第02話
とりあえず、2話までアップして 最終話まで一気に書く予定です。
感想等ありましたら参考や励みになりますので
よろしくお願いします。
29/30
ルコリーが生きてた時代よりずっとずっと後世の歴史学者が言う
「魔法のせいで産業革命が2千年遅れた」と。
魔法の便利さを表すものとして、次のようなことわざがある。
「大人が10人集まれば国が作れる」
いずれも大げさな表現ではあるが、人が長い歴史の中で
いかに魔法に頼っていたかがわかる言葉だ。
壁を頑強にする魔法を持ってる左官職人が一人いれば、建築様式は大きく変わる。
村や町の発展度も大きく変わる。
土や岩を動かす魔法を持つ者がいれば、開墾や掘削が容易になる。
だが個人が強い力を持っていると、まとめる側からすればやっかいなようだ。
それぞれが自分を生かす場所を探し求めている世界では、
大きな城塞都市・「城国」が最大の集団体系と思われる。
城国が集まって「国」となる例は稀である。
ここイェンセン城国も元は「土を富ます」魔法や、
魔法石で多くの地を耕す魔法を持った者が集まった農業の町だった。
しかし10年前の大きな戦争で、戦火から逃れるため多くの商家がやってきて城を作った。
東に山々が並び、西に延びるこの小さな半島の地なら、戦争の火の粉がかかりにくかったのだろう。
元々住んでいた農家は、城国の回りに幾つかのコミュニティーを作り、
作物を商家と売買し富み栄えている。
ルコリーは曇りガラスの戸を開けた。
このガラスも脆くて溶解温度の低い、透明度のある「グラス鉱石」なるものを、
職人が魔法で硬度を上げて板ガラスにしたものである。
不純物が多いため透明なガラスは作れないが、採光はちゃんと出来ている。
「はぁ~~」
鬼のツノのように盛りあげた左右二つのシニヨン、残りを小さな縦ロールにした
クセのあるピンクの髪と、勝気な瞳を持った少女が溜め息をついて、窓枠にひじを突く。
教室からはイェンセンの色んな形をした家々が眺められる。
天気が良くて、眺めが良好だ。
ルコリーの実家もこの学校のように丘の上に建てられているので、この景色を見ると故郷を思い出す。
城国の富の象徴、「ガラスの城」が視界の端にあって目障りだが。
サユと中庭で話をしてちょうど一日経った昼休み。
「ど、どうなされましたかバーキン様」
「サユさんと何かあったのですか?」
バーディとマキナが心配して声をかけてくる。
「ああ、何でもありませんわ。2人とも先に寮へ帰って頂いてよろしくてよ」
ルコリーは硬い笑顔で応対する。
何かまだ言い足りなそうにしながらも教室を去る2人を笑顔のまま見送る。
ルコリーは子分を作ったわけでも、そのつもりもない。
気が付いたらいつの間にか2人が後ろについて回っていた。
ルコリーが来る前、2人はよくいじめられていたと聞く。
そんな事より、考える。
お父様が亡くなったという事を。
お爺様の代で分家となったバーキン家を、本家をしのぐ富豪にのし上げたのはお父様だ。
どんな手を使ったのかは知らないルコリーだが。
遺産目当てで殺害したとなると、本家の人間か、お父様の弟の叔父様か。
だが本家は財産の凍結を行い、相続会議を開くという実に紳士的な動きを見せた。
本家とはいえ財産の凍結は越権行為にも思えるが、バーキン家の血筋の者が家にいない以上、
トラブルを避ける最善の策であるように思う。
となれば、一番あやしいのは叔父様ということになる。
叔父様…遠い昔に一度会った事があるが、スマートで厳しいだけのお父様と違い、
小太りで優しそうでとても人を、ましてや実の兄を殺害するような方には見えなかった。
厳しいお父様。
家にいても私に近づこうともしなかったお父様。
ルコリーとは歳が離れていたお兄様をいつも連れて歩いて、お兄様を厳しく叱り付けるお父様。
サユからお父様の死を聞いた時は驚いたが、それほど衝撃は受けなかった。
だが、お兄様が。
あの優しいお兄様が。
庭で一人で遊んでいると、忙しい時間の合間に一緒に遊んで下さったお兄様。
ご近所を歩けばご婦人方が、家にいればメイド達がいつも噂話になるほどのイケメンなお兄様。
頭が良くて15歳の時から、お父様に教わりながら仕事を補佐してきたお兄様。
3年前に執事からアイマリース女学院に行くように言われ、数えれば4年も会ってないお兄様が。
行方不明?まさかお父様と一緒の事に?
お父様や遺産の事はルコリーにとってはあまり関心がなかった。
ただ、お兄様が無事だという知らせが、使者が来てほしかった。
いや、無事なら使者も何も来ないはずである。
馬車の音がする度に、複雑な思いでルコリーは正門を見る。
「ひっ」
突然、肩に手をかけられ飛び上がるルコリー。
全く人が来た気配が無かったのに。
『そこは私の席のはずですが』
右側に小さな三つ編みのある黒髪のボブ、目隠しと白杖を持った少女がルコリーの肩に手を置いている。
肩に置いた手を通して、サユが魔法で話しかけてきた。
「いーじゃない。どうせ朝からいなかったんだし。それより中庭で何してるのよ。」
ルコリーは、今日初めてサユと顔を合わせる。
目隠しが昨日と違うのだろう。今日は端に植物のツルが延びている刺繍が施されている。
『戦う事になった時の整地と採寸。』
「戦う、って本当に貴女が戦うつもりなの?あと、中庭ウロウロして皆のいい笑いものになってるんだけど。」
意地悪に笑って返すルコリー。
朝からサユは中庭を歩き回り、花壇を杖でつついてはさらにその回りも歩き回る、
という動作を繰り返していた。
その様子をほとんどの生徒が中庭に面した窓から見ていた。
『師匠の元で修行したから戦いには自信があります。それよりも。
早く貴女がここを発つ決心をしてくれたら戦う必要がなくなるのですが。』
と、ルコリーの嘲笑を気にしていない様子でサユが返す。
「寝言だわ、たわ言だわ!貴女の事なんて何一つ信じない!それより…」
ルコリーは言葉を切って立ち上がってサユを睨みつける。
「今日から授業が午前中だけになったわ。これも貴女と関係があるの?」
『なるべく他の生徒を巻き込みたくないから。貴女も早く寮にお帰りなさい。
それよりも話し方が昨日と違うのですね。少し周りに気を配られた方がいいですよ。』
サユに指摘されてルコリーは気づく。
教室にはまだ数人の生徒が残っていた。
サユが口を動かさず魔法で話しているのに対して、ルコリーは口で話して応対している。
これを回りの者からどう見えるだろうか。
話せないサユに向かって、あざ笑ったり強い口調で話したりとまるでいじめっ子である。
「バーキン様が…?」「バーキン様どうなされたのかしら?」
クラスメイト達が距離を置いてヒソヒソ話していた。
「!!!!………じゃ、そういうわけだから!ごきげんようサユさん!」
立ち去ろうとすると、サユがルコリーの腕をつかむ。
『何かあれば中庭に来てください。』
それだけ伝えると手を離す。
ルコリーは自分の席に戻って、カバンを引っつかみ早足でクラスを出る。
「サユさんどうされたの?」「何かありましたの?」
残っているクラスメイト達に囲まれるサユ。
スケッチブックをどこからともなく出してページを開く。
”学校の決まり事を教えてもらっていました”
クラスから出る間際、その様子を一瞬振り返るルコリー。
一体どれだけの事態に備えているスケッチブックだろうか。
一度中を全て見せてほしいと思う。
ルコリーは、校舎に似た木造の建物の寮に帰る。
一人で部屋にいると、お兄様の心配ばかりしてしまう。
いつも後ろにいる2人は、寮では部屋に閉じこもって顔も見せない。
「……」
闇に少しずつ侵食されつつある、夕日に染まっていた窓に目を向ける。
サユはまだ中庭にいるのだろうか。
ふと新入生の事を考える。
ブンブンと頭を振るルコリー。
だめだ、全部あの嘘つきの女のせいで私はこんなに苦しんでるのに。
あんな嘘つきは信じない!
ルコリーはベッドの賭けフトンの中に顔を突っ込んでうずくまった。
28/30
朝もやの中、サユは素振りをやめた。
ルコリーの足音が近づいてるのがわかったからだ。
「…おはよ。」
ルコリーは不機嫌そうだ。
サユは彼女に近づこうとしてやめた。ルコリーの方からこちらに近づいて来た。
「まさか一晩中ここにいたの?」
ルコリーに触れようと手を出す。もう触れられる近さまで来てるのはわかる。
所在を探すその手に、ぐいっとルコリーの二の腕と体押し付けてきた。
『おはようございます。ちゃんと警備員さんのところで寝ましたよ。
貴女こそ早起きですね。もしかしてココを発つ決心がつきました?』
手を通して、魔法で話しかけるサユ。
ムズがゆそうに首筋を掻くルコリー。
「貴女のくだらない嘘のせいで、あまり眠れなかったわよ。
ホントにサイテーよね、貴女って。」
不機嫌に呟くルコリー。
『全部事実で、嘘は申しておりません。サイテーでもありません。
なんか話し方に品が無くなりましたね。もしかして元々の話し方に戻ってるのかしら?
ダメでしょ、貴女は皆さんの模範となってるのでしょう。』
「嘘つき女と丁寧に話すほど器量は広くないのよ」
ルコリーが睨む。サユは特に動じないし見えていない。
『ここの商家には子沢山の家が多いのね。
仕事に忙しくてなかなか4女や5女に目をかけてやれない。
そこに目を付けたのがこの学校の創設者。お嬢様方に花嫁修業をさせましょう、って。
長男長女を大事にする家が多いですから、それ以外は手に余るのでしょうね。
多くの寄付金と、少女達がここに集まりました。』
「くっ詳しいのね、私はそれを知るのに一年かかったのに。」
ルコリーの声に驚きと警戒が混じっている。
あと、本気で悔しがってる。
そんな事で張り合ってどうする、と考えるサユ。
『ん、創設者と知り合いなので。その人は北の商家で、南への進出の足がかりに
南の商家に媚を売るために、この学校というものを設立したの。
長女で入ったのは貴女だけ。
親にちゃんと目をかけられて育った人が少ないから、素行が悪いコも多いわよね。』
ルコリーが黙っている。サユの話の行方を見守っているようだ。
『貴女すごいじゃない。昨日クラスメイト達と話してわかったわ。
皆、貴女の話し方や振る舞いを真似しているのね。
入学早々起こした「淑女たれ」って運動で皆貴女を模範としているのよ。
誰もが人を惹きつける魅力と気品に溢れた貴女にあやかりたい、と思っているわ。
だから、話し方や態度は私にもちゃんとしないとね。』
「……」
短い沈黙の後、ルコリーがサユの手を引っ張って歩く。
『ちょ、痛い』
「そうよ、私は模範なのよ。だから授業を受けない悪い子には
ちゃんと受けてもらいますわ!フフフフッ」
どうやら機嫌が直ったようだ。
怒りっぽいが冷めるのも早い。
おだてると機嫌が良くなる。
案外扱いやすい子なのかもとサユは考える。
ではどうおだてると、この地から出てくれるかしら。
昼の鐘が鳴ってしばらく経つ。
ルコリーはまた溜め息をつきながら、教室から正門を見ていた。
朝から曇り空で、雲のグレーが自分の心と重なる。
今日も授業は午前で終わりになったので、寮に入ってない生徒の家の馬車が出て行く。
残りの生徒もほとんど寮に帰って、校舎に残る生徒も少なくなった。
もう少ししたら先生方が見回りをして生徒を校舎から追い出すだろう。
「ねえ、塀の上を人が歩いてない?」
好奇心と恐怖が混じった声をあげたクラスメイトがいた。
彼女が目を向けてる方向を見る。
遠くてわかりにくいが、高い塀に3つの点が上から下に向かって動いてる。
最初はそれが何か理解できなかった。
だが徐々に理解して鳥肌が立つ。
その点が、そびえ立つ塀に垂直に立って歩く男の頭部であることを。
男達が運動場の中間を歩いてる頃には、
校舎にいる者は皆、その存在に気が付き騒然としていた。
警備員数名が男達に近づき、立ちはだかる。
瞬間、警備員の一人が赤い液体を撒き散らして倒れる。
残った警備員は逃げ散り、男達は悠々と校舎に向かって歩き始める。
「キャアーーーーーーー」
誰かが、いや数人が金切り声をあげた。
「残っている生徒は下の食堂に集まりなさい!早く!」
このクラスの担任が廊下で叫んで、生徒を誘導している。
ここで生徒の模範たるルコリーが率先して生徒を誘導すればカッコいいのだが、
ルコリーは震えながらサユの席から立つのがやっとだった。
彼女にとって、人殺しを生業としている人間を目の当たりにしたのは初めてだ。
所詮、彼女の知る世界とは、実家とその周辺とこの学校だけのお嬢様なのである。
『何かあれば中庭に来てください。』
おぼつかない足取りで教室を出たとき、サユの言葉を思い出す。
ルコリーは迷った。
皆と一緒にいるべきか、嘘つき女の言葉に従うか。
いや、敵が現れた今となっては嘘つきとは呼べないか。
あの男達が私を狙っているとは限らない。ただのゴロツキが気まぐれに襲撃しにきたのかも。
いやいや、タイミングが良すぎる。
狙いは私だ、とルコリーは確信する。
だとすると…
中庭側のくもりガラスの窓は全部閉まっていて、中庭の様子はわからない。
でもサユがいるはずだ。
彼女は戦えると言っていた。
よくわからないが、何か中庭で準備をしていた。
中庭に向かう決心をする。
恐怖と焦りで、いやな汗が出て頭の中はグッチャグチャだが
ルコリーにはハッキリ解る事が一つだけあった。
私が皆と一緒にいると被害が増えるだけだと。
階段を下りて中庭に繋がる扉への廊下が長く感じる。
走っているのに。
恐怖で足がもつれて転びそうになる。
ようやく扉に行き着き、扉を開けて外に出ると声をかけられた。
「よう嬢ちゃん!」
野太い男の声が、上から降りかかる。
浅黒い中年の男の顔が、2階壁の角からにゅっと出てきた。
「人を探しているんだが、知らねえかなぁ。」
「は……う………」
ルコリーは見上げ、応えようとするが声にならない。
男の全身が校舎側面からこちら側に出てくる。
その体は壁に対して垂直に立つ。
もじゃもじゃと伸びるもみあげ、ゴリラのような粗野な顔立ち
胴回りには黒い鎧、手には大きな手甲、盛り上がる筋肉、
大きな厳めしい防具のついた靴、
どうやらこの大きな靴で壁を歩くのが彼らの魔法のようだ。
陽に焼けた肌と黒い装備品、毛深い体毛等で全体黒い印象の男。
そして、ルコリーは男に対しての耐性があまりない。
父と兄意外で話した男性といえば、学校の老教師ぐらいである。
気が付くと屋根にもう一人いた。
最初の男が中肉中背なら、屋根の男はそれよりスマートだ。
2人は同じような装備をしている。
最初の男が言葉を続ける。
「ルコリー=バーキンて娘なんだけどよぉー」
この言葉でルコリーの恐怖はピークに達した。
中庭に走り出す。
「おい、こら待つべぇ!!」
男は怒鳴った。その怒声がさらにルコリーの恐怖を深くする。
「んだよ、教室にゃあ人がいねえべし」
中肉中背の男がぼやく。
「兄者、女達は一階の奥に集まってるようだべ」
スマートな方が応える。
「んあ?ザガよ、ジガはどうしたっぺ」
「ジガは女達の方に行ったっぺよ。ヤツぁ若ぇ女が好きだべな」
「ルコリーてヤツぁそっちかも知れんけ、そっちはジガに任すか」
「んだな、さっきの女ぁ、聞いてた人相と似とったしのぉ兄者」
「あ、ツノみたいなピンクの髪とか言うとったのぉ。はははは。
何せ北では有名な家のお嬢様らしいけぇ、トチ狂って
他のヤツとは別行動しとるかもしれんけぇ!」
中肉中背の、兄者と呼ばれた男が室内運動場へ続く廊下の屋根へジャンプする。
スマートな、ザガと呼ばれた男がそれに続く。
その頃、ルコリーは絶望していた。
中庭にサユが居ないのである。
男たちが屋根に降りる大きな音がして、驚いて振り向く。
2人の男が、渡り廊下の屋根へ降り立った音だった。
振り向きざま腰が抜けて、中庭の真ん中辺り、低い樹木の植えられた花壇の前に尻餅をつく。
朝はサユと2人で会話したその場所だった。
「よぉぉ、嬢ちゃん。ルコリーいう女ぁお主知っとるじゃろぅ」
中肉中背の男が聞く。
青い顔をして、首を横に振る。
恐怖で涙すら出ない。口が震えで噛み合わず開けっ放しでカラカラに渇いてきた。
「それともお主がルコリー・バーキンかのぅ!」
今度はスマートな方が聞く。
先程よりも高速で首を振る。
「知っとる事喋っちまったら痛い目にあわんべ。」
「何とか言うべやぁ女ぁ」
男達が歩き出そうとしたとき、カラカラと音が響く。
ルコリーの後方、樹木の向こうから誰か来たようだ。
杖の音だ。
男達は不意の、奇妙な姿の来訪者に驚き、動きを止めていた。
そして杖の持ち主は、腹立たしい事にゆっくり歩いて来る。
「さっ…サユ!!」
やっと声が出せた。サユが花壇に近づくにつれ、ゆっくりとその姿が見えてくる。
サユはどんどん近づいてきて。
どんどん近づいて、杖がサユの手をはじいた。
「痛っ!」
サユは慎重に杖を動かして探り、尻餅をつくルコリーの太ももに杖が当たった。
『あ、ごめん。そんなところにいたのですね。』
「ごめんじゃないわよぉぉ!なんでながにわにいないのほぉぉぉ」
ルコリーは、サユの姿を見て安心したのか涙が溢れて止まらなくなった。
ついでに鼻水で鼻が詰まり、ちゃんと言葉を発音できなくなっていた。
『トイレぐらい行かせてください。』
腕から杖と太ももを通して、魔法で話かけるサユ。
今の状況が解っているのかいないのか、無表情で普段通りの話し方だ。
いつもは頭に直接話しかけられてるみたいで、首筋がムズムズするのだが
今はそれどころではない。
「どいれどころじゃないでじょうぅ、だいふぇんだっだんだかだぁぁぁ」
『あーはいはい ごめんごめん。でもよくこの中庭に来てくれたわ』
サユはルコリーの頭を撫でた。
嘘つき女だとか、彼女が戦えるかどうかなんてもうどうでも良かった。
今この場で頼れるのは、白杖をついて頼りになるかどうかわからない
サユしかいなかった。
サユはどこからともなくスケッチブックを出す。
”この人がルコリー=バーキンです。”と書かれたページを開く。
後ろにいるルコリーが、このページを見てないのは幸いだ。
きっとさらに大きな声で泣くだろう。
”あなた達の目的はなんですか?”続いてページを開く。
「ああ?んだばそいつを殺すのを頼まれただべ。」
「そのピンクの髪のを殺したら、ワシらも去るけぇ、杖の嬢ちゃんはどっかいねや。」
「ザガ、去る前にワシらも女の物色をしたいのぉ。」
「それもそうじゃのぅ兄者。」
男達の会話が弾む中、スケッチブックをしまったサユが次の行動に出た。
杖を持って踊りだした。
「ふわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ルコリーの大声に、サユが顔をしかめる。
殺人者を前に、多感な年頃の少女が発狂して踊りだしたとしても仕方がない。
そしてそのシュールで、滑稽な光景を見れば絶叫を上げても仕方がない。
それも殺されるかもしれない立場としては。
しかし、サユにとってはうるさい雑音でしかなかった。
踊る、といってもサユのそれはゆっくりとした、それでいて無駄のない動きの剣舞である。
もしこういう状況でなければ、ルコリーでもその踊りの精錬さに気づいたであろう。
「…兄者、なんば踊りだしたヤツがいるべ」
「なんじゃあの目隠し女。頭がパーになっただか?」
「なんか面倒じゃ!全部切っちまおうべ兄者!」
「んだ!」
おしゃべり好きな男達だが、決断すると早い。
装着された大きな手甲から、幅広の剣が飛び出る。手甲剣だ。
他に剣は帯びず魔法の特性から考えると、男達は暗殺を生業にしている可能性が高い。
それが白昼堂々と真正面から出てきたのだから
今回の仕事は簡単に済ませると考えていたことが伺える。
兄者と呼ばれた男は、すばやく木造の室内運動場の壁に移り、
魔法を使って、壁に垂直に立って走る。
サユの左側に回りこんで近づいてくる。
「邪魔じゃあぁぁぁ小娘ぇっ!」
男はまずサユを狙って飛んだ。
右手甲剣を伸ばし急接近。
次の瞬間、男の右手は付け根から無くなり、
同時に鎧と金属がこすりあう音、
その次には、男は首と口から血を吹き出して砂を巻き上げ地面に転がり落ちた。
男が近づいた瞬間、セーラーの襟と深緑のスカートをひるがえし、
クルクルと華麗に2回右回りに回ったサユの右手には
いつのまにか剣が握られていた。
左手には白杖の一部。
白杖は、しこみ杖だった。
ルコリーは現状を全て把握出来てなかったが、
地面に転がった男の虚ろになった目が、彼女に向いてるのに気がついた時、
気を失った。
「え?うそじゃ…うそじゃあアニキ……
うあああああ、あアニキィィ!ジガ、ジガぁどこにおるんじゃああああ。アニキがぁぁ!」
ザガと呼ばれた男が、渡り廊下の上で怒りを顕わにして足踏みをした。
大きな靴が、学校中に響き渡るほどの大きな音をたてる。
一方、ジガと呼ばれる男はその頃。
1階食堂に足を踏み入れていた。
「んぐふふふ、ええのぉええのぉ」
集まった少女達の品定めをしている。
戸口からゆっくり歩いて近づこうとする大きくて黒い男と、
帰る機会を逃して、教室の隅に固まって少女達と数名の教師。
ルコリーとサユの担任もいた。
彼女は大丈夫、大丈夫だと生徒に、いや自分に言い聞かせていた。
筆記具しか動かせない魔法石の魔法は、ここでは何の役にも立たなかった。
ジガは興奮していた。
なにせ若い若い女子が好みの彼には、この学院は天国だった。
警備員が城国軍に助けを求めて、隊を連れてくるにはまだ時間がある。
兄達がターゲットを葬り、女子を選んで連れ去るには十分な時間がある、と考えていた。
大きな音が響いた。壁に何かを叩きつけるような音。
「ん、兄者か!?」
ジガにはわかる、兄弟で長年愛用している大きな靴の音だ。
兄弟達は3人とも靴に魔法を込めると、壁でも天井でも自在に歩ける。
靴が大きいほど効果が高い。
その靴を踏み鳴らしてるのは、長兄か次兄か?
今回の標的を見つけた合図…にしては何かひっ迫した音に聞こえる。
ジガは急いで廊下に出た。
音のした方へ廊下を急ぐ。
校舎の中ほどを過ぎると、曇りガラスに動く影が映る。
ジガは慌しく走るのを止め、窓を開けた。
ちょうどザガが憤怒で顔を赤くして、渡り廊下の屋根から一直線に降り、
振り下ろした手甲剣をくるりと避けたサユに、頭の上半分を吹き飛ばされたところだった。
頭部を失った男は、膝から崩れ落ちた。
「うわあああああ、ガガ兄ィィィィィ!ザガ兄ィィィィィ!」
ジガは兄達より大きな手甲剣振り、窓を破壊した。
蓄えられた魔法より大きな力を受けた曇りガラスは割れたが、
それ以外の、木の窓枠を失ったガラスは四角いまま中庭に落ちた。
ガラスと木枠の破片が散らばる中、ジガは窓に足をかけ飛んだ。
目隠しをした少女へと。
「ぬぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
先の男2人より大きな体が宙を舞って近づく。
男の叫び声には涙声もまじっていた。
サユは大きくかつ慎重に後ろへ飛びのく。
サユは知っている。
この後ろには花壇や障害物がない。
こんな時のために庭を足で計り、つまづきそうな石を取り除いた。
間一髪、手甲剣の一撃目はサユの制服の腕の一部を切り裂いた程度で終わった。
「ぐおぉぉぉぉぉぉ、よぐもよぐもぉぉぉぉぉぉっぉぉぉっっっ!」
大泣きしながら振りぬいた剣を、再度振りかぶるジガ。
先の男2人は、サユが弱い者と舐めてかかった。そこにスキがあった。
3人目は違う。激しい殺気を放ち全力で向かってきた。
しかし憤怒に狂っていた。
サユは無表情のまま踊るように体を回して、
男の剣を交わすと相手の喉に剣を突き立てた。
数秒間気絶をしていたルコリーが、気を取り戻してすぐに見た光景は
大きな男が喉を貫かれ、血を吹き出しながら蠢く光景であった。
ルコリーは失禁をした。
全てを終えたサユはその場にしゃがみ、ケホケホと咳き込んでいる。
体中の力が抜けたルコリーは、この状況の理解が追いつかなくて
再び意識が朦朧とし、気絶しかけていた。
近くで金属音がして、硬いものが足に当たる。
「ひっ」
ルコリーの遠くなりかけた意識が戻る。
そこへ頭に直接語りかける声が響く。
『クサい…お漏らしなんてサイテーね…』
フラフラとした足取りで時間をかけて渡り廊下へ、少女2人は移動した。
「ふぇぇぇぇぇぇぇひっぐひっぐうっうっうぇぇぇぇぇぇぇ」
『だから言ったでしょ。すぐにここを発とうって。
私の言うことを聞いていればこんな事にはならなかった。
ねえ、聞いてる?世間知らずのお嬢様は黙って私の言うことを
聞いてればよかったんだ!』
サユは先程から同じ事を繰り返して、ルコリーを責めている。
「ひっひっひっぐひっぐだっでだっでぇぇうぇぇぇぇぇうえっうぇぇぇぇぇおえっ」
ルコリーは吐き気をもよおすほど泣きすぎていた。
実際、何回か吐いた。
お嬢様には悪党とはいえ、人が斬られ血と肉がはじけ飛ぶ光景は刺激が強すぎた。
『ねえ、聞いてるの?色んな人に迷惑かけて、犠牲者も出て!
これがお前がダラダラ迷いに迷った結果だ!』
「うううういだいいだいいだいぃぃぃぃぃぃひっぐひっぐひぐっひぐっ」
サユは自分が興奮して、ルコリーの腕を強く掴んでいる事に気がつかない。
口調もいつもの丁寧さが無くなっている事に気がついていない。
ルコリーの頭の中はずーっとサユの説教が鳴り響き、
サユが青い顔をして吐き気を我慢している事に気がつかない。
『さあ、これで誰が敵か味方かわかった?
私を信じてここを発つよね?もうお前には選択の余地はないからね。』
「ううううううううわがっだぁぁぁひっくひくひっくびぇぇぇぇぇ」
『なにが「淑女たれ」よ。大笑いだわ。淑女がおしっこ漏らして泣きっぱなしで!
ああクサいクサい、本当いい加減にしてほしいわ!』
「ううううううっさいうっさいわぁぁぁぁばかぁぁぁぁぁ」
サユは興奮してイヤミを言ってる自分に気がついていない。
ルコリーには、反抗する元気が少しは残っているようだ。
顔から制服のスカートから、液体をポタポタ落とす、
クセのあるピンクの髪の少女は。
白杖をついた、目隠しと制服の半分を返り血に染めた少女に
腕を引っ張られながら昼下がりの校舎の横を歩く。
2人の少し頼りない姿はやがて、校舎の角を曲がって消えた。
………………
イェンセン城国近くの港町。
落ちる陽の中、港で船を眺める男がいた。
背も高くスラリとスマートで、金の刺繍が施された紺の背広を着て、
夕日の光を反射させた海を背に佇む。
絵になりそうな光景だが、
猫背と異様に長い手、男の放つ独特な雰囲気がそれを拒む。
男はイェンセン城国の方を向いて呟く。
「思ったんだがなあ、そろそろかと。」
次話は、2016年春までには何とかしたいです。