抜けられるが、数はたったの二つしかなく、シェイネの眠りを守る一族が国家代表となりて独占している。
シェイネは春の陽射しの中で、氷の棺に身を委ねている。そこを中心に王城は建てられ、シェイネの棺は宰相しか入る事の出来ない城の中庭に鎮座している。
国交は夜の魔女の国のみ。
シェイネは心根は優しい魔女であった。素直で、純粋で、それ故に人間に騙された経験を持つ。深く傷付いたシェイネはそれ以来人を心から信じることが出来なくなり、少数の信頼できる者だけを側に置き過ごした。
しかしやはり魔女にとって人間は儚い。信頼できる人間は徐々に老い衰える。彼らはシェイネが信を置けるようにと子を育てシェイネとも交流を持たせたが、それでも足りなかった。徐々にシェイネは心を閉ざすしかなかった。そんな中夜の魔女が愛した人が転生した事を知り、シェイネはエルヴィラに会いに行く。
意図的な魔法ではなかったが、エルヴィラはシェイネにその魔法の感覚を教える。シェイネはそれを実行するが、中々上手くはいかなかった。必要なのは魔女の血なのだろう。しかしシェイネは過去の経験から人と深く関わる事に臆病になっていた。故に人を愛する事が出来ない。愛のない行為をする事もできない。
シェイネは別の方法を探した。シェイネが信頼した彼らの子孫は基本的にシェイネを守り支え、そして尽くすようにと教育される。それ故に過ちは起きてしまった。シェイネが手を出さなかった人体実験を、彼らは自らの手で行ったのだ。
最初はシェイネがたまに協力を求めるだけであった。人を信用していないが基本的に純粋なシェイネは、研究内容を聞かれれば正直に答えていた。協力がいつしか共同研究になり、互いに研究材料となる相互の体組織、血液、毛髪などを提供し合っていたのだ。それぞれの一族は競い合っていた。
そしてある日、ある一族の研究が実を結ぶ。凄惨な研究過程は秘匿され、成功した研究結果だけがシェイネの前に差し出された。その赤子を胸に抱き、シェイネは泣いて喜んだ。
しかし喜びは長く続かなかった。凄惨な研究の果てに出来上がっていたのは、歪な器だった。彼は人に比べて老いるのが早かったのだ。只でさえ人は儚い。ましてや彼は信頼する人の生まれ変わりなのだ。彼の寿命を延ばそうと研究を重ねる中、今までされていた研究のその凄惨さをシェイネは知る事となる。
優しいシェイネには耐えられなかった。シェイネは彼だけを側に置くようになり、益々人から離れていった。全ての研究を凍結し、最後の時を穏やかに過ごした。彼が亡くなるのを見届けて、身内が彼を迎えに来たのを見届けて眠りについた。
その一族が代々宰相を継ぎ、シェイネの眠りを護っている。
緑の魔女の国はアテナイス。
魔女の名はロシュ。彼女は自由で人ところに留まる事を知らない。ロシュは眠ることなく国中の好きなところで過ごしている。その多くは契約した元老院が用意した別荘である事が多いが、ロシュは森や自然が好きで野宿する事もある。その所在を知らせる事はなく、気が向いた時に宝石をねだっていたのだ。
ロシュは恋多き女性でもあり、魔女の血を引く子供を各地に幾人も作っている。多くは僅かながらに魔女と同じ力を宿し、国をより豊かなものにしていた。
アテナイスは隣国の影響で、東は何時も気温が低く、西は常夏のようである。しかし国土は常に緑豊かで、どの国よりも多くの作物が実る。
ロシュは一説には眠りについたとされているが、時折ロシュの為に用意されていた別荘が使われた形跡が残る。恐らく彼女は眠ることなく各地を転々としているのだろう。
ロシュは人を好いてはいるが、愛してはいない。子供を生み育てる事もあるが、基本的には元老院の誰かに預けて終わりである。
水の魔女の国はフルダ。
魔女の名はメルガ。メルガは雨が好きだ。眠りについた場所は大きな湖の中で、その場所には常に雨が降るようにした。結果フルダは水の豊かな国になった。
フルダの季節は少々変わっている。元々は巨大な砂漠ばかりの国で、オアシスも少なかった。メルガはそこに広がる青く美しいオアシスが好きだった。だからそこを自らの眠る場所に定めたのだ。誤算は砂漠の民がメルガの眠るオアシスを中心に国を作ったことだろう。現在はその豊富な水量により緑化が進み、美しい国になっている。ただ魔女の愛したオアシスを残すために、ある程度の砂漠を手入れしながら残している。
フルダには夏と冬がある。しかし冬でも西側は暖かさが残り、夏は東側が涼しく過ごしやすい。ただ逆に夏の西側と冬の東側はとてもじゃないが生命の生活圏とは言えない。その為か意図せずともその国境付近は砂漠が維持されている。しかしその不毛の地を過ぎれば豊富な水量による亜熱帯地域があり、数多くの生命が活動している。
炎の魔女の国はナバル。
魔女の名はジョーン。ジョーンは建国当初、女王として即位していた。しかし戦争を繰り返し、逆らう者を容赦なく処刑するその苛烈さから退位を望む声が高まり、反乱が起こる。怒り狂ったジョーンの魔力によりナバル自体が炎に包まれた。かくや滅ぶかという時、夜の魔女エルヴィラが助けの手を差し伸べる。
ジョーンはエルヴィラにより封印され、その封印の地はジョーンの怒りにより灼熱の炎に晒され、今なお不毛の地として残っている。国全体は常夏である。国境はジョーンの意地で保たれている。
光の魔女の国は孤立している。
光の魔女の名はジャンヌ。ジャンヌと共に連れ立ったのはジャンヌの信奉者達である。関係は決して対等ではなく、主従である。国名は定められていないが、敢えて言うなら神の島。
光の魔女の与える恩恵で飢えはしないが豊かでもない。しかしジャンヌは基本的に人間に無関心であった為、次第に階級社会は厳しくなり下のものは飢え上のものばかりが富む体制が出来上がった。
常に春のような陽気に包まれており、光の魔女の恩恵で病気もない。鎖国していて国交は完全に絶たれている。海流は荒れるように魔法を掛けられ、島への出入りはできない。




