第一章 05
再び応接室に案内された守島は、竹田とのんびりと世間話をしていた。
竹田は社長室で何があったのかを聞きたがっていたが、那賀谷の意向も判らないまま話すことはできず、咲耶はそれをのらくらとかわしていたのだ。
二十分ほど経った頃に、竹田が呼び出されて席を外す。
一人、手にした青磁の破片をぼんやり見ていると、数分で再び扉が開いた。
「お待たせした」
上から下まで着替えを済ませた、那賀谷だ。その後ろから入ってきた竹田は、二段の重箱を手にしている。
「昼時になってしまったからな。近所の仕出しで悪いが、仕事の話を外でする訳にもいかん」
「お気遣い、ありがとうございます」
竹田が、テーブルの上に一つずつ重を並べた。踵を返すと、扉の傍で待っていた、二十代ほどの男が持つ盆を受け取る。そこには大きめの急須と、二つの湯飲みが乗せてあった。
「緑茶は大丈夫ですか?」
「ええ。お構いなく」
小さく問いかけられるのに、返す。
「それでは、私はこれで」
軽く会釈すると、竹田は、好奇心を隠しきれていない部下を促して外に出た。静かに、扉が閉まる。
「さて。食事をしながら、話を進めても構わんかな?」
「勿論ですとも」
先ほど、首尾よく続いての仕事の契約を取りつけた少年は、愛想よく答えた。
A3のコピー用紙をテーブルの空いているスペースに置く。地図が印刷されたそれには、一箇所、蛍光ペンで塗られた場所があった。
「先日、あの化物が出てくる前に何があったか、ということだが」
那賀谷が、指先でそこをとん、と叩く。
「ここ数ヶ月、我が社の出店先として計画されていた場所だ」
見たところ、住宅街にも幹線道路にも近い、割と広い土地である。この立地ならば、廃業した工場というところか。書かれている文字を読み取ろうと、咲耶は手を延ばした。
「……『聖エイストロム教団』……?」
「それが、今、その土地を借りている相手だ。厄介ごとの本丸だよ」
溜息混じりに言うと、那賀谷は俵型の白米を口に放りこんだ。
話をまとめると、こうなる。
この周辺で土地を捜していた株式会社ナガタニにその物件が持ちこまれた時点では、借り手の立ち退きの段取りはできている、期日を待って引き渡せる、ということだった。
仲介の不動産会社との間ではとんとん拍子に話は進み、新店舗に関する計画まで具体性を帯びてきていた時に。
実は、立ち退きに関して揉めている、という事実が判明したのだ。
「この教団に土地を貸したのは、今の持ち主の父親でな。教団の責任者の父親と、懇意だったらしい。かなりの格安で借りられていた、と聞いた。だが、先年地主が代替わりし、その状態が面白くなかったのだろう、跡継ぎは新たに貸すか売るかしたい、と動き出したのだそうだ」
しかし、教団側はどんな条件を出しても、頑として立ち退きに応じようとしなかったらしい。
「そりゃまあ、そうでしょうね」
煮しめの人参を箸で掴みながら、咲耶が感想を漏らす。
「充分な金も、やや狭くはなるが代わりの土地も紹介すると言っているらしいのだが。結局、賃貸料が値上がりするのが嫌なのと、支払われる金を精々吊り上げようという魂胆だろう。強欲な話だ」
鼻を鳴らす男に、少年は視線を向けた。
「そうじゃありませんよ、那賀谷さん。彼らは、宗教団体だ。いつだって、胡乱な目で見られやすい。新しい土地に馴染むまでの時間と労力は、普通の人間が引っ越すのとは訳が違うんです」
少しばかり驚いた顔で、社長はまだ若い相手を見つめた。
「……まあ、それは今話すことでも、俺が話すことでもないですね。続きをお願いします」
その視線を受けて、ややばつが悪そうな顔で、咲耶は促した。気を取り直し、男は再び地図に目を落とす。
「本来、この辺りは不動産会社の方で済ませる仕事だ。揉めているようなら、他を探したっていい。だが、これほどの面積の土地は、他で探せば複数の地主と交渉しなくてはならない。値段に公平性を欠くことも多いし、それはまた揉める元だ。敷地の形が歪になったりもしてしまう。もしも上手く運べるなら、申し分ない物件なのだ。そこで我々は、異例なことだが、二週間ほど前に話し合いの場に同席した」
「二週間前」
咲耶が、小さく繰り返す。
その頃に、那賀谷はあの青磁の壷を手に入れた、と言っていた。
「あの化物が出てきた日は、直前まで、彼らとの二回目の話し合いに行ってきたところだった」
重々しく、那賀谷はつけ加える。
「なるほど。彼らが、一番の心当たりだ、とお思いなんですね」
「他に何があると?」
咲耶の言い方に少しばかりひっかかって、男は問いかけた。
「それを調べるのが、俺の仕事ですよ」
しかし、やんわりと拝み屋は告げた。
「それで、最終的な決着はどうお望みですか?」
ある意味あやふやな問いかけではあったが、那賀谷はきっぱりと返してくる。
「二度と、こんな事態にならないようにして欲しい。犯人がいるのなら、我々に危害を加えることを思い留まらせて欲しいのだ。示談になっても構わん」
「出店計画に関しては保障できませんよ」
「勿論、それはこちらの仕事だ」
意外と常識的な線を出してきた。まあ、示談の席で、逆に怪我をしたことへの治療費と慰謝料ぐらいふんだくることになるかもしれないが。
「では、不動産会社と、あと、この壷を売った古物商の情報をくださいませんか」
「教団はいいのか?」
「彼らの関与が確実だという訳じゃないですからね。一番怪しくはありますけど。この件に確実に関わっているのは古物商ですから、まずはそちらから当たってみましょう」
そう告げて、咲耶は箸を置く。手を合わせ、ご馳走様です、と呟くと、温めの緑茶を手に取った。
エレベーターホールで、軽い音が響く。
社長が帰ってきたか、と、午後の勤務についていた秘書課の面々は立ち上がった。
「すみません。竹田さん、いらっしゃいますか?」
しかし、ひょい、と顔を出したのは、長い黒髪の少年だ。
ざわつく部下たちの間を抜ける。
「どうしました、守島さん」
「いえ、貴方にお願いすればいい、と那賀谷さんが」
ぺらり、と一枚の紙を手渡してくる。
受け取ると、それは確かに社長の筆跡だった。
「社長はご一緒では?」
「会議に出られる、ということでした。これ以上は流石にお疲れでしょうし」
無理もない、と咲耶は大人びた笑みを浮かべる。
社長の指示は、彼に古物商と不動産会社の情報を渡せ、というものだった。
しかし、昨今は情報の管理というものに、実にうるさくなっている。一瞬考えて、竹田は口を開いた。
「私が車を出しましょう」
「え、いいんですか? お仕事は」
「元から、今日はこの件が最優先ですよ。私から話を通せば、会って貰いやすいでしょう。ちょっとそちらでお待ちください、電話をかけておきます」
フロアにある、打ち合わせ用のブースへと咲耶を促す。すみません、と一つ頭を下げて、少年はおとなしく足を向けた。肩ほどもある高さの、観葉植物のすぐ傍の椅子にかける。
「ねえねえ、君が化物を退治したの?」
手早くコーヒーを淹れて持っていった若い女性社員が何名か、そのまま話しかけた。
「それに関しては、守秘義務がありますから」
「え、でも、課長がもう心配ないって言ってたもの」
その辺りが知られているのは、まあ想定済みだ。咲耶は曖昧な笑みを浮かべる。
「どうやったんだ? 剣とか、銃だとか使って?」
面白そうに、更に幾人かの男性社員もそれに加わった。
化物の実在すら半信半疑の彼らは、ノリが軽い。
「お前ネトゲのやりすぎだろ」
「ネトゲ?」
周囲で交わされる言葉に、ふと、珍しく咲耶は意味が判らない、といった表情を浮かべた。自信に満ち、時にふてぶてしささえ感じさせる彼だが、こんな歳相応の少年のような表情は実は珍しい。
「ネットゲームだよ。インターネットのゲーム」
「すみません。俺、テレビゲームの類はやったことがないので」
えええ、と驚愕の声が上がる。
「嘘ぉ! じゃあ、スマホゲーは?」
「携帯電話は持ってないんです」
「え、君、若いよね? 幾つ?」
一件電話が終わり、騒がしい部下たちを諌めようと竹田が口を開きかける。
「十七です」
「未成年じゃないか!」
が、反射的に大声を上げたのは、当の竹田だった。
「いや、課長、流石にそれは見て判るでしょ……」
呆れた声が上がる。
だが、思いこみなのだろうが、最低でも相手は二十歳以上ではあると思っていた。髪型や服装などが、実年齢よりも若く見せているのかと。
竹田には、中学生の息子がいる。その子供とほんの数年しか歳が離れていない、と思うと、何故だか胸が痛んだ。
「……いいから、みんな、業務に戻りなさい」
やや威厳を取り戻して、命令する。小声でぼやきながら、それでも部下たちは席へと足を向けた。
「電話がもう一件、残ってます。待っていてください」
「お気遣いなく」
大人びた表情で、咲耶はそう返した。
「守島さんは、どうしてこのお仕事を?」
車に乗ってしばらくして、竹田はそう切り出した。
咲耶の方は、それに驚いた風もない。
「企業秘密です」
軽くそう言うと、補足するように、すぐにまた口を開く。
「今朝も申し上げましたが、俺は物心つく前から、この手の修練を積んできました。無論、親の意向の元に、です。俺の仕事のことだって、親はよく知っていますよ」
「学校とかは……」
「ご心配なく。ちゃんと通っていました」
しかし、彼は学生ではない、とも言っていた。悪気がある訳ではないが、詮索する形になってしまっている。
気持ちを切り替える。
この少年に対して、自分が無条件に手を差し延べられる訳ではない。
これはただの感傷だ。彼にとっても、きっと、迷惑でしかない。
「……まずは、古物商へ行きましょう。近いですから。それから、不動産屋へ回ります」
「はい」
なんとなくほっとしたような雰囲気で、咲耶は頷いた。