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【-8-】

 『突発性難聴』は難病指定されていない聴覚の異常である。原因は極度のストレスや睡眠不足と言われている。そう説明されながら僕は大きな病院で点滴を受け、更にレントゲンや心音と脈拍の検査、血液検査も受け、家に帰らされた。


 この時点で右耳はほとんど聞こえておらず、更には平衡感覚を失い、リビングに座ってからはまるで動けなくなった。家族には顔が蒼白であったと言われ、更に少しでも頭を動かすと視界が文字通り回転しては元の位置に、また回転しては元の位置にを繰り返し、激しく嘔吐した。それが少しでも動けば繰り返されるものだから、入浴も歯磨きは勿論出来ず、トイレに関しては嘔吐した時用の新聞紙の入った洗面器を両手に持って向かった。


 病院の医師には明日も来てくださいと言われたが、当日になっても僕はその足で、病院に向かうということが出来なかった。見かねた母親が病院に電話を掛け、「とにかく毎日の点滴が必要らしい」ということで介護タクシーを勧められたらしく、僕は家の前に停まったタクシーから折り畳み式の車椅子に嘔吐感を抑えながら乗り込み、そして病院に向かった。


 この時、頭の中は『突発性難聴』のことで一杯であったが、車椅子に乗っている時だけは、なんだか高校一年生の夏休みを思い出して、気持ちが楽になれた。介護タクシーから降ろされ、病院に備え付けの車椅子に乗り換え、医師の元に父親にハンドルを押されて向かった。メニエール病というものがあるらしく、その可能性を消し去りたいということでMRI検査を受けた。ここでまた吐きそうになったが、ギリギリのところで堪え、その後、医師に呼び出されてメニエール病や脳腫瘍が原因では無く、間違いなく『突発性難聴』であることが確定した。そして、僕がとても通院できる状態に無いこと、日曜日は来院できないことから、入院することを勧められた。


 入院期間は土日を挟んで五日間。点滴を一日でも切らすと、聴こえの回復が悪くなるらしいので、両親に悪いと思いながら僕は母親を電話で病院まで呼び出し、受付で入院の手続きを取ってもらった。非常に申し訳無いが、耳鳴りが取れていない状況で集団の病室に入るということは耐えられず、個室にしてもらった。


 帰宅後、入院の準備を進め、次の日、まだ歩くことすらままならない僕は、食事とは呼べない食事を摂り、介護タクシーに乗って、車椅子で病室に入った。


 その日の昼食に出されたもので特に憶えているのはカレーだ。病院食なんて不味い物だと僕は勝手に決め付けていたが、とても美味しく、昼の点滴を受ける頃には平衡感覚に回復が見られ、胃が求めるままに完食した。そうして僕は、両親を病室から見送り、入院生活が始まったのである。とは言ったものの、特にやることも無かったので、点滴のあとに訪れた睡魔に誘われるままに僕は眠りに落ちた。


 夕方頃に目を覚まし、恐る恐る頭を左右に動かして、視界がほとんど回らないことを確かめ、ゆっくりとベッドから降りた。


 車椅子の少女が言っていたように、個室の窓には柵が付いていた。備え付けの車椅子をジッと眺め、しかし自身の足でフラフラではあったが歩くことができ、そして吐き気を催さないことから、もう乗ることは無いだろうなという気持ちを抱えつつ、催していたトイレを済ました。


 五日間の入院生活で語ることはほとんど無い。朝食を摂ったのち点滴を受け、その後は昼食まで自由時間、昼食を摂ればまた自由時間。しかし、点滴以外にも処方されていた薬の中には睡眠を手助けする作用の物も含まれていたらしく、ひたすら僕は眠り続けた。足りていなかった睡眠を取った。両親は毎日やって来て、僕の顔を見に来てくれたし、友達も僕が近況をメールで伝えたことで、一回ではあったが顔を出してくれた。他愛の無い会話をし、それが終わったら、家から持ち込んだ携帯ゲーム機で遊び、夕食後は就寝前まで小説を読んで過ごした。


 小説を読むたびに、病室の横に畳まれて置いてある車椅子を見るたびに、少女を思い出す。懐かしさは薄れない。読んでいる小説は、推理小説。何度読んでも飽きない上に、何度も何度も少女を思い出すことができる。


「なにしているんだろうな」


 そんな風に僕は呟いたことを憶えている。


 昔に出会った誰かのことをふと考えるのは誰だって同じだろう。特に僕は思い出す相手が少なかったため、必然的に車椅子の少女のことばかりとなった。


 だからと言って、この入院中に会えたわけではないけれど。

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