第4話 封魔
「くくく……やはり、効果覿面でしたね!」
マストを取り落として膝をついた俺に、赤服が嬉しそうな声を上げた。
返事はせずに周囲を見渡す。
ワイヤーを放った連中は、それぞれにワイヤーのもう片方を握って、
甲板の端やら爆雷投下窓の中やらから俺の方を見ている。
「それは封魔環を応用した品で、封魔縄というものです。魔物を捕縛する
ために開発しました。その効果たるや、人間大の魔物であれば1本きり
で動きを封じるほどです」
ああ……こんな顔だったんだろうな。裏闘技で仮面つけてた連中は。
実に嬉しそうだ。全能感や加虐心でもって、相手を見下し蔑む愉悦。
「魔物とはその大小を問わず、内臓器官や筋肉組織までもが重魔力に汚染
せている生物です。人間であれば封魔など魔法が使えぬ不便と、少々の
身体のだるさでしかありませんが、魔物にとっては大きな行動の阻害」
成程ねぇ。
ベルマリアが言ってたもんな。俺の身体は異常に魔力に依存してるって。
それって魔物と一緒だったんだな。死にかけた辺り、むしろ重症か。
「実は私、貴方が祭殿で使用した霊性傾向試験薬を入手しまして」
っていうと……あの黒い水か。ちょっとネトネトしちゃったやつ。
思えばあの時って、俺、黒髪黒目のままだったんだよな。
「驚きましたよ。魔物に試験薬を使用した際にも水が黒ずむのですが、
あれほどの黒は記録にもありません。正に漆黒。変異度の重い大型
魔物であっても、あれほどに黒くはなりません。驚愕の発見です」
こいつって魔物研究者なのかな? 砦への最初の仕掛けも、そんな
背景があっての作戦だったのだろう。このワイヤーで魔物を捕えて、
難民船に詰め込み、どうやってか解除して、襲わせたんだ。
「闘技場の全戦闘記録も拝見しました。素晴らしい。まるで化物ですよ。
鬼と素手で格闘し、名うての闘士が放つ魔法をものともせず、拳豪と
すら引き分ける。私に言わせれば貴方の圧倒的勝利ですけれどね?」
語るなぁ、こいつ。身振り手振りも交えて、何だか舞台演劇のようだ。
絶対的な優位にあるという確信だな。余裕のよっちゃんなんだなぁ。
ははは、ここ笑っていいのかな? 周囲も空気読み過ぎだろ。
何でスポットライトが当たってんだよ、赤服に。クライマックスかよ。
「貴方は本当に素晴らしい。興味が尽きません。烈将が入れ込むのも頷け
ます。今回の侵攻に乗じて奪うつもりでしたが……ここで手に入るとは」
今こいつ、舌舐めずりしやがった。きもい。生理的な嫌悪感を覚える。
何でだかレギーナを思い出した。あっちはまだ好ける変態だが、こっち
はかなりいけ好かない変態だ。しかも凄いこと言ったな。
侵攻に乗じて、ということは、やはり主目標は都ってことだ。
だからか? だから赤羽家軍は都を動かないのか? 決戦前提なのか?
「さて……では丁重に厳重に捕縛しなさい。帰還します」
踵を返した赤服。月宮リベンチオ。悪霊兵団を率いる男。
ベルマリアにとって敵となる男だろうか。味方となる男だろうか。
毒物や劇物の類であることは間違いないよな。存在感のある男だ。
判断がつかない。戦争にまつわる色々は価値や可能性の万華鏡だ。
何故ならそれは前後のある話だから。どちらかが滅ぶまで殺し合う
なんてあり得ない。そんなに馬鹿じゃない。もっと狡賢い。
個人で参加するものじゃないんだ、戦争なんてのは。
社会と社会とが、互いの利益のために個人を駒として争うものだ。
だから、俺には関係ない。
天空の人間社会そのものから去ろうっていうんだから。どうでもいいさ。
ミシェルさんの従卒や、多くの兵士の仇かもしれないが、それもいいさ。
アンタはまだ俺の敵じゃない。
今は……見逃してやるよ。
俺を束縛すべく集まってきた連中を蹴りの1発で薙ぎ倒す。ワイヤーを
引きちぎりつつ手刀と足刀の乱舞だ。チョップえんキック!
「な……何だと!? 馬鹿な!!」
赤服の声がするな。はは、馬鹿はお前だ。誰が一言でも身動きできない
なんて言ったよ。余裕だ余裕。流石にマストを持つのは厳しいが。
「封魔縄を何本使ったと思っている! それでもなお、封じられないと
言うのか!? あり得ない、あり得ないことだ、それは!!」
知ったことかよ。慌てる兵士たちの腕を砕き、足を折り、蹴り飛ばす。
何人か落下しちゃったかな? 残念だったな。会えたら地上にて。
誰かが振るった剣を避ける。髪が数本断たれた。その色は……白。
封魔縄とやらは確かに働いてるぞ、赤服。身中に魔力は感じられない。
でもな、俺は封魔された状態でも充分に戦えるんだよ。
ましてやここは人と魔物の死が量産された場所だ。目には見えずとも
漂う鬼気というものがある。死の気配。闘技場の地下に呼吸したもの。
それらは俺に力をくれる。こいつらを一掃するには充分の力を。
思うに……死って現象は重魔力に属するものなんじゃないか?
桟橋に降りた奴らで、もう立っている者などいやしない。今更ながらに
魔法が飛んできた。火矢、火線、風刃、石弾、石針、氷柱、などなど。
全部が全部を受け止めてやった。その辺に転がってる肉の盾でな。
魔法が止んだ。ビビッてやがる。本当に今更な連中だよな!
手近な船へ跳び乗って、動きのトロい連中を逐一張っ倒していく。
遅い。ぬるい。鈍い。柔い。弱い。誤射を恐れず魔法を……って?
おい、馬鹿、そっちじゃないだろ、そっちって爆雷とかが……!
大、爆、発。
何やってんだか、職業戦争のくせに。普通にもう駄目だろ。落下確定だ。
慌てて船から降りていく連中とは別に、一部がむしろ船の奥に向かった。
ははん、魔石を回収する気だな。つまりは魔石技術者って奴か。
あ、そうか。
奪っちゃおうか、魔石。こんだけの軍艦を飛ばす船魔石だ。貴重品だよ。
地上で苦労して探すのもいいけど、何のことはない、そこにあるじゃん。
……ま、余裕があったらだな。
降りた連中がミシェルさんを発見でもしたらマズイ。意味がない。
人生ってのは物事の軽重判断が大事なんだ。この場合は明白だよな。
混乱の集団を飛び越えて桟橋へ。着地するなり周囲を圧倒していく。
この混戦じゃ魔法も武器もろくに使えないだろ。でもこっちは格闘。
そしてもって、この世界の戦闘は格闘戦を軽視し過ぎだよっと。
居残られても面倒なので、適当に打ち倒し、兵士たちを別の船へと誘導。
そうそう、もう諦めて帰っちゃえよ。間違ってもこっちの船には乗るな。
見ろよ、赤服の乗った船はもう逃げてるじゃん。高度を上げていくね。
む。
無事の船を背後にして、兵士たちが隊列を組んだ。来るか。
来た。魔法の連射だ。撤退はするとして、追撃させまいってことか。
肉の盾を幾つも駆使して防ぐ。恨むなら味方を恨め、盾の人たち。
あいつらは俺がこうすることを知っていて撃ってるんだから。
おっと。炎上して沈み行く船から、数人が必死の態で飛び出してきた。
2人がかりで運んでいる箱があるな。あれに船魔石が入ってるのか?
とと、魔法射撃が勢いを増した。そうか、この瞬間のための隊列か。
しかしまぁ、死んでいくね。人が。俺の手に感触を残して。
あんたら必死になればなるほど戦死者増やしてるけど、いいのか?
俺はいいぞ。どうでもいい。殺すも殺さないも、この場合軽いことさ。
命は作れないのに、勿体無いことだとは思うけどな。
燃える船がゆっくりと落下していく。動力源を抜いても即座に落ちる
わけではないらしい。もしくはそこら辺の調整が技術者の技なのか。
魔法の弾幕を張る兵士たちも、徐々に後退し、船へと退避していった。
赤服の船を追うように上昇していく。負傷兵は回収しないのか。
このまま終わり……とはいかないだろうなぁ。
未だ腕や足に巻きつき絡んでいるワイヤーを、1つ1つ千切って外す。
油断はできない。選択肢を増やしておく必要がある。白髪の状態では
超人的な戦士であるに過ぎない。灰髪の化物人へと変化する。
あーあ、やっぱりだよ。
無傷の2隻と合流して4隻となり、港の直上に艦列を整え始めた。
爆撃だ。鹵獲を諦め、沈める気なんだ。或いは地上で回収する腹かも。
正直言って一番厄介な状況だ。俺には無数の爆雷を迎撃する手段がない。
1個ずつだったら、その辺の鎧とか兜とかを投げつけてやるんだが……。
……潮時か?
船奪われなかったわけだし、最低限の仕事はしたと言えるよな?
ミシェルさんを回収して、後はやりたいように爆撃させとくか?
もしも船が沈まないようなら、俺だけ戻って叩き壊してもいい。
よし、決めた。そうする。甲板に乗って船室への扉をノックする。
「俺です。テッペイで「どうした!」ぐえっ!?」
早いよ。開けるの早いよ。ずっとそこにいたのかよ、ミシェルさん。
勢いよく開かれた扉と、勢いよく飛び出してきた鉄兜が、ダブルヒット。
痛いよ。さっきからの一部始終の中で一番痛いよ。もう。
「上陸部隊は退きましたが、上空で艦隊が爆撃体勢に移ろうとしています。
対応のしようがないので退避しましょう。いいですね?」
「むぅ……ここにいても座して死を待つのみか。わかった。退こう」
小型船の顛末では頑固だったが、基本的には判断が早くて的確な人だ。
即座に下船して桟橋を移動する。走るにはちょっと足場が悪すぎだ。
生きてる奴も結構いると思うんだが、容赦ないよな、赤服も。
「忌々しいことだ。これが軍の……何と!?」
悔しげに空を見上げたミシェルさんが立ち止まった。つられて俺も見る。
今にも爆撃を開始せんとしていた4隻が……艦列を再編成している?
妙に慌しい動きだ。俺が叩きまくった2隻の動きが鈍いが。
「おお……援軍だ! 援軍が間に合ったぞ!」
ミシェルさんが歓喜の声を上げた。例によって目ぇ光ってるし。
そうか……土御門領側の艦隊が来たから、爆撃どころじゃないのか。
え? いや、でも、どうして……どうして北西方向から援軍が来る?
ミシェルさんもその疑問に気付いたようだ。確認するように目の光を
強める。そりゃそうだよ。だってここは西端砦。都からの援軍ならば
東から来るはずだ。北西には味方の砦どころか陸地もない。
「あれは……あの旗印は……!」
今や目ビーム出しているようにすら見えるミシェルさんが声を震わせた。
くそ、流石に俺には見えないな。良い驚きなのか、悪い驚きなのか。
やきもきする俺の耳に聞こえた呟きは、予想もしない内容だった。
「炎の翼の旗印……赤羽家軍!!」