第6話 吸収
不思議な夢を見ていた。
草がチクチクと鬱陶しい原っぱでゴロゴロとのたうち回る俺。
よく見ると草は木で、俺は自分が森を薙ぎ倒す巨体であると知る。
押し潰され、均された地面を広く広く見下ろす俺。
時折視界が灰色に濁る。境海の雲を頭上間近にして、浮いているのか。
世界がゆっくりと大きくなっていく……いや、俺が小さくなっていく?
全てが他人事のようだ。
寝苦しい夜の夢うつつのように、何もかもがいい加減な認識のままに
ヌルリヌルリと流れていく。全てが曖昧だ。自分も、世界も、全てが。
前にもあったな、こういうこと。
そう感じることで、少し自分というものがはっきりした気がする。俺だ。
俺はこんな時間を過ごした覚えがあるんだ。あれは……そうだ。最初だ。
この世界に目覚める直前のことだよ。ウダウダとだらしなく思考しつつ、
訳のわからない映像を見ていた記憶。今も似たような状況なんだ。
……プールがどうのとか、イケメンがどうのとか、愚痴ってたっけ。
弟に嫉妬したりして、実のところ全部がどうでもよくなっていた俺。
飢えて乾いて、色々なモノが欲しくて、手に入れるために努力した日々。
その多くは報われなかった。結果って努力で購うものじゃないらしいよ。
手に入る奴にはすぐに手に入り、手に入らない奴は何をしても無駄だ。
じゃあ、せめて、自分を綺麗に整えようとした日々。経過を誇りに思う
ための自愛。誰に好かれなくとも自分で自分を好こうとして。道徳的で
在ろう。善で在ろう。その作為は結局のところ不誠実で、しかも海外を
放浪する中で道徳の多種多様を、善の無数を見た。拠り所などなくて。
いっそ神様でも妄信していたなら、楽だったんだろうか。答えの全てを
遠くの権威に委ねて、謙虚という名の美徳に己の怠惰をそっと隠して。
どれもが無理だった俺は……結局、酒に逃げたんだ。
酩酊は疲れた理性を麻痺させて、俺の中にとぐろを巻く汚物への嫌悪を
和らげる。それでもいいと思わせる。嫉妬も憎悪も愛欲も、何もかもを
許せてしまう。普段なら絶対に認めないそれらを、認めてしまう。
どうしようもなく無価値な自分を、自分で笑殺して楽しめてしまう。
徹底して1人酒だったのは、飲む相手がいなかったからじゃないんだ。
せめてもの、なけなしの自尊心だったんだ。こんな自分でも、誰かの
嗤いモノにするのは忍びない。せめて自分で嗤おう。自分きりで。
価値ある多くに迷惑をかけず、夜毎、自分の不甲斐なさを肴に酔う日々。
あっちの記憶の最後としてはロシアかな? ウォッカを呷っていたし。
クズだな。
我ながら思う。俺は虚弱なチキン野郎だ。本質的には今も変わらない。
俺は今だって自分を無価値だと感じているし、嫌いだ。クズだと思う。
けど……戦士なんだ。戦士になったんだ。
クリスが、アントニオさんが、俺を戦士だと言う。
価値ある2人がそう言うのだから、俺は戦士でなければならない。
レギーナが、ミシェルさんが説く。戦士の在るべき姿を。
価値ある2人が説くのだから、俺はそう在らねばならない。
そしてマウイを助けることができた。戦士としての自分を実感できた。
戦える。俺は戦えるんだ。誰かのために力を振るう時、俺は戦士なんだ。
そんな俺を愛してくれた人もいる……ベルマリア。
この世の美しいものの全てであるかのような彼女。日本という秘密が
なければ言葉を交わすこともなかっただろう高貴で高潔な存在。その
双眸は天空社会全体を見据えていて、その双肩には無数の人間の生命
が責任として圧し掛かっている。人を超えた事業を成す人。超人。
ある意味で社会の枠外にいる俺は、そんな彼女に幾ばくかの安らぎを
与えられたのかもしれない。そうであって欲しい。俺の腕の中で眠る
彼女は、いつも年相応の小さな1人でしかなかった。
側にいても何ら役にたたない俺は、側にい続けることすらできない。
ゆっくりと確実に、不可逆的に人間から遠ざかっていく我が身を思う。
どんな化物だ。魔物を喰らい、鬼も容易に屠り、向かうところ敵無し。
しかもそれが全力全開じゃない。封魔環は5つあり、力を封じている。
1人の人間が持っていい力を超えている。
ゆえに俺は、既に人間じゃないんだ。化物中の化物だ。
そんな俺がベルマリアの側にいていいはずがない。疫病神で時限爆弾さ。
いつ何時、全てを無茶苦茶にしてしまうかわかったものじゃないんだ。
俺の中には黒い衝動がある。破壊欲としか表現のしようもないそれ。
それは心の奥の奥から波動として伝わってくるものだ。恐らくだが、
その中心に在るのは異物だ。俺であって俺じゃない何か。
弁解でも責任転嫁でもなく、それは俺に由来しない存在なんだ。
その癖、俺と融和している。何の恐怖も嫌悪も感じさせない。
衝動の霧に包まれて普段は意識もできないが……1度だけ姿を見たはず。
しっかりと思い出そうにも抽象的だった体験。あれは初めて封魔された
時のことだ。5つの封魔環をつけ終わった直後に、何かがあった。
やばいものだ、アレは。
俺の力の源泉はアレだ。そうでもなければ、俺の異常性を説明できない。
そして世界に仇為すものに思える。破壊の限りを尽くした先に、人々の
笑顔があるはずもない。全部が全部を形も残さず壊す意思を感じる。
……俺が危惧しているのは、身体の魔物化ばかりじゃないんだ。心もだ。
いつかアレに心を乗っ取られる……あるいは徐々に染められていくか?
心身の魔物化をして鬼に成るという、とは婆さんの言葉だが。俺の場合、
それだけじゃ済まない気がするんだよな。俺個人の破滅に留まらないで、
もっと大きな災いを招いたりしないか?
ホラキンの子供たちが、その人生の最後に夜の道を越え、鬼となる身を
せめて役立てようとしたように……俺も世界の果てか何かを目指すべき
なのかもしれない。誰かに殺してもらいたいなんて贅沢を考えずに。
残された時間は少ない。
この世界における日本の秘密を探らなければならない。
ホラキンの子供たちが鬼と成らずに済む方法を見つけなければならない。
そして可能であれば……俺の正体をも明らかにしたい。意識のある内に。
だから、俺よ。
眠っている場合じゃないだろ? 起きろ! いつまで寝呆けてる!!
瞼を開いていく。視界には相変わらずの曇り空が映っている。やる気も
なく不景気にグネグネとする灰色。あの向こうに青空と天空社会がある
のだと、知っていても疑わしくなるような陰鬱な光景。
背の感触は土。どうやら大の字に寝そべっていたようだ。
腹筋1発で上体起こし余裕です。カーゴパンツにトレッキングシューズ。
上半身は裸。人の身体のマッスルボディ。あれ? いつの間に封魔環を
つけたんだろう……って、おいおい、つけてないんですけど。両手首に。
首と足首に触る。あった。3つはついたままってことか。
……特に意識を集中しなくても、両腕、人間の形のままだな。
ちょっと変化させてみようかな……できた。熊の手。戻すのも簡単だ。
両腕だとどうだろう……できた。恐怖の熊男再び。そして戻すの簡単。
何だこれ。随分とイージーになった。今までの苦労っていったい?
目を閉じ、心の声に耳を澄ます。ああ……あるにはあるな。破壊衝動。
けど平気だな。危なげなくコントロールできる。封魔環を外している
以上、衝動自体は強いように思えるけど。余裕で耐えられる。
髪の毛を引っこ抜いてみる。煤色の髪。予想通り。2つ外している分は
染まっている。5つ全部を外せば完全な黒になるんだろう。
……俺って悪魔石を吸収したんだよな? 実感の方向が逆なんだけど。
もっとこう、荒ぶる感じになるのかと思いきや、えらく静穏な気分だ。
ちょっと色々と試してみよう。右手を前にして。
角、蔦草、吸盤触手は既知の変化。最後のは来歴不明だけど。問題なし。
骨の節足、鎌についてもできた。やはり悪魔石の能力を取り込んでいる。
後は何があったかな……岩とか木とかの無機物か。できるかな?
……できた。木を生やすというんじゃなく、体表組織を木目やら岩肌に
変化させられた。全身でやれば隠れんぼ強そうだ。硬度も増すわけだし
咄嗟の防御にも使えるかもしれない。応用力がありそうだ。
っていうか、俺、人間やめるどころか生き物やめてない?
全部とは言わないけど、無生物の割合が出てきてないか?
だったらいっそ、航空船的なこともできたりして。悪魔石、船の形では
浮いてたよな。浮けないかな? 船魔石的な感じでさ……浮いたし!!
いや、浮き上がっちゃいないけど、体重軽くなったし! まじかよ!!
筆舌しがたい感覚の操作を繰り返す。うん、ほほぅ、なるほど、よぅし。
こりゃちょっと面白い玩具を貰った気分だぞ。軽くなるだけじゃなく、
重くなることもできるようだ。早急に航空船の理論を知るべきだな!
おお、ポケットにはちゃんと封魔環や封魔縄、魔石探知器が入っていた。
大事な品だ。あってよかった。そしてどうしよう。封魔環をどうしよう。
つけるべきか……妙に安定してるけど、まぁ、つけとくべきだろうな。
…………あれ? 何か脱力感とか全然こないんですけど? おやぁ??
まさかとは思うけど……おい。手、お手手、熊にできちゃうんだけど!
他のにもできる。ぬーん……ほら、少し浮いた。おい。おい、ちょっと。
封魔環、効果なくなってるんだけど!!
首や下半身は変化しない。ということは、3つの封魔環は作用してる。
髪色もそれを証明してる。両手首の2つだけだ。壊れるとかあるのか?
それとも……外した状態で長く戦いすぎたせいか?
何にせよ、ペネロペさんに相談しないといけない。婆さんにもだな。
とりあえずは天空に上がらないと。レギーナに報告しないとだし。
って。
今ようやく気付いた。何だこりゃ。俺の周囲の地形とか何だこりゃ。
酷いもんだ……見渡す限り荒野が広がっている。大小の植生はこと
ごとく破壊され、岩も砕かれ、ローラーでもかけられたみたいだ。
俺が悪魔石と対峙した場所……ではあるようだ。遠い稜線を確認して
それがわかる。鬱蒼とした森林地帯だったが、どうしてこんなことに。
木々の残骸の合間から雑草なんかは生い茂ってるけど……雑草?
え、ちょっと待て。ちょっと待ってくれ。
手近な倒木に駆け寄る。倒木ったって、潰されて見るも無残な姿だけど。
雑草の繁茂する具合を見る。根を調べる。根の定着具合を。これなんて
ニラ的な植物だろ? 根付き具合でわかるものがあるんだ。
これは……嫌な予感がする……!
とにかく火迦神の浮島を目指そう。方角はわかる。ほら、あのスベスベ
した岩肌なんてアレだろ? 悪魔石が撫で撫でしてた山だろ? あっち
へ真っ直ぐ進めば会鉄島に近づけるはずだ。走る。
気が急く。脚に力が入る。速い。そりゃそうか。封魔環が作用してない。
かつて会鉄島にて西端砦を目指した疾走よりも速く、地を駆け、跳ぶ。
が、急停止した。
スベスベの岩肌に小さな裂け目を見つけ、それが変に気になったからだ。
近寄る。人のサイズなら潜り込めそうだ。躊躇なく入っていく。
そこには。
野獣の巣のようなもの。藁や何か。獣が過ごしやすく工夫したであろう
空間に、骨や何やの雑多な品物に混じって、見覚えのある品があった。
悪魔石は……これが欲しかったのか? それで岩肌を削っていた?
その黒く厚い生地には一切の痛みもなく。
ダッフルコート。
俺が蜂の束縛から逃れる際に脱ぎ捨てたそれが、そこにあったんだ。




