表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

【-11-】

 その後の話をしよう。ここからは余談となる。決して美談では無い。なんの変哲も無い、その後である。小説で言うならば『あとがき』が相応しいだろうか。


 ホタルの舞う日――こんな簡潔で、しかもどこか美しさを交えたような表現は僕らしくない。あのホタル観賞会の日に僕と彼女は再会し、衝動的に様々なことを語り、そして「付き合って下さい」と言った。それに対して彼女は条件を出して来たが、僕はそれを三日後になんとかクリアし、付き合うこととなった。


 彼女には「無理でも挑戦してくれたって理由だけでオッケーだったんですけど、まさか本当にバイトを見つけるなんて」と言われたが、あの場でああ言われたら、どんな男だって全力を出すだろう。


 スーパーのアルバイトは慣れてしまえば仕事を任されていることの充足感を味わうことが出来た。正社員では無いため、責任の大きい仕事を任されていないという面もあるのだろうけれど、僕はようやく、働くことに意味を感じ、その意義を体の隅々まで浸透させたのだ。


 最初はグダグダだった。レジカウンターの使い方すら知らない僕に対して、先にバイトに入っていた年下の先輩がいつも頭を悩ませていたが、その先輩に頭を下げて、隣でヘルプとして見てもらい、四日ほどでほとんどのことを身に付けた。年上だからというプライドは無い。僕にはそれ以上に果たさなければならない理由があった。陳列棚の位置も覚えたし、バックヤードから食品や食材を取り出すことも覚えた。


 彼女が僕の仕事振りを見に来たことが、あったらしい。いや、ただのバイトなのだから働き振りと表現した方が正しいか。しかし僕は彼女の姿を見掛けたことは無かった。その後、メールが途絶え、僕は心苦しいというか、胸が張り裂けそうな想いに夜も眠れなかったのだが、二日経って、彼女から謝罪と事情を加えたメールが届いた。


 どうやら、年下の先輩と親しく会話しているのが目に入ったらしく、そのことに嫉妬したらしい。年下の先輩が女性であったことが災いしたということなのだが、僕には指導担当を変えてもらうような権利は無いわけだから、どうしようもないことである。そして、その嫉妬心がとても強く、あまりにも僕に見せられる顔をしていなかったので、挨拶も無しに帰ったのだそうだ。

 嬉しいのか怖ろしいのか分からないメールだった。嫉妬されることが男して誇らしいと僕は思えない。そのように嫉妬させてしまい、更に心配させてしまうのは、どちらかと言えば僕側に責任の重さがある。指導担当が女性であることを伝えていなかったのも僕の落ち度だ。

 だからメールではなく、電話をして謝った。「どうして柳井さんが謝るんですか?」と半分、泣きそうな声で言われたが、謝った方が後腐れが無くて良さそうだと告げたら、すぐに元気を取り戻した。


 僕の事情はこれぐらいにして、彼女の事情を話そう。僕のことばかりをホタル観賞会では話し過ぎて、彼女のことは一つとして訊き出せなかったのだ。けれど僕たちには、補って余りある時間が与えられている。だから、僕の事情を話し切ったあとは、彼女の事情を知ることが出来た。


 彼女は未だにリハビリを続けている。大学入試の時には杖を使って歩けるようにはなっていたそうなのだが、体力面での心配が大きく、車椅子での受験に踏み切ったそうだ。その時、僕のことにも気付いていたそうなのだが、やはり受験というピリピリとした状態であったので、彼女も声を掛けることを避けたらしい。

 大学には杖を使って通っていたらしい。あの大学では無く――そもそも彼女も気が気では無かったらしく、あの大学には落ちたらしい。別の大学で、友達の手を借りながらではあるものの、体力作りと歩くリハビリのために通い続けたのだそうだ。「リハビリで病院通いにも、限界がありますから」とは彼女の話だが、恐らく同じ場所でリハビリし続けることに疲れていたんだろうと思う。

 当時は色んな人に声を掛けられたそうだ。中には露骨な下心を持った男にも目を付けられたらしいのだが、その一切を跳ね除けたらしい。「不思議なんですけど、男の人に口説き目的で声を掛けられたり、嫌なことがあって挫けそうになるたびに、柳井さんの顔が浮かんで来たんですよね。あの夏休みにあれだけ強く言い張ったんだから、自分が負けるのだけは悔しいと思ったんです」と語り、それは僕がなにかに躓き掛けるたびに彼女を思い出していたようなことで、またも奇妙な縁というか、繋がりがそこにはあった。

 四年生の頃には杖での歩行にも慣れて来て、友達の介助をほとんど必要とせずにキャンパス内を歩けるようにまでなったらしい。それでも、結構な時間が掛かって講義に遅刻することはままあったらしいが、「障がい者という理由で遅刻無しという特別扱いは嫌だったんで」と、大学側には遅刻した場合はしっかりと遅刻した者として扱ってもらったそうで、強い一面を知った。


 卒業後、彼女は障がい者を受け入れてくれる企業で事務職に就いたと言っていた。本当は障がい者として就職活動をしたくはなかったのだが、大学側から「企業に入れば、そこから繋がる多くの人、事柄にまで気を遣わせることになる。それよりも障がい者を受け入れてくれる企業に入った方が、気を遣う人は少ない」と説得されたことも付け加えて話された。なので、彼女の足が不自由であることは企業側も把握してくれているらしく、支援を受けながら、仕事に励んでいるそうだ。


 そして、ここまで全く話に挙がって来なかったのだが、絵馬について訊ねた。「見たんですか、エッチな人ですね」と冗談半分に言われたが、どうやらあれは本当の本当に彼女が絵馬に書いたものだったらしい。「杖を使って歩いていても、辛い時期って周期みたいにやって来て、なので気分転換としての目標が必要だったんです。だからあの神社で絵馬に文字を書いて、掛けてもらって、そして家に帰るというのを目的にしていて、それがたまたま年を跨ぐ二日ぐらい前だったんですよ」と言われ、その後に僕が絵馬を見るとは思っていなかったのだとか。


 そして(くだん)のホタル観賞会についても触れた。どうして彼女はホタル観賞会にやって来たのか。


 それを訊ねると、「実はホタル観賞会には一年前から行っていたんですよ。あの夏休みにホタルの話をしていたじゃないですか? たまたま、リハビリで坂を登っていた最中に、地方の掲示板にホタル観賞会の日程が書かれていたので、一年前は友達と一緒にホタルを見ました。でも、今年は友達と日程が合わなかったので一人で行くことにしたんです。そうしたら、柳井さんに会いました。なんて言いますか、ホタルの話を思い出した頃から、いつかは会えるかもと期待していたんです。思うように動かない足、周りからの偏見の目、杖を使っても物凄く疲れて、歩くことが嫌になるたびに、あの夏休みを思い出して、何故だか柳井さんのことも思い出して……ってもう分かると思いますけど、大学に入ってからは私、ずっと柳井さんのことしか考えられなくなっていて、恋い焦がれていたんですからね。どんな男の人に声を掛けられても無視ですよ無視。そんな柳井さん一筋だった私に対して、柳井さんはどうだったんですか?」と堪えながら恥ずかしそうに後半は捲し立てられた。


 そんなもの、決まっている。「こんな僕が、女性のお眼鏡に叶うと思います? 大学じゃ変わり者で通っていたんですよ。ホタル部の教授がちょっと変人と言われていて、その人の研究室にいつも顔を出して、色んな話をしていたんで、怪しまれるようになったんです。友達は教授とは距離を置いていましたけど、僕はもうへばり付いてましたね。互いにノーガードのまま言葉で殴り合っていました。そのおかげで、ある程度の信頼も勝ち得たんだと思いますけど。なので、僕に近付く女性なんて一人も居ませんでした」と全てを語った。「本当ですかぁ?」と最初は疑って掛かっていたが、僕が一切の嘘をついていないことを察したらしく、それでもどこか納得が行かない様子で、「私に敬語を遣わずに話すようになってくれれば、信じて上げます」と上から目線に言われ、僕はここで彼女に敬語を遣うことをやめさせられた。(ちな)みに彼女からの敬語は、まだ続いている。


 たまに彼女は言う。「杖無しで歩けるようになるのは、もっと時間が掛かると思いますから、こんな私に構っていると、人生の半分ぐらい損しますよ」と。

 そのたびに僕は「もう高校時代が地獄だったから、人生の半分は損しているから大丈夫」と返す。その答えになっていない答えを聞かせるたびに「だったら、私が柳井さんの、損していない残り半分を、充実したものにしなきゃ駄目じゃないですか」と、なにやら決意を込めたような言葉を向けて来る。

 これを僕は話半分に聞いているわけだけど、彼女は本気でどうにかしようと考えているらしい。


「柳井さん、本当に読書しているんですか? ボーッとしてませんでした?」

「してない」

「なら読んでいたページの内容を話して下さい。私、それはもう読んでいるのでネタバレになりませんし」

「えーっと」

「はい時間切れです。ボーッとしていたことを反省して、今日は柳井さんの奢りですからね」

 なにやら勝手に決められてしまったのだが、彼女の笑顔を見ていると、それもまぁ仕方の無いことなのかも知れないなどと思ってしまう。

「不満だっただろ」

「なにがですか?」

「初デートの場所が図書館って」

 もっと女性を喜ばせるような場所に連れて行こうとも考えたのだが、個人的な気持ちだけで図書館を選んでしまった。そのことに彼女は一切触れず、ただ「はい」と答えてくれたのだが、僕への呆れやその他諸々の感情を抑え込んでいるのではと思ってしまったのだ。だからこうして、確認を取る。嫌われるのが怖いので、次からどういった場所が好ましいのかをここで訊き出して、参考にしたいのだ。

「私は好きですけど、図書館」

「つまらなくないか?」

「退屈だと思ったこともありませんよ?」

「それでも、遊園地や映画館の方が……良いのかな、と」

「はぁ……やっぱり柳井さんは一つ抜けちゃってますね」

「抜けている?」

「どこだろうと、柳井さんと一緒なら私は良いわけです」

「いつか愛想を尽かされそうだから」

 交際を始めた今は、恋愛にも熱を込められるけど、時間と共にその熱は冷めて行くだろう。そうなると、僕の駄目な部分が徐々に彼女の心を遠ざける要因になってしまうのではないか。そういう不安が無いとは言い切れない。


「あのですねぇ、十年ですよ十年。私、粘着質な性格をしているんで十年分は引っ付いて回りますからね。そういうことは十年経ってから考えて下さい」

 そう宣言されてしまったら、僕の心配は全て杞憂で終わりそうに思えて来る。後ろ向きな僕は、こうやって彼女によって前向きに考えさせられるのだ。

「十年後なんてどうなっているか分からないけどな」

「でしたら、十年後の私の理想を伝えておきます。それは――」

 そう言って、彼女は僕の耳元で未来について甘く囁く。


「考えておいて下さいね」


 未来について囁き終えたのち、彼女は席に座り直して、微笑みながら言う。


「……考えておく、けど……その、えっと」

「初デートが終わるまでには、ちゃんとした返事を要望します」

「……これを読み終わってからで良い?」

「勿論。ただし、私の期待通りの返事じゃなかったら、今度のデートの食事代も奢ってもらいますからね」


 僕は小説に視線を落とし、大好きな文章から波濤のように訪れる世界観に溺れつつ、彼女の言葉を頭の中で反芻し続ける。


 この先にある未来が、果たして明るいのか暗いのか。

 不安ばかりが先を行き、こちらを向いて手招きしている。彼女の足、僕の耳鳴り、そういった後遺症ばかりに気を取られてばかりはいられない。

 こんな人生なんて、と呪ったことは幾らでもある。なんで僕だけが、彼女が、と悲観したこともある。


 でも、これが僕の、そして彼女の人生だ。僕たちよりも悲運が重なって苦しい思いをしている人なんて幾らでも居る。なのに前を向いてその人生を生きている。そういった方々が僕のことを知っても、「それがどうした」と笑われるだろう。だからこそ、生かされている以上は今更、引き返したくもないし放り出したくもない。


 大丈夫、落ち着いている。この図書館の閉館時間は午後八時。まだまだ時間はあるじゃないか。だから、彼女が囁いた未来についてちゃんと考えよう。


 最初にどう切り出すかはもう決めた。あとはそのあとに紡ぐ言葉の数々を、噛まずに言えるかどうか。


 彼女と向かい合って、見つめ合って、そしてこう口にするのだ。


 「未来の話をしよう」と。


【-FIN-】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ