第7話 裏手
結論から言おうか? 俺は迷子になった。
日も暮れてたし、食欲もなく睡眠欲の権化となっていた俺。
客室を宛がわれるなり爆睡ですよ。あ、霊薬は飲んどいたけども。
ホテルみたいな部屋だったから、ある意味で場慣れしてたしね。
で、起きました。深夜です。尿意です。
この部屋、ホテルじゃないからトイレついてないです。
そしてお屋敷のトイレがどこだが知らない、ときたもんだ。
間取りも何もまだ説明されてないし。その前に寝ちゃったし。
とりあえず廊下に出てはみたが……いや広いったら。見当もつかん。
天井高いし。壁白いし。床テカテカしてるし。照明は魔法なのか?
十字路に立って周囲をキョロキョロ。扉がたくさんあります。うへ。
だいたいトイレってのは端っこにあるもんだ。どこだろう端っこ。
ん、外への窓……でなく、扉がある。渡り廊下に繋がってるようだ。
出てみる。夜風が気持ちいい。大きさからして、向こうは別館か。
外ではいたさないですよ? 衛生的な日本人ですので。
戻るかと思ったっけ、何か変な音がして振り向いた。何だ?
笛が唸ったらこんな音だろうか。ヒスったソプラノ笛的な。
ちょっと人を不安にさせるところがある。放っておけない気分だ。
渡り廊下から庭に降りて、裏手の方へ。
まばらな木々の合間に見えてきたのは、不思議な光景だった。
芝生の上に毛布を敷いて、1人の子供が空へ手を差し伸べている。
腕は細く青白い。指の長さを強調するものか、鉤爪のような印象だ。
白い……いや、少し緑色がかっているから、若菜色の髪か。
彼か彼女かわからないが、その手が示す先から音が発している。
髪の色から察するに、きっと風の魔法か何かだ。多分。恐らく。
何かを奏でているのだろうか。不規則に強弱を繰り返す音色は短調だ。
「おっとと」
まだ本調子でない俺です。よろめいた拍子に声が出てしまった。
大丈夫、あれは出てない。漏らしてない。成人式越えてますので。
「誰っ!?」
ほら、驚かせちゃった。さっと上半身を起こしてこっちを見てくる。
大きな目だ。やはり若菜色の瞳。まだ性別がはっきりしない年頃か。
それにしたって美形だと思う。どことなくベルマリアに似ている。
首の細さと浮き出た鎖骨が妙に気になった。気管支弱そうだ、この子。
と思ったら、案の定、咳き込みはじめた。ゼヒゼヒした咳。喘息か?
「大丈夫?」
「う……うるさい、触るな!」
あんまり苦しそうだから背中さすろうとしたんです。
弟が小児喘息持ちだったからさ、こう、反射的な行動だと思います。
でもね。
今の俺には、その細腕の打ち払いがね?
大ダメージでした。
「え……あ……だ、大丈夫?」
まさかの大転倒。動けません。受け身し損ねた。モツに来た。
お株を奪うかのように盛大に咳き込む。超苦しいんですけど!
「だ、大丈夫……うう……グホゥ、ゲホゥッ」
背中さすってくれます。優しいね。でも俺がやりたかったの、それ。
何とか呼吸を整える。くそぉ、本調子はまだ遠いな、この身体は。
下腹部の持続力は、イエローゾーンだがまだいける。漏らせるものか。
「それで……その……コホンッ。お前は誰だ!」
うーん、声でも性別わかんない。まぁ、どっちでもいいけどさ。
顔的にも態度的にも、ベルマリアの兄弟か親戚だろ? 多分。
「高橋鉄兵です。今晩からお屋敷に御厄介になってます」
「高橋……知らない家名だ。平民か?」
おっと困った。何と答えりゃいいんだ? 俺の社会的立場って?
犯罪者じゃないけど……光石持ってないぞ? なら下民かな?
「……光石を持っていません」
「下民か。察するにまた姉上だな? 何でも拾ってくる人だ、まったく」
やっぱり下民なのか。珍獣よりはいいけどね。
「私は赤羽ジルベルトが第二子、ジンエルンだ。我が名をもって命ずる。
ここで見聞きしたことは忘れろ。さもなくばお前の……大丈夫?」
やばい、変な波来た。尿意が腹痛を招来して連合軍になっただと!?
く……俺の体内に残る魔力よ……集まって腹へ行け! 防衛戦だ!
「その……具合悪いなら、執事を呼ぼうか?」
「だ、大丈夫です……あの、出来れば洗面所を教えてもらえますか?」
「吐くなら、吐いちゃったほうが楽になるよ?」
「いえ、そんな、うううう……!」
ジンエルンちゃんとやらは、何かオロオロしてる。そして終いには、
俺に肩を貸してくれた。どうやらトイレに連れていってくれるらしい。
ありがたい。超ありがたい。何この子、天使?
別館の方へ向かうようだ。小さな肩に柔らかそうな髪が揺れている。
天使というよりは妖精かもしれない。緑系ってそっち連想するよね。
そんなこと考えてたら、睨まれた。こ、心を読まれたか?
「私の髪色が気になるか。さぞ珍しかろう。赤羽家にあってこの色が」
「え、はぁ……」
「土御門様の家中にあって武門として名高い我が家だ。その炎を操る力は
他家にも畏怖されている。その家柄にあって、この髪。笑うがいい」
何か甲高い声でまくし立てはじめた。どうしたってんだ、いきなり。
早口過ぎて半分聞き逃したが、要は、トラウマスイッチがオン状態?
それともコンプレックススイッチかな? 誰でも色々あるよねぇ。
ちなみに、このまま立ち止り続けると、俺のトラウマが1つ増えます。
それはきっと、君のトラウマにも成り得る悲劇だと思いますよ?
「……まぁ、下民の……しかも白髪の人間にカッコつけても仕方ないか」
「何というか……恐れ入ります」
「しかも僕よりこんなにも弱々しいなんて。逆に困るよ、もう」
崩れるように小さく笑うジンエルン。泣き顔みたいな笑顔だ。
男の子……なのかな? 僕って言ったし。ベルマリアの弟君か。
小さくため息をついて、俺の目的地への輸送を再開してくれた。
情緒不安定気味な気もするが、姉弟揃って面倒見のいい性格らしい。
別館に入ってすぐ右手がトイレだった。天国に感じられます。
「それで? 君はどうして連れてこられたんだい?」
出てきたら待ってました。トイレの出待ちは少し照れますな。
渡り廊下まで戻り、庭へ降りる階段の所で腰を下ろした。
最初の音色じゃないが、何か放っておけない感じがする子だ。
「兵士というわけでもなさそうだし。姉上が怪我でもさせたのかな?」
「あー、確かに電撃と火炎は貰いました。いや、火は避けたか」
ペネロペさんという水属性の盾を使いました。うん。
「やっぱり。覇気があるのはいいけど、乱暴なところがあるからなあ」
困ったものだ、とウンウン頷いている。俺も頷いてしまった。
中身おっさんの癖に悲鳴上げて火炎とか、困るよね。実際。
中身おっさんだと思えばこそ、何とか普通に接せられるのにさぁ?
「赤羽の次期当主だというのに、地上への探険癖も悪化する一方だしね。
あれほどの天賦に恵まれたんだ。もう少し身を尊んで欲しいよ」
身を尊んで……か。
俺の場合、弟には常に身を慎んでいて欲しかった。危なっかしくて。
「どんな治療を受けてるんだい? その髪じゃ、服薬しないと治るものも
治らないんだろ? 僕もそうだからわかるんだ」
「あー、何か祭殿で貰ってきて霊薬です。高そうなやつです」
「それは……ごめん、知ったような事言って。僕よりも重症なんだね」
「え? ああ、いえいえ……」
よくわからないが、やっぱりあの霊薬は大層な代物なのか。
1本お幾ら万円なんだろ。っていうか、この社会の貨幣単位って何?
もしかしなくても、労働奉仕とかで返済できる額を超えてない?
いよいよもって、ほいさっさとばかりに帰りにくくなってきた。
帰れるかどうかもわからないのに、どうしたもんだろう……うーむ。
何よりもまずは、健康的に動けるようになることだ。リハビリだ。
並行して精霊との契約手段を探らないと。封魔環を外せりゃ早いんだ。
その上で、自活手段だな。仕事だ仕事。まずは返そうという姿勢だよ。
……大学の卒論とかって騒ぎじゃないんだろうなぁ、もう。
何やかやと慌ただしかったこともあって、考えないようにしてたけど。
日本人の日常に戻れる可能性って、そもそも、あるのかな?
「そうか……白髪というのは、そこまで辛いものなのか……」
とと、放心してた。何かジンエルンが深刻そうな顔をしてる。
こんな夜中に2人して何してんだかなぁ、まったく。
「冷えてきました。戻りましょう」
「うん、そうだね。大変だとは思うけど、僕も協力は惜しまないから。
何かあったら言ってほしい。こっちの館で暮らしてるから」
「ありがとうございます」
何故に別館暮らしなのか、とかは聞かないほうがいいんだろうな。
俺はこのお屋敷の色々を早急に知る必要がありそうだ。トイレとか。
渡り廊下でそのまま別れ、俺は十字路を左折して部屋に戻る。
寝よう。色々と心配事や不安事は尽きないけれど、寝るしかない。
今の状況は大不幸のようで大幸運でもある。理解者がいるのだし。
人生、万事、塞翁が、馬。
大難が小難ってこともある。
とにかく、落ち着いて、出来ることをしていくしかないんだ。
最悪でも……人生いたるところ青山あり、さ。
で。
部屋に入ったら、その理解者が待っていました。ベルマリアです。
夜着にケープみたいのを羽織った姿。これは中々に緊張感を煽るね。
呪文を唱えよう。おっさんおっさんおっさんおっさん。
「えーと……トイレ行ってました」
「右見ろ。階段の先で左見ろ。10歩と少しで洗面所だ」
「おお、そうだったのか。別館っぽいところのをお借りしました」
「……弟と話していたようだな」
裏手に面した窓際に立っているベルマリア。見てたのかな?
それ自体はお互いに責められるこっちゃないと思うけども。
「お待たせしたならごめんなさい。こんな夜更けにどうしたんです?」
「様子を見にきたんだ。寝たまま死なれちゃ、朝から事件だしな」
「そ、それは確かに。お手数様です」
冗談に聞こえないのが怖い。さりとて環を外すのも問題だ。
朝起きて化物にでもなってたりしたら……カフカだね、そりゃ。
「薬、多少多めに飲んどきましたから、大丈夫だと思いたいです」
「まぁな。今晩に何もなきゃ、まず問題はねぇだろ……」
ん? 何か機嫌悪そうなんですけども。
この場合、原因はあれだな……俺の不在か、弟君か、その両方か。
割合は2対8くらいで弟君と見た。踏み込みにくいです。うへ。
「ジンエルン君に霊薬のことを驚かれました。自分より重症だって」
「……」
「同情してもらったみたいです。肩まで貸してもらっちゃったり」
口止めされた気もしたけど、見られてたんじゃ隠しようもなし。
あの変な音色のことだけ黙っとけば大丈夫だろう。うん。
そもそも、変なことしてないしね。漏らさなかったしね。
「……それで?」
「へ? いや、別に……別館で暮らしてるそうですね」
「俺がこっちにいるからな。避けられてるんだ」
怒ったような、どうでもいいような、堪らないような、言い方。
これは聞いていい話なんだろうか。聞かせてくれたのだろうか。
返事をしかねた俺を見もせずに、更に付け加える。
「俺は憎まれている。暗殺されかけたことも、1度や2度じゃねぇ」
それは、これまでにない違和感でもって、俺に突き刺さる言葉だった。