第3話 三者
「熱ぅぁっ!!」
手鎌で天井部分を切り裂いたら炎が侵入してきた。洒落にならない温度。
っていうか鎌が。鎌が超焼かれた。これ普通の火じゃない。魔法の火だ。
「熱っ熱っ」
裂け目がただれて戻らない。つまり火事ボウボウ状態。自爆なわけない。
外から攻撃されているんだ。船の上の魔蝿を焼き払っていた魔法使いか。
逃げりゃいいのにわざわざ止め刺しに来たのかよ。
まずい。普通に熱くて痛い。鎌を手に戻したところが火傷になってるよ。
治りが遅いところを見ると相当の火使いだぞ……ふぅ、ようやく治った。
どうしたもんだろう。飛び出したら相当痛いだろ、これは。防災頭巾が
欲しいんですけど。濡れたシーツとかでもいい。半裸では苦行すぎます。
天井から轟々と吹き入ってくる炎に、手に持った節足を近づけてみた。
うは、普通に焦げた。粘糸も焼き切れるんじゃないのか? これなら。
けどそれやったら船も燃えるか。ままらないな。この状況も然り。
節足が身悶えしてる。キモい。これ全部が悪魔石な訳だから、火で死ぬ
かどうかあぶり続けてみるか……うーん……苦しんではいるけど、俺も
苦しいというか、痛いというか……何この我慢比べ。
しかしアレだな。悪魔石と言えど、欠片ともなると破魔ができないのか。
形態ゆえのことなのか。何にせよ埒があかないな。熱くて暑いばかりだ。
もう出よう。上は熱が集中してそうだから、横かな。こっちが比較的に
熱くない。放射しているのと反対側なのだろう。それでも熱いけど。
「いっふぇーにょぉ……」
右手は鎌にして切り裂く構え。左手は熊腕でもって顔と頭を庇う構え。
節足の切れっぱしは口に咥えて、よーいドンの姿勢。
「ふぇいっ!!」
ドロドロの壁を割って、灼熱の外へと飛び出した。熱っ!! 痛っ!!
髪の焦げる臭いに鼻をくすぐられつつも、谷底の岩場に受け身をとって
転がった。空気が冷たく気持ちいい! そしてその清涼感を一瞬の内に
叩き潰す不快感。口が。口に咥えてた節足が……溶けたぁ。
「おえっ、うべぺぺぺっ」
何だこりゃ、何この黒いドロドロ、黒絵具を食っちゃったみたいだよ!
おえおえぺっぺすると、それは足元の岩の上に一旦は広がり、けれども
どういう理屈か一ヶ所に集まり始めて……やがて、1個の球体となった。
大きさはビー玉サイズだ。持ってみると随分と重い。鉄アレイみたい。
これが……悪魔石か?
悪魔石が何の形態も示さずに在る状態がこれか? 思い当たる節はある。
さっき火勢の中を突っ切るとき、あんまり熱いんで顎に力が入ったんだ。
吸魔するでもなく必死に噛みつくこと……俺にとってそれは破魔だ。
魔石に悪意が宿って悪魔石、だったっけか。俺の破魔が効果を発揮する
とこうなるんだろうか。悪意を払うと元の魔石に……まぁ、船魔石とか
と比べると異質だけども。色は一緒だ。けれど体積あたりの重さが違う。
魔法を打ち破るだけでなくこういう使い方もできるのか……だとしたら、
俺は3年を無駄にしたのか? マックスとデンソンとを死なせてまで?
……最適な方法がわからない。何が起きたのか、何ができるのか、何も
わからないから。誰も教えてくれないし、自分で探ろうにも何もかもが
手探りだ。俺自身の正体も知れないでいて、どう上手くやれるんだ?
クソ! 脳筋にも程があるぞ、俺! ただ強いだけで何の意味がある!
「きゃあああっ!」
悲鳴? ああ、そうか、まだドロドロが残っていたっけ。そして炎上も
そのままだ。その火の山の向こう側から聞こえてきた。火使いが襲われ
たのだろうか? 素早く周り込んで駆け付ける。
……ええと……ええー?
そこに居たのは3人。そして誰もが俺の知る人物だった。
ドロドロから突きだされた枝にやられたのか、右肩を押さえて半身の
女性。薄茶色の頭髪に丸っこいタヌキ耳。悲鳴はお前か、マウイ。
そんな彼女を庇うでもなく、明らかに戦意の低い表情で剣を構えた男。
銀鼠色の髪の下に変わらずの童顔。ハイナー。何故ここに。
そして……先程から強力な炎を噴射し続けている火使い。鮮やかな赤色
の髪の大男。腰には遠目にも魔力を放つ長剣。いやいや、嘘でしょう?
炎を操る魔力的には納得だけども、他の全てがわからないよ、赤羽様!
何なんだ。何やってんだよ、3人とも。こんな地上に降りてくるだけで
相当な無茶をしてるのに……何だってまた、欠片とはいえ悪魔石と直接
対決しに来てるのか。
「テッペイさん!!」「テッペイだぁ!!」「テッペイ君!!」
いや、うん、俺も驚いてるけど、まずはコイツに止めを刺さないとね。
「下がってください。コイツはちょっと厄介なヤツなんで」
3人を庇うように立ち塞がり、枝だの獣牙だのを両の拳のみで迎撃する。
赤羽様の炎も止んだ。それでいい。効いてないわけもないんだろうけど、
致命傷を与えるには随分と時間がかかるだろう。俺が出てしまった以上、
大人しく焼かれているわけもない。
そら、またぞろ人間形を出してきた。さっきの少年もいる。後ろで3人
が息を飲む気配がした。上から見降ろしていただけじゃ見えないものか。
……何だってそうさ。目線の高さで世界は変わる。
少し躊躇い、けれどすぐに思い直して、俺は右手を大きく払った。少年
を含むドロドロの塊がその動きを束縛される。俺の手から放たれた粘糸
の網によって。やれるとわかればやれるんだ。こんなことも。アメリカ
にこんなヒーローいたよな、確か。
ゲル状部分は通り抜けてしまうが、危険な固形部分の動きさえ制限でき
ればいいんだ。少しでも時間が稼げればいい。後ろの3人が退避する間
だけで……って、おい。棒立ちとか。おい。
「下がれって! 取り込まれたいんですか!」
告げるなり、足元から棘が幾つも突き出てきた。地下から伸ばしてくる
とか工夫するじゃないか。けど柔い。植物の延長線上で俺を刺そうなど。
どれ1つ、俺を貫くことなどできない。
けど、ま、面白い攻撃ではあると思う。やってみよう。
やおら膝をつき、地面に左手パンチ。先端は角。それをドリルのように
回転させつつ触手を伸ばしていけば……うわぁ……遅いなコレ。さっき
の攻撃ってばいつから用意してたんだ。駄目だなこりゃ。手を戻す。
このまま立ち上がるのも何なので、足元の大岩を持ち上げてみた。それ
を貫通していた枝が幾本か折れた。返してやるよ。そぉれい! 命中!
……粘糸も下敷きになった。も、戻しにくい。腕を押さえて懸命に戻す。
手の平の皮膚が引っ張られる感じがしてむず痒いったら。間抜けだった。
後ろを見てみる。流石に下がってくれたか。それだけ距離があればいい。
変な言い方になるが、そうであっても悠長に戦ってはいられなくなった。
吸魔、破魔……他の色々を試行錯誤する間に3人が危険に晒される。
跳躍の1発で接触距離まで近づく。奇しくもそこには先の少年の上半身。
「……俺と君はどこも違わないのかもな」
切り裂くには及ばないので、その身をグイと片寄せる。苦しげな表情。
根元となるドロドロに顔を寄せて……破壊の意志でもって噛みついた。
その刹那、脳裏に何か膨大なモノが閃いた気がした。まるで幾冊もの本
を同時にパラパラ漫画的にスライドさせたような……意味はわからない
までも意味ある多くが在るとだけ知れる閃き。そしてそれら全てが消失
することへの哀切。消失させることへの罪悪感。
吸魔と破魔……か。その違いを別の意味で知る思いだ。
目が眩んだのはほんの一瞬のことだ。再びこの世界を見たならば、そこ
には黒いビー玉が1つ転がっているだけ。重いソレ。拾ってポケットに
入れた時、不思議な感触がした。中身を出す。2つのはずが1つきり。
合体した? 恐らくそうなのだろう。大きさは変わらずにビー玉サイズ
だけど、重さが違う。1つで2つ分の重さだ。悪魔石特有の性質なのか。
握りしめると皮膚越しにも伝わってくるものがある。重魔力。
魔石と悪魔石との決定的な違いはそこだ。
前者は軽重の区別も特徴もなく、ただ純粋に魔力を供給する物質だ。
だから天空で様々に利用できるんだろうな。文明を支えているんだ。
それに対して、後者であるコイツを利用するのは無理だろう。加工
できまい。しかも人間に敵意すらある。危険な代物だ。売れないね。
どう管理したものか……ふと思いつき、ポケットに落とし込んでから
そのポケットへ手を添えた。念じる。このカーゴパンツだって悪魔石
で、しかも俺の一部と言っていいものだ。針も糸も通らなくたって。
……ほら、できた。やっぱり。ポケットの入り口は元から無かったかの
ように消えて失せた。これで落とさない。いよいよ悪魔石だな、俺は。
静かに息を吸いに吸い、ゆっくりとそれを吐き出していった。
「終わりましたよ」
振り返ってそう告げる。
三者三様の表情を浮かべ、三者三様の速度でもって近づいてくる人たち。
俺はそれをただ待っていた。どうしてか、歩み寄る一歩が踏み出せない。
3人とも笑っていてほしい人であることに違いはないのに。
これはきっと恐れだ。何に対してなのかは考えたくないが。
事実、飛びついてきそうだったマウイまでが、それをせず距離を置いて
立ち止った。ほら。ハイナーに至っては逃げ腰もいいところだ。赤羽様
ですら目を見開いている。ほらな。こうなると思ってたんだ。
寂しいな……笑ってほしい人の顔をひきつらせてしまうってのは。
化物だもの。悪魔石と対決しても命の危険すら感じないほどに、俺は
もう化物なんだ。するしないは別として、笑顔の次の瞬間に、どんな
人間でも殺してしまえる。浮島1つ潰すこともできるかもしれない。
見た目だけだしなぁ、人間的なのは。中身は怪しいもんだ。筋骨隆々
たる俺だけど、それって人間の範囲を逸脱している気がする。超人だ。
良くも悪くもね。もはや鬼ですら俺の同族とは言えまい。
災害的な1個。それが俺なんだ。
マウイが、ハイナーが、赤羽様が、震える手で俺を指差す。まさか魔法
で攻撃してくるわけでもないだろうが、それにしたって傷つく動作だな。
後ろ指を指される……では意味が違うけど。
……ん?
指の差す方向がちょっとずれてる? 俺そんなに背高くないよ?
え? 何? 後ろ? 俺の後ろに何かあるの??
谷底のVの字の両壁を全て塗りつぶすようにして……おお……黒い光沢。
ヌラヌラとして平たいスケボーのようなそれら。もぞもぞと蠢いている。
奥から見る間に数が増えていく。黒い鱗が敷き詰められていくようだ。
俺もまた、震える手で指差した。きっと鳥肌が立っていると思う。
「ぐおっ!」
舌を噛んだ。いや、だって、ひどい。これはひどいって。俺もまだまだ
人間的なんだと嫌な意味で痛感させられた。嬉しくない。これは無理。
「ぐ、ぐぉ、ゴキブリだああああぁぁぁあっ!?」
四者四様のダッシュが始まった。