表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼ノ鉄兵 ~ その大怪獣は天空の覇王を愛していた ~  作者: かすがまる
第5章 地上の冒険、魍魎の姫君
48/83

第6話 地這

「儂は火子島かごしまイングリート。かつては天空に覇を唱えた者じゃ」


 老婆は名乗った。

 俺は、その名の衝撃に、茸茶を口からこぼすところだった。


 火子島家。

 俺はその貴族の家名を座学の戦争史において聞いたことがある。


 その名の表す通り火の加護を受けた家門であり、その血筋も由緒正しく

 何代目かの天帝に繋がるという名門だ。朝廷における発言力も大にして

 精兵を擁し、天空に一大勢力を築き上げたという。


 今より50年以上昔の段階で、天空の覇権に最も近い位置にいた貴族。


 そして、覇権を目前にして滅びた貴族でもある。その領土は十数個にも

 分割され、それぞれに別の貴族の領土となっている。今や天空に血筋を

 継ぐ誰一人もいないと聞いていたが……まさか、ここでそれを聞くとは。


「ふぉっふぉ、若くとも聞いたことはあるようじゃなぁ。まだまだ我が家

 の名声も捨てたもんじゃあないの」

「浅学ですが……かつての威勢と、その……」

「その滅び方をかいぇ? あれは盛大な戦じゃったからのぅ、ふぉふぉ」


 笑っているが、笑いごとじゃない。盛大なんてもんじゃないんだから。

 少なくとも俺が教わった戦争史の中では抜群に最大の戦いだ。


 当時の火子島領は天空の半分を占めようという規模だった。どの貴族も

 一家で対抗などできようはずがない。包囲戦だ。火子島家以外の全ての

 貴族が大同盟を組んで決戦を挑んだんだ。正に天空分け目の大戦。


 その戦力分布や各地の布陣などを見る限りは、互角よりもむしろ火子島

 家が有利という戦況。しかし結果は惨憺たるものだ。火子島家は全ての

 浮島を奪われた上、一族郎党の乗る航空船はことごとく撃沈された。


 天帝の力によるものだ。


 超常的な力じゃない。権威だ。象徴的存在であるはずの天帝が、その時、

 火子島家をして人類社会の敵であると認定したんだ。即ち「天敵」だと。

 理由は諸説あるが、火子島家が天帝の勅令に逆らったことが大きな原因

 だとされている。その内容も不明だが……天帝に問える者などいない。


 天敵。人類の天敵としての認定と糾弾。 


 そんなことをされては対抗する手段などあろうはずがない。家中の豪族

 たちは天帝を畏れて造反し、布陣どころか領内そのものが乱れに乱れて、

 全ては一気呵成の内に大同盟軍の勝利に終わったんだ。


 そして天空は再びの群雄割拠の世界へ……1つの節目となったその大戦。

 天帝を蔑ろにしては天空の覇権は握れないという、教訓の滅亡劇。


 火子島イングリートという名は、当時の姫将軍の名だ。領主である父を

 よく助け、政務にも軍務にも秀でた才能を示し、活躍したというが。


「ふぅむ……お主は何処かの家中にあった者かいのぅ?」

「新貴族である火迦神家の客分として半年を過ごしました。それ以前は

 土御門家の豪族である赤羽家において1年と少し。どちらも同じ人物

 の元でお世話になりました」


 隠す必要がないことは全て話そう。下手な小細工や駆け引きはするまい。

 赤心で接してしかるべき相手だ、この人は。権威じゃない。経験が凄い。


 やべ。俺さっき婆さんとか言った。でもブーブークッションやられたし。

 

「赤羽の名は聞いたことあるのぉ。我が家中にあった黒岩家とも匹敵する

 武の家じゃとか……ふぅむ……成り上がって火迦神家となったんかぃな」

「はい。土御門領と水無瀬領とを併せ、ここを含む一帯は火迦神領を天空

 に仰ぎ見ることになっています」

「ふぉっふぉっふぉ……いつの世も栄枯盛衰、諸行無常じゃのぉ」


 確かに。確かにな。

 だってさ、要はこの人って、かつてはベルマリアみたいな人物だった

 わけだろ? 才能はともかく権力や立場はもっと凄いものがある。


 そんな天空の覇者にもなろうとした女性が、何の因果か、地上で50年

 以上を生きてきたんだ。そして今、こうして茸茶をすすっている。


 ……だから、その黒い水をそっと寄越すなっての。

 何で俺がお茶置いた位置とすり替えるかな。この婆さんは。

 どんだけ飲ませたいんだ。というかブハーって驚くとこ見たいだけだろ。


「それぇで? お主はどうしてそんなに強いんじゃね? それとも最近は

 お主くらいの戦士がざらに居るのかぃな。封魔しておるようじゃが」

「え、ああいや、俺みたいのは他にいないと思いますが……」


 今度は俺の番だよな。日本についてだけは隠し、後は全てを伝えよう。

 

 それ以前の記憶は夢の彼方で、気付けば地上で虎蜂に運ばれていたこと。

 黒髪黒目で、赤羽の嫡子に救われて天空へ上がったこと。精霊との契約

 が叶わず、封魔することで変異の難を逃れていること。右手のことも。


 多くを割愛しつつも要点をまとめた俺の来歴。

 それを婆さんは……かつての覇王候補ともいえる人は、動かずに静かに

 聞いていた。右手についての説明が特に興味を引いたようではあった。


「ふぅむ……少し見せてもらってよいかのぅ?」


 目つきが鋭い。視線に射抜かれそうだ。節くれだった皺々の指が封魔環

 を触れていく。首、手首、足首。かすかに通魔しているのが察せられる。


「できうるならば、ちぃと、その右手を魔物化して見せてくれまいか?」

「わかりました」


 それで何かがわかるなら、俺に拒否するつもりなどない。今更なんだ。

 今更わずかな時間を延命する意味は無い。いや……違うか。残りの時間

 を上手く支払って、零になるその前に、真実を見つけてやるんだ。


 右手の封魔環を外し、胸を突き上げるエネルギーに呼吸を調整しつつ、

 魔熊の爪へと変化させる。肩はまだしも肘から先は凶悪な有様となった。

 と同時に、俺は自分へ向けられている気配に気付き、目を見張った。


 婆さんだ。婆さんから強烈な魔力が発せられている。朱色の瞳も煌々と

 して、銀朱色と表したその髪も俄かに赤色を強め揺らめくかのようだ。


 まずい! 身体がそれを敵意と認知しかけている。反射だ。意思でなく

 とも右手に力が入った。重心が下がる。脳裏に鋭く警報が鳴っている。

 この間合いは好機だ。襲え。しからずんば火炎が見舞われるぞ、と。


「ふぅむふむ、もう良いぞぇ」

「えっ、は、はい」


 ピッタリと圧が遮断された。フェードアウトじゃない。カットアウトだ。

 俺の戦意が肩透かしを喰らったようにすり抜ける。熊的毛並みが波打つ。

 戻そう戻そう、これ戻そう……むーん……そしてサッとな。ふぃー。


 人間に戻ったその右腕も、枯れたような手がサワサワと触れて確認して

 いく。通魔もしているかもしれない。わかんないんだよね、通魔って。

 すぐ吸魔しちゃうから体感するものもないんだ。


「なるほど……わからんにゃ」

「おい」


 思わず言ってしまった。おい。何だその笑顔。口の端から下をペロ出し

 するんじゃないよ、いい歳してからに。っていうかさっきの何さ、もう。

 

 無駄に体毛を逆立てられていたので、それを撫でて戻していく。さっき

 からいちいち何かやってくるな、この婆さんは。いたずら婆さんだよ。


「わからんけどもなぁ……さっきのお主と似た敵と戦ったことがあるわぃ」

「え!?」

「儂の魔力に照準されて、それを圧し返そうっちゅう迫力なぁ。よく知る

 でもない儂の存在そのものを憎み呪うような、物騒どころか理不尽なる

 殺意なぁ。以前に1度だけ味わったことのあるものなんじゃわぃ」

「そ、それはその、すいません、そんなつもりはなかったのですが……」


 試されたのか。何て肝の据わった婆さんだよ。右手を魔物化させた人間

 を前にして……その攻撃距離にあって、魔力で挑発したっていうのか。


「その敵には敵わんかった。勇猛な仲間を何人の失って、命からがら逃げ

 延びたもんじゃよ。助かったのは幸運でしかなかったわぃな」

「どんな……魔物だったんですか?」


 言い方からして人間じゃないよね?


「普通の魔物じゃあ、ないわぇ。魔力甚大にして凶悪無比。生物であるか

 どうかさえ怪しいわぃな。類似する何者も無き化物にして、航空船すら

 破壊する恐ろしきモノ……そうさな、奴ならミーにも勝つかもしれん」


 何か……嫌な話だけど、まるで俺だな。確かに似ているかもしれないや。

 この世界にはそんな化物がいるのか。口ぶりからして鬼とも違うようだ。


「悪魔石」


 茸茶をすする音に混じって響く、その言葉。

 何だって? 今……何て言った? 俺の知る言葉じゃなかったか?


「聞いたことがあるかぃの? 何がそうさせたものか、魔石が命を持つが

 如く動きまわるに至ったという、その化物のことを。その恐るべきを」


 聞いたことはあるさ。あれだろ? 探険団が全滅するレベルの敵だろ?

 アンタッチャブルな化物で、俺がいざとなれば対決するつもりの相手。

 それに……俺が似ているって? 考えたこともなかった。


「形状を変化させる点も似ているっちゃあ似ているのぅ。奴も戦いながら

 色々と変容したわぃ。魔法もよく効かんよって、まぁ、勝てんわぃな」

「俺も……魔法が効きにくい体質ではあります」

「うむ? 何じゃ、お主は悪魔石なのかぇ?」

「いや、それは……」


 否定したい。けど、根拠がない。自分が何者かわからないでいる俺は、

 自分がそんな化物ではないと言い切る資格を欠いている。否定できない。


 咄嗟に何も言えない俺を、しかし婆さんは皺くちゃに笑ってのけた。


「つくづく真面目な男じゃのぅ、お主はぁ。悪魔石が会話するものかぃな。

 アレはそんなに生易しいものじゃあないわぃ。生物も無生物も区別なく

 取り込んで己が力とする化物よ。お主は武器を捨てられた男じゃろに」

「は、ははは……」


 笑うしかない。そりゃあ確かに、俺は無要を捨てられた間抜けな男だが。

 一方で魔物の血肉を喰らって自分の力にする男でもあるんだ。さっきの

 右手だって、裏闘技で殺して食った魔熊の腕だ。何だよ、この類似は。


 まさか……だよね?

 俺って、まさか、それじゃないよね?

 鬼になることは覚悟したけど、端から人じゃないなんてことないよね?


 だって日本人だし。石とかじゃないし。日本に魔石とかなかったし。


「よぅわからんが、しかしまぁ、面白いことじゃのぅ」


 婆さんは杯を両手で包んで、飲むでもなくゆるゆると動かしている。

 それ見て、自分が喉がひりついていることに気付いた。飲む。ぬるい。


「魍魎のようで魍魎でなく、鬼のようで鬼でなく、悪魔石のようで悪魔石

 でもない。そんな人間であるお主は……確かに異質な存在じゃわぃのぅ」

「……死ぬまでには正体を知りたいと願ってます。本当に」

「死ぬまでにわからんようなことは、わからんでも良いことじゃて」


 それは誰のための言葉なのか。問わないことで会話が途切れた。

 気付けば沈黙が漂っていて、俺も婆さんもそれに浸っていくようだ。


 地下の夜に向き合う。


 杯へそえた掌に伝わる熱は冷めきって、部屋に漂った芳香も消え失せた。

 灯篭の明かりに揺れる影を視界の端々に覚え、その曖昧な在り様が妙に

 心にざらついた。杯の中へ視線を落ち込ませる。


 ふと……思う。


 マウイとハイナーは無事に安全な場所まで辿り着けただろうか。

 ファルコの首は天空へ帰れるだろうか。その死は誰に悲しまれるのか。

 この場所に来る切っ掛けをくれた彼らの生と死を、ゆるゆると思う。


 殺した鬼たちを思う。この場所に来るために殺してきた4体の死を思う。

 いずれも凶悪で醜い姿形だった。しかしその在り方はどうなのだろう?

 ミーの羅列した別れの言葉たち。蜂の森の夜景。ミーの疾風迅雷の斬撃。


「……ここに来るまでに4体の鬼を殺めました。それは?」


 確認だ、この質問は。


「色を聞いても良いかの?」

「桃色と紫色の二色の、恐らく女性が1体。青色の、恐らく男性が1体。

 茶色の、恐らく男性が1体。金色の、恐らく女性が1体。以上です」


 僅かな間をもって、並べられる名前たち。


「アリサ、ルドヴィコ、ダニエル、ビルギット……じゃな。皆、ここに

 居った子らじゃて。お主が殺してくれたか」

「はい。殺してしまいました」

「ちゃんと死ねたかのぉ?」

「はい。完膚なきまでに死なせてきました」

「そうかぇ。そうかぇ」

「はい。そうです」


 多くを語るまい。俺は戦士で、彼ら彼女らもまた戦士だったのだから。

 死は結果だ。見つめるべきはそこじゃない。心意気だ。彼ら彼女らの

 生き様をこそ俺は見つめたい。胸に刻みたい。


「ここを……外敵から護っていたのでしょうか?」

「いつの頃かに決まった掟によってなぁ。鬼となる者は夜の森を越えて

 紫茸の森へ至るべし。沼地を越えて来る外威を阻む者として、そこに

 人を捨てて鬼となるべし。未だ人を生きる幼きのために……とな」


 やはりか。


 火子島家の終わりを思う。墜ちた船に生存した人々の50年を思う。

 婆さんが率いてきたであろう地上の壮絶を思う。その心意気を思う。


「儂らは世間に地這ちはいと呼ばれておるわぃな」

「名を聞いたことはあります」


 ベルマリアが口にしていたことがあったな。確か初対面の時にはそれに

 間違われかけたんだっけか? 細かくは覚えていないが。


「いつの世も空から落ちてくる人間がおる。罪によって、敗北によって、

 失敗によって……ありとあらゆる理由によって、人は地上へ落ちるわぇ。

 死ねば終わりじゃが、そうもならぬのは人の業じゃな。子が産まれる」


 足元を冷気が撫でていった。ろくでもない話だ。子供とは望まれてのみ

 産まれてくるわけじゃない。人は窮地にあって獣にもなると知っている。

 無論、未契約のまま落ちるなり落とされるなりした者もいるのだろうが。


「地に産まれた者は天へ上がれることなどないわぃ。天からすら獣人が

 落ちてくる世界じゃからのぅ。そんな子らを儂らは招き、少しばかり

 世話をして……夜道へ送り出してきたのじゃ。4人きりではないわぇ」


 それが……地這か。

 そんな死が累積していって……このホラキンが在るのか。


 火子島イングリートの人生を思う。その心意気を思う。生き様を思う。

 幾つの生を負い、幾つの死を負ってきたのか。何を思い、何を信じて。


 思いに思いを重ねていって……溢れた何かが、俺の頬を濡らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ