第二章 04
夜が更けていく。
談話室には、四人が揃っていた。テレビの前に、卓を囲むように配されたソファに座っている。中央の太一郎と斎藤を両側から挟むように、咲耶と紫月が座す。
手持ち無沙汰に点けていたテレビも、午後十一時には消されている。照明も消え、背後の窓から月明かりが差しこんでいるだけである。自然、会話も途切れがちだ。
のろのろと、時計の針が動いていく。
庭から、小さく虫の音が聞こえてきていた。
太一郎は、さほど眠そうではない。いつものように、生真面目な表情を保っている。
むしろ、斎藤の方がやや顔色が悪い。また、幽霊に遭遇するだろうことが憂鬱なのだろう。
咲耶は平然としている。紫月は、何も話さない状態がずっと続き、やや眠気を感じていた。
予測ができている分、昨夜のような緊張感もない。欠伸を噛み殺して、何とか気を引き締める。
「もうすぐですね」
小さく、太一郎が呟く。
長針と短針が、重なりかけていた。
そして。
完全に重なった瞬間に、室内の気温が一気に下がったように、肌が粟立った。
「……っ!」
斎藤が悲鳴を飲みこむ。
彼らの周囲には、幾重にも重なって、多くのほの白い人影が蠢いていたのだ。
咲耶も紫月も、身動きひとつしない。
太一郎が、詰めていた息を吐き出す。
「……なるほど」
視線を、長い黒髪の少年へと向けた。
「確かに、再出現したようですね。今夜は」
未だ含むところのありそうな言葉に、咲耶が眉を寄せる。その二人の間を、ふわりと霊が横切っていった。
「我々が、昨日こちらへ来た時の霊と、今現れた霊では、少々違いがあります。お判りになりますか?」
しかし、冷静に少年は尋ねた。
太一郎が周囲を見回す。
「何だか数が多いように思えますね」
「それは、はっきり見えるようになっているからです。基本的に無害な霊というのは、時間が経つにつれて徐々に存在を消していくものですから。つまり、我々が来る前からいた霊は、相当数の消えかけていたものが混じっていたと思われますね。今ここにいるのは、割と存在がしっかりしている。改めて呼び出されたからでしょう」
数秒、太一郎は考えこむ。
「自然に消えていく、というなら、放っておけば解決したのですか?」
「推測ですが、おそらく今までに消滅していなくなった分は、またこのように補充されていたと思いますよ。全体の個体数は、実は昨日までとさほど変わっていません」
咲耶の嗅覚が、そう判断させている。
「これは、どうすれば、いいんですか」
怯えたように、斎藤が呟いた。
「毎晩こうして出てきてしまうというなら、どうやって解決できるというんですか」
縋るように、咲耶へ視線を向ける。
「いっそ、うちのお抱えの除霊師になりますか? 正社員として登用も考えますよ」
珍しく茶化すように、太一郎は口を挟んだ。
「それはお断りします。惰性で作業するだけで報酬を頂くような仕事は致しません」
しかしきっぱりと断って、咲耶は立ち上がる。
「では、とりあえず今夜の安眠を確保しましょうか」
連れ立って、階段を登る。
先頭が咲耶、次いで太一郎。斎藤がそれに続き、最後が紫月だ。
斎藤が手摺を掴む手が、白い。
「……大丈夫ですよ」
慰めにもならないだろうが、小声でそう告げる。困ったような表情で、青年は振り向いてきた。
廊下が交差している場所に、咲耶が立つ。照明を全て落とした状態では、黒尽くめの彼の姿は闇に埋もれている。
「じゃあ、始めますよ」
これから、昨夜、太一郎と斎藤を眠りから覚ますことなく除霊を行った手段を再現するのだ。
「お願いします」
太一郎の言葉に一つ頷き、廊下の奥を見据えた。
「榊」
陰陽師の声に応じ、闇がぐるりと揺れた。ひゅんひゅんと、空気が渦を巻く音が小さく響く。
〈榊〉は咲耶の使役する式神だ。物質的なものへの干渉力はないが、精神生命体へは触れられる。
小さな渦巻きのような姿の式神は、二階の客室へと姿を消した。そのまま、数分待機する。
再び現れた〈榊〉は、直径八十センチほどに広がり、その内部に数体の死霊を捕えてきていた。
斎藤が小さく悲鳴を上げる。
一月前にも、咲耶はこのようにして出現した大量の悪魔を滅している。尤も、その時の相手はこちらにあからさまに敵意を抱いており、〈榊〉が少々姿を見せただけでも追いかけてきたのだ。
しかし、今回の死霊たちは、基本的には人間に対して無関心だ。だから、咲耶は式神に彼らを捕獲して連れてくることを命じたのだろう。
黒髪の陰陽師は、両手を胸の前で軽く組んだ。唇を薄く開く。
かろうじて呟いていることが判るほどの声で、呪を紡ぐ。揺れ動く死霊たちは、やがてその濃度を薄め、姿を消していった。
腕を下ろして、背後の依頼人たちに向き直る。
「まあ、こうして部屋に入らなくても、除霊自体は行うことができます。少々時間はかかりますが、朝までに済ませてしまうことは可能ですよ」
太一郎は小さな手を顎に添えて、咲耶を見上げていた。
「なるほど。守島さんの報告が事実であったこと、確認致しました。今後は、もう少し密にお願いしたいところですね」
ちくり、と未だ拝み屋たちに非がある、と言いたげな少年を、見下ろす。
「肝に命じておきますよ。では、お二人のお部屋を片づけてしまいましょうか。早くお休みになられた方がいいでしょうからね。入室しても構いませんか?」
「ええ、勿論」
大人びた表情で苦笑する太一郎を確認し、咲耶は軽く紫月を手招きした。初日のように、一部屋ずつ分担するのだろう。
闇へと通じる廊下に、二人は踏みこんだ。
夜明けが近くなった頃、紫月に割り当てられた部屋に、拝み屋たちはいた。
「カルミア。トゥキ・ウル」
紫月が小声で名を呼ぶ。次の瞬間、二体の使い魔がその場に出現した。長身の戦士と小柄な老人は、揃って床に跪く。
「どうだった?」
主の問いかけに、トゥキ・ウルが声を発する。
「北東側の呪符は午前零時零分零秒二、南西側の呪符は午前零時零分零秒四にて燃え尽きてございます」
咲耶は眉を寄せてその言葉を聞いている。
彼は、今日も建物の外壁に呪符を貼っていた。だが、彼らは午前零時の対応のために太一郎たちと共にいなくてはならない。一体いつ、呪符が焼き切れるか、見定めることはできないのだ。
そこで、紫月の使い魔に観察を頼んでいた。
見ているだけならば、呪符から一切害を受けることはない。直接触れたり、術をかけたりしなければ。
しかも、こうして人間であれば判らぬほどの精度を見こむことができた。
「北東側がやや早い、か……」
「誤差の範囲じゃないか?」
不思議そうに、紫月が返す。
「可能性としては、半々だ。死霊を召喚するための何かが、北東側で発生したから、早かったとも取れる」
「北東ねぇ」
屋内ならば、一階は食事室。二階は太一郎の私室だ。
屋外と言えば、そちらは庭園が広がっている。敷地の外側も、似たような別荘があるばかりだろう。
それも、二方向にしか呪符は設置していない。単純に東から北にかけて、と考えれば、限定できる範囲など大して狭くはない。
昼間の情報収集では、思ったようなものは集まらなかった。
この情報が何らかの手がかりとなるか、または混乱を生むだけか。
ともあれ、紫月は視線を使い魔たちに向ける。
「ご苦労だった。ありがとう」
「貴方のお役に立つことが、我らの喜びです」
恭しく、トゥキ・ウルが再び顔を伏せた。
ちらり、と、カルミアが隣へと視線を向ける。それを受け、老人は口を開いた。
「実は、カルミアが奇妙なことを申しておりまして」
「カルミアが?」
ちょっと意外に思って繰り返す。
カルミアは、その本体においては声を発することができない。それでも、何か伝えたいことがあれば、人の形をとって知らせてきた。その形態に影響されてか、ごく少ない回数ではあったが。
「この館は、少々奇妙なことがあるようです」
「奇遇だな。俺たちもそれには気づいてた」
混ぜっ返すように、咲耶が口を挟む。
「私には掴めぬ情報です。カルミアは戦う悪魔ですので、私とは違う感覚がございます。ですが、それが何かははっきりとは判らぬ、と。お知らせ致しますのも、カルミア自身よりも、私の口を介した方がよい、との判断でございました」
しかし続けられた言葉に、口を噤む。
二体の使い魔は、揃って主を見上げた。
「お気をつけなされませ」
「……ああ」
朝食後に、太一郎は再び自室へと戻っていった。斎藤は家事に勤しんでいる。
咲耶は談話室に座り、色の薄い図面と、斎藤から借りた道路地図を見比べていた。と言っても、最近はカーナビを使うことが多いこともあり、屋敷にあったのは十数年前の版だ、と捜してくれた斎藤に恐縮されていたが。
それよりも縮尺が小さいことの方が困っている。路地が判るかどうか、という尺度の近隣地図に、眉を寄せた。
少し、庭を歩いてみるか、と思いつく。一通り回ってみたのは、初日の夜だった。朝であれば、あの時見えなかったものも見えるかもしれない。
「紫月……」
顔を上げ、名前を呼びかけて止める。
相棒は、背を僅かに丸め、うとうとと船を漕いでいた。
もう、二日の徹夜だ。無理もない。
しかも、彼は初日に母親かもしれない霊と遭遇している。その後は行方も判らないままだ。
ずっと気を張っていたのだろう。
おそらく、昼間には何も起こらないと予測して、咲耶はそっと立ち上がった。足音を立てず、玄関から外へと出る。
静かな、涼やかな空気が身を包む。爽やかだ、との感覚が、僅かに苦い。
とりあえず北東方面へと向かってみるか、と、庭に足を向ける。木々の間を抜けると、その奥から板塀が視界に入ってきた。
高さは二メートルほど。向こう側が覗ける作りではない。
板はややがさついているが、数十年が経過したような風合いではなかった。建物よりは新しい。建て直したか。
壁に沿って北へ向かってみる。遊歩道は敷設されていないため、歩きづらい。灌木が行く手を阻むことも、数回あった。
顔の高さにある蜘蛛の巣を、身を屈めて避けていると。
ばたん、と玄関が開いた。
「守島さん! どこですか、守島さん!」
斎藤が血相を変えて声を上げている。
「どうしました?」
急いで身を翻し、庭を突っ切る。こちらが視界に入ると、斎藤は更に声を上げた。
「弥栄さんが……!」
ばたばたと、玄関から屋内へ入る。
今までの声も、その足音も全く気づかないように、紫月は目を閉じていた。
顔を俯かせ、露になった首に、くっきりと鬱血した両手の痕を刻んで。




