幕間話 光々
◆ ミシェルEYES ◆
ご先祖の皆々様、どうか、どうかご照覧あれ!
春坂家はここに武の豪族として再興されましたぞ!
栄誉を取り戻し、誇りの拠り所を得たのです。ご照覧あれ!
私、春坂ミシェルはこれより後は火迦神様の剣として、盾として、
与えられた栄誉に恥じる事なき戦いを邁進していく所存です。
この勇躍たる思いでもって一句詠ってみせましょう。
武の道の、筋を貫き真っ直ぐと、戦い抜かん、牛蒡の如くに。
……うむ、良いな! 騎士として脇目も振らずに戦っていこうという
心意気が込められている。目立つ必要も器用である必要もないのだ。
ただただ、滋養に満ちた旨みのある食材であればいい。うむ。
華やかさなど私には必要のないものだ。
我が恋心もまた……日の目を見なくていいのだ。
高橋テッペイ。素晴らしい戦士。
私の知る限り他のどの戦士よりも強者であり、その人柄は粗暴なところ
もなく誠実で、己の武力を暴力に堕落させない強靭な精神を有している。
まるで物語の中から現れたかのような、その益荒男ぶり。
そして……物語の中でも見たことのないような、恐るべき力を持つ。
あの西端砦での邂逅はあらゆる場面が驚きであり、半年以上が経った
今であっても、その1つ1つをつぶさに思い出すことができる。
群がる魔物どもを千切っては投げ、千切っては投げ……徒手空拳であり
ながら無双の強さ。鎧袖一触とは正にあれのこと。私が仲間と共に決死
の覚悟で臨んだ魔蜘蛛すら、ただの蹴りの1撃で屠ってしまうのだから。
その後は……その……大変に情熱的な台詞を頂戴したし、それは私の
錆びついた乙女心に消えない刻印を刻んだものだが……あれはむしろ
彼の誠実さが発揮された場面であったのだな。早とちりであった。
ふっふふ……ままならんものだ。
例え早とちりであっても、既に灯った彼への思慕は消えん。
例えそれが、新たに殿と仰いだ御方の伴侶であろうとも。
やはり私は生涯を武骨に生きるよりないのだろう。わかっていたことだ。
そもそも小さく軽きことだ、そんなことは。
大きな問題であり、重く受け止めねばならんのは、彼のことだな。
彼、高橋テッペイは……何者なのだろう?
あの夜、船内に隠れているよう頼まれた私は、それに従いはした。
従いはしたが、船外ではおよそ事態の想像がつかないような激烈な
打撃音が響き渡っていた。船と船が衝突したならあんな音が出ようか。
そして轟き渡った名乗り上げ。
遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ……と。
音で聞いてもまるでわからんのだから、その、目で見たことは頼みに
反していないはずだ。うむ。自分で見ろと言っていたのだし。
扉の隙間から光魔法でもって見通した港には……忌まわしき者どもの姿。
下から見上げていただだけではわからなかった。まさか奴らが来たとは。
戦争を暴力の解放区と履き違えた恥ずべき外道ども……悪霊兵団!
しかも、その頭目であるあの男が、月宮リベンチオまでがいた。
やんごとなき血筋と優れた才とを併せ持ちながら、それを弱者を弄ぶ
ためだけに、自らの欲望を満たすためだけに使う我意の亡者!
砦に難民船を偽装して魔物を放つなどという悪辣な手法、考えてみれば
いかにも奴の手法ではないか。己以外の人間を全て見下し、ただ己のみ
崇高であると嘯く奴らしい、おぞましい暴挙だ。
血色の装束で語るその内容は聞き取れなかったが、興味と狙いは明白。
高橋テッペイだ。奴の邪悪に歪んだ笑みは、彼を視界に捉えて離さない。
網が放たれ、縄が放たれ……しかし高橋テッペイは屈しなかった。
いや、それは表現が正しくないな。事実は逆転どころではなかった。
その佇まいには不安も焦りも高揚もなく、どこか退屈そうな眼差しで。
巻き起こったのは肉弾の暴風。万夫不当の打撃の大嵐。高速拳打蹴撃。
しかも……見間違いではなく、彼は手加減をすらしていたのだ。
たった1人で1個艦隊を相手取り、拳の先の命へ配慮する余裕。
それはもはや想像を絶している。彼の目には敵軍はどう映るのだ?
彼は強い。確かに強い。しかし……あれは胆力だけでは説明がつかない。
人間とは多くを恐れるものだ。意思とは無関係に五感が危険を回避せん
と欲し、それが不安という細波となって心を揺るがせる。それは本能だ。
彼にはそれがない。
艦隊規模の戦力が1人の人間にとって危険でないわけがないのに。
恐れない。動じない。まるで児戯を嗜めるかのように片付けてしまった。
本当に何者なのだろうか?
魔法の一切を使えぬ白髪の身のでありながら、他の追随を許さぬ圧倒的
超人的な戦闘能力を有している。にも関わらずその素顔は誠実で柔和で、
他人を気遣いながらもどこか遠くを見つめている。
そして……家無き子のような寂しさを、その目に垣間見せるのだ。
私はそれが堪らない。戦士とは常に戦い続けていては駄目だ。武具が
整備されるように、身も心も休ませ整える必要がある。彼はそのこと
ができていない気がするのだ。わかっていてしていない可能性もある。
童が拾った木切れを折れるに任せて振り回すように、戦士としての自ら
を打ち減っていくままに放っている気がするのだ。諦観とともに。
これは危険な兆候だ。
火迦神様の新統治は初手から磐石たる体制を整えつつあるが、思わぬ
所に陥穽を見つけた思いだ。彼は新統治において何1つ権限も役職も
持たない身であるが、その実、最大の影響力を持っているのだから。
即ち、火迦神ベルマリア様の心を大きく占めている。
近しい人間であれば誰でも知っている。高橋テッペイこそが火迦神様の
伴侶であり、常に心の支えであるということを。それは家臣筆頭である
草壁キッカ殿も承知のことと噂されるほどだ。
そんな彼が、正に火迦神領が隆盛していこうという中にあって、1人、
滅びに身を任せている。あっていいことではない。不吉に過ぎよう。
何とかしなければならない。
何とかしなければならないというのに。
ある日を境に、高橋テッペイの姿は領内のどこからも消えてしまった。
まるで最初から存在しなかったかのように、消えてしまったのだ。
◆ アントニオEYES ◆
高橋テッペイが行方不明となった。
この桃栗アントニオにとって恩人とも言うべき男が、消えたのだ。
闘技場に出会い、戦って、人が戦士へと成長する様を見せてくれた男。
クリスのために泣き、また、ゾフィーのためにも泣いてくれた男だ。
火迦神様の軍に敗れ囚われた私が今こうして在るのは、彼が火迦神様に
話してくれたことが大きいだろう。テッペイが世話になったようだ、と
言葉をかけていただいたのだから。ゾフィーの治療もまた然り。
それほどの恩ある男が消え去って、もう1ヶ月にもなる。
誰もが気付いたわけではない。もとより目立つことを嫌って隠れていた
ような男だ。気付かぬ者の方が殆どであろう。しかし彼を知る者は動転
するしかないぞ。彼は消えていい男ではない。代わり無き男なのだ。
しかし、何もできん。立場の責務がそれを許さん。
公的な立場のない人間のために、この白熱した多忙の政庁が動ける道理
がないのだ。あらゆる政務が激流の如く処理されていく。一武官として
詳細を知る立場にはないが、それらが革新的であることはわかる。
恐らく火迦神様は……下層身分の保護と権利向上を志しておられる。
多くの為政者が考える限界的収奪ではなく、民を富ませ生活水準を
引き上げることでの富国強兵を目指しているようだ。
今日も変わらず都を巡り、あらゆる場所で指示を出し、決定を下して、
民の歓声に応えつつ次なる政策を考案、実施していく。時に都外へ出る
こともあれば、航空船で旧土御門領まで赴くこともある。
火迦神様という炎で領内は熱され、同時に、強い政策でもって鍛造され
ていくかのようだ。鋭利で強固でしなやかな国へ。刀剣の美に通ずる。
誰もが希望に燃えているというのに……テッペイよ、どこへ消えた?
戦士の中の戦士たるお主であれば、今もどこかで戦っていよう。
しかしそこはここよりも大事な戦場なのか? 火迦神様の隣よりも。
それとも、お主は……火迦神様のために戦っているのか?
いずことも知れぬ場所で、今も、その驚嘆すべき力を振るって。
休暇を得てゾフィーのいる宿へ向かう途上でも、あの男のことを思う。
定期運行される航空船の中もまた、人々の活気で満ち溢れているが。
その中に白髪を探し、見当たらないことに落胆する。どこにいるのか。
その答えは意外なところからもたらされた。
「え? お兄ちゃんなら昨日遊びに来たよ?」
「な、なんだと!?」
暗闇の部屋に暮らす我が娘ゾフィーであるが、そこへあの男が訪問した
と言う。しかも昨日とは。入れ違いではないか!
「あ、あの男はどうであった? どこにいるのだ? 何か話していたか?」
「地上の話をしてくれたよ! 探険団に参加してたんだって。珍しい茸を
採ってくる仕事で、練習だけど上手くいったって笑ってたよ」
「地上!? 探険!? 茸!?」
どういうことだ……まさか探険者になったというのか? 新統治が初速
の勢いのままに伸び行かんとする今この時に、地上で探索を?
馬鹿な……あらゆる充実とあらゆる栄誉、そして何よりも美しく尊い
火迦神様がおわすこの天空を去って、お主は地上にいたというのか。
しかも練習だと? これからも地上を歩むつもりか、高橋テッペイ!
「何か凄くカッコ良くなってたよ、お兄ちゃん。もともとカッコ良かった
けど、もっと凄くなったよ。頭撫でてもらったとき、ドキドキしたもん」
楽しそうに話すゾフィー。良いな。我が娘は人物を見る目がしっかりと
養われていたようだ。父もあの男であれば諸手を上げて賛成しようとも。
私の知る限り、あの男以上の者は思い当たらん。
そしてそれは火迦神様も同じであろう。
ゾフィーよ、そなたの競う相手はあらゆる点で天才的な御方だぞ?
「父はあの男を捜さねばならん。心当たりはないか?」
「うーん……またすぐ地上に戻るって言ってたけど」
「ならば探険者の店か、さもなくば港だな。少し出てくるぞ」
「いってらっしゃーい」
街を駆けた。随所で希望に満ちた笑顔が咲く中を、1人の男の行方を
求めて、駆ける。確かに探険者の斡旋所には立ち寄ったようだ。人相
に心当たりのある者がいた。どうやら4人組で行動しているらしい。
探険者がそういった小規模の班を作ることはよく聞く話だ。
港へ駆ける。そして間に合わなかったことを知る。木材採取の小型船に
便乗する形で、4人組の探険者が地上へ向かったのだそうだ。その中に
恐ろしい金棒を抱えた男がいたという。間違いない。高橋テッペイだ。
重要な情報だ。
もしもここを拠点に探険を行っているのなら、いずれ確実に遭遇できる。
キッカ殿に報告し、何らかの対処をすべきであろう。うむ!
早く戻るがいい、高橋テッペイよ。
お主は自身で思う以上に、周囲に必要とされている人間なのだから!