第7話 火華
キッカさんが俺を見ている。
いつものような面白おかしくではなく、かといって冷徹な眼光でもなく、
まるで水鏡のような静穏な瞳で、俺という人間を見ている。
「ベルマリアさまと君との間に、余人の入れない不可思議な縁と秘密が
あることは察しているよ。それはとても浪漫だし、僕は尊重している」
これは……ちょっとマズイかもしれない。誤魔化せない誠実さがある。
誠意といってもいい。応えないではいられなくなるような、真摯な心。
「今回のことで確信したんだ。君はベルマリア様にとって必要なんだと。
他の誰かじゃ駄目だ。君なんだ。君だけがベルマリア様を支えられる」
どう答えるべきか。どんな言葉にしたところで嘘になる。不誠実になる。
日本に関することは俺だけの秘密じゃないから、どうしたって言えない。
けど、それ抜きに俺とベルマリアの真実を表現できるわけがない。
「君は……ベルマリア様が誰かの家臣で終わる人間だと思っているかい?」
「……思っていません。先輩には王の器があります」
「ふふ……僕も同意見だ。ベルマリア様は王となる人さ」
際どい会話だ。俺はいいが、キッカさんにとっては致命傷にもなる言葉。
土御門の家臣である赤羽家。その家臣、つまりは陪臣であるキッカさん。
これは謀反者の会話だよ。下剋上、というやつになるのか。
「今回の大勝はその第一歩となるんだ。外にあっては1個艦隊のみで1領
を制圧、自領の危機にも即応して対処。内にあっては内通者を粛清して、
家中の不心得者たちを一掃。もはや雌伏の時は終わったんだ」
踏み込んだ発言だ。そして聞き捨てならない言葉を含んでいる。
家中の不心得者たちを一掃? 遂にやるのか、ジンエルン派を。
その時には……ジンエルン自身はどうなるんだ?
「もはや土御門の三文字は枷でしかないよ。ベルマリア様がいなければ
水無瀬なりに滅ぼされていたかもしれない癖に、充分に報いることも
できないんだ。これまでも、そしてこれからもね」
貴族を敬称もなく枷と言い切った。本気だ。キッカさんは。
「僕は予想する。水無瀬領を統治するべきはベルマリア様で疑いないが、
土御門は素っ頓狂な決定を下すだろう。自身の甥だか孫だかを統治主
として派遣し、妻としてベルマリア様を指名するよ。褒美としてね」
おいおい、何の冗談だ、それは。
「確信がある。以前から目をつけられてたんだ、ベルマリア様は。何しろ
天才で烈将だからね。しかもあの美貌だ。土御門は自家に取り込みたい
し、愚昧な甥だか孫だかは単純に懸想している。吐き気がするね」
おお……キッカさんの目が本気モードだ。随分と溜め込んでいたんだな。
豪族としてのそういった事情は今まで何1つ聞かされていなかったが、
何ともふざけた世界らしい。ベルマリアは嫌悪感半端なかったろうな。
「独立すべきだ」
言っちゃった。言っちゃったね、キッカさん。下剋上志向決定だね。
「水無瀬領をベルマリア様の名の下に統治するんだ。多くのことは後から
でも間に合う。でも浮島の支配権だけは早々巡って来ない。好機なんだ」
確かに、そりゃそうだろう。空白地としての浮島なんて存在しない。
あるとすれば激レアな魔石様を個人で発見するくらいか。浮島作成。
それにしたって技術者やらが必要で、利権が絡んでいくよな。
「そして、その際にベルマリア様の隣に立つべきは君だよ。テッペイ君」
いい加減な態度を許さない、その真っ直ぐな言葉。
「君は強い。恐ろしいほどに。そしてベルマリア様との間に不思議な絆が
ある。君は僕らのようにベルマリア様の背中につき従う人間じゃない。
隣に立って、一緒に遠くを見ることができる。肩を貸せる」
辛いな。
ここまで真剣に語ってもらっているのに、俺は真実を口にできない。
イレギュラーなんだ。俺はこの天空において異質であり過ぎた。
「探検に行くのもいいさ。常に隣に侍る必要もないよ。でも約束はできる。
君の言葉はベルマリア様の力になるから……それをしてほしいんだ」
そう言って、静かに部屋を横切り、何かを手に持って戻ってきた。
タオルと、コップと、水差しと……歯ブラシ。
「というわけで、準備しようか!」
「……は?」
「君さ、さっきからちょっと臭うんだよねー。血と油と汗と……獣臭?
流石にそれは駄目でしょ。ちゃんとしようよ。ほら、早く早く」
「え、ちょ……何が、何の準備で?」
臭いと言われたことに傷つきつつも聞く。いや、ほら、これは魔物と
戦ったりしたからですね? 言うなれば不可抗力ってやつでしてね?
「やだなー、もー。決まってるじゃん? そこにお姫様が寝てるんだよ?
王子様たる君の仕事ってアレじゃん。アレに決まってるじゃん?」
悟った。
この人も変な物語愛好者だ! いや、過分に少女趣味も入ってる!
呆れて見やると、何故か、キッカさんは照れたように顔を背けた。
「大丈夫。チューとギューまでだから。そこまでしか観察しないから。僕。
そ、そこから先があったら……その……廊下で扉を死守しとくから!」
「なっ!?」
込み上げたツッコミ衝動を辛うじて食い止める。歯を食いしばって忍耐。
何だそりゃああってチョップ入れたい、超入れたいっ! 馬鹿かいっ!
でもやったら戦闘になる気がする。割と洒落にならない戦闘になる気が。
モジモジとらしくない女っぽさ……と言っても戦いだな……で照れてる
キッカさん。チラチラとこちらを見てくる。期待してる。期待してるよ。
聞こえるものは仕方ないよね、とか言ってる。く……チョップしたいっ。
「だから……はい、コレ。準備して」
「む、無理ですから」
「勇気」
「勇気とかじゃないですから」
「男気」
「むしろ真逆ですから。少女っ気ですから」
「何それ意味わかんない。早くしてよ、もう待ちきれないよ」
ちょ、チョップしたいぃぃぃ……のを我慢したら頭突きしようとしてた。
落ち着け俺。この人はこっち関係の駄目人間なんだ。流せ。流すんだ!
「早く、早く僕にベルマリア様のあられもない声を聞かせてよ! いや、
この際もう、見させてよ! 普段の強気とは違う乙女のギャアアア!!」
電撃っ、電撃入りましたー!!
「ひ、人が寝てる脇で、何を企んで、やがるか……殺すぞ!」
火の髪のベルマリア様、覚醒であります。俺は無罪です。俺は無罪です。
床にのびているキッカさんとは違うんです。真面目に生きてるんです。
見事な直立不動を貫く俺。
ベルマリアはそんな俺をチラリと見て、すぐに目を伏せた。
「テッペイと話がある。席を外せ、キッカ。聞き耳たてたら殺すからな」
2人きりになった部屋で、俺は何とも居たたまれない思いをしている。
話があるって言ったきりで、ベルマリア、ちっとも話さないんですけど。
困った……謝恩の言葉も謝罪の言葉もいくらでも出てくるんだけど、
話があると言われた以上、俺から話し出すのもどうかと思うし。
けどなぁ……この1秒1秒が黄金の時間だと思うんだよな。
状況は未だ予断を許さないんだ。早々に行動を起こすべきじゃないか?
俺のことなんて、それこそ後でいい。ベルマリアの時間が勿体ない。
「お前さ」
視線がぶつかった。強い……強い眼差し。金銀の瞳はいつも神秘的だ。
「お前さ、俺に隠してることあるだろ?」
ある。それは身体の変化だ。まだ目に見える形じゃないが、体感として
わかる化物への変化。特に右手だ。明白な違和感がある。
「言いたくないことなのか?」
「……できれば」
「そうか」
我儘なのはわかってる。でも言いたくはない。自分が化物になりそう
だなんて言いたいわけがない。そうならないために散々世話になって、
でも駄目そうで……けど諦めず頑張ってくれちゃうんだろうし。
そうか、うん、そうなんだよ……俺の我儘ってだけじゃないんだ。
言えばまたベルマリアの負担になる。貴重な時間を奪ってしまう。
ベルマリアは俺のことを切り捨てるべきなんだ。足手まといの俺を。
キッカさんの言う通りになるならば、これから一層、ベルマリアは
忙しくなる。やるべき仕事が多くなる。社会がそれを欲している。
そして俺の存在は基本的に弱点なんだ。足手まといってだけじゃない。
だって化物だから、俺は。
いつ全てをご破算にしてしまうか、わかったもんじゃない。時限爆弾だ。
赤服たちが多くの時間をかけて用意しただろう上陸作戦を潰した俺。
同じことを、ベルマリアたちの成す事業についてやらない保障はない。
「なら、俺も言わない。俺もお前に隠しごとがあるんだ」
「え、はい……え? それも言わなかったらよかったんじゃ……?」
「うっせえ! 俺だけ隠されてるんじゃ、気分悪いだろが!」
何というベルマリア。うーん……これで公平……なのか?
「それで?」
「え?」
「お前の用事ってのは何なんだよ。1ヶ月も音沙汰無しだったくせに、
何しに屋敷に来たんだよ。それが何だって砦にいるんだよ。しかも
お前、かなり無茶に戦ったろ。あり得ない傷がついてたぞ、敵船に。
っつーか、そもそもどうして戦場に来たんだよ。しかもどうやって
移動したんだよ、距離と時間がおかしいだろ。それとあの女騎士と
どういう関係だよ、何で2人きりで戦ってんだよ、何なんだよオイっ」
バンっとベッドを叩くベルマリア。何か涙目で怒ってるんですけど。
思考が停止する。何だこれ。何だこれ。っていうか早口過ぎるです。
「説明しろ! それとも何か? 俺には何もかも話せないってのか!?」
「いや、そんな、決して……」
「じゃあ説明しろよ! いつもいつもお前ばっかり涼しい顔しやがって!
何で俺ばっかりがグチャグチャした気持ちでいなきゃなんないんだ!?
お前、この1ヶ月、寂しくも何ともなかったのかよ! 俺ばっかかよ!
会いに来いよ! いなかったけど! それでも来いよ! 来いよ!」
バンバンとベッドが乱打されてます。超泣いてます。ひ、ヒステリー?
こういう時はどうすれば!? とりあえず押さえる? 怪我するし……。
両肩を押さえてみた、ら、ガバッと抱きつかれました。ちょっと既視感。
俺の大胸筋に額を付けてワンワン泣いてます。何か小さい子みたいだな。
押し付けられるダブルバウンドは子供じゃないけどね! でもおっさん!
……大変だよなぁ。
例え見た目と精神年齢が違うにしたって、担っている重責を思うと、
この肩は余りにも細すぎる。キッカさんが心配するのもわかるよ。
隣に立つ、か。
もしもそうできたなら、愚痴を聞くくらいはできるのかもしれない。
日本の話をして、ベルマリアの理想を共有できるのかもしれない。
伴侶なんて大それた上に奇々怪々な立場じゃなく、後輩としてさ?
でも駄目だ。この人は人間。俺は化物。
もう隠せてもいないしね。赤服は俺の素性をかなり詳しく知っていた。
この人が王たる道を歩み始めるとして……どう考えても汚点だ。俺は。
泣き声が鼻を啜る音に変わった。俺を見上げる金銀の瞳は充血している。
「……どうしても、地上へ行くのか?」
「はい。どうやら俺の居場所は地上だったみたいです」
「もう戻らないつもりなのか?」
「多分。あ、でも連絡手段は確保するつもりです。魔石渡したいし」
「そんなもん要らない」
「そ、そんなことないでしょ? 天空じゃ魔石いずパワーですって」
子供みたいな口調でキツイことを言うよ。俺に出来るのってそれだけ
なんだから……そこ否定されると、本当に死にに行くだけになる。
「会えるんだよな?」
「会えないと魔石渡せませんってば」
「じゃあ、魔石、要る。一括じゃなく分割でよこせ」
「承りました。鋭意努力いたします」
「うん、そうしろ。俺は何して待ってればいい?」
おいおい、反動からか幼児退行してますよ、この人。く……ズルイ。
その上目遣いの表情はズルイ。中身おっさんの癖に、それズルイっ。
ありえないほどに倒錯感! 震えるほどに美し可愛いってのにぃ!
「何言ってんですか。先輩は先輩の仕事をしてください。俺は、先輩が
いてくれるからこそ、この世界を嫌わずにいられるんですから」
「……わかった。そうする。俺はそうして待ってるから」
すっと火の髪が、金銀の瞳が、俺の視界に大きくなっていった。
唇に触れる柔らかい暖かみ。
視界一杯に、この世のものとも思えないほどに綺麗な微笑が、華咲いた。
「死なないでね……テッペイ」