第5話 維新
歴史はその出来事を“反乱”とも“革命”とも記していない。
200隻もの軍艦が艦列も整然として飛ぶ。背後には大怪獣。目指す
先は天照領だ。征魔大将軍に率いられ大怪獣を討伐するはずであった
軍勢が、爆雷の投下も魔法の射撃もなく、その進路を逆向きにして。
大怪獣が進路を変え、次の悪魔石を捕らえに向かっても追いはしない。
大艦隊はそのままに天照領へと進み、その武力をもって不可侵の地へ
進駐したのである。
迎えられたとも、戦いがあったとも伝えられていない。
しかし、それが天空社会を改変する第一歩であったことは疑いない。
天帝はその政権を征魔大将軍へと委譲した。
天空史上初となる一家門による専制政治、火迦神幕府の始まりである。
既にして天空の半分を手中にしていた火迦神家が、遂に全てを支配下
においたのだ。そして始まる新しい統治。新しい政治。新しい秩序。
維新。
それは朝廷により管理された戦国乱世が終わりを告げたことを意味した。
戦争を常態とした社会が、錬磨された軍事力が、今よりは解かれていく。
四尊家による陰謀もまた暴かれ、断罪されることとなった。即ち、戦争
の中に磨き抜かれた軍隊によって地上奪還を目指す試みである。かつて
火子島家が承諾せず、天敵に認定されることによって奇しくも挑戦する
こととなった戦い……つまり、悪魔石討伐だ。
人類を境海の上空へと追いやった元凶たる重魔力。
それを生んでいるのは邪龍であり、その欠片であるところの悪魔石だ。
邪龍こそ精霊機構の大術式によって海底へ封印しているものの、初代天
帝との戦いの中で飛び散った肉片のなれの果てたる悪魔石は、封印され
ることもなく地上に存在していたのである。
四尊家はそれを滅ぼし、再び地上を取り戻すことを宿願としていたのだ。
その願い自体は多くの人間にとっても夢であり希望であろう。広大なる
地上を再び人が支配できたなら、それは豊かさをもたらすに違いないの
だから。しかしそのための手段は非人道的に過ぎたかもしれない。
いや、こういうべきか。
人類は実のところそれほどまでに追いつめられていたのだ、と。
闇右京領における秘術が多くを象徴しているように思われる。悪魔石と
対決したならば人類の力を束ねても束ねても容易に通じるものではない。
数多の人命を犠牲にしてなお届かないのだ。人類は無力である。
それでも地上を欲したから……犠牲が犠牲を生み、それが日常となった。
見渡せただけなのだ、四尊家は。その望みは人類の業そのものである。
そして皮肉にも、その望みは人外のモノによって叶えられていく。
大怪獣だ。
世界中の魔境を巡り、あらゆる伝説を暴き、全てを取り込んでいく旅路。
地上に散在する悪魔石を全て残さず打倒していく飛翔だ。その間にも背
に往来する航空船がある。軍艦ではあるが、戦いに来るのではない。迎
えに来るのだ。或いは送ってくるのだ。人を。
2年の月日が流れて。
天空には清新な政治が遍く行き渡り、地上に存在した悪魔石はただの1
つの例外を除いて駆逐された。その例外とは無論、大怪獣である。
境海を浮遊するかのように飛ぶ姿は、この3年間で恐ろしさをいや増し
に増していた。既に背は無人であり、夢のような自然環境もまた失われ
ている。体積に大きな変動はないものの……放つ気配は圧倒的だ。
それはもはや邪龍そのものなのだ。
であるから、それがそこを目指すことは当然と言えよう。世界の中心で
あり、天照領の直下であるところの、暗い暗い海の底。人類の魔力を束
ねて施された虹色の封印。かつて東京と呼ばれた都市の遺跡。
世界回遊を終え、中央へと直進していく大怪獣。恐るべき偉容。それを
見下ろし、見送る艦隊があった。中央には火の色の御旗。
人類の筆頭として辣腕を振るう王であるところの、1人の美女の姿が
甲板上にあった。炎のような豪奢な髪が風になびき、金銀の瞳には眼
下の大怪獣を映して瞬きもしない。
言葉なく見送るのは彼女だけではなかった。
幕府の人間も、そうでない者も、老若男女入り混じる面々が大怪獣を
見つめている。誰も言葉など発しない。ただ万感の思いを込めて見る。
やがて大怪獣は目的地へと至った。天照領である。
黒い巨体が白い雲の海の中へと沈んでいく。境海の下には大地はない。
そこは暗い暗い海だ。邪龍を封じる虹色の卵から重魔力が漏れいずる、
凶悪な水生魔物の跋扈するところの海だ。そこへ向かって。
艦隊もまた高度を下げ、雲を越えて重魔力の世界へ。その濃度はこの
2年で驚くほどに薄まっているが、それでも魔物の領域には違いない
世界へ。そして見届けるのだ。大怪獣の海中へ沈みゆく様を。
誰も言葉を発しない中で、水しぶきも荒々しく、大怪獣が沈んでいく。
大海原。大怪獣。重魔力の水。邪龍の封印。何もかもが大仰に過ぎる。
それが1人の男の身を捨てた戦いであると知る者たちが、見送るのだ。
見送り、見送られて。
大怪獣は二度とその姿を現すことはなかった。




