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鬼ノ鉄兵 ~ その大怪獣は天空の覇王を愛していた ~  作者: かすがまる
第8章 天震の巨獣、魔断の英雄
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第4話 火金

 200隻からなる大艦隊が上下二重の横列陣を敷いて待ち受ける空域へ、

 大怪獣は無造作な様子でもって進んでいく。そこに人間的な感情の動き

 を認めることはできない。


 黒い大怪獣の偉容。白い雲の峰々がひどく小さく映る。その巨大さに比

 べると航空船の200隻などいかにも頼りない。象に立ち向かう蟻の群

 れだ。しかし指揮する者の覇気が兵士たちを鼓舞していた。


 火迦神ベルマリア。


 今や天空にその名を知らぬものとていない人物である。烈将から烈王へ、

 そして覇王やら天王やらとまで称される光輝の存在。天帝が半ば人の世

 界の外側に位置するのに対し、彼女は民衆の代表であり首席だ。


 人類史上稀有な3色の天才であり、類稀な美貌の女性であり、政治にも

 経済にも軍事にも優れたる者。そして天空の半分を領有し、それを朝廷

 が認めた“征魔大将軍”だ。


 その彼女が共に前線にいる。陣頭指揮を執っている。それがどれほどに

 兵士たちを支えていたことか。不安と恐怖を慰めていたことか。


 なぜなら、目の前に迫っているのは強大すぎる異物なのだ。


 天空の秩序の中に人間として生きる存在根拠を、自信を、美しい酩酊を、

 全て揺るがされるのだ。いっそ魔物のように積極的な敵意をもって襲い

 掛かってくる存在であれば、対抗して打倒しようとも決意できる。


 しかし、大怪獣は余りに無造作だ。無関心だ。それは人類社会に価値を

 見出していないように映る。あらゆる権威が意味を失い、失墜する。


 もしかしたら、自分たちは無価値なのではないだろうか?


 そんな思考の陥穽に落ち込まないための、縋りつく確かな価値として、

 天空社会の傑作中の傑作たる1人物を信じ奉るのだ。堂々たる英雄に

 己の存在根拠を委ねるのだ。


 200隻からなる大艦隊の中央上部に浮かぶ旗艦。誰知らずそれを見上

 げようとする者が続出していた。祈るように探す。人の価値の拠り所を。


 その彼女のおわす旗艦より放たれたものがある。牽引していた小型船だ。

 軍用ではないようで、爆雷投下窓や衝角などの武装はない。しかし頑丈

 な造りではあるようだ。魔石の出力もそれなりに高そうだ。


 決戦に先だって使者を出す、とは事前の軍議によって宣言されたことだ。

 

 この戦いは魔物退治の延長線上で考えていいものではないのだ。大怪獣

 の正体は誰にもわからず、その一方でこの戦いが人類の存亡を賭けたも

 のであることは疑いない。ならば闇雲に攻撃することは危険に過ぎる。


 攻撃さえしなければ接近できる。それはわかっているのだ。先だっての

 戦いがそれを証明している。為す術もなく蹴散らされた艦隊は、少なく

 とも大怪獣に接触することはできたのだから。


 あの船に乗っている者こそ勇者だろう。

 使者はそのままに決死隊でもあるのだから。


 ここに集う誰もが火迦神ベルマリアに心を寄せているが、その中でも特

 に強い信奉心をもっている者たちに違いない。あの“拳豪”も乗り込む

 という話だ。戦闘能力も屈指の集団だろう。


 そうであっても、生きて帰れる確率は極めて低いだろう。未知の危険に

 満ち満ちた作戦だ。わずかな手勢でもって大怪獣の背に上陸し、そこを

 調査して揚陸地点を確保するのだから。


 何しろあの巨大さだ。単純な打撃力でもって破壊することは不可能だ。

 強襲揚陸後に敵の弱点を叩くというのが基本方針である。決死隊が失敗

 したならば遮二無二上陸を強行するよりない。それが壮絶な戦いになる

 ことは疑いない。


 上手くいってくれ……200隻に搭乗する誰もがその船の航行を見守る。


 そんな誰もが知る由もないことがあった。その船が大怪獣に縁のある船

 であり、船員たちが軍属でない獣人たちであるということ。“拳豪”は

 乗船しているものの、乗組員の内の筆頭ではないということ。


「そう緊張するな、アントニオ。非武装の船で行く方がむしろ安全だと、

 お前も納得しただろうに……いざとなれば飛んで逃げればいいんだ」


 そう笑う火色の髪の美女に対し、アントニオは返答のしようがなかった。

 周囲の近衛戦士団の面々は落ち着き払っている。しかしそれは美女の戦

 士団がおかしいのであって、自分の反応が普通だと思うのだ。


「楽しいな。地上に探険へ繰り出していた頃を思い出すぞ」


 火迦神ベルマリアは楽しげに笑い声を上げるのだった。





 花が咲き乱れていた。


 草木の緑は萌え、小鳥や小動物たちは憩い、そよぐ風には芳醇な香りさ

 え混じる。瑞々しい果実がそこかしこに実っている。小川のせせらぎは

 清らかだ。岩すらが角なくまろみを持ち、座られることを待っている。


「桃源郷だな……まるで」


 ベルマリアの呟きは周囲の戦士たちにとって意味のわからないもので

 あったようだ。夢のような世界ということだ、と補足する。


 彼女を中心として30名前後からなる集団が、そんな長閑な風景の中を

 慎重に進んでいく。寛いでいるのはベルマリアくらいだ。あとの戦士た

 ちは油断のない様子で周囲や足元を警戒している。先頭はアントニオだ。


「と、殿、毒見を……!」


 そのアントニオが止める間もなく、ベルマリアは果実の1つをかじった。

 赤々とした林檎だ。その木の根元には西瓜らしきものが蔦草の中に実っ

 ているのだから、季節も何もあったものではない。


「美味い。こんなに美味い林檎は食べたことがないほどだ」


 そう言われても、周囲がそれに続く様子はない。誰もが得物から手を離

 さず、戸惑いの中にも心を緊張感で縛りつけている。アントニオも苦い

 表情だ。嘆息するベルマリアである。


「無理に食べろとは言わんが、間違っても武器を向けるなよ。お出ましだ」


 戦士たちが一斉に身構えた。ベルマリアの視線を追って、花畑が絨毯の

 ように続く丘の頂を見やる。人影があった。近づいてくる。


 不思議な形状の外套をまとう女性だ。大人びて見えるがまだ少女という

 年頃かもしれない。金色の髪を長く垂らす美人だ。しかしその目の色は

 黒色。あり得ない取り合わせである。


「マックス号で乗り付けたのは貴方たちですか?」


 質問というよりは確認か。声色に緊張や警戒はない。武器を持っている

 様子もない。ごく自然体で歩み寄り、声を張り上げずとも会話のできる

 距離でもって立っている。


「そうだ。船員たちにも協力してもらっている。念のために20名の護衛

 をつけてあるが、俺の別命あるまで待機しているだけだ」


 そう答えながらも、ベルマリアは自分の眉がつり上がらないように注意

 する必要を感じていた。微笑みを絶やすまいと意識している。


「貴方は?」

「俺は火迦神ベルマリア。勅命により討伐軍を率いている。君は?」


 踏み込んだ発言だったはずだ。火迦神。勅命。討伐軍。しかしいずれの

 文言にも何の反応も見せずに、その女は言葉を返してきた。


「私はメリッサ。臨時にここの代表を務めています」


 微笑んで、そっと外套の腕に触れた。双方笑みを浮かべているが、ベル

 マリアの口の端はひきつっている。そして思い出したように首元をゆる

 めるような仕草を見せた。伸縮する生地が首まで覆っているのだ。


 その様子にメリッサが訝しげな表情を浮かべ、ベルマリアの表情を確認

 するなり、再び笑みを形作った。やや硬いか。


「不思議な外套だ。どこぞで拾ったものだろうか」

「頂いたものです。とある方に危急を救われ、肌を晒していたところに

 そっとまとわせていただきました。大切な宝物です」

「!」


 俄かに空気が張り詰めてきていた。武器を構えるでもなく、魔力を高め

 るでもなく、2人の美しい女性が談笑しているだけだというのに……既

 に30人の戦士たちは額に汗を浮かべ、微動だにしない。


「貴方の首元にのぞく服こそ、どこで拾われたのですか?」

「忘れものだ。だが持ち主とは財産を共有する仲なのでな。ちなみに言っ

 ておくとだ、互いに肌を晒し合う仲でもある」

「!」


 金色の髪がかすかに揺らいだように見えた。火色の髪もまた動いたか。

 花の香漂う両者の間には今や明確な戦意と殺意とが渦巻き、傍目の和や

 かさ、艶やかさ、華やかさとは真逆の緊張を孕んでいる。


 どちらも笑顔だ。しかし何と恐ろしい笑顔か。


「何をしに来られたのですか?」

「何でここにいるのだ?」


 2人の質問は同時に発せられ、それゆえにどちらも返答を得られない。

 ますますにこやかになる笑顔。ゴクリと誰かの喉が鳴った。気のせいか、

 地面すら微かな震えを示しているように感じられた。


「……会えるのか?」


 どれくらい経ったろうか。ベルマリアの言葉がそっと紡がれた。


「それとも……会っている、と言うべきなのか?」


 不思議な言いようだ。しかしそれを切っ掛けとして剣呑な雰囲気が解け

 ていく。代わって辺りを包むのは憂いだ。2人の美女は憂いに満ちた表

 情でもって見つめ合っている。


「会っているのかもしれません」


 そう答え、足元の草花に視線を落とすメリッサ。


「けれど……会いたいと願っています」


 外套に手を当てるメリッサ。その触れ方の何と愛おしそうなことか。

 ベルマリアもまた首元へ手をやる。風が静かに両者を撫でていく。


「俺は会うために来た。そのために手段を選ぶつもりはない」


 強く言い放ち、メリッサへと近づいていくベルマリア。


「教えてくれ。そして俺の知ることも聞いてくれ。俺たちは協力できるは

 ずだ。こんな結末など俺は認めない。君も納得していないのだろう?」


 手を差し伸べている。握手を望んでいるのだ。その手を見て、しかし

 自らの手は伸ばさない。至近で交される視線。


「いい女は祈り、待つものでは?」


 試すように問うメリッサ。答えるベルマリアは?


「酔った男をぶん殴って帰宅させるのも、いい女の務めだ」


 あんまりと言えばあんまりな答えだ。堪らず笑い出したメリッサ。ベル

 マリアもまた笑う。美しい笑い声が音楽のように流れた。


「こちらへ」

「うむ」


 金色の髪の美女に案内され、火色の髪の美女が丘を越えていく。

 戦士たちはそれを粛々と追い、咳1つ漏らさない。


 大怪獣の背の桃源郷において。


 余人の感知できない挑戦が行われようとしていた。

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