第5話 空戦
赤羽家軍が来られるはずがない。
俺の警告が聞き入れられたとして、屋敷に詰めていた兵力が港に移動し、
出航準備万端の船に滞りなく乗り込んで、すぐ出航したとしても無理だ。
最短距離である東から来るにしても不可能だ。ましてや北西からなんて。
あのお馬鹿な連中が乗った小型船だって、まだ都に着いちゃいないはず。
それだけの距離がある。航空船の速力は海の上をいく船と変わらない。
来られるとしたら俺だけだろう。
けどそれは、俺の走る速度が異常だからだ。
人間の移動について、灰色の俺は世界で最も速いに違いない。
だから無理なんだ。
どんな援軍もこの砦にこのタイミングで来られるわけがない。
しかし……紛れも無く……それは赤羽家軍だった。
5隻からなる1個艦隊が1列に単縦陣で迫ってきている。
凄い速度じゃないか、あれ……あのまま接敵する気なのか?
危険すぎる。先頭のは旗艦だろ? 集中攻撃を浴びる気か?
迎え撃つ形の悪霊兵団艦隊は単横陣だ。横腹を赤羽家軍に向けている。
弦側に兵士を並べて、火力を集中して待ち構えるわけだ。当然の戦術。
「むぅ……いかんな。敵艦隊は充分に艦列を整えてしまった」
ミシェルさんの声にも苦味がある。わかる。俺も同じ気持ちだ。
この後に予想されるのはいわゆるT字戦。1隻差なんて意味を失う。
単縦陣側は火力を全く集中できない。単横陣側は充分に集中できる。
中距離まで接近するなり、苛烈な魔法攻撃に晒されてしまうだろう。
先頭から順に……先頭の旗艦にはベルマリアがいるのだろうか?
座学で教わった航空戦闘のセオリーを思い出す。
航空船の戦闘は中距離射撃戦と白兵戦がメインだ。遠距離戦はない。
魔法の有効射程距離はそれほど長いものではなく、人対人ならともかく、
船対船のスケールでは心許ない。だから中距離で射撃して損害を与える。
しかし船を墜落させるほど打撃を与えることは滅多にない。しないんだ。
なぜなら魔石が極めて貴重品だから。回収するんだ。接舷して乗り込み、
白兵戦で圧倒して船を拿捕する。もしくは魔石を奪取する。
けどセオリーってのは破られるもので……来た!
夜闇を切り裂く光線。
まるでレーザービームのようなそれは、光属性の長距離魔法攻撃。
何十人分もの光魔法を束ねた集団魔法で、その発案者いわく集束烈光砲。
強力かつ精緻な氷のレンズが必要で、それを形成できるのは今のところ
発案者1人のみだという。光魔法の側が息切れし、連射は出来ないが。
やっぱ艦隊戦っつったら遠距離砲撃戦だろーよ、と言っていたっけ。
大砲用の実用的な火薬が開発できなくてなー、とも言ってたか。
ベルマリアだ。
やはりあの船にはベルマリアが搭乗しているんだ。
赤羽家軍旗艦から放たれたその一撃は、悪霊兵団艦隊の1隻に命中し、
その船のマストを全て破壊してのけた。甲板上も平らげたかな?
っていうか、それ、赤服が乗ってる船だ。どうする赤服。大ピンチ。
って、うお、ベルマリア、そのまま衝角突撃する気か!?
「ミシェルさん! ここは危ない、退避しましょう!」
「う、うむ! は、走るぞ!」
相変わらず走れてない鎧甲冑の手をひっぱり、比較的形を残している
壁の裏側に逃れた。何しろ港の上での航空戦闘だ。落下物の危険がある。
「「おお……!」」と息を飲む俺とミシェルさん。観戦モード。
中距離に差し迫って、単横陣から魔法射撃が開始されたが、猛然と迫る
その速度は変わらない。火や雷は木製の船体に大きなダメージを与える
ものだが、旗艦には効いていない。うわぁ……あれもベルマリアか?
船全体がキラキラと光っている。氷だ。魔力の氷で全て包んでいる!
土、水、氷は防御魔法としても使われるが、それにしたって一部分だ。
全部て。どんだけ凄いのベルマリア。強度もとんでもないんだろ?
激突。
無傷の2隻の内の1隻は……マジかよ……右舷に喰らって左舷に衝角が
突き出てきたんですけど。土魔法なりで強化防御した……んだよね?
これほどなのか。ベルマリアの魔力とはこれほどに突出しているのか。
実際問題、三色なんて他には歴史上にしかいないんだもんな。凄過ぎる。
凄過ぎるが、こんなに一気に魔力使って大丈夫なもんなのか?
旗艦からは兵士たちが白兵戦……というよりは、無事な部分を選んで
魔石回収に乗り込んでいった感じだ。制圧は間違いないだろう。
後続4隻も2隻ずつに別れ、それぞれ1隻に対してセオリー通りながら
猛烈な攻撃をお見舞いしている。中距離魔法射撃で甲板要員を圧倒して、
縄付きバリスタ……捕鯨船についてるような……をガンガン撃ち込む。
敵船を固定してしまえば、飛行できる者を先駆けとして白兵戦強襲だ。
様子はわからないが、数で優っている上に……悪霊兵団は指揮官不在だ。
赤服、逃げたっぽい。
無傷の1隻が南西方向へ一目散に離脱していくのが見える。
最初に乗っていた船と違うが、あいつは緑の目だった。飛んで移ったな。
思い切りのいい決断ではあるよ。あれは勝てない。赤羽家軍、超強い。
「流石は赤羽家軍と言うべきか……何という凄まじさだ。戦慄を禁じえん」
「ですね……ちょっと強過ぎです」
「何を他人事な。お主も赤羽の人間であろう?」
意外そうに言われた。ミシェルさんは俺の異名を初めて聞いた時から、
それの意味するところを赤羽家と絡めて把握している風だった。
察するに、上闘技からの情報だな。あの場に居たのか聞いたのか。
「大変な御恩を頂きましたが、別に家臣とかではないですよ」
「ふむ、ならば客分か。わかる話だ。お主ほどの猛者であればどの豪族も
縁を作りたいと思うものだろう」
「……そんなんじゃないと思いますけどね」
「謙遜することはない。私の知る内で最高の武人が、お主のことを絶賛
していたよ。強力無比にして類まれな戦士であるとな」
ミシェルさんがこうも言うのだから、余程の人物なのだろう。武人か。
「誰か聞いてもいいですか?」
「桃栗アントニオ殿だ」
「あの人か!」
思わず大きな声が出てしまった。狭い世間だもんな、有り得る話か。
でもって、アントニオさんってば名字を桃栗というのか。へー……え?
え、ちょと待てちょと待て。
桃栗って名字に聞き覚えがある。可愛いなーって印象だったんだよ。
凄く似合うなーって。髪の毛の色だしなーって……ゾフィーだよ!
名乗られたわけじゃないんだ。タオルに名前書いてあったんだ。
ももくりゾフィーって。間違いない。桃栗ゾフィーなんじゃないか!?
「つかぬことを尋ねますが……アントニオさんってお子さんいます?」
「うむ、いるとも。愛らしくいとけない娘さんがな。名をゾフィーといい、
少々厄介な病気でもって今も療養している身だ」
やっぱりだよ、やっぱりあの2人は親子だよ! そうだったのか!
あ、じゃあ、ゾフィーちゃんの筋肉愛ってのはアントニオさん譲りか。
よく脱ぐマッチョなパパンってのがアントニオさんなわけだしな。
はー。不思議な縁だなぁ。
そういや2人とも光属性だわ。約1名が無髪だから気付かなかったよ。
ミシェルさんも光属性だけど……気のいい人が多いのだろうか?
「もはや勝負は決したな。1隻を逃したが、追う気もないようだ」
言われて空を見上げる。確かに言う通りだ。既に戦闘の明滅は見えない。
船の動きも緩やかに作業的で、後は事故なく接収作業を終えようという
印象を覚える。戦果は船魔石3個、もしくは4個だな。
「……よし、ではこちらも出来ることする」
「え?」
「砦の巡回だ。生存者を確認しなければならん。今やそれをできる余裕が
生まれたのだからな。ああ、お主には義務はない。軍の仕事だ」
と言われてもね、見て見ぬふりで遊んでるわけにもいかないじゃない。
手伝おうと思い立ち、ミシェルさんの筋の通し方に感心してしまった。
未だもぞもぞと苦痛に蠢く悪霊兵団の兵士たちを、ビシバシと拘束して
1カ所に集める。怪我も何もガン無視。「後で処置いたす」とキッパリ。
これが戦場の分別というものか。余裕があればまた違うかもだけど。
そして瓦礫の中に砦兵の生存者を丁寧に探していく。酷い作業だった。
魔物のせいだ。死体の多くは喰い散らかされていたから。この死体など
どちらだろう。爆撃前に食われたか。その後に動けない所を襲われたか。
誰も生存者などいなかった。ミシェルさんは最後に一通り歩いて周って、
それから拘束した兵士たちの方へと向かった。無口だった。仲間たちの
死をゆっくりと飲み干そうとしているかのように思えた。
俺はといえば、ただ、小さな満足感を感じている。
名前も知らない多くの死は、俺の目の前を通り過ぎていくだけだ。
クリス。なあ、クリス。俺はこれで2勝1敗だぞ。
やれるもんだ。思い切ってしまえば、存外、やれるもんだよ。
封魔環は右手につけ直してある。今回は随分と長い間外していたな。
そしてそれは不可逆的に俺を化物へと、鬼へと追いやっていくのだろう。
後悔はない。いいんだ。そうしないで間に合わないより百万倍もいい。
さて……上もそろそろ終わりだな。
ベルマリア・フルアイス・ラムアタック(仮)を喰らった船は既に墜落
して跡形もない。追わないところを見ると、魔石は回収できたのだろう。
他の2隻については船体を保ったまま拿捕したようだ。バリスタで繋ぎ、
そのまま牽引して運ぶんだな。まぁ、片方はマスト全壊だしなぁ。
兵士についてはどうしたろう。下と大差ないかな。移送手段としては
牽引した船が丸ごと使えるわけだし、問題ないだろうしね。
ん?
旗艦が高度を下げ始めた。寄港するのか。
砦の状況は上から見ても悲惨だろうが、捕虜の回収は必要だ。
ミシェルさんだけでも正規兵が残ってて良かった。報告が捗る。
俺はどうしたもんだろう?
軍属でもないのにここにいる俺。探険者にも未だならずに。
また呆れられる気もするが……関わった以上は報告しなきゃなぁ。
それにしても見事な航空船だ……質実剛健ながら優美に洗練されている。
拙い語彙で表現するなら、赤と白のドレスをまとった戦乙女って感じだ。
っていうか、無傷じゃん。凄いな。普通にとんでもないな。
桟橋に接舷するなり、甲板から飛び降りてきた人物がいる。豪快な。
……いや、ちょっと無茶だったようだ。膝をついた。よろけつつも立つ。
まるで旗艦がそのまま人へ変化したかのような、火色の髪に白の戦装束。
ベルマリアじゃないか!
何やってんの、風属性でもなければ、体術に優れているわけでもなしに。
思わず港の方へ駆け出してしまった。だって様子が普通じゃないんだ。
足でも捻ったのか、よろよろと歩いている。眩暈もするのかフラフラだ。
危ないって、そこ桟橋! フラリとフライしちゃう場所だからね!?
甲板からも慌てて何人か降りてきた。そりゃそうだ。味方の砦とはいえ、
かくも戦場と化した港に艦隊司令官が一番乗りしてどうすんです、先輩。
目が合った。金銀の霊妙な視線が俺を射抜くよう……って、えぇ!?
は、走り出した! 周りの人たち振り払ってこっちに走り出したよ!?
ちょ……わ、怒ってるっぽい……そうか、そりゃそうか。
散々世話になっといて赤羽家の軍務をまるで手伝わず、苦労して天空に
暮らせるようにしてくれたのに地上へ行くとかって出ていって。
挙句の果てに、何の断りもなしにこんな戦場にいるんだもんな。
1発でも2発でも、修正して貰いますか。手の平でも拳でも。
軽く膝を折って、両の手は後ろに軽く組む。バッチコイです、先輩。
正直言ってちっとも肉体的には痛くないでしょうが、思い切りどうぞ!
うわ、超怒り顔。目を閉じ、舌を噛まないように口内を準備する。
ドンっと衝撃。
フワリと芳香。
ギュッと束縛。
目を開ける。視界には炎と見紛う美麗な髪。
額を俺の胸に押し付けていて顔は見えない。
密着する身体から、小さく細かく震えが伝わってくる。
夜空の下、廃墟の砦の桟橋で、旗艦とその乗組員に見守られて。
赤羽ベルマリアが、俺に抱きついていた。