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鬼ノ鉄兵 ~ その大怪獣は天空の覇王を愛していた ~  作者: かすがまる
第7章 疾風の鬼神、天帝の古歌
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幕間話 刀神

◆ メリッサEYES ◆


 ホラキンは終わりました。私、メリッサがそれを見届けたのです。


「め、メリッサさん、本当にこのままで大丈夫なんで?」

「当然です。爆撃も襲撃もありませんから、早く接岸してください」

「いや、そうでなくて……ああ、もう!」


 船長がウサギの垂れ耳を振り回しました。本当は言わんとするところを

 わかっていますが、敢えて答えません。口にしたくないからです。


 オババ様を置き去りにしたことを……言葉にしたくありません。


 腰に結わいつけた小袋には2つの小瓶が入っています。オババ様から託

 された最後の霊薬。1つは重魔力に作用し、その働きを鎮静化させる物。

 もう1つは逆に重魔力を活性化させる物。研究の成果たる2本。


 本当はもう1本ありました。身体の発魔量に影響し、それを暴走させて、

 一時的にでも莫大な魔力を得ることのできる霊薬。発魔を抑制する研究

 の中で産まれた真逆の薬。破滅の薬。


 それをオババ様が飲み干した時、ホラキンは終わったのです。もう元に

 は戻れません。悪夢と化したこの夜を必死に駆け抜けて……予定のない

 未来を切り開いていかなければならないのです。


「延焼を避けるとしちゃここいらが限界だ。しかも、何だ、その……」


 闇右京の都に近い崖に船を近づけて、船長が言い難そうにしています。


「これでいいのです。間違っても皆さんは上陸しないでくださいね。どう

 なるかわかりません。念のため縄や大弓での固定も控えてください」


 今夜この浮島で起きている現象を、オババ様は天帝の術であると見抜き

 ました。多くは聞きませんが、かつて天帝と事を構えたことがあるとの

 ことです。驚きつつもどこか納得したような口ぶりでした。


 墜落しつつあるこの島は、今……足を踏み入れた者を化物に変貌させる

 魔境と成り果てたのです。人の営みが人の手で燃やされ、人が人である

 ことすらも許されない世界。何て狂おしい光景なのでしょうか。


 強きが弱きを虐げ支配するために、多くが準備された場所だとは思って

 いました。思っていましたが……まさか、ここまでとは。


「揚陸艇にゃ落下傘も積んでおいた! いざとなりゃ飛び降りろ! 必ず

 拾うからよ!」

「わかりました。では……いってきます!」


 小型の船に乗り込み、林へと向かいます。これは魔石の欠片を用いた

 軍用のそれとは異なり、風属性の魔法でこしらえた風船で浮く物です。

 多くの難民船と同じですね。使い捨てです。一応は固定しますが。


 暗い林の畔。草地の上。10年の時を経て再び踏んだ、天空の地。

 感慨が無いといえば嘘になります。母との思い出に彩られた感触。


 けれど、ここは戦地です。大事な大事なもののために、私はこれから

 戦うのです。多くを奪って素知らぬふりのこの世界。抗い護るために。


「いきますよ、ミー」

「合点承知の助。これよりミーはお修羅入りです。寄らば斬るモード」


 言うなり駆け出す魍魎の幼女。速い。本当に速い。引き離されないのが

 やっとだなんて……しかも、きっとこれでもミーは手加減しているはず。

 私の脚力は鬼になりかけた経験からか人並み外れているのに。


 あっという間に林を抜けて、港に近い住宅街へ。火の勢いは上から見た

 ほどではありません。煙と熱は酷いですけれど、瓦礫の中に走りやすい

 道すらあります。その意味するところは……先程から止まない慟哭。


 火勢の中に響き渡っている哀しい哀しい叫び声。もう人間の声ではない

 けれど、間違いなくあの人の声。痛み苦しみ悲しむ絶叫。泣いています。


 どうして、と。

 どうしてこんな悪夢が現実に起こるのかと。人間の残酷が現れるのかと。

 哀悼と絶望と憤怒とが入り混じって、どうしようもなく大気を震わせて。


 心が……あの人の心は全てを受け止めてしまうから……自分のことには

 まるで鈍感なのに、誰かのことばかりに心を砕いて、傷ついていくから。

 壊れてしまう。この夜の残虐を全て受け止めてしまっては……心が。


 どうかそんなに悲しまないでほしいです。苦しまないでほしいです。

 この陰惨な世界の中で……貴方は優し過ぎるんです、テッペイさん。


 大通りに出て、遠くに奇怪な小山を窺えたその途端に、化物に遭遇しま

 した。銀色で滑らかな大魚のようなもの……イルカという名の氷の精霊。

 石畳を凍らせて滑り進み、こちらに向けて氷の棘を飛ばしてきました。


 声を掛けるまでもなく。


 ミーの長大な剣……確かカタナという種類でしたね。その名は曼珠沙華。

 それが振るわれて棘もイルカもバラバラになりました。速い。目にも止

 まらない斬撃。剣を抜く様子もわかりませんでした。


 それが切っ掛けになったのでしょうか。路地裏から、屋根上から、そこ

 かしこから、8色の化物たちがこちらに群がってきました。元の風景が

 わからなくなるほどの……色とりどりの洪水のような来襲です。


 嵐が起こりました。


 あらゆる色が黒い旋風に斬り散らされていきます。もうミーの姿を確認

 することもできません。ただ、何か凄まじい速度の剣閃が連続していて、

 それが色に溺れそうな世界に道を創っていく様子を追うだけです。


 1匹1匹が恐ろしく強力で……恐らくは何も知らない人間の1人1人で。


 この日このように失われていく命の、その殺戮の咎は誰に帰属するので

 しょうか。誰もが誰かの子であり、誰かの親でありもして、ただ暮らし

 ていただけでしたでしょうに。私がお母様とそうしていたように。


 情けとは何でしょう? 容赦とは何でしょう? ミーはその存在自体が

 何かの現象のようです。表情も声もなく、全ての障害を斬り払っていき

 ます。その剣速はきっと……鬼を葬る時に放つ、あの速度。一思いに。


 誰もが幸せを追い求めるのに。

 何かがそれを妨げるばかりか、無造作に奪う。


 ああ……どうして、この世界は……こんなにも……!


「テッペイへ至る経路を決定するも、障害物過多。オーバードライブの

 連続運転限界を16秒超過。通常運転へ緊急移行。ねーちゃん困った」


 ミーが少しも困った風でなく言います。速度を緩め、それでも剣を縦横

 無尽に振るって命を散らしながら、小首を傾げて。


「ねーちゃんの安全を確保できなくてもいーか?」

「元よりそのつもりです!」


 ミーがオババ様から最後に命じられた幾つかの指示。それらには優先順

 位があって、私の身の安全を確保は下位にありました。当たり前です。


 私だって戦いに来たのです。

 庇われ護られながら駆けつけて、どうしてあの人の隣に立てるでしょう!


「それでは、ねーちゃん、御免あそばせ」


 器用にも剣を振りつつ会釈して、ミーは再び進攻速度を上げました。

 しかし先ほどまでとは違います。小さな大嵐として全てを斬り払って

 いくのではなく、一時的な進路を確保するためだけの攻撃です。


 後ろを走る私へも敵の攻撃が降ってくるようになりました。それは体当

 たりだったり魔法だったりしますが、どれもが致命的で強力なものです。

 剣と髪針、そして電撃を駆使しますが、1撃2撃と被弾して……。


 それでも私は無傷です。


 私を包むこの外套は、テッペイさんに頂いた物。テッペイさんの私物。

 暖かく、柔らかで、少し大きいですけれど、それも包容力を思わせて。

 そして何よりも強いのです。こんな攻撃など!


 爆発音。


 上空からです。見上げることはしません。そんな余裕はありません。

 既に爆撃は止まっていて、それが再開されることはないでしょう。


 オババ様が戦っているのです。たった独りで大艦隊の中枢に降り立ち、

 指揮官やその軍勢を相手取っているのです。霊薬により時限的に強化

 された魔力で……全ての退路を断って……炎を自在にして。


 オババ様こそがホラキン。始まりにして終わりです。たくさんの死を

 見守り続けてきたオババ様……長く長く、重く苦しい生を歩んできた

 人が、今夜、ついに解き放たれるのです。笑っていました。


 ホラキンが……人の形をしたホラキンが戦っているのです。たくさんの

 大切な人たちの歴史が、今日までの全てが、オババ様に結晶して戦って

 いるのです。どうして負けることなどあるでしょう。人間の非道などに。


 ですから、見上げません。泣きません。だって私はホラキンの子です。

 私がいる限り、私の中には全てがあるのです。大切な人たちの面影が、

 言動が、思い出が……それらが宝物であると、私は教えられました。


 だって、だって……あの人には……テッペイさんには、それもないから。


 鬼になりかけた私を助けてくれたテッペイさん。それだけでも危険を省

 みない行為だというのに。ある日から鬼になりきった者すら救いだして。


 最初に救ったのは……デンソン。紫色の梟として戻ってきた、私の家族。

 その首に光る飾りはテッペイさんがくれた物。デンソンはそれをとても

 気に入っていて、鬼になるため出発する時にも、持っていきました。


 そして鬼に成り果てて……けれども、戻ってきました。人間には戻れず、

 会話もできませんが、それでも彼がデンソンであることは間違いなくて。


 私たちは嬉しかった。だってその梟が、テッペイさんの肩でとても寛い

 でいたから。安らいでいたから。ちょっと澄ましたような感じも、デン

 ソンのそのままだったから。幸せそうだったから。


 けれど……テッペイさんはデンソンを忘れていました。


 その後も続く鬼の救済。そしてどんどんと失われていくテッペイさんの

 記憶。その因果関係を理解した頃には……もう……たくさんの大切な物

 を無くしてしまっていました。愕然としました。


 思い出は宝物なのです。暖かく優しく、今を生きる自分を励ましてくれ

 るものなのです。逆風にも背を押し、膝をついても肩を貸してくれます。

 慰めてくれるのです。それが生きる力になっていきます。


 そんな大切な……代替のない、掛け替えの無い宝物をすら……テッペイ

 さんは惜しみなく与えてしまう。まるで自分のことを考えず、ただ誰か

 のためばかりを思って……いつも傷ついて。悲しんで。今もこんなに。


 貴方の幸せを願っている人間もいるのですよ?

 貴方が幸せでないと、心から笑えない人間もいるのですよ?

 貴方は馬鹿です。自分でもそう言っていましたけれど。馬鹿なんです。


 見返りを求めず、そんな考えがまるでなく、失ってばかりいて。

 この世界の悲しみ、苦しみ、痛みばかりを引き受けていて。 


 馬鹿で馬鹿でしょうがないものですから……愛さずにはいられません。


「え、ミー!?」


 前方で剣風を巻き起こしていたミーが、その直進を曲げて路地に入りま

 した。もうすぐそこなのに……化物が群がり、遠目には蠢き光る極彩色

 の小山にしか見えない場所。テッペイさんが居る場所。


 後を追わないわけにはいきません。もはや化物の群れは密度が凄まじく、

 私1人ではこの距離からですら辿り着けはしないでしょうから。


 ミーの向かった先には化物が密集していました。何か目的をもっている

 ようで、ここにも小さいながら山ができているとすら言えるでしょう。

 それらをザンザンと斬り払っていくミー。そこには……ああ!?


 黒い岩のように見えるそれは……テッペイさんの一部。よく見れば地面

 を貫いて触手が伸びているようで……それはきっとあの山に繋がって?


「ミーがディフェンス。ねーちゃんがチェック」


 何を言っているかよくはわかりませんが、私が調べればいいのですね?

 この一画に化物を近寄らせまいと戦いだしたミーを背にして、黒に触れ

 ました。暖かい。さっきまでああも攻められていたのに、強固で。


 わ! ギョロリと、パチリと、小さな目が生じて私を見ました!


 すぐに消えましたが、その代わりに黒い表面が柔らかく変じてきました。

 どうやら触手を螺旋状に重ねていたようで、中は空洞に……ああ、何て

 こと……中には子供がいました! 黒髪の幼い子供が3人も!


 テッペイさん……テッペイさん……貴方は!


 空からは爆撃が炎を撒き散らし、地からは精霊と契約した者たちが化物

 と化して襲い来るその狂乱の中にあって……身を苛まれる最中にあって。


 子供を救命していたのですか。

 精霊と未契約で、この夜に力なく殺されるよりなかった子供たちを。


 ああ……どうして貴方は……!!


 ズルリと触手が動きはじめました。子供たちを包みこんだままに、地下

 を通って回収するつもりのようです。未だ一部が開いているのは、私に

 入れということでしょうか。さっきまでは化物が群がりすぎて、どうし

 ようもなかったのですね? ということは……。


「ミー! 一緒に来れますか!?」

「不可能。状況は把握。穴を塞いでから別の同様な状況を探し、援護する。

 ねーちゃん、先に、いってらっしゃいませ。ミーは後から別から」

「わかりました!」


 私の安全を確保しないと断りを入れてからすら、自分が進むため以上に

 敵を斬り払っていたミーのことです。ここで別れることに不安はありま

 せん。私は即座に触手の空間の中に入りました。移動が開始します。


「あ……?」

「大丈夫ですよ。きっと貴方たちは助かりますとも」


 既に泣き疲れたものか、ぐったりとした3人の手を代わる代わる握って。


「大丈夫です。どんなにかこの世界が悲劇に満ち満ちていても……私たち

 は今、そんな全てに抗う人の手に抱かれているのですから」


 信頼しています、テッペイさん。貴方は私の希望そのものですから。

 けれど、どうか、テッペイさん。貴方1人で全てを苦しまないで。


 例え世界の全てが貴方の敵となったって……私は。私たちは。


 貴方を知る私たちは、絶対に、貴方を独りきりになんてしませんから!

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